民生委員・児童委員の委嘱式 ― 2010年12月01日
市民会館アミティー・ホールで民生委員・児童委員の委嘱式があった。今期は西宮市全体で661名の委員が委嘱された。最初に地区ごとに委員の氏名が読み上げられ地区代表者に市長から国と市の委嘱状が手渡された。80名もの委員を抱える地区もあれば23名の地区もある。広いホールの7割方を占める出席者が名前を呼ばれるたびに返事を返し起立する。その後、市長挨拶、委員代表者挨拶、来賓祝辞と紹介と続き約1時間の式が終了した。
私にとっては任期3年の委員の二期目を迎える。個人的にはリタイヤ後に地域社会に融け込む上で貴重な役職だった。同時にこの仕事を通して地域福祉の現状の実態をつぶさに知った。高齢化社会と地域コミュニティーの希薄化が進行している。出口の見えない景気の低迷が今なお続いている。民生委員・児童委員が対象とするお年寄りと子供たちを取り巻く環境は一層厳しさを増している。財政難に悩む行政は地域福祉の分野にも負担削減策に取り組まざるを得なくなっている。地域住民と行政の橋渡し役を求められている民生委員・児童委員は、こうした環境下でますます果たすべき役割が拡大しつつある。
年齢制限はあるようだが、いつまで続けるかは基本的には本人の意向が尊重されるようだ。ケア対象のお年寄りにとっては民生委員と気心が知れる間柄が望ましい。過度に長期化することの弊害も心しておかねばならない。当面二期目の就任を承諾した。
私にとっては任期3年の委員の二期目を迎える。個人的にはリタイヤ後に地域社会に融け込む上で貴重な役職だった。同時にこの仕事を通して地域福祉の現状の実態をつぶさに知った。高齢化社会と地域コミュニティーの希薄化が進行している。出口の見えない景気の低迷が今なお続いている。民生委員・児童委員が対象とするお年寄りと子供たちを取り巻く環境は一層厳しさを増している。財政難に悩む行政は地域福祉の分野にも負担削減策に取り組まざるを得なくなっている。地域住民と行政の橋渡し役を求められている民生委員・児童委員は、こうした環境下でますます果たすべき役割が拡大しつつある。
年齢制限はあるようだが、いつまで続けるかは基本的には本人の意向が尊重されるようだ。ケア対象のお年寄りにとっては民生委員と気心が知れる間柄が望ましい。過度に長期化することの弊害も心しておかねばならない。当面二期目の就任を承諾した。
神戸市北区の古刹を歩いた ― 2010年12月02日
近所の親しいご夫婦と四人で紅葉狩りを兼ねて散策に出かけた。目的地は、ご主人が以前に下見をしていたという神戸市北区の二カ所の古刹だった。地元の安売り店で昼食用にカップ麺やおつまみを買い込んだ。もちろん缶ビールはリュックに納まっている。
最初のスポットは大沢町(おおぞうちょう)の光山寺山だった。山の麓の道路脇に車を留め、小春日和の青空の下のゆるやかな山道を歩き始めた。しばらくして目にした光景に見とれた。目前に見事な棚田が広がっていた。なだらかな丘陵に刈入れ後の鱗のような稲田が幾重にも重なりあっていた。
山道沿いに石造りの祠に二体のお地蔵さんが祀られていた。その先の「光山寺観音道」の道標の右手を10分ばかり進む。お堂の手前に北に向って木の展望台があった。展望台からは三田方面の街並みや山並みが一望できる絶景が広がっていた。すぐ先の観音堂にお参りし境内南の展望台に上がる。ここからは左手から宝塚、三宮、明石、加古川、西脇と300度に近い展望が開けている。大沢町の最高峰293mからの素晴らしい眺望だった。お堂前の案内板に観音堂の建つ光山寺の来歴が記されていた。古くに石峯寺の末寺として創建されたようだ。秀吉の三木城攻めの際の兵火で焼失し江戸時代初めに再建されたが再び火災に見舞われ、平成3年にようやく観音堂が再建されたという。境内一角の大きなヤマモモの下で食事をとった。ご近所さん持参のガスボンベ式携帯用コンロで水を沸かしカップ麺の準備をする。その間、男どもは缶ビールや紙パック酒で至福の時を過ごす。絶好のシチュエーションの下でいただくカップ麺がことのほか美味しい。
次の目的地に向った。淡河町(おおごちょう)の真言宗の古刹・石峯寺である。すぐ横の駐車場で下車し境内に入る。それほど広くない境内に本堂、薬師堂、三重塔、鐘楼の伽藍が木の茂る丘陵を背景に配置されている。木々の間の赤や黄色の鮮やかな紅葉が目に飛び込む。本堂で参拝し東側の三重塔に回る。大きく広がる朱色の屋根がひと際鮮やかな立派な塔である。塔の裏手の林の中の紅葉を楽しみ本堂南の薬師堂、その下の鐘楼と巡る。そばの案内板に寺の来歴がある。白雉2年(651年)、孝徳天皇の勅願寺として開かれ、745年に薬師堂が、823年に三重塔が建立されたとある。我が山口町ゆかりの孝徳天皇の事績がこの地にも記されていた。
近隣の街にも様々な観光スポットや史跡が残されていることをあらためて知らされた一日だった。
最初のスポットは大沢町(おおぞうちょう)の光山寺山だった。山の麓の道路脇に車を留め、小春日和の青空の下のゆるやかな山道を歩き始めた。しばらくして目にした光景に見とれた。目前に見事な棚田が広がっていた。なだらかな丘陵に刈入れ後の鱗のような稲田が幾重にも重なりあっていた。
山道沿いに石造りの祠に二体のお地蔵さんが祀られていた。その先の「光山寺観音道」の道標の右手を10分ばかり進む。お堂の手前に北に向って木の展望台があった。展望台からは三田方面の街並みや山並みが一望できる絶景が広がっていた。すぐ先の観音堂にお参りし境内南の展望台に上がる。ここからは左手から宝塚、三宮、明石、加古川、西脇と300度に近い展望が開けている。大沢町の最高峰293mからの素晴らしい眺望だった。お堂前の案内板に観音堂の建つ光山寺の来歴が記されていた。古くに石峯寺の末寺として創建されたようだ。秀吉の三木城攻めの際の兵火で焼失し江戸時代初めに再建されたが再び火災に見舞われ、平成3年にようやく観音堂が再建されたという。境内一角の大きなヤマモモの下で食事をとった。ご近所さん持参のガスボンベ式携帯用コンロで水を沸かしカップ麺の準備をする。その間、男どもは缶ビールや紙パック酒で至福の時を過ごす。絶好のシチュエーションの下でいただくカップ麺がことのほか美味しい。
次の目的地に向った。淡河町(おおごちょう)の真言宗の古刹・石峯寺である。すぐ横の駐車場で下車し境内に入る。それほど広くない境内に本堂、薬師堂、三重塔、鐘楼の伽藍が木の茂る丘陵を背景に配置されている。木々の間の赤や黄色の鮮やかな紅葉が目に飛び込む。本堂で参拝し東側の三重塔に回る。大きく広がる朱色の屋根がひと際鮮やかな立派な塔である。塔の裏手の林の中の紅葉を楽しみ本堂南の薬師堂、その下の鐘楼と巡る。そばの案内板に寺の来歴がある。白雉2年(651年)、孝徳天皇の勅願寺として開かれ、745年に薬師堂が、823年に三重塔が建立されたとある。我が山口町ゆかりの孝徳天皇の事績がこの地にも記されていた。
近隣の街にも様々な観光スポットや史跡が残されていることをあらためて知らされた一日だった。
地区民生委員協議会の歓送迎会を兼ねた忘年会 ― 2010年12月03日
民生委員・児童委員の地区協議会の定例会があった。11月末日で1期3年の委員任期を終え、新たな任期を迎えた12月1日には市の委嘱式があった。今日の地区協議会の会合は新任されたメンバーによる第1回目の会合になる。出席者には9名の退任委員に代わって新たな顔ぶれが揃った。冒頭出席者の自己紹介があり、続いて新たな任期を迎えて会長、副会長、会計、監事の役員選出が行われた。全員続投で平穏に決着。地区協議会の申し合わせ事項や定例会の開催日程の確認をした後閉会となる。
夜6時から委員の歓送迎会を兼ねた忘年会が開催された。公智神社社務所2階が恒例の会場である。広い広間に大勢の新旧委員と市の福祉関係のメンバーが顔を揃えた。挨拶の後、新任委員の紹介と退任委員への餞別贈呈が行われた。乾杯の後の会食から自由な懇親の場となる。月に1度の定例会ではテーブル席で淡々とした議事に臨むだけである。年に1度の忘年会の場は委員相互の忌憚のない意見交換の貴重な場である。実際に過去2回の忘年会を通じて一気に親しくなった知己も多い。退任委員を中心にテーブルを回り懇親を深めた。
山口民生委員協議会は旧来の街の委員と新興住宅街の委員の構成舞台である。交流が進んできたとはいえ、新旧住宅街の住民間の垣根は尚残されている。この協議会の懇親を通じて新旧住宅街の風土や意識の違いを理解したことも多々あった。退任委員とも今後とも様々な地域の介護や行事の場で顔を合わせることになる。
9時半頃にはお開きを迎えた。相互理解と人脈の広がりを想いながら公智神社を後にした。
夜6時から委員の歓送迎会を兼ねた忘年会が開催された。公智神社社務所2階が恒例の会場である。広い広間に大勢の新旧委員と市の福祉関係のメンバーが顔を揃えた。挨拶の後、新任委員の紹介と退任委員への餞別贈呈が行われた。乾杯の後の会食から自由な懇親の場となる。月に1度の定例会ではテーブル席で淡々とした議事に臨むだけである。年に1度の忘年会の場は委員相互の忌憚のない意見交換の貴重な場である。実際に過去2回の忘年会を通じて一気に親しくなった知己も多い。退任委員を中心にテーブルを回り懇親を深めた。
山口民生委員協議会は旧来の街の委員と新興住宅街の委員の構成舞台である。交流が進んできたとはいえ、新旧住宅街の住民間の垣根は尚残されている。この協議会の懇親を通じて新旧住宅街の風土や意識の違いを理解したことも多々あった。退任委員とも今後とも様々な地域の介護や行事の場で顔を合わせることになる。
9時半頃にはお開きを迎えた。相互理解と人脈の広がりを想いながら公智神社を後にした。
スーパー跡地の住宅開発と住民運動 ― 2010年12月04日
小学校体育館で自治会主催の住民説明会が開催された。テーマは住宅街の中心部にあったスーパーマーケットの退店後の跡地利用問題だった。跡地を買い取った住宅開発業者が13区画の住宅開発を計画し自治会に説明会開催を要請したものだ。これまで自治会は第1回の説明会と3回の住民集会を開催し多くの質問意見を吸収した。今回はそれらの声も踏まえた第2回目の説明会ということだった。
会場の小学校体育館は午後から予定が入っているため、10時~12時までの限られた説明会として開催された。主催者の自治会役員から議事進行が説明された。まず業者から開発計画の説明を受け、その後にそれに対する質疑応答に移りたいとのことだ。その途端、進行そのものに反対する声が上がった。業者側説明は開発そのものを前提にしたもので反対だという声だった。呼応するかのように様々な反対意見が相次いだ。
住民運動の難しさを思った。仮に住宅開発阻止が目的だとにしてもそこに至る道のりは単純ではない筈だ。業者説明は手続き上も不可欠だ。それを排除しては次に進めない。少なくとも住民代表たる自治会の用意した流れには協力すべきだろう。途中で自治会が要請して出席していた弁護士からの発言もあり、何が焦点かが明らかになった。開発に当たって既に存在している住宅街の「地区計画」が適用されるかという点だ。開発業者には地区計画は念頭になかったようだ。当該地は地区計画ではコミュニティー機能の充実をはかる「近隣センター」に該当し住宅開発は想定されていないと解釈される。業者の開発申請に対する市の許可の可否判断が焦点となる。弁護士からは「まず市に対し地区計画の趣旨内容も含めた住民側の意向を冷静に申入れすること」という提案があった。もっともな対応だと思う。
一時的な感情を前面に押し立てても持続力はないし力の分散も避けがたい。最終的には訴訟さえも視野に入れなければならないかもしれない。冷静で持続力のある運動をどう組織できるかが問われているように思う。
会場の小学校体育館は午後から予定が入っているため、10時~12時までの限られた説明会として開催された。主催者の自治会役員から議事進行が説明された。まず業者から開発計画の説明を受け、その後にそれに対する質疑応答に移りたいとのことだ。その途端、進行そのものに反対する声が上がった。業者側説明は開発そのものを前提にしたもので反対だという声だった。呼応するかのように様々な反対意見が相次いだ。
住民運動の難しさを思った。仮に住宅開発阻止が目的だとにしてもそこに至る道のりは単純ではない筈だ。業者説明は手続き上も不可欠だ。それを排除しては次に進めない。少なくとも住民代表たる自治会の用意した流れには協力すべきだろう。途中で自治会が要請して出席していた弁護士からの発言もあり、何が焦点かが明らかになった。開発に当たって既に存在している住宅街の「地区計画」が適用されるかという点だ。開発業者には地区計画は念頭になかったようだ。当該地は地区計画ではコミュニティー機能の充実をはかる「近隣センター」に該当し住宅開発は想定されていないと解釈される。業者の開発申請に対する市の許可の可否判断が焦点となる。弁護士からは「まず市に対し地区計画の趣旨内容も含めた住民側の意向を冷静に申入れすること」という提案があった。もっともな対応だと思う。
一時的な感情を前面に押し立てても持続力はないし力の分散も避けがたい。最終的には訴訟さえも視野に入れなければならないかもしれない。冷静で持続力のある運動をどう組織できるかが問われているように思う。
地元の寿司屋で家内の誕生祝い ― 2010年12月05日
今週、家内が誕生日を迎えた。当日は娘が退社帰りにデパートでケーキを買って帰った。そこで私の方は家族が揃う週末に外食でお祝いすることにした。というわけで今日の夕食は住宅街の中にあるお寿司屋さんに出かけた。以前にも家族で出かけたお店だった。自家製無農薬野菜に直送した旬の魚を素材にしたこだわり料理が「売り」である。確かにネタの美味さは本物だった。誕生祝いの外食先としては同伴者たちも大賛成だった。
ご近所さんでもあるお寿司屋さん一家は顔なじみでもある。創業者のご主人はお店を二人の息子さんに任せ今は半ば隠居ぐらしのようだ。趣味と実益を兼ねた貸農園の畑仕事で無農薬野菜の手入れに余念がない。散歩中にしばしば顔を合わせ言葉を交わす。息子さんたちはオヤジさんの商売の基本をしっかり受け継ぎ、加えて積極的な営業で売上を伸ばしている。いつかテレビで俳優の哀川 翔がこの店の紹介をしているのを見て驚いた。こだわり料理の強みとともに若い世代の営業努力が思わぬ顧客づくりにつながっているようだ。
さて本日の料理である。前回お気に入りの「おまかせにぎり(お吸い物付き3千円)」に単品3点(トラフグ唐揚げ、かき酢、焼きかき)を注文した。ハリハリ風の突き出しを見て即座に生ビールも注文した。初めて食べる熱々のふぐの唐揚げは肉厚で柔らかい珍味だった。かき二品はそれぞれ大ぶりで舌にとろける味わいだった。今日のにぎりのおまかせのネタは、イカ、たこ、エビ、漬けトロ、アナゴ、しめサバ等八貫だった。ボリュウムのあるネタが新鮮で独特の味付けで提供される。量的には決して多くはない。生ビール二杯とセットでも余力をもって納まってしまう。よわいを経た身には多くはなくても一品一品の味わいこそがありがたい。
注文してから握られる本格寿司の待ち時間も家族の久々の会話の場となる。回転寿司の手軽さには代えがたい時間と空間がある。昼間、家内は嫁ぎゆく娘の新居に持参させる食器類の選択に娘と一緒になって時間を費やしていた。彼女にとっては嬉しいようなせつないような誕生祝いの日だった筈だ。婿殿も含めてもう一度この店に来るか。オヤジはそんなことを考えながら二杯めの生ビールを注文していた。
ご近所さんでもあるお寿司屋さん一家は顔なじみでもある。創業者のご主人はお店を二人の息子さんに任せ今は半ば隠居ぐらしのようだ。趣味と実益を兼ねた貸農園の畑仕事で無農薬野菜の手入れに余念がない。散歩中にしばしば顔を合わせ言葉を交わす。息子さんたちはオヤジさんの商売の基本をしっかり受け継ぎ、加えて積極的な営業で売上を伸ばしている。いつかテレビで俳優の哀川 翔がこの店の紹介をしているのを見て驚いた。こだわり料理の強みとともに若い世代の営業努力が思わぬ顧客づくりにつながっているようだ。
さて本日の料理である。前回お気に入りの「おまかせにぎり(お吸い物付き3千円)」に単品3点(トラフグ唐揚げ、かき酢、焼きかき)を注文した。ハリハリ風の突き出しを見て即座に生ビールも注文した。初めて食べる熱々のふぐの唐揚げは肉厚で柔らかい珍味だった。かき二品はそれぞれ大ぶりで舌にとろける味わいだった。今日のにぎりのおまかせのネタは、イカ、たこ、エビ、漬けトロ、アナゴ、しめサバ等八貫だった。ボリュウムのあるネタが新鮮で独特の味付けで提供される。量的には決して多くはない。生ビール二杯とセットでも余力をもって納まってしまう。よわいを経た身には多くはなくても一品一品の味わいこそがありがたい。
注文してから握られる本格寿司の待ち時間も家族の久々の会話の場となる。回転寿司の手軽さには代えがたい時間と空間がある。昼間、家内は嫁ぎゆく娘の新居に持参させる食器類の選択に娘と一緒になって時間を費やしていた。彼女にとっては嬉しいようなせつないような誕生祝いの日だった筈だ。婿殿も含めてもう一度この店に来るか。オヤジはそんなことを考えながら二杯めの生ビールを注文していた。
iPhoneのWord機能の購入 ― 2010年12月06日
携帯端末PDAのZaurusが破損して以来、その機能のほとんどをiPhoneで代替してきた。ネット、メール、スケジュール管理、デジカメ、GPS機能付きMap等ほとんどパソコンに近い機能を持った携帯電話である。
ただ先月スペイン旅行に出かけて唯一不自由に思った点がある。海外からのツアー中のブログ更新は望むべくもないと諦めていたが、ZaurusはWord機能がありツアー中に記事を書き込みファイルしておくことが可能だった。iPhoneにはこの機能がなく帰国後に思い出しながら更新する他なかった。
明日から一泊二日の旅に出る。ネットからの直接入力によるブログ更新は余りにも煩雑で煩わしい。何とか旅先での記事入力とファイル保存ができないものかと考えた。ふと思いついたのがiTunesのアプリケーションにWordか類似の機能のアプリケーションがないかということだ。探してみると「仕事効率化」のカテゴリーにあった。iText Padというアプリが350円の低コストで入手可能だった。ダウンロードして試してみた。これなら問題ない。なぜスペインツアー前に気づかなかったんだろう。早速明日からの旅先で活用してみよう。
ただ先月スペイン旅行に出かけて唯一不自由に思った点がある。海外からのツアー中のブログ更新は望むべくもないと諦めていたが、ZaurusはWord機能がありツアー中に記事を書き込みファイルしておくことが可能だった。iPhoneにはこの機能がなく帰国後に思い出しながら更新する他なかった。
明日から一泊二日の旅に出る。ネットからの直接入力によるブログ更新は余りにも煩雑で煩わしい。何とか旅先での記事入力とファイル保存ができないものかと考えた。ふと思いついたのがiTunesのアプリケーションにWordか類似の機能のアプリケーションがないかということだ。探してみると「仕事効率化」のカテゴリーにあった。iText Padというアプリが350円の低コストで入手可能だった。ダウンロードして試してみた。これなら問題ない。なぜスペインツアー前に気づかなかったんだろう。早速明日からの旅先で活用してみよう。
初めて訪れた焼津の街 ― 2010年12月07日
毎年恒例のチェーンストア労組OB・現役懇親会があった。会場は初めて訪れる静岡県の焼津だった。リタイヤの身とて時間はたっぷりある。新大阪から静岡までを「こだま」で行くゆっくり旅を選択した。静岡と焼津間は在来線で10分余りである。
新大阪を出発するなりおつまみと缶ビールの口を開ける。文庫本を読んだりぼんやり車窓を眺めたり・・・。何の縛りもないのんびり独り旅のプチ贅沢を愉しむ。米原駅で駅弁と缶ビールを買い込んだ。近江牛大入飯(千円)はカレー味のご飯の上に炊いた肉厚の近江牛と玉ねぎがたっぷり載っかっている。ビールの当てにも十分な量だった。5時半頃に夜の帳の降りた焼津駅に着き、ホテルの送迎バスで6時前に焼津グランドホテルに到着した。
部屋で出身労組の参加者たちと合流し6時半からの懇親会に参加した。70名あまりの参加者の内訳は現役組とOBがほぼ半々である。開宴前に舞台上でOBたちだけの集合写真が撮られた。酔いで座が乱れた後の収拾がつかなくなった過去の学習効果が冒頭の撮影となっている。それぞれの風貌が年々深みを増し参加者の顔ぶれがが少しずつ変わっていく。他界したOBもいれば新たにOBリストに加わる者もいる。有数の漁港・焼津ならではの海鮮中心の料理も懇親に追われる中で味わうことを忘れてしまう。席を移した二次会でもカラオケそっちのけで懐かしい面々との交流にいとまがない。ようやくお開きとなり部屋に戻る。地下一階の海の見える温泉大浴場で疲れを癒し布団にもぐりこんだのは日付が変わった頃だった。
新大阪を出発するなりおつまみと缶ビールの口を開ける。文庫本を読んだりぼんやり車窓を眺めたり・・・。何の縛りもないのんびり独り旅のプチ贅沢を愉しむ。米原駅で駅弁と缶ビールを買い込んだ。近江牛大入飯(千円)はカレー味のご飯の上に炊いた肉厚の近江牛と玉ねぎがたっぷり載っかっている。ビールの当てにも十分な量だった。5時半頃に夜の帳の降りた焼津駅に着き、ホテルの送迎バスで6時前に焼津グランドホテルに到着した。
部屋で出身労組の参加者たちと合流し6時半からの懇親会に参加した。70名あまりの参加者の内訳は現役組とOBがほぼ半々である。開宴前に舞台上でOBたちだけの集合写真が撮られた。酔いで座が乱れた後の収拾がつかなくなった過去の学習効果が冒頭の撮影となっている。それぞれの風貌が年々深みを増し参加者の顔ぶれがが少しずつ変わっていく。他界したOBもいれば新たにOBリストに加わる者もいる。有数の漁港・焼津ならではの海鮮中心の料理も懇親に追われる中で味わうことを忘れてしまう。席を移した二次会でもカラオケそっちのけで懐かしい面々との交流にいとまがない。ようやくお開きとなり部屋に戻る。地下一階の海の見える温泉大浴場で疲れを癒し布団にもぐりこんだのは日付が変わった頃だった。
レンタカーで行く焼津観光 ― 2010年12月08日
同宿者の携帯アラームの音で目が覚めた。大浴場で朝風呂を愉部屋に戻った。すっかり夜明けを迎えた海側の展望を眺めようと窓を開けた。何と東の岬の向うにくっきり浮かぶ富士山が目に飛び込んだ。わずかに頂きだけに横一線の雲がかかっているものの雪で覆われた南斜面が朝日に照らされて輝いていた。バイキング形式の朝食をとる。地場の食材をたっぷり使った和洋の総菜を少しずつお皿いっぱいに取り分ける。
8時半に出身労組の現役・OB4人でレンタカーによる焼津観光に出発する。雄大な太平洋の眺望を求めて御前崎に向う。ホテルから約1時間で駿河湾西の岬・御前崎に到着。岬の突端に御前崎灯台があった。まっ白な灯台のらせん階段を登り最上階の展望台に出た。文字通り360度の絶景が広がっている。地球の丸さが感じられるような南側の広大な太平洋、西側の岬が延びた美しい海岸線、東側の公園を望む海岸線、北側の掛川や島田の街並みとパノラマが展開する。そして北東には富士の雄大な姿が望める筈だった。ところが肝心の北側の空はどっぷりと雲に覆われていた。最寄りの御前崎の海鮮なぶら市場でお土産用の海鮮を下した後、再び焼津に向った。
焼津でのお目当ては昼食とお土産げ目的の「焼津さかなセンター」である。東名高速焼津インターすぐそばのセンターは水揚げされたばかりの鮮魚やその加工品を中心に70もの店舗が軒を連ねる巨大な市場だった。11時過ぎに到着し、ひとまず昼食をとることにした。市場の中に旬のネタを扱う高級回転寿司店があった。開店したばかりのお店に入り早速注文する。焼津特産のシラスと桜エビの軍艦、マグロ三昧(赤身、中トロ、大トロ)に蟹入りの赤だしを皮切りに各々お好みのにぎりを注文する。食べ過ぎ気味のお腹を気にしながら寿司店を後にした。待ち合わせ時間を確認し各自自由に30分ばかりのお買い物に散らばった。シラスと桜エビの釜揚げ、ちりめんじゃこ、桜エビ、ヒジキのフリカケ、サヨリの干物三尾、わさびの醤油漬け等を買い込んだ。
12時半頃にセンターを後にし東名高速を駆って静岡駅に向った。駅前でレンタカーを返し1時12分の新幹線ひかりに乗車した。気のおけない旧知の仲間たちとの懇親と観光の旅が終わった。
8時半に出身労組の現役・OB4人でレンタカーによる焼津観光に出発する。雄大な太平洋の眺望を求めて御前崎に向う。ホテルから約1時間で駿河湾西の岬・御前崎に到着。岬の突端に御前崎灯台があった。まっ白な灯台のらせん階段を登り最上階の展望台に出た。文字通り360度の絶景が広がっている。地球の丸さが感じられるような南側の広大な太平洋、西側の岬が延びた美しい海岸線、東側の公園を望む海岸線、北側の掛川や島田の街並みとパノラマが展開する。そして北東には富士の雄大な姿が望める筈だった。ところが肝心の北側の空はどっぷりと雲に覆われていた。最寄りの御前崎の海鮮なぶら市場でお土産用の海鮮を下した後、再び焼津に向った。
焼津でのお目当ては昼食とお土産げ目的の「焼津さかなセンター」である。東名高速焼津インターすぐそばのセンターは水揚げされたばかりの鮮魚やその加工品を中心に70もの店舗が軒を連ねる巨大な市場だった。11時過ぎに到着し、ひとまず昼食をとることにした。市場の中に旬のネタを扱う高級回転寿司店があった。開店したばかりのお店に入り早速注文する。焼津特産のシラスと桜エビの軍艦、マグロ三昧(赤身、中トロ、大トロ)に蟹入りの赤だしを皮切りに各々お好みのにぎりを注文する。食べ過ぎ気味のお腹を気にしながら寿司店を後にした。待ち合わせ時間を確認し各自自由に30分ばかりのお買い物に散らばった。シラスと桜エビの釜揚げ、ちりめんじゃこ、桜エビ、ヒジキのフリカケ、サヨリの干物三尾、わさびの醤油漬け等を買い込んだ。
12時半頃にセンターを後にし東名高速を駆って静岡駅に向った。駅前でレンタカーを返し1時12分の新幹線ひかりに乗車した。気のおけない旧知の仲間たちとの懇親と観光の旅が終わった。
ワシがおるやないか ― 2010年12月09日
昨日、出身組織の仲間たち4人とレンタカーの車中で長時間雑談する機会があった。同世代のTさんの娘さんも来年早々に嫁ぐとのこと。私の家族と同じ兄妹の子供構成のようだ。兄は既に結婚している点も同じである。
Tさん曰く「嫁ぐ日が近づくにつれ母親の寂しさが募るようだ。嫁が娘がでて行ったら寂しくなると口にするようになった」。確かに息子の結婚の時には感じなかった一抹の哀しさが母親ならずとも生まれてくる。お互いに娘が嫁いだ後は夫婦二人の生活が否応なくやってくる。Tさんより少しだけ年上である。彼の言葉にすかさず反応した。「ワシがおるやないかと奥さんに言うたか?それこそが決めゼリフやないか!」。
帰宅後、帰りの遅い娘のいない食卓で家内にその話をした。もちろんポイントは「ワシがおるやないか」と言ったことだ。直接話法では口にできない世代の間接話法での感情表現である。家内がどのように受けとめたかは知る由もない。
Tさん曰く「嫁ぐ日が近づくにつれ母親の寂しさが募るようだ。嫁が娘がでて行ったら寂しくなると口にするようになった」。確かに息子の結婚の時には感じなかった一抹の哀しさが母親ならずとも生まれてくる。お互いに娘が嫁いだ後は夫婦二人の生活が否応なくやってくる。Tさんより少しだけ年上である。彼の言葉にすかさず反応した。「ワシがおるやないかと奥さんに言うたか?それこそが決めゼリフやないか!」。
帰宅後、帰りの遅い娘のいない食卓で家内にその話をした。もちろんポイントは「ワシがおるやないか」と言ったことだ。直接話法では口にできない世代の間接話法での感情表現である。家内がどのように受けとめたかは知る由もない。
和解協議での二つの貴重な事例 ― 2010年12月10日
労働委員会のある事件の4回目の調査の日だった。前回調査で委員会から労使の自主交渉を促し双方の同意を得られていた。今日はその結果を踏まえた調査の日だった。委員控室で自主交渉による和解が成立し合意書も提出されているいることを事務局から告げられた。
会議冒頭に公益委員より「調査を和解協議に切り替える」旨宣告された。その上で合意書を前提に労働委員会としての和解協定書案が提示され当事者双方の意向が打診された。すかさず会社側代理人の弁護士から「協定案文に会社の不当労働行為がなかった」という文言の追記を要請された。それに対し組合側も異議はない旨の意向が表明され要請は受け入れられる方向に傾いた。とっさに異議を差し挟んだ。和解協定は労働委員会委員も署名捺印する。その文面に「会社の不当労働行為がなかった」旨を挿入することは労働委員会自身がその旨の判断を下したことになる。「調査を和解協議に切り替えた時点で、労働委員会は本件での不当労働行為の有無の判断を棚上げしたことになる。不当労働行為の有無判断を下していないにもかかわらずそうした文面を記載することはできない」という主張を述べた。会社側弁護士も即座に了解した。とっさのことながら3年半の労働者委員としての経験が労働委員会としてのあるべき判断を促してくれたと思った。協議終了後の事務局を交えた委員懇談の場でも私の発言への賛辞を頂いた。
この和解協議ではもうひとつの特筆すべき出来事があった。申立人の合同労組幹部役員が和解協定書への関係者の捺印が終了した時点で異例の発言を求めた。会社側代理人である弁護士への感謝の言葉だった。「精神的疾患を患った組合員の雇用が継続されたことで本人と家族が路頭に迷うという事態が回避できた。ひとえに代理人の誠実な対応の賜物と感謝したい」。それは同席した関係者一同にとっても感銘深い発言だった。本件に関与した者全員の達成感を感じさせずにはおかない発言だった。同時にともすれば金銭和解になりがちな合同労組の取組み姿勢にあって、事例によっては雇用そのものを確保するという姿勢もがあることを告げていた。
二つの貴重な事例を学んだ今日の和解協議だった。
会議冒頭に公益委員より「調査を和解協議に切り替える」旨宣告された。その上で合意書を前提に労働委員会としての和解協定書案が提示され当事者双方の意向が打診された。すかさず会社側代理人の弁護士から「協定案文に会社の不当労働行為がなかった」という文言の追記を要請された。それに対し組合側も異議はない旨の意向が表明され要請は受け入れられる方向に傾いた。とっさに異議を差し挟んだ。和解協定は労働委員会委員も署名捺印する。その文面に「会社の不当労働行為がなかった」旨を挿入することは労働委員会自身がその旨の判断を下したことになる。「調査を和解協議に切り替えた時点で、労働委員会は本件での不当労働行為の有無の判断を棚上げしたことになる。不当労働行為の有無判断を下していないにもかかわらずそうした文面を記載することはできない」という主張を述べた。会社側弁護士も即座に了解した。とっさのことながら3年半の労働者委員としての経験が労働委員会としてのあるべき判断を促してくれたと思った。協議終了後の事務局を交えた委員懇談の場でも私の発言への賛辞を頂いた。
この和解協議ではもうひとつの特筆すべき出来事があった。申立人の合同労組幹部役員が和解協定書への関係者の捺印が終了した時点で異例の発言を求めた。会社側代理人である弁護士への感謝の言葉だった。「精神的疾患を患った組合員の雇用が継続されたことで本人と家族が路頭に迷うという事態が回避できた。ひとえに代理人の誠実な対応の賜物と感謝したい」。それは同席した関係者一同にとっても感銘深い発言だった。本件に関与した者全員の達成感を感じさせずにはおかない発言だった。同時にともすれば金銭和解になりがちな合同労組の取組み姿勢にあって、事例によっては雇用そのものを確保するという姿勢もがあることを告げていた。
二つの貴重な事例を学んだ今日の和解協議だった。

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