山本周五郎著「月の松山」2010年11月30日

 山本周五郎の短編時代小説10本を収めた「月の松山」を再読した。作者の昭和12年から昭和30年に至る期間の著作である。
 山本周五郎の作品は独善的な見方で言えば当たり外れが多いと思う。藤沢周平作品ほどの均質性はないのではないか。「月の松山」所蔵の10篇の多くは残念ながら「外れ」に属するものだった。とはいえ心に沁みる作品も幾つかあった。
 「初蕾」は、友人を斬って出奔した半之助の子供を身ごもった料理茶屋の仲居・お民と半之助の両親との心温まる交流物語だ。息子の罪を負って奉行の職を辞し隠棲した両親のお民に注ぐ心遣いに心和まされる。
 表題作「月の松山」も心打たれるものがあった。業病で残り100日の余命を宣告された若き剣士・孝也の苦悩と身の処し方を描き切った作品だ。裕福な小太刀の道場の師範代である孝也は、道場主から期待され望まれてその娘・桂と婚約し跡目相続を約束されていた。医師から余命を宣告される場面から物語が始まる。自身の死を道場と桂にとって最善の方法で迎えるための方策を模索する。道場主の所有地争いの中で死に場所を見出し敵の弓矢に倒れる。その過程で桂に対し己を醜く振る舞うことで突き放し、弟弟子に桂を託す。大病を患い余命ということに少なからず向き合った身には考えさせられる作品だった。