映画評「日輪の遺産」2011年08月30日

 午前中の労働委員会の仕事を終えて、昼から映画を見ようと思った。上映中の作品のネット検索で二つの候補作品があった。「日輪の遺産」と「一枚のハガキ」だった。前者は浅田次郎原作の映画化で、後者はよ齢95歳の新藤兼人監督の作品であり、それぞれに興味を掻き立てられた。奇しくも二作品とも戦争にまつわる特異な出来事を通して戦争の持つ悲惨さ哀しさを訴えたもののようだ。結局、「日輪の遺産」をチョイスした。
 結論から言えば、ミスチョイスだった。浅田次郎の原作は「蒼穹の昴」の骨太でしっかりした構成力や「壬生義士伝」の心を抉る物語性に深い感銘を覚えていた。その延長線上でのこの作品の期待感があったことは否めない。原作は読んでいない。おそらく映画化された作品以上に深みがあるのだろう。
 上映作品の印象を一言でいえば平坦で奥行きが感じられないということになるだろうか。物語性から言えばもっと感動的な演出が可能だったように思える。最大の焦点はなぜ19人の少女たちが自決したのかという点にあったと思う。その点の説得力がない。主役の堺雅人の優しすぎる容貌や平坦な演技からは過酷なミッションを背負ったエリート軍人の苦悩が伝わりにくい。むしろ中村獅童の個性的な容貌が存在感を発揮している。
 豊川悦司、大竹しのぶの演技派コンビを配してメガホンを取った新藤兼人作品「一枚のハガキ」を見逃したことを今更悔やんでも仕方がない。