竜馬が頻繁に訪れた大阪2011年08月06日

 昨晩、7カ月ぶりに異業種交流会の例会に出席した。今回の講師は「大阪龍馬会」の幹事・長谷(おさたに)吉治さんだった。例会では自身の著作「大坂の史跡探訪~龍馬の足跡~」をベースに龍馬が残した大阪の史跡の紹介と解説をして頂いた。
 ホームページによると「大阪竜馬会」は1985年に高知、東京についで全国3番目に結成された龍馬会ということだ。現在100名の会員を擁し年4回の機関紙発行や年数回の史跡探訪や親睦会などのイベントを開催しているという。
 講師のスピーチの骨子は「龍馬の最も訪問回数が多いのが大坂だった」という点である。その訪問先の場所として北鍋屋町(現在の淡路町)の「浄土真宗・専稱寺」と東横堀川思案橋西詰の船宿「河内屋与次兵衛」があげられた。
 専稱寺は幕府の軍艦奉行並に就任した勝海舟の大坂での寓居先であり私塾の海軍塾を開いた場所でもある。当時、海舟の門弟でもあり海軍塾の幹部でもあった龍馬が頻繁に出入りしたことは想像に難くない。
 もう一方の船宿船宿・河内屋与次兵衛は京都・大坂を結ぶ淀川の三十石船の大坂の船宿のひとつである。龍馬の伏見の滞在先が船宿・日野屋孫兵衛であることは姉・乙女に宛てた手紙で明らかだが、その大坂側の提携先の船宿が河内屋与次兵衛である。実際、この宿から大坂海軍塾・専稱寺まではわずか400m程の距離であった。
 スピーチ終了後には参加者からの質問が相次いだ。ユニークだったのは「龍馬ブームがこれほどまでに根強いのは何故だと思いますか」という質問に、講師は「司馬遼太郎の『「竜馬がゆく』の影響が極めて大きいと思います」と返された。簡潔明瞭で説得力のある回答だった。
 講演後に、持参頂いた著作「大坂の史跡探訪~龍馬の足跡~」を購入した。龍馬の大坂での足跡が写真、絵図、地図などをふんだんに織り交ぜて解説されている。労働委員会事務局のある天満橋周辺の史跡も多い。時間を見つけたての街歩きの楽しみを手にした。