沖縄・宮古島での異文化体験(前編)2009年12月08日

 この時期恒例のチェーンストア労組OB・現役懇親会の日である。今年の会場は沖縄の宮古島だった。初めての沖縄である。グループでまとめて手配された航空券は、関空発那覇経由宮古行の7時10分のJALだった。りんんくうタウンのホテルで前泊し、ホテルの送迎バスで6時半に関空に着いた。12月中旬の早朝の寒さをダウンジャケットでカバーする。ゲート前で出身労組の仲間と合流し搭乗する。
 那覇空港で乗り継ぎ宮古空港に降り立ったのは11時だった。関空の寒さが嘘のような陽気が待っていた。真夏を思わせる日ざしがジャケットを脱いで薄着になった身体に降りそそぐ。予約のレンタカーを借受けて観光に出発する。
 何はともあれ昼食である。レンタカー営業所での現地情報で宮古そばの美味しい店「古謝そば屋」を訪ねる。ナビが威力を発揮する。そばセットをを注文する。太麺の宮古そばにチャーハン、小皿のコロッケ団子、モズクとソフトドリンクが付いている。この島の定番ブックのような「ガイドブック宮古島2009」を見ながらコースを検討する。島の南東の端の東平安名崎をスタートに、宿泊ホテルのある南西の端に帰ってくることにした。
 島の先端から延びた2kmほどの岬の中間で駐車し、歩いて岬の突端に向う。突端手前に伝説の美女マムヤの墓があった。そのそばの展望台からの眺めが、初めての南国の海との出合いだった。海底まで見通せる透明感と深さで異なる美しいブルーの色合いに息を呑む。果てしなく広がる紺碧の海がこんなにも美しいものかという感動を覚えずにはおられない。白い平安名崎灯台のらせん階段を伝い最上階に登る。海抜43mからの360度の絶景が飛び込んでくる。岬の細長い姿が一望できる。階段を降りた時、チケット売場のオバサンに「ヘイアンナザキでなくヘンナザキと読みます」と教えられた。本土の人間にとっては想定外の読みである。沖縄文化との距離を感じさせられたひとこまだった。駐車場近くで店開きしていた屋台風の土産物店でサトウキビジュースを飲んだ。子供の頃に噛んだサトウキビの懐かしい味が甦った。
 灯台から西7km のところに宮古島地下ダム資料館があった。サンゴ礁が隆起してできた透水性の高い琉球石灰岩から成る宮古島の地下水利用のための地下ダムである。更に西に車を走らせていると道路脇にガイドブックには記されていない鍾乳洞の案内看板があった。みすぼらしい小屋の入口に「仲原鍾乳洞」の看板がある。入場料500円を払って赤い階段を地下に下りる。余り期待していなかったが降りてみるとなかなかのものだ。奥行のある洞窟の天井から多数の巨大な鍾乳石が突き出ている。小屋に戻り係りのオバサンに聞くと個人所有の鍾乳洞だとのこと。どうりで宣伝が行き届かない。
 島の南岸の中間辺りにイムギャーマリンガーデンがあった。遊歩道に沿って石灰岩がおりなす入り江を歩く。イムギャー橋から眺める紺碧の海の美しさを満喫した。その近くの海の見える「島カフェ・とうんからや」で休憩し隣りのシーサー作りの体験工房・太陽が窯を覗いてみる。
 宿泊会場の宮古島東急リゾートに着いたのは4時前だった。部屋に入るとベランダからは太平洋の水平線を見渡す絶景が広がっている。入浴を済ませ寛いだひと時を過ごすうちに、暮れなずむ夕陽が水平線に近づいてくる美しい風景が目に入る。
 午後7時から恒例の懇親会が始まる。ホテルの海側の広大なガーデンの一角でのバーベキューディナーだった。50数名の参加者がテーブルを囲む。宴の途中にはホテルの若い男女の従業員たちによる琉球太鼓が演じられる。目前で太鼓を叩きながら踊るエイサーの激しい動きが繰り広げられる。その激しさに沖縄の人たちの心の奥底に秘めた怒りと哀しさを垣間見たような気がする。アンコールに応えた最後の演目では小太鼓やタンバリンが観客たちに配られ一緒に踊るよう促される。ほろ酔い気分のオジサンたちが踊りの輪に加わった。もちろん私も・・・。場所を変えた二次会では思い思いに懐かしい知人たちと1年ぶりの懇親を深める。12時前に部屋に戻りベッドに入った。早朝から深夜までのリタイヤ後の久々の長い一日がようやく終った。