箱根・家族旅行から鎌倉・夫婦旅行に2008年06月01日

 体内時計の命じるままに今日も5時に目が覚める。同室の家内と娘を起こさないようそっとベッドを抜け出し着替えと洗顔を済ませる。ホテルの玄関を出ると初夏の早朝の冷気が包んだ。曇り空ながら雨は止んでいた。ホテルの500mほど東にある箱根神社に向う。左右を杉並木がそびえる階段の参道を登りつめると朱塗りの本殿が荘厳な佇まいで迎えてくれる。杉樹林の中の境内の静けさと荘厳さに身が引き締まる。
 ホテルの部屋に戻る。同室者たちは朝風呂の仕度に余念がない。窓外の景色を眺めた。北西の雲間に見覚えのある造形が目にとまる。「富士山やッ」。思わず発した。雨模様の天候続きですっかり諦めていた名峰が突如その姿を現わしたのだ。初めて間近に眺める富士の姿に母娘も感嘆の声を上げる。和食の朝食を済ませチェックアウトする。全ての費用が息子のカードで決済される。思い切った散在だったに違いない。感謝とともにあらためて我が家が辿り着いた幸せな一里塚を想った。
 ホテルを出てまもなく国道1号線沿いに箱根旧街道杉並木があった。車を降りて散策しながら江戸時代の旅人気分をチョッピリ味わった。雨が止んで富士山展望の一縷の望みを託して駒ケ岳ロープウェーに乗車することにした。箱根園から9時過ぎの始発のロープウェーに乗り込んだ。早起きの中高年のハイキンググループが一緒だった。箱根園から海抜1327mの駒ケ岳山頂までを約7分で結んでいる。上昇するにつれて霧状の雲が覆ってくる。期待も空しく富士の姿は雲間の彼方である。足元の深い緑の樹林と芦ノ湖の水面の美しさがどんどん広がっていく。展望台から眼下の眺望や山頂の箱根元宮の遠景を眺める他はすることはない。登ってきたゴンドラが折り返すのを待って乗車した。私たちだけの貸切のゴンドラから見る下りの風景は格別なものがあった。
 箱根園から次の目的地の箱根関所跡まで遊覧船で行くことにした。片道航路の乗船にはドライバー役の犠牲が必要だった。息子を除く4人が乗船した双胴船の大型遊覧船はこれまた貸切だった。海賊船タイプの遊覧船に客足を奪われている。早晩この船会社の経営は行き詰るに違いない。駒ヶ岳の威容、湖畔の山のホテルの全貌、行き交う海賊船等、約20分の湖上からの景観を満喫した。
 関所跡港桟橋で待つ息子と合流し、復元された関所跡を見学した。ここから我々夫婦だけが乗車する箱根登山鉄道の小涌谷駅に向う。駅でこれから御殿場プレミアム・アウトレットに行く子供たち3人と別れた。
 箱根登山鉄道の小涌谷から箱根湯元まではスイッチバック方式のジグザグ運転が続くのんびりした電車旅だ。湯元で乗換え小田原からは更にJRに乗り換える。大船経由で北鎌倉駅で下車した。鎌倉観光のスタートだ。
 鎌倉五山のひとつ円覚寺は駅改札口のすぐ前に参道があった。参道の階段上に巨大な山門が見える。伽藍のひとつに見まがうその威容に圧倒される。鎌倉幕府の8代執権・北条時宗が創建した禅寺である。周りを緑に囲まれた広大な境内に仏殿を中心に舎利殿、方丈、禅堂、鐘楼の他、幾多の庵が点在する。
 南に10分ほど歩いて建長寺に辿り着く。五山第1位の臨済宗建長寺派の大本山である。総門、三門、仏殿と一直線に並ぶ伽藍の周囲を多くの塔頭寺院が取り囲む構図は円覚寺とも共通し、臨済禅寺特有の形式のようだ。
 更に南へ向かい、途中の蕎麦屋で昼食をとって鶴岡八幡宮を目指す。源氏を再興した源頼朝が由比ケ浜からこの地に遷移した源家の氏神である。案内に沿って鳥居をくぐり階段を上るといきなり本殿の西側に出た。参拝の後、正面の石段を降りる。三代将軍・源実朝が暗殺されたといわれる場所である。石段正面の舞殿では結婚式が営まれていた。周囲を取り巻く観光客の眼差しを一心に集めた新郎新婦の少し誇らしげな緊張した顔が印象的だ。舞殿前を一直線に長い参道が続く。参道入口の大鳥居前から両側を桜とつつじの並木に包まれた長い遊歩道が続いている。遊歩道を抜けて鎌倉駅に着いた。
 江ノ島電鉄鎌倉駅から二駅先の長谷駅で下車する。観光客の行き交う道を北に向かい高徳院・鎌倉大仏を訪ねる。入場口を抜け左手の意外と狭い境内に入る。正面中央にお馴染みの姿が目に入る。奈良の大仏が身近な関西人には小ぶりな印象は拭えないが、大空の下に鎮座する青銅の大仏の迫力はやはり只者ではない。大仏裏手には内部見学の行列が続いている。いらちの夫婦はその長さを見て即座にパス。
 もと来た道の長谷駅近くで右折してすぐに長谷寺がある。長谷寺といえば四季の花で有名な奈良の長谷寺を思い浮かべるが、こちらも境内に咲き誇る四季の花が見所のようだ。本堂背後の傾斜地に設けられた眺望散策路の周囲に群生する紫陽花は、梅雨入り前の咲き始めながら見応えがあった。
 再び江ノ電に乗りJR鎌倉駅から新橋駅まで行き、都営浅草線に乗換え浅草駅で下車する。雷門や仲見世の風景を横目に雷門通りを西に数分、予約のビジネスホテル「ユニゾ浅草」に到着。チェックインして入った部屋を見渡しながら昨夜のホテルの豪華さに想いを新たにする。それでも地の利の良さは抜群である。ホテルを出て浅草の下町の黄昏時の情緒を味わった。演芸ホールや木馬亭の風情や浅草寺境内や仲見世の喧騒は下町ならではの光景だった。夕食の店を物色しながらの散策の果てに結局本場東京のもんじゃ焼きを選択した。いかにも江戸っ子といった伝法な口調のおばさんに焼き方、食べ方を教わりながら初めてのもんじゃを味わった。周囲の焦げ目から攻めていくという食べ方がコツだという。物足りなさは否めないが芳ばしい味わいだった。大河ドラマに間に合うようにホテルに帰りつき、無事に篤姫の奮闘を確認して眠りに就いた。

日光・現地ツアー2008年06月02日

 浅草のホテルは、楽天トラベルでホテルテナントのロイヤルホストの朝食付プランをネット予約した。朝6時過ぎに1階レストランで洋風朝食をオーダーした。7時前にチェックアウトし東武浅草駅に向う。7時30分発のけごん1号東武日光行に乗車する。2時間弱で東武日光駅に到着。駅構内の東武ツーリストセンターに定期観光バスの受付カウンターがあった。係員に予約の名前を告げると、5400円の料金と引換えにツアーワッペン、記念キーホルダー、案内パンフレット等がワンセットで渡される。昼食は別途注文とのこと。バス会社の昼食場所ホテルの定番メニューも勧められたが選択の自由を留保した。同行客らしいおばさん4人組から家内が有力情報を聞き込んできた。駅弁持参でもホテル談話室が用意されるという。駅構内の2ヶ所の駅弁販売店の豊富で地元色豊かな弁当から二種類選択した。
 10時にツアー客19名を乗せた定期観光バスが出発した。すぐに聖地日光の表玄関ともいうべき神橋(しんきょう)に着いた。中禅寺湖、華厳の滝を源流とする大谷川の激流に架かる朱塗りの橋である。バスを降り、日光開山の勝道上人の伝説にまつわる橋を渡り引返す。
 日光観光は世界遺産の二社(二荒山神社と東照宮)一寺(輪王寺)のある中心部と中禅寺湖周辺の奥日光に分れる。二つの地域を奥日光に向う第一いろは坂と中心部に向う第二いろは坂の一方通行の坂が結んでいる。ちなみにいろは坂の名称は、48ヶ所の九十九折れのカーブをいろは順にナンバー付けしたことに始まるという。大型バスはドライバーの巧みなハンドル捌きで急カーブをこなしていく。
 奥日光に着いた。今にも泣きそうな空模様が奥日光3ヶ所の観光順を決めるようだ。華厳の滝は雨が降り出すと滝壺近くの観瀑台からの鑑賞ができなくなるとのことだ。そこで最後に予定されていた華厳の滝観光が急遽最初に変更された。バスを降り大型エレベーターで90mを降下する。トンネル通路を抜けると2層の観瀑台に出る。かって見たこともないほどの迫力ある水瀑が目に飛び込む。落差97m幅7mの滝から落下する水量の規模に圧倒される。滝の中心部を正面に眺められるというロケーションも素晴らしい。地上展望台から見下ろす華厳の滝も新緑に包まれ違った趣きを愉しめた。バスガイドさんの説明で華厳の滝が中禅寺湖の水量の調節弁にもなっていることを知った。
 次の観光地は二荒山中宮祠だった。二荒山神社の中宮で男体山の山麓、中禅寺湖畔の景勝地にある。神官の神社の由緒等の説明の後、お祓いと巫女さんの舞を鑑賞し、お守り札まで貰うという定期観光バスならではの特典があった。
 奥日光最後の観光は中禅寺である。日光開山の勝道上人によって創建されたといわれる。上人自ら桂の立木を手刻されたと伝わる千手観音を本尊としていることから立木観音とも呼ばれている。境内背後の山腹に建つ五大堂の風情は見ごたえがあり、ここからの中禅寺湖や男体山を望む眺望は一見の価値がある。
 中禅寺のすぐ近くのレークサイドホテルで昼食となる。ホテルレストランの予約組と弁当持参組に分かれる。弁当組の私たちは談話室に案内され用意されたお茶を使いながら弁当を開いた。日光名産のゆばをあしらった「ゆばちらし寿司」と「ささむすび」を味わう。
 昼食後、第二いろは坂を下り、日光中心部の二社一寺に向う。二荒山神社と輪王寺は奈良時代に山岳信仰の社寺として創建されたもので東照宮よりはるかに長い歴史をもっている。明治初年の神仏分離令以前は、二社一寺を総称して「日光山」と呼ばれていたようだ。二社一寺の参拝ガイドは特別な案内人が必要だった。
 最初の訪問は天台宗寺院の輪王寺である。境内に足を踏み入れると折りよく大勢の僧侶が列をなして本堂に向っている光景に出くわした。本堂に安置された本尊は千手観音、阿弥陀如来、馬頭観音と三体もある。その珍しさとともに大きさにも驚かされる。
 境内すぐ横に東照宮の参道がある。いよいよ日光観光のクライマックスを迎える。最初に目に入るのは朱塗りの五重塔だ。正面の表門をくぐると馬具や装束を納めた倉庫である三神庫、神馬の厩である神厩舎などが境内を取り巻いている。神厩舎のなげしにはアノ「見ざる・言わざる・聞かざる」の三猿の彫刻があった。一段高くなった境内の石段上の正面に陽明門が見えた。私にとって今回ツアーの感動の一瞬である。日本で最も美しいといっても過言でない絢爛豪華な装飾と色彩が目を奪う。老後の楽しみのひとつはこの陽明門の木造模型を作ることだった。右手親指をなくしその夢を断たれた今、目前の実物を眺める感慨はひとしおである。奥社入口を護る「眠り猫」も見落とせない。唐門をくぐり拝殿から本殿を参拝する。最後に陽明門下の本地堂に立ち寄る。堂内に入り天井に描かれた巨大な竜の絵を眺める。説明役の僧が拍子木を打ち鳴らした時だった。聞こえる筈の鈴の音のような音が分けのわからない機械音となって鳴り響いた。観光客の手にしたぬいぐるみの猿が赤い目を点滅させながら叫んでいた。ナント鳴竜の共鳴と同じ仕掛けを持った玩具が拍子木音の度に共鳴音を発していた。結局私たちは本物の鳴竜の声を聞くことはなかった。謎の奇怪音の正体を知った周囲の観光客からのブーイングに件の猿の持ち主は逃げるように去った。
 最後の観光は二荒山神社である。ここも日光開山の勝道上人によって創建されたと伝えられる(上人の活躍ぶりは目を見張るものがある)。杉の巨木に囲まれた広大な境内を持つ朱塗りの社殿が美しい。神門の左右には根を同じくする3本の杉の大木と2本の杉の大木がそれぞれ親子杉、夫婦杉と名付けられて聳えている。
 予定のコースを終えて定期観光バスが東武日光駅前に到着した。予定時間を1時間近く短縮しての到着だった。近くのJR日光駅で東北新幹線指定席の列車変更を済ませ、16時発の宇都宮行普通電車に乗り込んだ。5時44分に東京駅に着きすぐさま18時発ののぞみ新大阪行の指定券を確保した。構内売店ですき焼き肉弁当とアナゴ弁当を求めた。「お飲み物は?」との声にすかさず「ビールッ!」と答える。隣で家内が連日の飲酒を咎めるような顔を向ける。「サイズはどうしましょう?」と再び打診がある。「ロングッ!」間髪を入れず叫ぶ。ここらは気合勝負である。2時間半の新幹線車内を心地良いほろ酔い気分で過ごした。自宅に辿り着いたのは予定時間の1時間早い22時前だった。

地域福祉活動の入口2008年06月03日

 二泊三日の関東旅行を終えた翌日である。さすがに目覚めはいつもより1時間ばかり遅かった。旅行中にZaurusで更新予定だったブログがバッテリー不足で更新できなかった。朝からたまっていたブログ更新に取りかかった。途中、歯医者の診察もあり、結局旅行初日分だけの更新で終わった。
 夜7時30分から社会福祉協議会分区の役員会があった。月1回第1月曜日に開催される定例会である。前月の活動報告や今月の活動計画が分区長を中心に説明される。分区の対象地域は私の住む住宅街と隣接の住宅街を合わせた3千世帯である。いずれも新興住宅街ではあるが開発から既に20数年が経過し、高齢化の波が寄せている。地域福祉を担う社協の役割は大きいが、実態はお役所の下請け業務のウェイトが大きい。分区役員の特定化と高齢化の傾向も窺える。社協自体の再生化ビジョンの必要性を感じた。とはいえ全体が把握できるまでは静観することにした。

オバマ氏勝利の期待感と懸念2008年06月04日

 今日の夕刊各紙は、米大統領選の民主党候補指名争いでオバマ氏の勝利を一斉に報じた。
 私は3月2日のブログ「ロスノフスキ家の娘」の書評の中でこの選挙戦について『絵空事のように思えていた女性大統領候補者ばかりか、もっと困難と思われただろう黒人候補者が女性候補者としのぎを削っている』と今回の民主党選挙戦の現状に驚嘆と賞賛の感想を述べた。そして『米国民が、より未来を先取りした形で黒人候補者に大統領の椅子を与えた時、世界はあらためて一国主義でない多様な人種が共存可能な人類の未来の可能性をアメリカに託すことに期待がもてるのではないか』とオバマ氏勝利の期待を述べたものである。
 結果的にオバマ氏の勝利が確定し、大統領の座に一歩踏み出したことへの期待感は大きい。とはいえ不吉な懸念がないではない。今日の読売新聞夕刊一面の最後に以下の記事があった。
 『8月の党大会までに、オバマ氏が不祥事などで選挙戦を撤退する事態になれば、クリントン氏が候補として浮上するのは確実で・・・(略)』
 「オバマ氏の不祥事」とは何だろう?先頃、クリントン氏がロバートケネディーの6月暗殺に言及し顰蹙を買ったことは記憶に新しい。アメリカではかねてからオバマ暗殺説が流布されているとも聞く。8年間のブッシュ共和党政治の大国主義、一国主義が世界にもたらした亀裂は深い。アメリカ大統領選は私たちにとっても無縁でない。

夫婦の距離感2008年06月05日

 リタイヤ生活を1ヶ月近く経験してあらためて思い知らされたことがある。夫婦の距離感をどのように測るかという点である。リタイヤ後は日常生活で夫婦がともに過ごす時間が一気に増える。いきおい今まで特に気にならなかったお互いの習性が、やたらと気になったりする。
 例えば、家内は無類のおしゃべり好きである。私からすれば無意味とも思える会話を、のべつに話しかけられる場面がある。いちいち返事を返すのも億劫になる。適当に相槌を打っていたが、面倒になってそれさえやめてしまった。「返事位してよ」と文句を言われるかと思えばそうでもない。ある時、突然悟った。彼女にとっておしゃべりは一種のカタルシス(排泄行為)に違いない。しゃべること自体に意味があり、とりたてて回答を求めているわけではないのだ。男にとっての双方向のやりとりを前提とした「会話」と区別すべきなのだ。
 このような「悟り」はある意味で新鮮だった。リタイヤ生活ならではの発見かもしれない。こうした発見の積み重ねがビジネスライフ中には気づかなかった家内の実像の理解に繋がるのだろう。それが今後の長いリタイヤ後の夫婦関係を円滑に維持するための適正な距離感を教えてくれそうだ。

知人の早すぎる死2008年06月06日

 8日ぶりに大阪に出かけた。昨日、異業種交流会のメンバーの訃報を受け取った。用件のひとつはその葬儀に参列するためだ。天王寺駅から南に10分ばかり歩いたところに大阪市立葬祭場「やすらぎ天空館」があった。開式5分前の広い会場の一般席には多くの参会者がすでに席を埋めていた。
 祭壇正面に飾られた故人の遺影には、ここ2~3年彼をひときわ目立たせていた濃い口髭はなかった。自分の髭面を撫ぜながら親近感を寄せていたメンバーのひとりだった故人を偲んだ。会の古くからのメンバーの早すぎる48歳の死だった。2年前の会の総会を兼ねた忘年会で、娘さんのスイス留学の体験から日本の「いじめ」「子育て」「家族や親子関係」の問題点を熱く語っていた姿が懐かしい。
 遺族の焼香が始まった。喪主の奥さんに続いて子供たちが母親の作法をならって焼香に立つ。1男3女の今時珍しい子沢山である。恐らく上は高校生から下は小学生と思われる。彼の忘年会でのコメントの背景を知らされた。突然の病が、家族と自身が経営する事業への熱い想いを一瞬にして奪い去った。その早すぎる死がもたらしたものを想う時、彼の無念さは想像に余りある。
 一般焼香が始まり彼の遺影を見つめながら心から冥福を祈った。次の用件である労働委員会の事件調査の場に向いながら、無事定年を迎え尚やりがいのある場面に身を置く機会のある自身の幸せを感謝した。

3年5組の中学同窓会2008年06月07日

 2年前に40年ぶりに中学校の学年全体の同窓会があった。80名近くの旧友たちとの再会でおおいに盛り上がったものだ。2ヶ月ほど前に今度はクラスだけの同窓会の案内状を受取った。思春期を共にした仲間たちとの思いのほか楽しかった前回の交流を思い起こしながら、即座に出席の返信をした。
 そしてその楽しみの日がやってきた。夕方6時開会で二次会の案内もある。今日中の帰宅は断念した。姫路駅前のビジネスホテルをネット予約しておいた。最寄り駅を3時半頃の電車に乗車し新開地で山陽電車の姫路行き特急に乗り込んだ。最後の特急停車駅の飾磨駅と終着駅の間は、高校時代まで何度となく乗車した思い出の区間である。思わず立ち上がりドアガラス越しに車窓を眺めた。姫路駅から会場である姫路商工会議所まではたっぷり距離はありそうだが時間もたっぷりある。みゆき通り商店街を歩き、国道2号線を右折する。「播磨国総社」の参道前を通過しながら子供の頃に両親に連れられて見物した「三ツ山」の思い出が甦る。会場には受付開始間もない時間に着いた。幹事役を始め数人の同級生が入口前で談笑している。
 定刻6時に開宴した。残念ながら既に亡くなられている担任の先生の姿はない。女性6名を含め17名の出席者が長方形のテーブルを囲んだ。卒業48年後の同窓会としては三分の一以上もの出席は大成功といえる。自分でも忘れていたが3年5組の級長は私だったようだ。ということで幹事のS君の求めに応じて乾杯の音頭を取らせてもらった。「同窓会の楽しさは共通体験の重なりの多さに比例する。小中学時代の思春期を共に過ごした幼馴染みたちが集まる中学同窓会に勝るものはない。クラスに絞って再開してもらった幹事の皆さんに感謝する」とコメントした。S君の「酔っ払う前に記念写真を」という合図で持参の三脚付き一眼レフデジカメがセットされ、オジサン、オバサンのシラフの笑顔が無事納まった。
 会食をしながらの懇親となった。二年前に再会したメンバーがほとんどである。それだけに二年前より遥かにスムーズに48年前の世界に戻っていける。九州、東北を転々とした転勤族で定年前にようやく故郷に戻ったというS君は司会役だけでなく煩わしい連絡係等も誠実にこなしてもらい文字通り今回の中心柱だったようだ。今尚地元で稼業の魚屋を営むT君の商売柄とはいえ級友ネットワークの広さと深さに驚かされる。週三回の人工透析を続ける障害者1級のM君の明るさに救われる。3年間の中学時代をいつも同じクラスで過ごしたI君とは重なる思い出も多い。今回の企画の発案者で幹事役も引受けてもらったF君は同じクラスの同級生だった奥さんと一緒の出席だった。中学時代そのままのキップの良さと歯切れの良い相槌で会話を盛り上げるUさん。私自身は忘れていたが軟式テニス部の部活仲間だったNさんは今はひとりで美容院を切り盛りしている東大阪からはるばる駆けつけた。姑さんの永い介護生活をようやく看取ったNさんの前回に引き続く甲斐甲斐しい世話役振りがひときわ輝いている。・・・等々。なんと個性豊かな級友たちだろう。
 席を交換しながら、間に近況報告を挟みながらの2時間余りがあっという間に過ぎた。幹事のNさん行きつけのカラオケ店に二次会会場が準備されていた。参加者のマイカーに分乗して会場に向う。カラオケ店のゆったりした一室に13名の顔ぶれが揃った。女性陣は全員参加だ。飲み物、つまみを注文し第二ラウンドのゴングが鳴る。持ち歌やデュエット曲が次々に披露される。思い思いに懇親の続きをする場面もある。私も我々の世代のテーマ曲「高校三年生」でお茶をにごしたり、幹事のIさんとこてこてのデュエット曲「銀恋」で楽しんだりした。カレンダーが日替わりした頃、ようやくお開きの声がかかった。最終的な会費精算では千円札の割戻しまであるという見事な運営だった。女性幹事の会計処理の巧みさに脱帽である。
 Nさんの車に送られて予約ホテルに着いた。これほど永くて楽しい夜を過ごしたのは何年ぶりだろう。心地良い深酒に入浴も備え付けのパジャマへの着替えも省いて眠りに落ちた。

有馬川の蛍2008年06月08日

 蛍の季節である。私のウォーキングコースでもある有馬川遊歩道は絶好の蛍鑑賞スポットでもある。
 夜7時30分頃に、散歩がてらに家内と蛍鑑賞に出かけた。新明治橋から南方向に遊歩道に入る。いつもは明るい筈の遊歩道がやけに暗い。蛍鑑賞のこの時期には有馬川緑道の水銀灯が全て消灯されている。対岸の草むらを目を凝らしながら進んだが、暮きっていない川面の明るさの為か蛍の光はどこにも見えない。明治橋を10mばかり超えた時だった。子供づれの若い家族が川面に向って立ち止まっている。私たちも歩みを止めて対岸を見つめた。突然草むらの暗い部分が黄色く光った。思った以上に大きな光だった。じっと見つめる私の目にゆっくり点滅する光があちこちから飛び込んだ。こんなに身近に蛍をたのしめる環境をあらためて有難いと思った。
 有馬川のこの地域の蛍を10数年にわたって観察し、自然環境を守ることで保護する活動を続けている人がいる。民生委員仲間でもあるHさんだ。農薬の影響で昭和30年代に激減していた蛍が徐々に増えてきたとのことだ。Hさんにとって蛍の保護はライフワークになっているようだ。「蛍を大切にすることは蛍を取り巻く自然環境を大切にすることだ」というHさんの言葉は重い。

出合い頭の娘の出勤2008年06月09日

 いつもより遅めの朝のウォーキングだった。いつものコースをまわり、途中でマックのコーヒーで文庫本の続きを読む。リタイヤ後の定番となりつつあるいつものシーンを終えて自宅前に戻ってきた時だった。
 突然予期せぬ出来事が出来した。いきなりドアが開いて娘が出てきたのだ。娘の定刻の出勤に出発が遅れた私のウォーキングのゴールが重なった。出合い頭の娘の出勤という思わぬ事態に、うろたえた。こんな時咄嗟の言葉が出てこない。なんとなく「ムニャムニャ」みたいな音声を発してすれ違った。バツの悪そうな笑顔を浮かべて過ぎ去った娘の方も不慣れな場面に戸惑っていたに違いない。
 またひとつリタイヤ後のありうるシーンのひとつを発見した。

多忙な一週間2008年06月10日

 今週は行事日程だけで言えば、リタイヤ前よりも忙しい。月曜から土曜まで毎日何かのスケジュールが入っている。 
 民生委員関係の会議が3ツある。そのうちのひとつは昨日の地域の社会福祉協議会の専門部の会議だった。広報部メンバーとして隔月発行の機関紙編集が担当となった。主婦中心に5人のメンバーだが私以外はパソコン技術が十分でない。勢い私に実務が回ってくる。来週発行の6月号の編集に追われている。得意な分野でお役に立つならそれはそれで有難いことだと受止めた。
 労働委員会関係の会議も3ツある。地方公共団体の不当労働行為の救済申立てや管理職ユニオンによる管理職組合員の救済申立て等の事件である。労働者委員としての意見陳述や労組側との調整等を初めて経験する場面が出てきた。あたかも25歳派遣社員による無差別殺傷事件が発生した。背景に派遣先でのリストラ情報も取りざたされている。社会構造の根底にある労働問題の歪みに対しても無関心でいられない。労働委員会の社会的機能の一端を担う役割に気を引き締めよう。
 その他、異業種交流会の幹事会があったり、歯の治療に行ったり、消費生活アドバイザーの資格更新講座が土曜日一日あったりする。リタイヤ後の久々に慌しい一週間である。