アルハンブラ宮殿と白い村ミハス(スペインの旅四日目)2010年11月18日

 昨夜の早目の就寝が今朝の早朝の目覚めとなった。7時の朝食までホテル周辺の夜明け前の静かな林の中を散策をした。8時20分、現地ガイドの日本人女性まちこさんの案内で徒歩で世界遺産・アルハンブラ宮殿観光に出発した。ホテルはアルハンブラ宮殿の建つ丘陵地の南東の端に位置していた。ほどなく城壁が現れ、いよいよスペイン・イスラム文明の至宝・アルハンブラ宮殿が姿を見せ始めた。
 アルハンブラ宮殿はイベリア半島最後のイスラム王国でグラナダを首都としたナスル朝初代王によって城塞都市アルハンブラの城内に13世紀中頃に着工された。それはキリスト教徒によるイベリア半島のイスラム勢力一掃の闘い(レコンキスタ=再征服活動)が頂点を迎え、イスラム勢力の本拠地であるゴルドバ、セビーリャが相次いで陥落した時期でもあった。そうした中でもナスル朝の歴代王は賢明な治世と巧みな外交で生き残り、王宮建設は継承され13世紀中頃にイスラム芸術の結晶ともいうべき宮殿を完成をさせた。ところがその栄華も15世紀末に終焉を迎える。1492年、レコンキスタの勢いに抗しがたいと判断した最後の王によってカトリックの女王イサベルの前にアルハンブラ城が無血開城され、ここにレコンキスタが完遂された。
 現地ガイドまちこさんのこんな背景説明もおりまぜたガイドを聞きながら城塞から宮殿へと進む。宮殿入口からメスアールの間、メスアールの中庭と進み中心部のコマレス宮に至る。大きな長方形の池に満面の水を湛えたその中庭は宮殿の代表的スポットとして余りにも有名である。ライオン宮の修復中の中庭から12頭のライオン像が宮殿内に移され間近に眺められた。二姉妹の間の天井の鍾乳石飾りも見事なものだった。宮殿を出て長い散策路を歩き城外の離宮フェネラリフェに向った。細長い池を挟んで左右に花々が咲き乱れる美しい中庭があった。出口に向う途上では観賞してきたばかりの宮殿の優雅な全貌を背景にツアー仲間たちと集合写真に興じた。
 寄木細工の店に立ち寄った後グラナダから西にミハスに向った。地中海を見下ろす山の中腹に開かれた白い街並みの小さな村に着いたのは1時頃だった。何はともあれ昼食だ。添乗員さん紹介の展望とおいしさ兼備のレストランを訪ねた。確かに南に大きく開かれた窓からは白い街並みと青い地中海が果てしなく広がっていた。料理はホタルイカ、イカ、エビ、白身魚などの海鮮のカラアゲだった。できたての熱々の料理に納得。昼食後は30分ばかりの自由散策となる。目抜き通り突き当たりの広場の小さな闘牛場、教会、展望台を巡った後、人気スポットのサン・セバスチャン通りを歩いた。石畳の坂道の両側に飲食の店や民家の白い家並みが美しい風情を作っていた。通りの先を左右に横切る路地があった。人通りのない静かなまっ白な路地の美しさに息を呑んだ。
 ミハスからは天気に恵まれれば地中海対岸の北アフリカが望めるという。地図で確認するとミハスの南西100kmの岬の町アルヘシラスから14km先にはジブラルタル海峡を隔ててアフリカ大陸が広がる。スペイン史を語る上でのキーワードのひとつがレコンキスタである。イスラム教徒とキリスト教徒との壮絶な闘いの歴史である。ヨーロッパの西の端の国スペインでのイスラムとの攻防に違和感があった。違和感を解きほぐす鍵をこのミハスの地で見つけた。ジブラルタル海峡の存在だった。中世以降の海洋技術はこの狭い海峡を容易に越えさせた。北アフリカ一帯を勢力下に治めていたイスラム国家が8世紀初頭以降、大挙してジブラルタル海峡を越えてイベリア半島に押し寄せたのだ。レコンキスタ完遂後は逆にスペインがジブラルタル海峡対岸の町セウタを支配しスペイン領として現在に至っている。スペインを訪ねミハスに遊んで初めて実感した知識というほかない。
 ミハスを後にし宿泊地コルドバに向った。内陸部に向って北上しバス2時間半の道のりだった。「アイレ ホテル コルドバ」は旧市街郊外の北に位置する閑静な住宅街にあった。プールやテニスコートを備えた広大な庭園の中に建つリゾートタイプの高級ホテルのようだ。バイキング形式のホテルでの夕食を終え、早々にベッドについた。