平尻街道を踏破2011年03月19日

 2年前の5月に西国三十三所巡礼街道の一部である平尻街道をひとりで踏破しようとした。北六甲台の北側のかって平尻と呼ばれた茶店のあったところから名来の山中に分け入った。中心点の三叉路の傍らに地蔵型の道標があった。そこから先は木々に覆われ通り抜けが叶わず断念した。http://ahidaka.asablo.jp/blog/2009/05/28/4326972
 10日ほど前に名来墓地前で「丹波街道」の案内ポールを見つけた(丹波街道は大坂と丹波を結ぶ街道で、平尻街道はその小さな一部を構成している)。ポールの矢印に従って北側から名来の山中に分け入ったところあっけなく道標まで辿り着いた。時間の都合でその日は道標のある三叉路の西側の道を愛宕神社前に抜けて帰路に着いた。http://ahidaka.asablo.jp/blog/2011/03/08/5728011
 そして今日、ようやく暖かい日差しとなり、平尻街道の初めての踏破を目指した。午後2時前に自宅を出て、平尻の茶店跡から山中に入った。山中入口には「丹波街道」の案内ポールが建ち、その先には山道が続いている。二年前にはトタンで仕切られ遮断されていた所だ。
 枯れ葉に覆われたゆるやかな坂道が続く。関西電力のネットフェンスの横を抜けると頂上付近にでる。鉄塔を左手に進むと再び両側をネットフェンスに囲まれた道となる。その先に三叉路があり左手にお地蔵さんの道標があり丹波街道のポールが建っている。
 三叉路を右手にとると再び三叉路となる。右手は確か鎌倉峡に至る道の筈だ。左手に進むと丹波街道のポールの向うに竹藪の美しい風景が見えてくる。竹藪を抜けた辺りからゆるやかな下り坂になる。旧街道整備のための竹の切り株が目につく。小川の名残りのようなぬかるみに10本ほどの丸太の橋が架けられている。左手が崖になった細い道をひたすら進む。ようやく左右の林が切れてきた。その先には田圃や街並みが見えてくる。農作業用のトラクターのワダチのある道に合流する。三叉路の左手に再び案内ポールが見えた。
 ようやく平尻街道を踏破した。この間約30分の道のりだった。名来墓地横の有馬川の東岸の歩道を南に下り、自宅に戻った。出かけてからわずか1時間の散策だった。