審査事件結審後の労働者委員としての「想い」2011年08月16日

 お盆明けの今日、娘夫婦が帰り、息子夫婦は大阪に出かけた。家内は友人の誘いにいそいそと買物に出かけた。誰もいない我が家で、労働委員会の業務を処理した。
 ある不当労働行為の申立ての審査が盆前に結審した。途中、当事者の労使双方に和解協議を呼びかけ、和解に向けた調整に努力したものの不調に終わった。後は公益委員会議での合議を経て命令交付を待つばかりである。参与委員である労働者委員はこの合議に向けて意見を述べることができる。過去の命令交付でもその都度、公益委員に対し「意見」を文書で提出してきた。
 朝からその「意見」作成に取り組んだ。作成のポイントは、申立人組合の訴える被申立人使用者の言動が労組法第7条に規定する不当労働行為に該当するか否かについての審査に関わった委員としての意見である。
 個人的には不当労働行為の申立てであっても可能な限り和解協議による和解がベターであると思っている。とりわけ本件のように個別労使紛争の性格の強い事件では当事者個人の痛みを考えればなおさらである。従って途中の和解協議が不調に終わり命令交付のやむなきに至ったことには忸怩たる思いがある。
 本件では和解協議が不調に終わったのは、被申立人代理人弁護士の法的解釈にかち過ぎる独善的な対応に主たる要因があると思った。現場の労使関係は法的な理屈に終始しては本筋を誤る場合がある。命令交付での自らの法的主張の正当性を確保することを最優先する代理人弁護士のパフォーマンスは、現場の労使関係の円滑化をいたずらに損なう要因にもなりかねない。
 こうした想いを「個人的感想」として「意見」に付記した。それは使用者の言動が不当労働行為に該当するか否かの法的判断を求められる「意見」には馴染まないものである。それでもあえてその「想い」を意見にしたためるだけの意味があると判断した。