義父の危篤連絡2010年01月10日

 早朝ウォーキングから帰ると、家内が心配げな様子で、受け取ったばかりの義兄からの連絡を伝えた。施設に入所中の義父の容態がおもわしくなく倉敷市の病院に転院したとのことだ。明日の朝一番に病院を訪ねることにした。
 午後2時頃、外出中の家内から、義父が危篤状態だという連絡が入った。友人との待ち合わせで大阪に出かけていた家内に義兄から続報が入ったのだ。別の所用で大阪に出かけていた娘と合流でき次第、帰宅するという。
 先月初めに義父を見舞った。衰弱は著しくとも食欲は旺盛だった父親の昼食を、家内は時間をかけて食べさせていた。あれが父親に対する娘の最後の孝行となるのだろうか。94歳という平均寿命を上回る年齢ではある。
 帰宅した家内と娘と一緒に、万が一の場合の準備を慌ただしく整えて、5時過ぎに倉敷の病院に向かった。7時半に到着した病室に、義兄夫婦に付き添われた義父の痛々しい姿があった。大きく開いた口元にはエアマスクがあてがわれ、脈拍や酸素や血圧を測定する機器が接続されている。わずかに開いた瞳がかすかに左右に移動するものの、家内の耳元での呼びかけにも全く反応はない。苦しげに上下動しているが喉の動きが、残された命を懸命に灯し続けようと頑張っているかにみえる。義父の昔話をしながら二家族5人が見守った。容態は危険ながらも小康状態を保っているようだ。10時過ぎ、当直の看護師さんの助言もあり、いったん義兄夫婦の住む岡山市内の実家に戻ることにした。万一の時には看護師さんから連絡が入ることになっている。
 11時過ぎに到着した実家で慌ただしく入浴を済ませ、久々に家族3人が一部屋で眠りについた。