遠山美都男著「大化改新」(その2:中大兄皇子は有力な王権継承予定者だったのか)2011年09月14日

 表題の書籍の第Ⅰ章「国家形成と王権継承」の67頁に及ぶ記述を読んだ。学術的な記述にもかかわらず一気に読了できる魅力的で読みごたえのある内容だった。
 この章のテーマは、「中大兄皇子が事件前後において(略)有力な王権継承予定者だった」という『日本書紀』の記述に対する学術的な疑問を投げかけることである。読了した感想を述べれば著者の意図は十分に達成されていると思った。以下、その骨子を整理する。

 冒頭、日本列島の諸集団を「代表」する最高首長「倭国王」は、後漢の光武帝から下賜された「倭奴国王」の印綬にみられるように中国王朝に対する従属関係を契機に誕生したと説き起こされる。その後の「倭国大乱」を経て、三世紀末に各地の政治勢力が、前方後円墳をシンボルとした列島規模の連合体を結成した。この連合体の首長が、もともと大和国南東部を本拠とした首長で、彼を中核に日本列島は「統一」された。この頃の最高首長に求められたのは軍事指揮官としての能力の卓越性だった。五世紀に入り『宋書・倭国伝』にある「倭の五王」の時代になり、「倭国伝」からこの時代の王権の継承のされ方が窺える。即ち「宋書」が倭王「珍」と「済」の間に続柄を記さない点に王家の分裂、交替が推定される。いい換えればこの時代には最高首長を出す集団がいくつか存在していたことになる。
 五世紀から六世紀にかけて人民支配システムとして伴造(とものみやっこ)・部民(べのたみ)制が整えられた。列島を「代表」する最高首長としての大王とその一族に対する貢納・奉仕を各地の首長配下の諸集団に負担させるシステムである。この伴造・部民制を通じて貢納・奉仕を受ける特殊な集団の固定化、すなわち支配者集団内部の王族という特殊血液集団が確立した。
 六、七世紀の王権継承は、王族という血液集団内の異母兄弟姉妹の関係にある同母の集団の同一世代という条件を重視した王権継承原理があったのではないか。つまり支配層の合意にもとづいてある一定の世代から大王に相応しい人物を次々に選び、該当者が尽きた後、次の世代の大王たる人物を求めるというものだった。そうした原理が登場した背景に伴造・部民制の強化・拡充がある。伴造・部民制が全国的に拡充されるにしたがい、大王たる者にはこの制度を巧みに統御できる能力の充実度が期待されるようになる。それは年齢的・人格的成熟度に依存するところが大で、ここに世代と年齢に重点をおいた王権継承原理が整えられていった。これが大化改新当時の七世紀の現状だった。したがってこの時期に十代後半だった中大兄皇子に王権継承資格があったとは到底考えられないというのが著者の結論である。

 正直いって驚いた。現在の「直系男子の長子による皇位継承」が古来からのごく当たり前の皇位継承原理のように受けとめていた。そうした原理が確立するまでには支配層内部の葛藤と人民支配システムの変貌などの推移があったことを学術的に解き明かされていた。「王権の世代内継承という原則」のもとでの「乙巳の変(大化改新)」だったのだ。著者の指摘は十分納得性があると受けとめた。
 第Ⅰ章ではこのほか、「蘇我氏が王権を簒奪しようと企てた」という「乙巳の変」(蘇我蝦夷・入鹿殺害のクーデター)の大義についても疑問を呈している。蘇我氏は、あくまで王権に依存・寄生する存在として生まれたことを学術的に検証し、王権の存在の否定は蘇我氏自身の自己否定につながるものだというわけである。
 久々に知的好奇心をいっぱい満たされた書籍に出合った。