今日は自治会文化祭2008年11月01日

 多忙だった10月の暦がめくれて月が変った。昨日の中学校の文化祭に続いて、今日は自治会の文化祭に顔を出した。住宅団地の中心にある自治会所有の二つの建物が会場である。
 自治会館では、住民たちの書画、手芸、陶器、木工品等の作品の展示とともに、文化祭を共催する各種団体の活動紹介のパネル展示がある。私が所属する社会福祉協議会のパネルもある。広報部の活動パネルは私がレイアウト編集した機関紙の紹介である。昨年まで全く関わりのなかった文化祭が、地域ボランティア活動への参加を通して身近なものになっている。
 もう一方の会場であるコミュニティーセンターは、各団体のサークル活動の日頃の成果の発表の場である。顔を出した時は、老人会(福寿会)の合唱サークル「かえるの会」の発表だった。受付で合唱される12曲の歌詞が印刷された冊子と飴玉3個が入った子袋を渡される。70名ほど収容のホールをサークルメンバー20数名とほぼ同数の観客が埋めている。歌声はサークルメンバーだけではない。会場の全員が歌っている。平均年齢70歳を超えているに違いないお年寄たちの元気な歌声である。「四季の歌」「みかんの花咲く丘」「月の砂漠」「知床旅情」「故郷」等々。誰もが口ずさんだ懐かしい唱歌や歌謡曲である。私も一緒になって歌っていた。こうした場に違和感なく溶け込む時期もそう遠くないと思った。

93歳の義父に「おじいさん」と呼ばれた?2008年11月02日

 2ヶ月ぶりに娘も含めた家族3人で家内の両親を見舞った。最初に義母が入所している岡山市内の特養ホームを訪ねた。事前に家内の実家から様態が思わしくないとの情報を得ていたものの、ベッドに横たわる義母の姿は想像を超えるものだった。寝たきり状態での常時点滴が辛うじて栄養を補給しているようだ。呼吸が困難なのか鼻には空気吸入器らしきものが差込まれ、口は大きく開けられたままである。それでも意識ははっきりしているようだ。家内の呼びかけに、目が反応し、顔がかすかにうなづき、手が上下する。私たちも同席した2ヶ月前の敬老式で卆寿の祝いを車椅子で受けたばかりだ。家内は目頭を熱くして手を握りしめるばかりだ。満90歳の齢(よわい)は如何ともしがたくとも、肉親にとっては受止め難い現実にちがいない。 
 昼前には岡山県中央部の街にある特養ホームに義父を訪ねた。長男夫婦が孫娘と曾孫を連れて見舞っていた。義父は義母と打って変わって2カ月前の衰弱ぶりが嘘のように元気だった。看護士だった孫娘が甲斐甲斐しく世話を焼いている。元気になったとはいえ93歳である。記憶が覚束なくなっているのはやむを得まい。「おじいさん!この人誰?」娘が見舞い客を指差して尋ねてみる。家内のことを自分の連れ合いの名前で答える。孫娘である私の娘は家内の名前で答える。義父の記憶細胞には何故か一世代繰り上がって刻まれている。私の番だ。「この人は?」。しばらく考え込んでしまった。ようやく漏れた言葉が居合わせた一堂の爆笑を呼んだ。「おじいさん!」。無理もない。見慣れぬ髭面が目の前にあった。名前を思い出せない義父にすれば、そう呼ぶ他なかったのだろう。それにしても93歳のおじいさんに「おじいさん」と呼ばれた私は何なんだ!

地域文化祭「ふれあい喫茶」2008年11月03日

 自治会主催の文化祭の最終日である。昨日は家内の義父母の見舞で一日留守をしたので、今日もう一度文化祭に出かけた。コミュニティーセンターの「ふれあい喫茶」に顔を出すためである。
 ふれあい喫茶は民生委員として私も役員の一員である地区の社会福祉協議会が行なっているお年寄りの福祉サービス活動のひとつである。平日の午後に自治会館の一室でお年寄たちが気軽に集まって茶飲み話ができる場を設けている。民生委員の担当地区のお年寄たちの様子を知る上では貴重な場といえる。
 ところが私は、民生委員を引き受けて以来一度も顔を出したことがない。個人的に親しくしている人がいないこともあり、なんとなく敷居が高くもあり億劫でもあった。主婦である民生委員にはなんでもないことが、リアタイヤした元サラリーマンには結構大変だ。それでも文化祭特別バージョンの「ふれあい喫茶」は、場所も雰囲気もかなり開放的なイメージがある。この際顔を出して少し慣らし運転しておこうと思った。
 11時ごろに会場に行った。社協の役員会でいつも顔を合わせるメンバーが受付をしている。会場に入る。見知った顔はいないので、大きな空いたテーブルの一角に着席する。すぐにお手伝いのご婦人方がコーヒーとお菓子を運んでくれる。「先日は、ご丁寧にお訪ね頂きありがとうございました」との言葉をかけられる。民生委員として戸別訪問調査で訪ねたお家の奥さんだった。その言葉に救われた気持ちになる。
 コーヒーを飲みながらしばらく過ごしたが、快適な居心地とは言いがたい。会場を後にしながら、地域の福祉活動が多くのボランティアたちに支えられて運営されている現実にあらためて感謝した。

深秋の散歩道2008年11月04日

 下着にポロシャツ、更にウインドブレーカーを着込んでの早朝ウォーキングの季節になった。住宅街から抜ける坂道の桜並木が赤く染まっている。歩道の両脇を茶色い落ち葉が縁取り、カサカサと鳴いている。道路脇の貸し農園の縁に植えられたこの地方の特産の黒豆が、鞘に太った豆を宿している。晩酌のあてを連想させる枝ぶりに心和ませられる。その隣りには赤の小紋をつけた黄色い小菊が咲き誇る。有馬川遊歩道に出ると、冬を待ちかねて来訪した鴨たちが川面を回遊している。深秋の散歩道である。

バラク・オバマ次期アメリカ大統領誕生の瞬間2008年11月05日

 開票直後からオバマ優勢の流れが伝えられていた。刻々とその流れは固まっていく。朝からアメリカ大統領選挙開票速報のテレビ報道を見ていた。リタイヤの身ならこその贅沢な過ごし方である。午後1時過ぎ、オバマ氏の当選確実の報が流された。初めての黒人大統領誕生の瞬間だった。
 午後2時過ぎからABCテレビの勝利宣言の放映が流され始めた。2ヶ月前に民主党大会最終日の彼の大統領候補指名受諾演説の堂々たるスピーチぶりに舌を巻いた。勝利宣言でもその自信に満ちた47歳の名実ともに世界の指導者となった語り口に圧倒される。広大な会場を埋め尽くす白人と黒人、男性と女性、老人と若者たちが、固唾を呑んで見詰める中で、「アメリカの約束」を再確認する。ライバル・マケイン候補の健闘を称える。夫人と二人の娘たちに、陣営のスタッフたちに感謝を述べる。そして新たな闘いに向けた決意を表明し、聴衆に貢献を求める。涙する人、嬉しさを体中で表現する人、満面の笑みを堪え切れない聴衆のアップが次々と映し出される。
 8年間のブッシュ政権が、アメリカ国民にどうしようもない閉塞感をもたらし、直前にはその経済政策の無策が歴史的な金融危機をもたらした。超大国アメリカのその一国主義と独善的なグローバリズムが世界中に憎悪と格差を撒き散らした。間違いなくアメリカはチェンジを求められていた。時代が求めたとしても、その要請に応えられる指導者がいなければならない。またそんな指導者の登場を促す仕組みと環境がなければならない。バラク・オバマという男が見事にその負託に応えたかに見える。アメリカン・ドリームを生み出したアメリカ民主主義の土壌が今尚健在であることを証明したかに見える。
 人種のるつぼといわれる多民族国家・アメリカで、翳り始めたとはいえ今尚唯一の超大国・アメリカで、47歳の黒人大統領が誕生した。この事実はやはり歴史的な出来事であるという他はない。

映画評「まぼろしの邪馬台国」2008年11月06日

 10月の市大病院の定期診察で、右膝のちょっとしたしびれ感を主治医に話したところ、「念のためMRIを撮っておきましょう」ということになった。そこで夜に異業種交流会の幹事会がある今日の検査となった。ところが検査は朝10時しか空がない。夜までの8時間ほどの大阪での時間潰しが避け難い。幸い観たい映画がいくつか上映中である。
 10時45分、検査を終えて、「まぼろしの邪馬台国」の上映直前の阿倍野のアポロシネマに駆け込んだ。劇場案内や予告編の流れるスクリーンをぼんやり見ながら、何故この映画を観たかったのか考えた。ひとつは日本古代史のロマン溢れる邪馬台国の謎解きへの興味である。今ひとつは、盲目の郷土史家の郷土史探索の情熱への関心である。それは「にしのみや山口風土記」をHPで描いている自分自身のこだわりの投影でもある。そして最も大きな理由は、同世代の永遠のマドンナ・吉永小百合の主演映画であることだったような気もする。
 竹中直人演ずる主人公・宮崎康平は破天荒な人物である。この映画の主題は実はこの「破天荒さ」なのかもしれない。その破天荒さ故に、幼い子供二人を残したまま妻を出奔させ、吉永小百合演じる和子を後添えにし、そして学会の常識を覆す手法で「まぼろしの邪馬台国」を浮かび上がらせた。私が(恐らくほとんどの観客も)涙したシーンがある。康平の葬儀で和子が生前の康平の破天荒さと傍若無人さを参列者たちにわびた時、出奔した先妻が現れ「あなたは詫びる必要はない。こんなに立派に子供たちを育て上げたのだから・・・」と叫ぶシーンである。破天荒さにじっと付き合いながら子供たちを育て上げた和子である。破天荒さから逃げ出し、それ故和子の心情を最もよく理解する先妻の叫びが何よりも嬉しかったに違いない。思わず涙する和子の表情が鮮やかにそれを映し出し、観客はわけもなく同化してしまう。
 それにしても吉永小百合の外見だけでなく内面の美しさが輝いた作品である。

映画評「レッドクリフ」2008年11月07日

 昨日、映画のはしごをした。朝の「まぼろしの邪馬台国」に続いて午後からも「レッドクリフ」を観た。頻繁なテレビコマーシャルでインパクトの強いスペクタクルを観てみたいと思った。三国志の名場面「赤壁の戦い」を題材とした作品である。
 三国志は私にとって初めて出合った本格的長編小説だった。分厚い単行本を貪るように読んだ中学時代の記憶が今尚残っている。魏・呉・蜀三国の攻防に手に汗にぎり、劉備と曹操という大将の在り方を学び、何よりも軍師・諸葛孔明の機略に心躍らせた。
 スペクタクル映画も思いで深い。チャールトン・ヘストン主演の十戒やベン・ハーを観たのも中学時代だったと思う。初めて見るシネマスコープと呼ばれた巨大画面に映し出された映像と音響の凄さに圧倒されたものだ。 
 その二つの思い出を凝縮したかのような作品が「レッドクリフ」だった。期待が大き過ぎたのかもしれない。観終えた後に残ったのは失望感だった。スペクタクル映画の宿命だろうか。やたら戦闘場面が多くて、それぞれのシーンが延々と続く。劇場のサイズに比べ音響ボリュームが大き過ぎるのか耳にガンガン響く。登場人物の描写が薄っぺらである。曹操は悪役ではあってももっと奥行のある魅力に富んだ人物の筈だ。莫大な費用をかけた作品であることは間違いない。その結果が心に響くことのない戦闘シーンの残像だけを残しているとすれば「もったいない」という他はない。

ギリシャ紀行のHP版アップ2008年11月08日

 12日間のギリシャの旅から帰って20日が過ぎた。昨日「ギリシャ紀行とエーゲ海クルーズ」のタイトルでHP旅日記に追加した。
  http://www.asahi-net.or.jp/~lu1a-hdk/tabi-greek.top.htm
「トップページ」「第1部:ギリシャ紀行」「第2部:エーゲ海クルーズ」「第3部:旅日記雑感」で構成する全17サイトの長編である。
 旅の思い出を思い起こしながらの楽しい作業だった。自分なりに納得できる内容と言って良い。リタイヤ生活が、帰国20日後にこれだけのボリュームのHPアップを消化させた。それ以上に、持参したZaurusで日々の旅の出来事をリアルタイムにデジタル入力できたことが、鮮度の高い旅日記をものにできた。

地域クラブのハイキング2008年11月09日

 スポーツクラブ21という小学校区ごとに設置されたスポーツ振興の地区組織がある。今日、在住地区のスポーツクラブ21が主催するハイキングイベントがあった。行先は地元ではハイキングコースとして有名な鎌倉峡の一角の百丈岩である。かねて一度は行っておきたいと思っていたスポットである。地区のスポーツクラブ21の会長さんはすぐご近所の気さくなおじさんである。夫婦で参加することにした。
 朝8時半、住宅街の公園に集合し9時に出発した。総勢30名ほどの老若男女が列をなして進む。途中までは私の早朝ウォーキングコースと同じコースである。1時間ほど歩いた所に神戸セミナーハウスがある。トイレ休憩を兼ねて一息入れる。ベランダからは彼方に目指す百丈岩の雄姿が遠望できる。山道や200段の急階段、川沿いの農道などを踏みしめて鎌倉峡の入口の茶店に着いた。出発から2時間の道のりだった。
 ここから二班に分かれる。百丈岩登山コース組と鎌倉峡散策コース組である。登山は途中に鎖を伝っての結構険しいコースのようだ。目の前のそそり立つ岩山の美しさと険しさが迷いを招く。右手親指を無くし、左手薬指のバネ指の患いを思い、懸念がよぎった。他方であの美しい岩山の頂きに立てることの魅力は抗しがたいものがある。結局、持ち前の「迷ったら進む」根性が選択を制した。極力危険に近づかない主義の家内を残して登山組に加わった。
 リーダーの元山岳部おじさんのアドバイスを受けながら、急な岩肌を四つん這いになって鎖に掴まりながら恐る恐る進む。予想以上の険しさだ。登りはいざ知らず下りを想像した時の不安がよぎる。ほんとにこの道を降りれるのだろうか。途中横からの百丈岩の絶景が癒してくれる。25分ばかりでようやく頂きに辿り着く。ごつごつした岩の頂きから眺める光景の美しさに仲間たちの口から思わず歓声が漏れる。登山組16名の集合写真を撮って下山する。降り道は思ったほどの危険はなかった。最大のポイントは後ろ向きに降りるというリーダーのアドバイスだった。「確かに~ッ」。思わずDAIGOのギャグを口ずさむ。12時前に鎌倉峡入口の船坂川の河原に到着。
 散策組と合流しての昼食が始まった。女性役員たちの手で既に野菜や具材がいっぱい入った豚汁が出来あがっている。自然に囲まれた岸辺で持参の弁当を広げ、熱々の豚汁を片手に昼食が始まる。昼食後には役員たちが準備したビンゴゲームで一喜一憂しながら童心に帰る。1時半頃に現地を出発し帰路に着く。途中、往路と異なる近道を通り住宅団地の入口の広場に3時過ぎに到着した。会長の締めの挨拶で解散する。自宅を出てから帰着するまで7時間の思い切り歩いたハイキング三昧の一日が終わった。万歩計は2万1千歩をカウントしていた。

塩野七生著「ローマから日本が見える」2008年11月10日

 塩野七生著「ローマ人の物語」の文庫本愛読者にとって、毎年秋に3巻ずつ発行されるシリーズを読み終えると、無性に空虚さを覚えてしまう。ローマ帝国のその後の興亡を知るには1年後まで待たなければならないからだ。そんな気分の時、本屋の書棚で見かけたのがこの塩野氏著「ローマから日本が見える」だった。その400頁ほどの著作を読み終えた。
 ローマ誕生から初代皇帝アウグストゥスによる帝国の枠組確立までの歴史を、独自のテーマで整理しながらそのエッセンスがまとめられている。それを踏まえて著者独特の視点から著作のタイトルでもある「ローマから日本が見える」ことが語られる。主として「今日の「日本の混迷の要因」を古代ローマとの対比で解き明かし、混迷脱出に向けてその教訓を提起している。
 乱暴な感想を言えば、「ローマ人の物語」の著者による解説でありダイジェスト版と言える。それはそれで読み応えはあるのだが新鮮さに乏しいのは避けがたい。
 むしろ面白かったのは「特別付録・英雄たちの通信簿」である。冒頭でイタリアの普通高校の歴史教科書の次の文章が紹介される。
 「指導者に求められる資質は、次の五つである。知力。説得力。肉体上の耐久力。自己制御の能力。持続する意志。カエサルだけが、このすべてを持っていた」 
 そしてこの五つの資質をもとに著者がつけた古代ローマの指導者28人の通信簿が紹介されている。ちなみに満点はカエサルとアテネの黄金期を創りあげたペリクレスである。以外にもアレクサンドロス大王は、アウグストゥスやハドリアヌス、トライアヌス、ハンニバル等の後塵を拝して7位である。33歳の若さで死亡したことの「肉体上の耐久力」、深酒だったことによる「自己制御力」の減点が大きいと指摘される。
 オバマ次期大統領や麻生首相など現代の指導者の通信簿は何点なのだろう。