真夏の朝の昆虫たち2010年08月01日

 8月初日の曇り空の凌ぎやすい朝を歩いた。生い茂る木々の間でアブラゼミが我が世の春(夏?)を謳歌し精一杯の鳴き声で大合唱していた。その足下の草むらでキリギリスが独特の間延びしたスイ~ッチョンを繰り返していた。草で覆われた畦道の斜面でコオロギがチリリン、チリリンとやさしげに囁いていた。
 そんな昆虫たちの鳴き声に耳を澄ませ、鳴き声の先を見つめながら歩いていた。路傍の草叢に鮮やかな黄色が目に入った。羽を閉じて草の葉に掴まっているキアゲハだった。久々に目にした懐かしい姿だった。飛び立たないように祈りながら接写した。
 真夏の朝は昆虫たちの世界だった。

それぞれの老後2010年08月02日

 朝の散歩を終えて、貸農園の広がる住宅地周辺に戻ってきた。折しも農作業を終えて帰路に向う知人と合流した。以前、リタイヤ前後の夫婦三組で山歩きをご一緒した近所のご主人だ。手に持った小型ラジオから英会話の音声が流れている。
 「この時間は英会話の勉強時間なんです。リタイヤしてから二つのことに挑戦してるんです。英会話と大型バイクの免許と。バイクの方は去年に免許をとりました。」と、控えめながら幾分自慢めいた解説が洩らされた。「ヘ~ッ、じゃあもうツーリングを始めたんですね」と返す。「それが!嫁はんがどうしてもアカンと言い張るんですわ」とぼやきがついて出る。「確かにその年でツーリングは奥さんのハードルも高いでしょうね」とは、ひとごと意識たっぷりの無責任な当方の弁。
 それにしても最近毎朝この農園で顔を合わす方である。農園栽培にも並々ならぬ意気込みが感じられる。多彩で豊かな老後の充実ぶりが伝わってくる。私もガンバラネバ・・・。

孫のような子どもたちとの一日2010年08月03日

 昨日は丸一日、孫のような子どもたちと過ごした。地元の青愛協の夏休みバスツアーに運営委員の立場で引率者として参加した。7時半に小学校に集合し、16時半に同じ場所に到着した。
 9時半に100人の子どもたちと20人の引率者を乗せたバス2台が、最初の目的地である淡路島・明石海峡公園に着いた。冷房の効いた車中から一歩踏み出した途端、真夏の熱波が身体を包む。私たちが向かったのは広大な公園の北の一角だった。芝生広場の先に大型複合遊具やじゃぶじゃぶ池があった。11時半までの2時間たっぷりを子どもたちは水遊びに、大型遊具に、サッカー遊びに、カブト・クワガタ大集合展示に興じた。藤棚の下で子どもたちは持参のお弁当をひろげての昼食となる。お母さんたちの手作りの、様々なマーク入りのおかずの詰まったお弁当を久々に目にした。
 思わぬ出番が巡ってきたのは、次の目的地・淡路人形浄瑠璃館に向かうバス車中だった。目的地では30分ばかり人形芝居を鑑賞する。出し物はかの有名な「安珍・清姫」である。ところが配られたパンフレットを読んでも、言葉が難しく子どもたちに物語が理解できるとは思えない。誰かがバスの車中で分かりやすく解説してはどうかということになった。引率者の大多数の若いお母さんたちにはその物語すら知らないという。引率責任者によるおじいさん世代への指名は断りきれない。旅のお坊さんのイケメン・安珍に恋した宿屋の娘・清姫が、大蛇となって日高川を渡り、安珍を追いかけたというストーカー物語を10分ばかり解説した。
 淡路人形浄瑠璃館は、淡路島の南端の鳴門海峡大橋の袂にあった。展望台から目の前に見える大橋を眺めた後、浄瑠璃館に入場する。ちょっとした劇場を思わせる思いのほか立派な会場である。人形遣いによる人形の操り方の楽しい解説があった。舞台右手の床の幕が開き大夫と三味線が着席する。正面舞台の緞帳が上がり、いよいよ上演である。用意された5つの外題の内、本日は「日高川入相花王(いりあいざくら)-渡し場の段-」である。義太夫節の語りはさすがに子どもたちには難解である。隣席の1年生の女の子たちが飽きてきて話しかけたりする。ようやく清姫が大蛇に変身する場面を迎えた。さすがに息を呑んで見つめている。
 15時、浄瑠璃館を出発したバスが帰路に着いた。トイレ休憩をはさんで90分の車中では、ビデオ「秘密のアッコちゃん」が上映された。それまでの車中での騒がしさが嘘のようだ。16時30分、予定より10分早く出発地の小学校に到着した。

見つめ合うサギ2010年08月04日

 朝の有馬川の水面を、真夏の空が真っ青に染めていた。黒い堰の筋に沿って白鷺と青鷺の二羽のサギが羽を休めていた。何やら意味ありげに見つめ合っていた。水面に映る二羽もやっぱり見つめ合っている。
 その姿を遠くから画像に納めた後、歩みを進めた。彼らの次の行動は明らかだ。サギの人一倍(鳥一倍)の敏感さと臆病さは、散歩道で何度も教えられている。案の定、足音に近い手前の青鷺から羽ばたいた。すかさず白鷺も後に続く。この想定内の行動に、デジカメがすばやく反応した。飛び去る青鷺とその斜め下から追いかける白鷺の瞬間を切り取った。

地域の絆のほころびが招いた二つの事案2010年08月05日

 朝刊では100歳以上の高齢者の所在不明問題がトップ記事で大々的に報じられていた。夕刊では今年上半期の児童虐待が過去最悪の181件にものぼったと、これもトップ記事で報じられている。
 どちらの事案も地域コミュニティーの希薄化や崩壊が背景にあることは疑いようがない。これまで地域の顔の見えるご近所づきあいが、そうした事案の発生の抑止力になっていた筈だ。そうした地域の絆がほころんでしまった時、お年寄りと子どもたちといった社会的な弱者にそのしわ寄せが直撃した。
 二つの事案が取りざたされる中で、あらためて民生委員・児童委員の社会的役割が注目されている。地方自治体の財政再建の流れが強まる中で、地域福祉の現場での窓口機能としての役割がますます求められてきたからだ。民生委員は65歳以上のお年寄りについて、毎年1回訪問しその状況を伺うことになっている。子どもたちについては学校行事等を通じての状況把握になる。それらは民生委員・児童委員の地域での「点」としての役割である。地域での主としてお年寄りを対象とした社会福祉協議会(社協)や子どもたち対象の青少年愛護協議会(青愛協)が「面」としての役割を担う。
 二つの事案は、日本での地域の弱者支援のこうした仕組みが十分機能できなかったことを露呈させたともいえる。行政依存の地域福祉に限界があることは明らかだ。地域コミュニティーの復活を抜きには本質的な打開策はない。そのためにいったい何ができるのだろう。民生委員・児童委員の役割をあらためて考えさせられた今日の報道だった。

乙川優三郎著「露の玉垣」2010年08月06日

 久々の書評は乙川優三郎の近著(今年7月の文庫版発行)「露の玉垣」だった。読みおえて思ったのは、この作品は時代小説なのだろうか、歴史小説なのだろうかということだった。
 歴史の舞台を借りて物語りを展開する時代小説に対して、可能な限り史実にもとづいて歴史上の人物や事件を描く歴史小説という一般的な区分がある。乙川優三郎は現役の優れた時代小説作家であると思う。その作家が、越後・新発田藩溝口家の正史「御記録」や家臣の譜「世臣譜」を素材として八編の短編集として著述したものが「露の玉垣」だ。その意味で手法はまさしく歴史小説と言える。ただいずれの作品にも歴史上の著名な人物や事件は登場しない。
 越後の米どころを領地とする小藩を舞台とした武家社会の様々な人間模様が展開される。全編を通して流れるテーマは、湿地帯の水田を襲う川の氾濫という「自然との戦い」と、それ故に免れようのない藩財政の困窮という「貧困との戦い」である。歴史の華やかな表舞台で展開される歴史小説からはほど遠い地味な武家社会の実像が淡々と描かれる。それは実在の資料を素にした物語だけに迫真のリアリティを帯びて展開される。
 著名な歴史上の事件や人物をテーマにしていないという意味では時代小説に近い。史実に限りなく近いという点ではこれほど歴史小説としての特性をもった作品はない。乱暴な表現をすれば「限りなく時代小説に近い歴史小説」と言ったところだろうか。この作家の巧みで美しい文体と登場人物たちの示唆に富んだ心理描写の冴えは相変わらず見事である。それ以上に、歴史小説と時代小説の垣根を設けることの無意味さを知らされた作品というインパクトが大きい。

渡辺芳一著「下り酒物語」2010年08月07日

 先月、西宮市の生涯学習大学「宮水学園」の北部地域オープンカレッジに学んだ。講師は私のHP「にしのみや山口風土記」を通じて面識のある西宮文化協会理事の山下忠男さんだった。その講師から紹介されて購入したのが今年4月発行の「下り酒物語」だった。
 著者の渡辺芳一さんは、宮水学園の卒業生で、市の職員OBということだ。山下さんの序文の中にある文章にこの著作の狙いが端的に示されている。「楽しく気軽に読める、鴻池家を含んだ伊丹と灘五郷の酒造史」なのである。
 タイトルにある「下り酒」とは、江戸時代に上方(京大坂を中心とする近畿一円)で生産され、江戸へ運ばれて消費された酒のことである。戦国乱世がようやく終焉を迎えようとする頃、廃墟の伊丹の町で地元特産の諸白(上質の酒の総称)をいち早く大消費地の江戸に送りだした先覚者がいた。摂津国鴻池在住の山中新右衛門であり下り酒の先駆者である。新右衛門は幼名を新六といい出雲の名門尼子家の武将だった山中鹿之助の嫡男だった。父鹿之助が毛利方に捕われ憤死した後、摂津国鴻池の大伯父のもとに身を寄せていた。
 ちなみに私が先月末に訪ねた宝塚市の小浜宿には小浜宿資料館に隣接して山中家が現存する。小浜に移り住んだ新右衛門の長男の末裔の居宅である。そこは伊丹市鴻池からはわずか3kmほど西に位置する場所にある。
 「下り酒」をテーマに、それが生まれた時代背景やいきさつ、その後の経緯や興亡が丹念に分かりやすく綴られている。学者でもない市井の人の誠実で緻密な資料の渉猟の跡が窺える。リタイヤ後の人生の素晴らしい過ごし方の典型を見た。

花火見物とご近所づきあい2010年08月08日

 昨晩の8時半頃のことである。夕食を済ませ、風呂にも入り、パソコンに向かっていた時だ。携帯のコール音が鳴った。回覧物を持ってご近所を回っていた家内からだった。
 「お父さん!三田の花火がよく見えるよ。○○さんの横の道に来たら!」。そういえば、先ほどからドカンドカンという音が響いていた。早速、出かけて行った。くだんの場所には10人ばかりのご近所のオジサン、オバサンの姿があった。丘陵地に開発された住宅街の北西の端の高台である。北の夜空に鮮やかな光のページェントが繰り広げられていた。距離にして数km彼方の三田市中心部の空である。光の輝きに10秒ほど遅れて音の轟きが伝わってくる。デジカメで補足しようしたら、これが意外と難しい。一呼吸遅れて切られるデジカメ特有のシャッター機能が災いする。光の最大の輝きが捉えきれない。打ち上げ直後の早目のシャッターで補足できることが分かった。真っ黒な失敗画像も含めて30枚近い成果がSDカードに記録された。
 花火見物の合間にご近所さんとの会話が弾む。真夏の夜の共通の見所スポットでの花火見物が、久々のご近所づきあいを演出した。
 帰宅後、デジカメ画像を点検し、ブログ掲載画像用に加工した。どのように表現するかを工夫するのもまた愉しいひと時だった。

山口ホールのゑびす寄席2010年08月09日

 昨日の午後2時からの2時間半を、落語6席で愉しんだ。毎年恒例の「ゑびす寄席」が山口ホールで催された。直前に買い忘れていた前売りチケットを申し込んだら売り切れだった。昨年は当日でもまだ余っていた筈だ。寄席人気が徐々にこの街にも浸透してきたようだ。
 開演直前、200席定員の会場が埋め尽くされた。私も含めてほとんどが年配の男女である。年々こうした催しの会場で顔見知りの人たちが増えていく。リタイヤ後の地域の付き合いの広がりを思わずにはいられない。
 トップバッターは上方落語の最年少噺家・露の団姫(つゆのまるこ)さん。「TV番組・おはよう朝日土曜日です」にレギュラー出演している人気者だが、寄席の世界では若輩である。高座終了後は次の出演者のために座布団を返し、出演者札のめくり役を務める。続いて桂吉坊さん、笑福亭瓶生さんの一席の後、中入り前のトリを勤める露の団四郎さんが登場する。さすがに若手との違いを感じさせる芸である。独特の軽妙な語り口と絶妙の間のとり方に引きこまれてしまう。
 中入り後は、中堅の笑福亭達瓶さんの噺があり、オオトリを笑福亭三喬さんが勤める。二年前のゑびす寄席でもオオトリを勤めた噺家だ。その時も「ぜんざい公社」の噺に腹を抱えて笑わせてもらった。今回の噺は「借家怪談」である。前振りで「幽霊になるための5大条件」で笑わせられた。そもそも幽霊は女性であると半数を占める中高年女性の気を引く。美しいこと、色が白いこと、痩せていること、足が小さいこと、おしゃべりでないこと・・・とどれもあてはまりそうにない女性陣に鋭く迫り、綾小路きみまろ風の毒舌で笑いをとる。とぼけた風貌から繰り出される自信に満ちた語り口は50代を目前にして円熟してきた。
 日本の伝統的話芸が身近に愉しめる年に一度の恒例イベントだった。

晩酌ビールの2階級特進2010年08月10日

 一昨日の日曜日、昼前に息子夫婦が帰省した。 家内と娘は、10時前からショッピングセンターに出かけている。そんなわけで昼食は三人で外食することにした。
 最近、家内と行ったパスタの店を話題にすると、即座にノッてきた。モルトボーノ・フェリーチェという生パスタの美味しい店だ。12時前の店はまだすいていた。日曜にはランチセットのメニューはない。各自で選んだお好みメニューにロングバケットを注文した。
 考えてみれば息子夫婦との三人だけの食事は初めてだった。話題は、にわかに現実味を帯びてきた娘の縁談だった。ろくに口をきくこともない兄妹に代わって、同世代の同性である娘と嫁は会えばよくしゃべりあう。そんな関係もあって嫁の舅への矢継ぎ早の質問で盛り上がる。
 昼食を終えて、近くの安売り店・ジャパンに行った。2ヵ月遅れの父の日プレゼントをしてくれるという。帰省時の夕食でオヤジは美味そうに発泡酒ビールを呑んでいる姿を見ている。リタイヤ後の晩酌ビールの銘柄はアサヒ・スーパードライからアサヒ・クールドラフトにレベルダウンした。そんな経過を知ってか知らずかプレミアムビールの24缶ケースの選択権が与えられた。迷った末に老舗銘柄・YEBISUビールをチョイスした。晩酌ビールがスーパードライを飛び越して2階級特進した。