「にしのみや山口風土記」異聞2011年09月11日

 今月の初めに見知らぬ人から一通のメールを受取った。発信者は千葉大学工学部都市環境システム学科の学生さんだった。生まれ育った山口や有馬を対象にした卒業論文を作成中とのことで、私のHP「にしのみや山口風土記」を大変参考にしている。ついては今日、研究室の教授、学生の5名で山口を訪問するので、できれば会って話を聞きたいとのメールだった。
 私の「風土記」が思わぬところで役立っていると知って嬉しくなった。来訪日は日曜日であり特段の予定はない。早速、お会いすることを了承する旨の返信をした。メールのやりとりで同じ住宅街の出身者であることが分かった。会場も住宅街のコミュニティーセンターの一室を手配した。
 そして残暑の厳しい今日、2時前にコミセンの会議室でエアコンのスイッチを入れて来訪者を待った。ほどなく60代の教授と女子学生一人を含む4名の学生さんたちが姿を見せた。名刺を交わしてすぐに本題に入る。主役のK君から来意を告げられる。理工系の都市環境システム学の研究テーマとどう考えても文系の風土記との結びつきがイマイチ見えてこない。教授から補足があった。都市環境システムという学問は建築、環境、システム、情報といった分野だけでなく住環境の根底にある文化や風土をも取り込んでそれらを統合化して都市環境を理解する学問のようだ。そこでその一分野である風土研究も課題となる。特に新興住宅街と既存の村社会との関わり等も関心が強いといったコメントもあった。
 「風土記」を媒介とした旧山口村と私の住む新興住宅街との共存は私にとっても重要なテーマである。旧山口村の伝統行事への新住民の関与は困難でも、新旧住民が初めて出会う場である山口中学のPTAを中心とした「さくらまつり」のイベントは共通のものである。昨日のミュージカル劇団の立上げコンサートの成功も新たな共通のカルチャーづくりに貢献できる筈だ。そんな持論を大いに語らせてもらった。北六甲台の住居表示が「西宮市北六甲台」と表示され中間の山口町の記載がないことの問題点も指摘した。子どもたちにとってそれは山口というふる里意識を決定的に欠落させることにつながりかねないからだ。これについての教授の賛同コメントに意を強くした。
 1時間30分の懇談の場は私にとっても刺激的で貴重な情報が得られた機会でもあった。ライフワークの「風土記」の新たな異聞を追加できた。