知床半島は情報環境過疎地帯だった2007年09月09日

 今日から北海道の道東の旅に出る。昨年9月の「ドイツ&スイスの旅」以来の1年ぶりの旅である。国内旅行であり、Zaurusによるブログ更新は問題ない。今回は旅先からのリアルタイムなブログ更新を試みようと思う。盛りだくさんの欲張りスケジュールの合間を縫っての更新が果たして可能か甚だ心もとない。・・・とここまでは自宅での書込みである。

 今、釧路行の電車を待つためJR摩周駅の待合室ににいる。ようやくZaurusのNET環境にアクセスできた。昨晩、知床のホテルで何度もアクセスしたが叶わなかった。もしやと思ってフロントに尋ねたら、案の定PHSの環境はないとのこと。携帯も繋がらないこともあるという。考えて見れが知床は日本の北東の先端に位置している。NET環境が遅れていてもても不思議はない。そんな訳で昨日の旅日記ブログ版の続きは今になってしまった。
 自宅を出て関空に向かった。国内旅行での関空利用は初めてだった。何しろ到着空港の女満別はこの時期は関空しか出ていないにだからやむを得ない。ちなみに女満別をメマンベツと読むことを今回初めて知った。定刻前の15時に着陸した女満別空港は、見渡す限りの田園に囲まれた北の大地のど真ん中の空港だった。空港からは丸1日レンタカーで移動する。NET予約していた大手レンタカー会社の営業所に行く。借り受けた乗用車は真新しい最新ナビ搭載の快適な車種だった。
 空港から北に車で20分程の所に最初のスポット「博物館・網走監獄」がある。NETでクーポンを入手し一人110円の割引きで入場する。内容は1050円の価格に恥じない見応えのあるものだった。かっての「網走番外地」の様が、当時の構造物と等身大のリアルな人形で見事に復元されている。 「監獄」から網走市街を抜け、オホーツク海を左に見ながら一路東に向かう。途中、JR釧網本線の原生花園駅に隣接する小清水原生花園の展望台に立ち寄る。更に知床半島に向かって東に進む。さすがに北の大地の自動車道である。どこまでも真っすぐな舗装路が一直線に伸びる快適なドライブウェイだ。
 曇り空の夕闇が迫る中を知床半島にようやく入った。今日の目玉スポットのオシンコシン滝はぜひとも明るいうちにたどり着きたい。時間との競争しながら滝には18時前に到着した。扇状に下り落ちる雄大な滝を目に止め、デジカメ画像に収まった。
 予約の知床花ホテルは、高台のウトロ温泉街にあった。チェックインの際、予約していた知床の夜をバスでウォッチングする「夜の大自然号」観光が天候事情の悪さで中止になったと告げられた。知床観光の不吉な前触れだった。
チェックインした後、夕食は地元の郷土料理を求めて中心街に出掛けた。ガイドブック紹介の「荒磯料理・熊の家」がお目当てだった。市街のメインストリート沿いの飲食街の熊の家のドアを開いた。座敷席とカウンター席があり、欧米人のカップルの後のカウンター席に陣取った。私はウニ・イクラがたっぷり盛られた荒磯丼を、家内はサーモン、ホタテ、ウニ等が並んだ刺し身定食をオーダーした。届けられた本場の鮮度抜群の海鮮料理を堪能した。カウンター前のオヤジさんとの会話も楽しかった。
 ホテルに戻り天然温泉の大浴場で旅の疲れを癒し、床に就いたのは22時過ぎだった。尚決着のつかない巨人-阪神戦の結果を気にしながらいつか眠りについていた。

悪天候の中を知床から阿寒湖へ2007年09月10日

  昨晩、布団の準備にやってきたホテル従業員から観光情報を、仕入れた。「早朝の知床五湖観光は有料駐車場が空いていないので無理。フレペの滝の早朝散策は可能だが熊の出没が頻繁で先頃も観光客が襲われたばかりで注意が必要」といった情報だった。
 明けて旅の二日目の早朝である。4時半に起床し大浴場に浸かった後、5時半にはレンタカーでホテルを後にし、霧雨の中をフレペの滝を目指した。車で10分程の知床自然センターに駐車し、センター横の遊歩道入口前に立った時だった。「遊歩道にヒグマが頻繁に出没しています」との緊急看板が掲げられていた。これを目にした途端、妻は「やめよう!私は行かない」と断固たる口調で宣言した。ここまできて引返す訳には行かない私の説得も聞く耳をもたない。やむなく一人で滝を目指した。左右を熊笹と潅木が覆う早朝の人気のない遊歩道である。さすがに緊張感に包まれた。笹を揺する音に「やっぱり出たか!」と一瞬固まった。驚愕のまなこの先で蝦夷鹿の家族が朝食中だった。滝まで20分という案内看板だったが急ぎ足で半分で到着した。展望台の遥か下の滝の上半分が辛うじて目にすることが出来た。画像に収め、20数分後には車で待つ妻の元に戻った。
 ホテルに戻ると知床観光最大の楽しみだったクルーズが悪天候で中止になったと告げられた。最悪の情報だ。やむなく朝食を済ませ、チェックアウト後、知床五湖観光に向かった。オープン直後の有料駐車場で「今日は二湖までしか行けません」と告げられる。濡れそぼった遊歩道の先に美しい一湖の展望が開けた。二湖に向かう途中から雨が一段と激しくなる。急ぎ足で二湖を見学し入口まで戻った。駐車場横の展望台で五湖全体を俯瞰する。悪天候は一湖をかすかに目にするだけの光景しか提示してくれない。
 クルーズ中止で気の抜けたビールのような知床の思い出を後に、JR知床斜里駅を目指した。駅近くのガソリンスタンドで満タンにし駅前のレンタカー営業所に着いた。この駅前で乗り捨て可能な唯一のレンタカーだった。返却を済ませ、駅舎に着いたのは電車の発車時刻の40分も前だった。駅近くの「道の駅」で買い物をして時間をつぶした。到着した一両車両の電車に乗り込み、鉄道ファンに最も人気のあるローカル線である釧網本線の旅が始まった。田園風景をしばらく走った電車はまもなく知床連山の山中に入る。川湯温泉駅の手前で今も煙を吐く硫黄山を目にした。
 摩周駅で下車し、地元の車両修理工場が経営するレンタカー業者に連絡する。送迎車で工場に行き契約を済ませ、小型車で阿寒湖に向かった。60分程で阿寒湖温泉街に到着。駐車場を兼ねた大通りの左右にアイヌの物産店や飲食店が立ち並ぶアイヌコタンに入る。コタンとはアイヌ語で「集落」を意味するそうだ。13時過ぎ遅い昼食をアイヌ料理の店「北国の味・ばんや」で取った。行者ニンニク定食と味噌チャーシューを注文。定食はニンニクの芽をメインにした山菜料理だった。広場奥正面にはアイヌの伝統舞踊を伝える劇場「オンネチセ」がある。その横のアイヌ生活記念館に入場した。昔のアイヌの民家を再現した家屋の中は当時の生活を伝える生活用具の数々が展示されていた。受付のオバアサンとの雑談の中に、アイヌの誇りと和人との葛藤を窺わせるものがあり、今尚残るアイヌ民族の気概を感じた。温泉街の東の端にエコミュージアムセンターがある。マリモなどの阿寒湖ゆかりの展示品を見た後、横の遊歩道をたどって湖畔のボッケ(泥火山)に向かった。阿寒湖畔は穏やかな水面を漂わせた静寂の世界だった。
 阿寒湖から弟子屈市街を抜け、摩周湖に向かった(「弟子屈」を「てしかが」と発音できるまでに相当な時間を要した)。レンタカー会社の従業員の「今日は見えないでしょう」という悲観的観測を気にしながら摩周湖第一展望台に到着した。駐車場係員の「なんとか見えます」との言葉に思わず「よかった」と朝からの不運を吹き飛ばす幸運に感謝のせりふが衝いて出た。展望台から眼下に広がる「霧の摩周湖」は、雲に覆われた曇天が灰色の湖面を写すモノクロ画像の風景だった。霧に包まれ全く見えない湖面に佇む観光客も多いという。湖面を望めたことこそ幸いとすべきだろう。
 レンタカーを返し、摩周駅から再び釧網本線の17時6分発の釧路行電車に乗った。17時半頃には車窓はどっぷりと闇に包まれた。突然電車がスピードを落とし汽笛の音が甲高く闇夜を切り裂いた。臨席の二人ずれがのオジさんたちの会話が蝦夷鹿か北キツネが鉄道を横断したらしいと教えてくれた。北の大地の風物詩というべきか。
 降り立った釧路駅前は土砂降りの雨だった。予約ホテルは徒歩10分の距離とは言えこれではどうにもならない。タクシーで乗り付けたホテル「ラピスタ釧路川」は真新しいシティーホテルだった。
 チェックインを済ませホテルで傘を借りて夕食に出掛ける。釧路は炉端焼き発祥の地であることを今回初めて知った。ガイドブックで見つけたホテル近くの「炉端焼・煉瓦」のドアを開ける。案内された四人掛けテーブルは真ん中が囲炉裏になっており真っ赤に焼けた炭火の熱風が顔をほてらせる。「新ちゃんセット2310円」「北海セット3150円」と生ビールを注文。ホッケ、カレー、帆立て貝、エビ、サイコロステーキ、とうもろこし、茄子、その他諸々の素材が次々に運ばれる。網の上にどんどんのせていく。ほどなく味噌汁付きのご飯がやってきた。一つはマグロ&イクラ、一つはイクラのみの丼だった。それぞれが新鮮で肉厚の素材の数々は圧倒的なボリュウムだ。さすがに発祥の地の料理に恥じないものだった。
 帰り着いたホテルの部屋も新築でゆったりした快適な内容だった。最上階には天然温泉が設けられ、旅の疲れを癒すに十分な設備が整えられている。豊かな夕食のなごりと快適なベッドに包まれて二日目の眠りについた。

「ノロッコ号とバスの釧路湿原めぐり」ツアー2007年09月11日

 快適なベッドで三日目の朝の寝覚めを迎えた。6時前には天然温泉の朝風呂という旅先ならではの楽しみも味わった。13階の大浴場隣接のラウンジからは釧路川河口の絶景が望めた。朝食は贅沢な惣菜の数々を並べた和洋バイキングで大満足だった。朝食後附近を散策する。隣接の幣舞(ぬさまい)橋は、欄干の4箇所に著名彫刻家による「四季の像」があり、釧路の観光スポットでもある。
 8時過ぎにチェックアウトし現地ツアー「ノロッコ号とバスの釧路湿原めぐり」の集合地に向う。集合地はホテルと通りを隔てて向かいのショッピングビル・フィッシャーマンズワーフMOOの中にあるバスセンターだ。8時半の定刻に到着した小型バスに乗り込み総勢10名のツアー客を乗せて出発した。人口19.5万人の道東最大の都市である釧路の市街地を抜けるとすぐに広大な田園風景が広がる。放牧されている乳牛の群れがいやおうなく北海道の旅を実感させてくれる。
 9時過ぎには最初の訪問スポット「釧路市丹頂鶴自然公園」に着いた。細長い長方形の敷地の片側に天井のないネットフェンスが続いている。間仕切りされた部屋ごとに丹頂鶴のカップルたちの睦ましそうな姿が見える。常時20羽前後がこの公園に飛来しているという。
 次の訪問地は釧路市湿原展望台である。茶色の円形の建物は、谷地坊主(ヤチボウズ)という湿原に群生する人の頭に似た形のカヤツリグサ科の植物の株をモチーフにしているとのこと。2階の展示室では釧路湿原にかかわる多くの資料が展示されている。屋上展望台から湿原を望むが小雨模様の空の下では広大な湿原のイメージにはほど遠い。展望台を中心に周囲2.5kmの湿原探勝歩道が設けられている。残念ながら私たちのツアーコースには組み込まれていない。
 次の目的地に向う途中で車窓から様々な動物を目にした。丹頂鶴を何ヶ所かで見かけたり、蝦夷鹿や「どさんこ牧場」の北海道産の馬もみた。車道を横切ったキタキツネが草叢からじっと見つめていた様は圧巻だった。コッタロ湿原展望台は、200段以上もの階段を登った先にあった。20代の若いガイドさんの後を私たち夫婦をはじめ年配のツアー客たちが息を切らせながらついて行く。辿り着いた展望台からの見晴らしは、これぞ湿原!というイメージどおりの光景だった。
 最後のスポット「エコミュージアムセンターあるこっと」は、塘路湖畔にあった。塘路湖の自然や野鳥の観察ができる展望室を備えた釧路湿原の自然や利用についての情報センターだ。湿原から出土した縄文土器の展示を見てふと疑問に思った。「古来、北海道はアイヌ人しか住んでいなかった筈だが狩猟民族であるアイヌ人が縄文土器を使っていたとは考えられない。ではこの土器を造った民俗は誰なのか」。センター職員に質問したが納得できる答えは得られなかった。
 すぐ近くに塘路駅がある。いよいよノロッコ号の乗車である。釧路~塘路間を折り返す6両編成のノロッコ号が既にホームに到着していた。デジカメのシャッターを思う存分押した後、乗車した。観光用の木目内装の自由席車両は既に満席だった。最後尾の車両に陣取った。単線の復路運行なのですぐ後が機関車である。12:07定刻に発車したノロッコはまもなく釧路川と最も接近する絶好のビューポイントを迎える。ノロッコの名の通り、ポイントを通るたびに列車は極端に速度を落としてくれる。おかげでシャッターチャンスを逃さずカーブする車両と川の双方を収めることができた。ログハウス風の釧路湿原駅の情緒のある駅舎を見ながら南下する。釧路川の洪水を防ぐ岩保木水門の独特の形が珍しい。河口付近の釧路川を跨ぐ鉄橋を越えるとすぐに釧路駅に到着し、50分足らずの旅情溢れる列車の旅を終えた。
 改札を出たところでツアーバスのガイドさんが待っていてくれた。駅から乗車地点のフィッシャーマンズワーフMOOまで送ってもらう。釧路駅からの再乗車は結局私たちだけで恐縮しながら乗車した。MOOの2階に「港の屋台」とネーミングされた和風のフードコートがあった。14時前の遅い昼食を取る。カニチャーハンと味噌チャーシュラーメンをオーダーした。タラバガニとズワイガニの身がたっぷり混ざったカニチャーハンの美味しさに舌づつみした。MOO内でちょっとしたショッピングを済ませ釧路駅に向う。途中、勝手丼で有名な和商市場に立ち寄る。
 乗換えを含めて次ぎの目的地の富良野着は20:33である。車内で食べる駅弁を駅で調達した。16:17釧路発札幌行きの特急スーパーおおぞら10号に乗り込む。乗換駅の新得駅では1時間以上もの待合せ時間がある。改札を出て駅周辺を散策する。旭川行の各駅停車に乗車する。新得駅の次ぎの落合駅間に「日本三大車窓」のひとつ狩勝峠があるが17:20発の列車の車窓からは望むべくもない。腹いせに調達した駅弁を味わうことにした。「いわしのほっかぶり寿司と焼いわしののり巻」は駅弁大会銀賞受賞のふれこみだったがいまいちの味。「あっけしのかき弁」が肉厚の牡蠣に味のしゅんだご飯がよくあった逸品だった。富良野で予約した富良野グレースホテルクロダは、列車の到着時間の関係で駅前立地という条件で選択したものだ。9月一杯で廃業するというこのビジネスホテルの施設やサービスには予想以上に落胆させられた。旅の最後の夜を最悪のホテルで過ごす羽目になったことを後悔しながら床に就いた。

電動自転車で駆け抜けた美瑛パノラマロード2007年09月12日

 早朝の電車に乗車するため7時からの朝食を早めてもらい早々にチェックアウトした。富良野の駅前は工事中ながら穏やかで牧歌的な佇まいを残していた。富良野線の7:24発旭川行の電車に乗車した。JR北海道の普通電車は殆どが一両車両のワンマンカーのようだ。美瑛駅までの36分の車窓の風景は、シーズン中はラベンダーの咲き誇る田園風景をノロッコ電車が走っている。夏休みを終えた今はノロッコ号は土日に限られ、季節を過ぎてラベンダーも望むべくもない。晴天なら遠望できる筈の噴煙上る十勝岳すらも雲に覆われた曇天には姿はない。
 8:00美瑛駅に到着。周辺で採掘される大理石で造られた駅舎自体が、多くのプロモーションビデオにも採用される観光スポットである。駅舎を中心に広い駅前広場を挟んだ街並みは素晴らしい景観だった。
 美瑛駅前で散策したり、コンビニ風の店で昼食用のサンドイッチを購入したりして20分ばかりを過ごした。8:21発の富良野行で次の美馬牛駅でまで引き返す。ワンマン電車の運転手に切符を渡して無人駅を下車する。駅裏にあるレンタサイクル店「ガイドの山小屋」で予約しておいた電動自転車を借りる。初めての電動自転車だったが、自転車の変速機操作と同じ要領で電動モーターのON、OFF、UP(パワーアップ)を切替えるだけの思いのほか簡単な操作だった。3時間程度のサイクル観光ということで「パノラマロード」のコースを勧められマップをもらう。
 今回の旅の楽しみのひとつである「美瑛の丘のサイクルめぐり」が9:00にスタートした。駅の東の緩やかな登り路を一路南に向かう。通常の自転車なら途中で息が上がりそうな上り坂も楽々と運んでくれる。ほどなく右手に色鮮やかな花畑が見えてくる。「四季彩の丘」である。飲食や土産物の売場を収めた建物の中を抜けると季節外れでも観光用にメンテされたラベンダーの紫等の色とりどりの帯状の花畑が圧倒的な迫力で目の前に広がっている。
 四季彩の丘から拓真館に向かうコースはなだらかな下り坂だった。モーターをOFFにしてペダルを固定したまま快適なサイクリングが思い切り楽しめる。顔に降り注がれる初秋の爽やかな風が心地良い。左右の広大な丘陵の絶景を眺めながら軽快に滑るよう走る自転車にひたすら身を任せた。
 拓真館は白樺林に囲まれたチャペルのような趣きの建物だった。写真家・前田真三氏のギャラリーである。館内に入り美瑛に魅せられたプロカメラマンの絵画のような美しい傑作の数々を見て回る。この施設は廃校となった小学校の跡地が利用されている。8千坪もの敷地にはラベンダー畑や白樺林の散策コースがあり、ここから展望できる丘陵の風景と相俟って必見のスポットである。
 拓真館から更に南下した所に「哲学の木」がある筈だが見つけられなかった。コースに沿ってUターンし北上する。「ふれあい牧場」の看板を見つけ右に折れる。砂利道を行くと広大な牧場が広がっていた。どこかの保育園の園児たちが柵越しにポニーたちと戯れている。乳牛や羊の柵もありちょっとした自然動物園である。牧場の奥のレストランに立ち寄り牧場のソフトクリームを味わう。
 レストラン前の道はそのまま次のスポット「千代田の丘見晴台」につながっていた。ところが見晴台の展望台に向う砂利道の登り勾配が思いの他きつかった。パワーアップした電動アシストをもってしても半ば過ぎの地点で動かなくなった。やむを得ず降りて自転車を押しての歩行となる。私をしてもそんな状態だから家内はずっと下の地点から歩行している。展望台に駐輪後坂を下り家内の自転車を引き取る。サイクル観光に難色を示していたのを敢えて押し切ったのだからこの程度のサポートはやむをえまい。高台の展望台には鉛筆を載せたような展望塔があ、ここからはまさしく360度の美瑛のパノラマが見渡せる。展望台傍の5本の白樺の木が印象的だ。
 展望台からは北の美瑛駅方向に向ってなだらかな下り坂が延々と続く最高のパノラマコースである。途中の「三愛の丘」展望台で小休止し更に北に進む。MAPによればJR富良野線を跨いだ跨線橋(アンダーパス)に出る筈だ。かなり走行したのにそれらしき景色はどこにもない。どこかで道を間違えたようだ。誰かに道を尋ねようにも辺りに人影はどこにもない。あちこちさまよう内に時間はどんどん経過する。美馬牛駅発の電車の時間が迫ってくる。道路から見上げる丘陵で工事中の人たちを見つけた。大声で尋ねてとりあえずの方角を定める。駅近くの美馬牛小学校のとんがり屋根をようやく見つけた。丘の上の小学校を目指して最後の登り勾配に挑戦する。電車の発車20分前になんとかレンタサイクルを返却できた。
 12:16発の電車で富良野駅に到着。新千歳空港行の電車の発車は20分後である。駅から200mほど先の「『北の国から』資料館」の概観と入口だけを確認して引き返した。13:06富良野駅発の電車で滝川駅まで行き、特急スーパーホワイトアロー20号札幌行に乗り換える。札幌からは同じ電車が新千歳空港行のエアポート152号に変身する。札幌から乗り込んできたサラリーマン風のおじさんが手に号外を持っている。「阿部首相が辞意」の大きなタイトル文字が踊っている。思わず「エーッ阿部首相が辞めたんや」と声を出したところ、次の駅で下車するおじさんは降り際に北海道新聞の号外を渡してくれた。
 JR新千歳空港駅を降りエスカレーターを上った所はもう空港ビルのショッピングゾーンである。お土産を買い込んだ後、自宅で夕食を待っている筈の娘の分も含めて空弁を調達した。帰りの便は自宅に近い伊丹空港着である。21:30には自宅で家族3人の遅い空弁夕食を味わっていた。

やさしさロードの散歩道2007年09月25日

 6月から週休3日制になった。リタイヤモードまっしぐらというところか。自ずと早朝ウォーキングの回数が増えてくる。いつもの有馬川沿いの散歩道での風景である。
 土手に沿って広がる田圃が黄金色に染まっている。梅雨時期の有馬川から引き込まれた水に、植えられたばかりの苗の青さが映えていたのがついこの間のように思う。二毛作、三毛作の田で過ごす稲の一生も、考えてみればはかない生涯なのだと思い知らされた。
 この季節になるとカゲロウが大量に発生する。散歩道の真中をカゲロウが群舞している。通り過ぎようとすると顔に当りそうになるほどだ。カゲロウの命のはかなさがよぎった時、手で払うことをためらった。
 川の堤に彼岸花が咲き誇っている。昨年の今頃も彼岸花をテーマにブログした。歳とともに時間の経過が早いという実感がひとしおである。雨上がりの早朝の彼岸花だった。花弁のみずみずしさが、あっという間に枯れそぼる運命を暗示していた。
 散歩道の最後に、はっちゃんに出会う。住宅街入口近くの石材屋さんに生息する黒ヤギである。今日もくったくない表情で金網近くの草を食んでいる。金網の外の大きめの草を差し出すと素直に食べてくれる。鼻筋を撫でようと人差し指を金網越しに差し入れた時だ。突然はっちゃんが首をそらして大きな角を金網にぶっつけた。はっちゃんのむき出しの感情に目を見張った。季節のうつろいのはかなさに包まれていた私の気持ちが一瞬にして覚まされた。驚愕の鼓動が静まった後、なぜかはっちゃんをいとおしく思った。

マッサージチェアがやってきた2007年09月30日

 我が家のリビングには稼働率の悪い4脚のソファーが居座っている。畳文化に馴染んできた私たちの世代は、ソファーで長時間寛ぐのは苦痛である。結果的に私の寛ぎスタイルはソファーを背もたれにして絨毯に座り込む仕儀となる。サラリーマン生活の間はリビングでの寛ぎは時間的にも限られていた。ところが週休3日のリタイヤモードに入るとリビングで過ごす時間が増えてきた。インテリア重視よりも快適な寛ぎ空間の確保に迫られた。
 リクライニングソファーの購入を、妻に提案した。「部屋が狭くなる」と、言下に却下された。北海道旅行中にホテルの温泉備え付けのマッサージチェアでその快適さに癒された。リクライニング機能も十分である。元々妻のお勧め機器だった。マッサージチェアの購入で折れ合った。先週の休日に近くの大型電気店に出かけ、事前にネットのクチコミ等でリサーチしておいた商品を購入した。
 今日、購入したマッサージチェアが届けられた。ソファー1脚を撤去しリビングの奥に設置した。早速試してみた。多機能である。もみ、手もみ、たたき、指圧、ローラー、エアーマッサージ等の基本動作が様々に組み合われた自動コース機能や、各機能を単独で選択する機能等がある。ふくらはぎのエアー圧縮によるマッサージなどは初めての体験である。マッサージ中に眠ってしまっても15分で自動的に停止するオートタイマー機能もある。
 アレコレ試しながらふと思った。使いすぎには注意が必要だ。引きこもり効果をもたらしかねない。はてさてこの現代的な健康機器が、我が家に今後どんな現象を招くのだろうか。