沖縄・宮古島での異文化体験(後編)2009年12月09日

 6時半、宮古島の朝を迎えた。7時過ぎに朝の散策に出かけた。ホテルの南側には真っ白なビーチが海岸線を縁取っている。日の出前の誰もいないビーチの粒子をシャキシャキと踏みしめた。地元の素材をふんだんに揃えたホテルの朝食バイキングを済ませて8時半にホテルを出発した。
 二日目の観光の最初に向ったのは来間島(くりまじま)だった。宮古本島との間に架けられた全長1,690mの来間大橋を渡る。本島と向き合う島の東岸に竜宮城展望台がある。竜宮城をイメージした無人の3層の展望台の最上階からの絶景に目を見張らされる。正面には昨夜の宿・東急リゾートの白亜の建物が前浜ビーチのど真中に建っている。眼下にはサンゴ礁がつくりだす濃淡のあるエメラルドグリーンの海が広がっている。
 大橋に戻り本島南西から一路北に向う。10分ほどで川満マングローブに着いた。与那覇湾から入り込んだ沼を囲むように生い茂るマングローブ林の中を木製の遊歩道が架かっている。湾に出たところで杭の上に止まった色鮮やかな野鳥を見つけ幸運にもデジカメに収められた。
 市の中心部を抜けた平良港交差点近くに史跡が固まっていた。漲水御嶽(はりみずうたき)は、宮古島の創生神を祀る御嶽である。その北方に仲宗根豊見親(なかそねとぅゆみゃ)とその三男の知利真良豊見親(ちりまらとぅゆみゃ)親子の墓がある。16世紀初頭に琉球国王から任じられた八重山守護職の墓である。更に北に進むと人頭税石がある。財政に窮乏した琉球王府が江戸時代初期に課した税制の名残りの史跡だ。高さ143cmのこの石を越える者に税を課したという史跡である。
 史跡見学の後、一気に本島北端の池間大橋を渡り池間島に向った。今回の観光で最も期待の大きいグラスボートでの海底観光が待っている。10時30分に「池間島海底観光」の船着場に到着した。冬場の平日の閑散期とて乗船客は私たち二人だけだった。2千円の乗船料で約50分の海底観光が楽しめる。入江を出て大橋を越えてさんご礁や熱帯魚たちの生息スポットに向う。地元の船長が浅瀬を巧みに避けながら広大な海の小さなスポットに見事に誘導する。ボートの長方形のグラス底から色鮮やかな海底模様が色とりどりの魚たちとともに現われる。様々な形と色のさんご礁に目を奪われる。海亀の昼寝ポイントにやってきた。と思う間もなくグラス面を一匹の海亀が横切った。画像には納められなかったものの目撃できたことで満足すべきか。
 再び本島に戻る。池間島に伸びた岬の東岸に天然記念物・島尻マングローブ林があった。奥行約1kmの宮古諸島最大のマングローブの群生林である。木の遊歩道と石灰岩の橋がまじかに群生林を見せてくれる。それにしてもこの島での観光は殆んどが無料開放されているのには驚かされる。観光客数の少なさが有料化に伴うコストを吸収しきれないためだろうか。
 12時半近くになった。市街地に戻り、事前調査でお目当ての海ぶどう海鮮丼のメニューのある「郷土料理・おふくろ停」で昼食をとる。登場した海ぶどう海鮮丼は、大きな丼ご飯にマグロの切り身やイクラやとろろ芋がのせられその上に海ぶどうがたっぷりのせられている。
 昼食後、島の東岸の高野漁港にある「海ぶどう養殖・ゆうむつ」を訪ねた。お土産用の海ぶどうを調達するためだ。訪ね当てた養殖場は海岸近くの三棟のビニールハウスと事務所小屋だった。ビニールハウスの中のいくつもの水槽には海ぶどうが生育段階に応じて育てられている。味見用の海ぶどうを食べながら海ぶどう海鮮丼の昼食後の訪問を悔やんだものだ。家族のためにたっぷりの海ぶどうを調達した。
 最後の観光スポットは熱帯植物園だった。行って見ると実態は熱帯樹木の生い茂る敷地の中の「宮古島市体験工芸村」という無料開放施設だった。陶芸、木細工、宮古織物、藍染、島唄三線、郷土料理などの工房・教室があちこちに建ち並んでいる。手づくり体験とともに作品の展示販売もある。島の伝統工芸の伝承施設の機能も併せ持つ。
 予定の全スポットを回り終えた。空港近くのレンタカー会社営業所には3時半頃に着いた。空港までの道中の係員との会話で、この島の冬の日中の平均気温が24~25℃と知った。本州と10℃以上の気温差である。那覇と台湾との中間に位置する島である。地理的には日本以上に中国に近い。日本で最も独自の文化風土を持つ地域が沖縄ではないだろうか。わずか二日間の初めての沖縄の旅は異文化体験の旅でもあった。
 18時15分発の那覇行JTAを起点に関空行JAL、空港バス、JR、家内運転のマイカーと乗り継いで自宅に戻ったのは23時40分頃だった。密度の濃い二日間の宮古島の旅が幕を引いた。