司馬遼太郎著「この国のかたち 六」2011年03月14日

 司馬遼太郎著「この国のかたち 」の最終巻を読んだ。10年に亘って書き継がれた文芸春秋の巻頭随筆「この国のかたち」は、1996年2月12日の著者の死をもって未完の著作として終了した。絶筆の巻頭随筆「歴史のなかの海軍」の5回分と日本語の成り立ちについての考察「言語についての感想」などの随筆がおさめられている。
 「歴史のなかの海軍」は、作者の代表作でもある「竜馬がゆく」「坂の上の雲」の執筆に当たって取材し得られただろう知識をベースにした考察と思われる。幕末日本の唯一の海軍を率いた勝海舟と坂本龍馬の役割が鮮やかに述べられている。更に海舟は明治期の海軍建設の大功労者であった山本権兵衛に「海軍」を伝授した師匠でもあった。その後、日露戦争に至るまでの日本海軍はほとんど山本権兵衛一人の頭脳と腕力で建設されたとまで述べられている。列強の植民地支配の渦の中で、近代国家建設に乗り出したばかりの日本の「この国のかたち」をつくる上で日本海軍が果たした役割は大きい。
 「声明と木遣と演歌」も興味深かった。日本の声楽の始まりは、平安初期に空海や円任が唐からもたらした仏教僧が唱える「声明」である。平安期の声楽家である声明師が多くの弟子を育てその種子が各地で根づき、さまざまな形になって芸能化した。平家琵琶、謡曲、木遣りなどである。明治後の小学唱歌の普及が、声明式の神楽のうたを過去のものにした。かろうじて戦後の流行歌の演歌の中に声明の粘液のようなものをかすかに伝承している。
 この巻の最大の紙数を占める「言語についての感想」も力作だった。言語のもつ本質的な成り立ちの洞察に驚かされる。「文章というものは、社会的には共通性への指向をもつ。一つの社会が成熟するとともに、文章は社会に共有されるようになって、互いに似かよう」。そうした観点から福沢諭吉や夏目漱石の文章が、文章日本語の成熟のために果たした影響力が述べられている。
 
 「この国のかたち」全6巻を読了して、司馬遼太郎の巨大さを思い知らされた。あれほどの膨大で優れた作品を残しながら、尚日本の思想史の偉大な橋頭保を築いている。学生時代に丸山真男の「現代政治の思想と行動」を読んだ。「思想」というものに初めて向き合った著作だった。「この国のかたち」は、「日本の思想」を極めて分かりやすく、説得力ある形で述べた労作である。その点では丸山真男の業績に勝るとも劣らない作品といえよう。