孤族とこの国のかたち2010年12月30日

 昨日の異業種交流会で隣席のさる寺院の副住職と朝日新聞特集記事の「孤族」が話題になった。知人のブログでも先日来同じ記事についてのコメントを記していた。一人世帯の急増という事態が日本社会に「家族から孤族へ」という流れを形成しつつある。これに超高齢化、格差、貧困という要因が加わり「孤独死」が着実に増大している。
 副住職は「子供手当でなく同居手当が必要」と力説した。国としての同居誘導策が孤族問題解決の道筋ではないかという。子供手当の趣旨は少子化対策という労働人口減少対策なのだろう。それ自体は理解できないわけではないが、その背景に経済成長主義が見え隠れする。今日の孤族問題や孤独死問題は一面で戦後の高度経済成長の帰結と言えなくもない。自由競争、自己責任の市場経済の論理が地縁社会や血縁社会を突き崩してきたことは否定できまい。司馬遼太郎の「この国のかたち」全六巻を読み継いでいる。同居手当の是非ではない。副住職が問うている「この国のかたち」が議論されなければならないと思う。
 昨晩、異業種交流会の帰路、JRの最寄り駅で娘と合流した。自宅まで家内の運転する車で一緒に帰った。自宅では帰省したばかりの息子夫婦が寛いでいた。久々に我が家のフルメンバーが顔を揃えた。年始3日まで多少の出入はあるものの束の間の大家族暮らしが始まった。我が家は少なくとも今現在「孤族」から免れている。