別大マラソン、秋葉の初マラソン初優勝ならず2009年02月01日

 先週に続いて今日もまたマラソン中継があった。男子の世界選手権の代表選考を兼ねた別府大分毎日マラソン大会である。注目は前回大会で初マラソン初優勝の足立と、駅伝の最強ランナーで初マラソン挑戦の秋葉である。
 30km付近までは10数名の先頭集団による淡々としたレース展開が続く。32kmでモロッコのアンナニとケニアのキプロティチが抜け出し、秋葉とマラソン11回のベテラン小林が追いかける。この時点で大会連覇を狙う足立は先頭集団から大きく遅れを取っている。引き離されるかにみえた秋葉、小林が35km手前で追いつき一時は再び4人の先頭集団になる。35km過ぎで小林が勝負に出るがアンナニを超えることができない。37km過ぎにスパートをかけたアンナニが一気に引き離す。遅れていた秋葉も粘りをみせキプロティチを抜いて3位につける。40km以降は1位から3位までが約10秒差でそのままでゴールする。期待の足立は6位に甘んじた。
 優勝のアンナニはモロッコでは4番目位の選手だという。日本の男子マラソンのレベルを思い知らされる。初マラソンながら秋葉の2時間10分台の3位は健闘したといえる。ベテラン小林の秋葉を上回る成績がマラソン競技での経験の重みを物語っている。
 それにしてもドラマや感動の乏しいレースだった。炬燵に暖まりながら過酷な42.195kmを観戦した後、そんな感想を抱いてしまう自分を呪った。

地元小学校のオープンスクール2009年02月02日

 地元小学校のオープンスクールに行った。地域に開かれた学校の趣旨で年2回開催されている。授業だけでなく朝の会、給食、清掃などの学校生活全体を、保護者だけでなく域住民にも公開されている。民生・児童委員には封書で案内状が届けられる。
 昼過ぎに歩いて10分ほどの小学校を訪ねた。受付で住所氏名を書いて、首から下げる校内見学証を貰う。1年生から6年生までの各クラスの授業風景を見学した。二教室がワークスペースと呼ばれるオープウンスペースで繋がれた構造は、21年前の開校時には市内でも初めての試みとして話題となったものだ。初めてその実態を目にした。二教室分のスペースを真中で3分の2位まで仕切りを設けた構造と言ってよい。隣りの授業の音がイヤでも耳に入る。声の小さな先生の声も聞き取りにくい。慣れれば問題ないのだろうか。クローズドな教室しか知らない身には違和感は否めない。各教室の机の配置も思い切り自由である。寺子屋形式やら半円形やらコの字型やら様々である。総じて私たちの世代の授業風景からは驚くほど自由である。反面、授業中の私語や席を立つ児童がいても先生の注意はない。50年前の風景にタイムスリップしたオジサンは、目前の風景との落差にふと不安に駆られたりする。
 最後に図書室を覗いた。そこにいた子供たちのひとりが目ざとく私を見つけて「あっ」と声を出した。「エ~ッとインターンネットの先生や!」。昨年7月に私のHP「にしのみや山口風土記」http://www.asahi-net.or.jp/~lu1a-hdk/yamaguti-hudoki.htmを教材に授業をした時の3年生の児童のひとりだった。瞬く間に居合わせた何人かに囲まれた。「先生、指治ったん?」。気遣いを知らない子供たちである。「切ってしもうたんやから治らんワ」。「ドコドコ触らして」。女の子のひとりが無造作に右手親指の根元を撫ぜる。子供たちの遠慮のない無邪気さに苦笑しながら、なぜか救われる気分に浸された。

有馬・落葉山ハイキングの大満足2009年02月03日

 早朝ウォーキングの途中で携帯に家内から連絡が入った。ご近所のご夫婦から有馬温泉へのウォーキングのお誘いがあるという。朝9時半、私たち夫婦を含めご近所の総勢6名が出発した。自宅から有馬温泉までは直線距離にして約4kmはある。ウォーキングにしては長目の道のりを男3人のよもやま話でいつの間にか消化していた。
 温泉街に着いた。目指すは標高526mの落葉山山頂の妙見寺である。阪急バス案内所の向いの参道入口から石畳の階段を上る。ジグザグの階段が幾重にも続く。途中で買い求めたばかりの熱々の温泉饅頭を味わった。有馬グランドホテルの広大な敷地を右に見ながら進む。舗装路を更に上るとひと際高い階段前に妙見寺の案内看板が立っている。鎌倉時代以前に創建された寺院のようだ。階段を上ると再び九十九折れの山道が続いている。山側には西国三十三ヶ所の寺号が刻まれた石仏が祀られている。
 石造りの鳥居をくぐりようやく境内に到着。民家のような建物の前でオバサンから「お参りの後でぜんざいやおでんを召し上がってください」と声をかけられる。2月3日は日蓮宗の節分会という行事の日だそうだ。厄除け・開運の祈祷が行なわれ、参拝者にはふるまいの馳走がある。最後の階段を上ると本堂がある。狭い境内を参拝者が埋めている。歴史を感じさせる思いのほか立派な建物だ。独自の柱組みの基盤の上に建っているお堂の構造に驚かされる。
 参拝を済ませ、階段下の境内に戻る。先ほどの建物の引き戸を開けると数台のテーブルを大勢の参拝者たちが囲んでいる。卓上にはぜんざいやおでんの器が並びお漬物や山菜の佃煮などの盛り皿も添えられている。なんと日本酒の一升瓶までもが用意されている。長い道中の果ての暖かいご馳走だった。冷酒ながら日本酒の心地よい刺激が染み透る。30分ばかり滞在し、お手伝いの皆さんに感謝の言葉をかけながら建物を出た。小雨のぱらつく中を下山した。阪急バス案内所前を出発するバスが5分後に出るという絶妙のタイミングだった。午後1時、3時間半・1万4千歩のウォーキングをを終えて帰宅した。適度な運動と思わぬ馳走に大満足した半日だった。

ボランティア活動の入口2009年02月04日

 午後、自治会館で開催された地区の社会福祉協議会主催のボランティア研修会に参加した。在住の住宅街のボランティア活動に関わっている人たちを中心に30数名が顔を揃えていた。社協の広報部のメンバーとして取材を兼ねた参加だった。
 講師は永年に渡ってボランティア活動を実践されたごく平凡な50代とおぼしき主婦の方だった。滋賀県から市内に嫁いで二人の子供が幼児の頃から活動に参加したとのこと。ボランティアーセンターへの登録からスタートし、依頼される様々なボランティアに従事されたようだ。障害者の食事・排泄支援、両親が障害者の園児の通園支援、独居老人のお世話活動、震災の仮設住宅から復興住宅への転居支援等々。子連れボランティアだった頃の子供たちと障害者やお年寄たちとのふれあいは体験者ならではの話だった。我が子の不躾な振る舞いに、むしろ当たり前のこととして受け止める障害者の姿勢。子供の成長にも大いに役立ったに違いない。活動の具体手内容が紹介され、経験を通した苦労や喜びが率直に語られる。キラリと光る言葉が心に沁みる。
 「存在ボランティアというのがあります。独居老人宅に伺い、何もしないでただそこにいるだけの活動です。それだけを必要とされるお年寄りがいらっしゃるんです」「長くお世話したお年寄りが亡くなられて初めて、私が支えていたのでなく、私が支えられていたのだということを知りました」
 ボランティアとは何か?まだまだ自分にはできない世界のようにも思う。ただその入口を覗かせて貰ったような気がした研修だった。

団塊オヤジの地域デビュー ①リタイヤが始まった2009年02月05日

 先日、在住地区の社会福祉協議会の役員会があった。先月開催された75歳以上のお年寄りを招待してのお食事交流会の反省が議題のひとつだった。この催しに関わる中である問題意識が芽生えていた。それを会議の場で口にした。
 交流会に参加してもらうべく民生委員として私が担当するエリアの対象者約80名の全世帯を訪問し、いくつかの意見も伺った。結果的に19名の方に参加してもらったが、男性は僅か4名である。高齢の男性の地域行事への参加の少なさが気になった。
 ひるがえって自分自身の地域との関わりを振り返った。現住所に越して以来20数年、地域活動には殆んど無縁のサラリーマンだった。たまたま定年直前に自治会役員のくじを引いてしまった。2年間ばかり関わった自治会活動では培ったビジネス・スキルを活かしてそれなりの仕事が達成できた。それもあってかリタイヤの半年前に地区の民生・児童委員のお鉢が回ってきた。それは同時にお年寄りと児童を支援する二つの地域ボランティア組織の役員も兼ねることでもあった。こうして私の場合は、幸運にもリタイヤと同時にスムーズに地域活動に溶け込む道筋を得たわけである。
 私は1,900世帯、5,600人が住む戸建住宅で構成された郊外の新興住宅街に住んでいる。圧倒的多数はサラリーマン世帯である。そして恐らく故郷を離れてこの街に終の棲家を求めた世帯が多数を占めている。高齢の男性の多くもサラリーマン生活を勤め上げたリタイヤ組の筈である。
 リタイヤ後のサラリーマンはイヤでも在住する地域に戻る他はない。ヤンママが初めての我が子を連れて「公園デビュー」という形で地域交流を始めるようなものだ。ところがサラリーマン一筋だった「団塊オヤジの地域デビュー」は思いの他ハードルが高い。辞を低くして門戸を叩くには変なプライドが邪魔をする。ご近所づきあいも嫁はんまかせで、旦那どうしとなるとか細いものである。ちょっとしたきっかけであっという間にお喋り仲間をつくってしまう主婦の器用さも持ち合わせていない。へたをすると嫁はんにまとわりつく「濡れ落葉」や「引きこもりオヤジ」になりかねない。これがシャイで不器用なリタイヤオヤジの一般的な生態ではないだろうか。
 団塊世代のリタイヤが始まった。彼らが2007年から2010年にかけて一斉に60才定年を迎える「2007年問題」がやってきた。定年延長や再雇用制度により幾分緩和されたものの、昨今の大不況がリタイヤを加速化させる懸念も大きい。団塊世代とは言え、多くは主婦である団塊オバサンは十分地域に溶け込んでいる。問題はどこまでも団塊オヤジなのである。
 地域活動に入りこんで1年が経過した。地域組織の側にも多くの問題を抱えている。「団塊オヤジの地域デビュー」がいかに円滑に行なわれるかは、私たちの「最小生活単位である地域」の活力を左右する緊急テーマと言って過言でない。これが先日の社協役員会での私の問題意識だった。しばらくこのブログでも触れながら整理して見ようと思う。

団塊オヤジの地域デビュー ②地域組織の担い手たち2009年02月06日

 私たちの日常生活は、最小生活単位である地域に属して営まれている。通常それは加入している自治会が単位であり、私の在住地域では1900世帯の新興住宅街全体がひとつの自治会を構成している。 自治会は会員である住民の会費で賄われる自主組織であり、地域活動の中心組織である。防犯・防災、環境・衛生、親睦・交流、福利厚生、慶弔等の基礎的住民サービスを実施している。併せて市町村行政の支援・協力活動の受皿機能でもある。
 地域には自治会以外にも様々な団体や組織があり、独自にその目的に沿った地域活動を実施している。社会福祉協議会(社協)、青少年愛護協議会(青愛協)、スポーツクラブ21、老人会、婦人部、子供会等である。
 地域組織の形態は、古くから存続している在来地域も新興住宅街も概ね変りはない。只、地域組織の役員の顔ぶれは在来地域と新興住宅街ではかなり異なるようだ。在来地域の役員は、かっての村社会の共同体意識や幼ない頃からの仲間意識が共有化され、比較的円滑に選考されていると思われる。これに対し新たな造成地に人工的に寄せ集められた新興住宅街では事情は一変する。自治会の隣保長や班長などの役員は、大方は輪番で回され、会長・副会長等の三役は班長相互のくじ引き等でやむなく引き受ける。そしていずれの役員も1年の任期を終えれば見事に総入替えとなる。これが私の地域の実態であり、新興住宅街に共通する一般的なパターンではないか。
 その他の地域組織の役員選びは少し事情が異なる。少なくともメンバーはボランティア活動にある程度の関心と意欲をもって参加している。また参加が可能な時間的ゆとりのある人たちでもある。それだけに限られたメンバーが長期間活動を支える傾向が強い。役員ともなると一般的にその組織での活動経験の長いメンバーから選ばれることになる。結果的に各組織の役員は、子育てを終えた中高年主婦層と高齢の男性といった限られた層になってくる。また社協や青愛協などの福祉組織の役員は他の団体からの派遣役員も多く、相互に兼務し合う事例も多い。なり手がない等の事情で役員の長期化、高齢化の傾向も見られる。新たなメンバーの参加を促し、人材の裾野をを広げることがこれらの地域活動の活性化にとって急務である。リタイヤを迎えた団塊オヤジたちの円滑な地域デビューが求められている背景がここにある。またそのための具体策と環境づくりが求められている。
 一方で、地域活動の中心組織である自治会の役員は毎年交替し、その他の組織の役員は経験豊かであるという問題がある。このねじれ構造が各組織が連携し合って地域活動の総合力を発揮する上でのネックとなっている。自治会組織の在り方や役員選考方法の改革が問われている。

団塊オヤジの地域デビュー ③故郷を語れない2009年02月07日

 団塊世代は、第二次大戦終結に伴って復員した父親たちによる婚姻と出生が集中した時期に誕生した世代である。その多くは地方の村社会で育ちながらも、戦後の民主教育の過程で従来の家制度の意識を希薄化させながら育った。核家族による家庭志向が強く、見合い結婚と恋愛結婚が逆転した世代である。彼らが親元から独立し、大都市近郊に職場を求め家庭を持つようになると、著しい住宅不足となった。その結果、大都市近郊には田畑や山林を開発して数多くの核家族向けの高層住宅団地や新興住宅街が造成されることになった。そんな団地や住宅街に移り住んだ団塊オヤジたちの多くは、仕事第一にサラリーマン人生を勤め上げ、地域と馴染む機会もないままリタイヤを迎えようとしている。子供たちも幼少期の大半をこの新興住宅街で育ち巣立っていった。
 私もまた故郷を離れ、歴史の街の一角に忽然と姿を現したベッドタウンに移り住んでいる。そんな私には、子供たちに彼らの故郷であるこの街をを語れない。新興住宅に住む多くの親たちも然りである。定年を間近に控えた頃から、休日の住宅街周辺の散策を愉しむようになった。散歩がてらに目にする豊かな自然と風景に限りない安らぎと郷愁を覚えずにはおれなかった。多くの人にこの地域の素晴らしさを知ってもらい、この自然の恵みをいつまでも護ってもらいたいと思った。これが今や私にとってのライフワークとなりつつある地域紹介サイト「にしのみや山口風土記」http://www.asahi-net.or.jp/~lu1a-hdk/yamaguti-hudoki.htmを立ち上げた主要な動機である。暇を見つけて史跡や名所を訪ね、地域の史書を読んでいる。やりがいのある楽しいひと時だ。同時にそれは、私にとっての新たな故郷づくりのいとなみなのかもしれない。わが街の子供たちに故郷を語る材料とツールを提供したいという想いもある。
 私が還暦を迎えた年に中学校の同窓会が開催された。「還暦記念同窓会」という刺激的なキャッチコピーの案内状は、「還暦」という節目の年をあらためて意識させることで、これを逃すと次はないのではないかという不安を抱かせる効果を与えていた。コピー考案者の巧妙な罠にまんまと嵌った私は、出席欄にマルをつけて返信した。同窓会当日に幹事のひとりである女性から、今回の同窓会のために幹事たちが数回打合せの場を持ったと聞かされた。「大変だった」という彼女の言葉の中に、それを上回る幼なじみ達との共同作業の楽しさが込められていた。故郷に今もとどまっていれば私も真っ先に手を上げたに違いない。そして本当の「ふるさと風土記」を立ち上げたに違いない。楽しかった同窓会は、故郷を離れたツケの支払いを味わったチョッピリほろ苦い場でもあった。とはいえ「ないものねだり」でない、手応えのある「新たな故郷づくり」に拍車をかける動機付けともなった。
 団塊オヤジたちも今や、「アラ還(アラウンド還暦)世代」となった。「還暦記念同窓会」で様々な想いを抱いた人も多いことだろう。リタイヤを迎え地域に戻った彼らにとって、終の棲家となった街の「新たな故郷づくり」というテーマは、豊かで充実した老後を過ごす上でも避けて通れないのではないか。

団塊オヤジの地域デビュー ④円滑なデビューのために2009年02月08日

 シリーズで綴ってきた「団塊オヤジの地域デビュー」もそろそろまとめが必要になった。リタイヤを迎えた団塊オヤジたちの地域デビューが思いの他ハードルが高いことを指摘した。一方で彼らを待ち受ける地域社会、とりわけ新興住宅街の地域組織も人材不足等の問題を抱え、団塊オヤジたちの円滑な地域デビューが期待されている現状を描いた。そして故郷を離れ新興住宅街に移り住んだ団塊オヤジたちが地域社会に戻るほかない年齢を迎えた今、あらためて「新たな故郷づくり」がテーマになるのではないかと問いかけた。まとめとなる今回は彼らが円滑な地域デビューを果たす上で地域組織の側でどのような対応が必要かを考えてみたい。
 リタイヤ・サラリーマンがすんなり地域活動に参加できない要因のひとつに情報不足がある。自分の住んでいる街にどんな地域組織があり、どんな活動をしているか、できれば各組織と活動内容の全体像を把握し、その中から自分に合った関心のある分野に参加してみたいというのが正直なところではないか。ところがそうした情報は意外と伝わらない。また知ったとしても、何かのきっかけがないと、シャイで不器用なリタイヤオヤジはなかなか踏み切れない。そこで地域組織の側の対応策のひとつとして毎年定期的に全組織が同一会場で一斉に合同説明会を開いてはどうだろう。もちろんそのためには事前に各組織間で綿密な打合せや共同パンフレットも必要となる。自治会の広報活動の協力も含め、全世帯への告知アナウンスも必要だ。結果的に組織間の連携も深まるのではないか。
 今ひとつの施策として専門知識や技術を通じた地域活動への参加の仕組みづくりを取り上げたい。防犯、安全・衛生、建築工事、環境対策、外部折衝、災害時対策等、地域生活を守る上で専門的な知識や技術が求められる場合が少なくない。広報活動や情報共有面でのITスキルも今後必要となる。一方で長年の現役生活で培われた知識・技術を持った団塊オヤジたちが一斉に地域に戻ろうとしている。彼らにとっても自身の技能が地域生活の場で活かされるなら老後のやりがいにも通じるのではないか。自治会が登録システム等で専門分野の知識・技能を持つ会員情報を蓄積し、必要に応じて自治会活動の支援をお願いできる体制ができないだろうか。
 最大のテーマは、自治会と他の地域組織の関係整備と基盤強化である。地域活動の要の組織でありながら、役員が毎年入替わる自治会に、長期的で抜本的な施策は求めがたいのが現状である。かなりの財政規模をもつ自治会では幹部役員の長期固定化は望ましくないことは否定できない。とは言え、任期1年で毎年入替わる現状が、住民の高齢化に伴う環境整備や災害対策等の抜本策の実施に無力であることも事実である。2年任期で最長4年程度の役員体制が望まれる。役員の半数ずつが交替する改選期のシフト制で運営の継続性を維持する方策の導入も考えられる。かといって1日も早く卒業したいと思っている現役役員に任期延長の議案提案は期待すべくもない。自治会を含め全地域組織の代表者が集まって、現状認識を共有化しながら改革ビジョンを検討するしか方法はないと思われる。各組織の活動の棲み分けやスケジュール調整、相互連携の在り方、住民向け広報活動の共同化やホームページ立上げによるIT化等のテーマも検討されなければならない。場合によっては課題別小委員会による検討が必要だ。移行手順も含めた改革のグランドデザインを策定し、各組織が協力し、連携しながら一斉に具体化に動き出すという流れが想定される。団塊オヤジたちがうまく地域デビューしたとしても、自治会をはじめとした地域組織が脆弱で矛盾を孕んだ不安定な基盤では、いずれ幻滅と退出を招かずにはおれない。

話題のMacのクォーター・パウンダー2009年02月09日

 ここしばらくブログは、地域のボランティア組織の在り方についての記事に終始した。この1年の地域活動を通じて芽生えた問題意識を自分なりに集中して整理したいと思ったからである。4日に渡るブログ記事は結果的に原稿用紙14ページに及ぶ記事となった。久々に力の入ったそれなりに達成感のある執筆だった。
 昨日の朝のウォーキング途中のマクドナルドでスタッフたちが、話題の新メニュー「クォーター・パウンダー」の告知吊幕を下げていた。昨年12月、大阪・心斎橋の御堂筋周防町店での関西初の販売に約3000人が詰め掛け1km以上もの行列騒ぎとなった商品だ。行列に並んだ客の中に多くのバイトのサクラもいたというおまけの話題もついていた。
 ここは一番食べてみないわけにはいかないと、持ち前の野次馬根性がもたげた。大作終了後の格好のブログネタにもなる。昼食がてらになじみのマックに出かけた。クオーターパウンダー単品とホットコーヒーをオーダーする。テーブルでパッケージから取り出してデジカメに納めた後、やおら口に運ぶ。はみ出し気味のボリューム感のあるビーフパティーが食欲をそそる。一口、二口と噛みしめる。確かに通常のハンバーガーよりもパティーの食感と味が滲んでくる。・・・がそれだけである。「ニッポンのハンバーガーよもう遊びは終わりだ」「ハンバーガーをなめているすべての人たちに」というオーバーなキャッチコピーほどの感動はない。通常のチーズバーガー120円の3倍の360円の価格が妥当か否か、意見が分かれるところだろう。少なくとも私はもう一度オーダーしようとは思わない。

うるうのオカキ・・・我が家の味2009年02月10日

 一昨日の日曜日は、我が家の恒例行事であるかき餅づくりの日だった。餅づくり自体は電気餅つき機のおかげで簡単にできる。問題は餅の原材料である。我が家では昔からもち米にただ米(普通米)を混ぜたうるう餅で作る。加えて蒸し上がった米に小さく刻んだ紫蘇かふりかけ用のゆかりを混ぜ込んで餅をつく。私の子供の頃に親しんだふるさとの味である。紫蘇の塩味とただ米のつぶつぶした食感が何ともいえない味わいを運んでくれる。亡き母に教わっていたのだろうか。毎年2月になると家内は私のリクエストに応えて、ほぼ同じ味わいのかき餅を作ってくれる。
 出来上がったかき餅は、大き目の四角いタッパーウェアに入れて形を整える。一日置いた昨日、取り出したかき餅を短冊状に薄く切っていく。この作業が結構ホネである。まだもちもちした生乾きの餅はスムーズには包丁が入らない。そして今日、短冊状になった生のオカキを、乾燥させるために空き部屋に新聞紙を敷いて並べた。ついでにまだ乾いていないオカキをトースターで焼いて早速味見した。ウマイッ!これやこれやこの味や!
 かき餅が出来上がった時、家内は静岡で暮らしている息子に「一緒についた豆餅を送ろうか」と電話した。息子の返事は「豆餅だけでなくかき餅も食べたい」ということだった。同居の頃にはそれほど欲しがっていたという記憶にない。大人になり相応の歳を重ね、子供の頃のふるさとの味が懐かしくなる年代を迎えたのだろうか。家内が息子の嫁に我が家の味のレシピを伝える日も遠くない。