三期目の大阪府労働委員会委員任命式2012年03月01日

 朝10時前に大阪天満橋の「大阪府公館」に着いた。歴史的建造物として話題の府庁本館に隣接した建物である。大正13年(1924)竣工の建物は府庁本館と異なり改装改修を重ね竣工当時の面影は見られない。
 4年前に府庁本館で行われた大阪府労働委員会委員任命式で就任直後の橋下府知事から初めて辞令を交付された。交付後の知事挨拶は緊張気味ながら原稿なしの自前の簡潔なスピーチだった。その2年後の挨拶は2年間の実績を背景に独自の雇用統計の着手に触れるなど自信に満ちたものだった。
 過去2回のそんな経験を思い出しながら、松井新任知事の挨拶を注目した。メディアのイメージ以上に小柄な印象の松井知事の姿が会場に登場した。交付後の挨拶は事務方が用意したとおぼしき原稿の緊張気味な通読に終始した。
 折しも知事の盟友・橋下大阪市長による職員アンケートが、辞令を交付している大阪府労働委員会によって調査続行の停止を勧告されたばかりである。それだけに不用意な発言を慎まねばという思惑があったのかもしれない。それでも渦中の委員会メンバ-に政治家として自身の言葉で語ってほしかったとの想いは拭えない。「円滑な労使関係づくりに寄与していただきたい」という結びの言葉に終了後同僚委員の一人が、「ぜひその言葉を大阪市長に言ってほしい」と、笑えないジョークを口にした。

和ローソク作りの体験プログラム2012年03月02日

 昨日の午後、『西宮まちなかボランティアガイド養成講座』の最終回の帯剣プログラムを受講した。会場は今津町の阪神久寿川駅前にある和ローソクの松本商店だった。
 9人の受講生に事務局を入れて15名位が松本商店の小さなお店に集合した。最初に三代目社長から和ローソク全般の解説を聴いた。原料が木蝋(もくろう)であるハゼの木の実の油であることを初めて知った。石油の精製品のパラフィンを原料とするである洋ローソクとの基本的な違いである。江戸時代に最盛期だった和ローソクづくりは今や全国で30軒にまで落ち込んでいるという。そのうち10軒は後継者難でまもなく廃業予定という。伝統産業の衰退の現実である。それでも山口の竹細工や船坂の寒天づくりの消滅の現実からすればこのお店の頑張りに頭が下がる。
 場所を製造現場に移して体験実習となる。最初は紙芯作りだ。竹ひごに厚めの短冊状の和紙を巻き更に薄い和紙をらせん状に巻いて作る。結構これが難しい。後で分かったが、この紙芯の先端をいかに細く尖らせておくかがポイントだった。この紙芯の回りに道具で蠟を塗る作業工程となる。更にそれに別の蠟を左右の手のバランスを取りながら塗り固める工程を体験した。最後は出来上った蝋燭に絵付けをする。各自がおもいおもいにサンプルの絵を参考に細い絵筆で色塗りをする。それぞれの工程では社長や奥さん、従業員の皆さんが懇切に指導してもらった。
 2時~5時までの体験実習だった。産業としては山口の竹細工は消滅したが、その技術の伝承者は尚健在である。仮に山口での竹細工の体験プログラムを検討するとすれば今回の体験は貴重なノウハウを提供してくれるにちがいない。

「山口の昔の写真展」の反響2012年03月03日

 忙しい一週間だった。本格的に関わった山口フォトコンテストだったのに、最終日の昨日の夕方ようやく見に行くことができた。会場には観客の姿はなく顔見知りのホールスタッフだけが受付している。
 中心になって手掛けた「山口の昔の写真展」の評判が気になった。「行事&イベント」「学校行事&出来事」「風景&風物」「旧国鉄有馬線」「昔の上山口の夫婦松」と分類したジャンルに36点の写真とコピープリントの「昔の公智神社絵図」を展示した。
 スタッフに聞くとかなりの反応があったようだ。とりわけ山口の旧地区の年配の方々の反響は大きかったようだ。集合写真には亡くなった知人やご本人の若かりし頃の姿がある。「○○さんやッ」とか「よくこんな写真が残ってたね~」とかの話し声がしばしば聞かれたという。中には「この写真のコメントは間違っている。正しくはこうや」とその場で手書きで修正されようとするお年寄りもあって慌ててスタッフが処理したとか。実際にその写真の現場にいた方のようだ。一度見た人の口コミで来館された方も多いようですとのこと。公智神社の絵図に対する反応も良く熱心に写真に納める観客の姿が見られたという情報もあった。
 かえすがえすももっと多く現場にいたかったという想いが募った。反応を実際に見ておきたかったし、写真の云われについての意見交換もしたかった。できれば昔の写真がアルバムに残っていないかも訊ねたかった。「昔の写真をお持ちの方はお知らせ下さい」とのお願いポスターにはひとりだけ氏名・連絡先記名の反応が答があった。
 ともあれ初めての「山口の昔の写真展」はまずまずの反応とフォトコンテストの客層とは異なる年配の客層の動員に貢献したと自賛した。

山口フォトコンテスト表彰式2012年03月04日

 山口フォトコンテスト表彰式の日である。1時過ぎに会場の山口ホールに着いた。山口ホール運営委員、フォトコンテスト実行員会メンバーなどの関係者たちの手で2時からの表彰式の準備が整えられていた。開会式までの時間を久々に顔を合わせた知人たちと「昔の写真」を話題に懇談して過ごした。
 表彰式が始まった。実行委員会会長の挨拶で今回のコンテストに52名から90点の応募があったことを知った。表彰状授与になった。特賞、入選(3賞)、各種団体・法人の5賞、奨励賞(6賞)と続き、最後に「みんなで選んだ賞」が発表された。来場者に1枚ずつ渡された投票用紙307票中20票を集めた作品だ。奨励賞以降は『西宮まちたび博キャラクターみやたん』がプレゼンテーターとして登場して会場を沸かせた。第2部に移る前に受賞者たちはみやたんと一緒に記念写真に納まった。
 第2部は「山口子ども太鼓”祭”の迫力のある演奏だった。20人ほどの子どもたちが力一杯にひたむきに打ち鳴らす太鼓の響きがホールを圧した。演奏直後の子どもたちの吐息の激しさが胸を打った。
 今年も無事にフォトコンテストが終了した。さすがに来場者は345人と初回よりは少なかったもののこの町のイベントとして着実に定着しつつあることを実感した。併設して開催された「山口の昔の写真展」の主要な役割を担ったこともあり個人的にも想い入れの深いイベントとなった。

生真面目さからの卒業2012年03月05日

 朝から大粒の雨音が強い風に吹かれて窓を叩いている。いつもならこの程度でも傘をさしてウォーキングに出かける。リタイヤ以降、欠かすことのない日課である。安易な妥協がズルズルと生活スタイルを崩してしまうという頑なさがある。自分の中にあるそんな過剰な生真面目さにもうすうす気づいている。
 四日ほど前から咳鼻水と声が出ないという風邪症状に見舞われた。かかりつけの内科医院で診てもらったが、劇団後援会や県民広場三役会や約束していた地元知人との懇親、フォトコンテスト表彰式などを休むわけにはいかなかった。無理をして出かけたつけが、風邪をすっかりこじらせ体内に居座らせたようだ。
 朝からの風雨と風邪の前にとうとうウォーキングを断念した。今日の午後からの市役所別館での民生委員中堅研修も欠席した。生真面目さや生活スタイルへのこだわりもそろそろ卒業だ。心身の衰えと折り合いをつけながら適度な自堕落も受け入れる「老後スタイル」こそ適っていると腹を決めた。

早朝ウォーキングは苦痛でなく愉しみだった2012年03月06日

 昨日の万歩計は、1900歩と5年前の大手術の翌日以来の記録的な低カウント数だった。一夜明けて今朝、曇り空ながら雨は止んでいた。風邪もようやく峠を越えて納まりつつある。こうなるとやっぱりウォーキングに出かけてしまう。
 厚手のジャケットを薄手のジャンパーに替えた。雲がどんより立ち込めた低い空だった。いつのまにか厳冬の時期は過ぎ去り、初春の暖かさを感じながら歩いていた。「ケキョ、ケキョ」と若い鶯が不器用に鳴き声を練習していた。
 天上橋まで来たら六甲の山並みの裾を雲海が這っていた。その風景を納めようと有馬川沿いを東に向かった。国道176号に架かる歩道橋から畑山、丸山を望んだ。畑山を雲海の綿雲が包みパラボラアンテナが霞んで見えた。デジカメのズームを30倍まで目いっぱい広げてパラボラアンテナを切り取った。
 季節の血移ろいを肌で感じながら散歩後の心地良いけだるさに包まれてマックのコーヒーを味わった。今更ながら早朝ウォーキングは苦痛でなく愉しみだったと思い知った。そのためにも「御身大切」を心掛けねばなるまい。

旧地区自治会長さんたちとの吞み会2012年03月07日

 先日、旧山口地区の自治会長さんお二人と懇親した。会場は例によって鳥進だった。三人とも山口ホール運営委員でもあり、年齢的にも私を挟んで上下1歳ずつの違いという同年代である。夕方5時から8時半までたっぷり呑んでたっぷり喋った。
 一足先にスタートした県民交流広場の状況をお二人に話したり、山口ホール運営委員会の在り方について意見交換したり、ミュージカル劇団の今後の取組みと支援のお願いをしたりした。山口でのボランティアガイドの立上げなども話題にのぼったりして、あっという間に時間が過ぎた。
 煎じつめればどのようにすればもっと良い町づくりにつながるかということでもある。想いは共通するものがあっても、それぞれに背負っているものの違いはある。旧地区の皆さんには農村共同体的な伝統やしきたりや風習を引継ぎ繋いでいく使命がある。地区の自治会長とはそうした役割の代表者でもある。自治会長ポストについて回る役職も少なくない。そうしたものをこなしながらの日々の活動である。ともすれば新たな取り組みに前向きになれない背景がある。
 他方、新興住宅街の自治会の山口という地域全体に対する活動は通常極めて不十分である。毎年、役員は一斉入替えとなり、地域全体の活動や行事に対する取り組みは旧地区に比べて格段に劣る。新興住宅街には各地から終の棲家を求めて移住した世帯の集合体という特性もある。様々な分野の業務経験や知識技能を蓄えた人材が少なくない。町づくりなどの地域全体の活動分野にそうした経験・知識・技能を活かして参画してもらえれば心強い戦力になってもらえる筈である。問題はそうした個人レベルの参画の環境やネットワークが整っていないことだ。
 新旧それぞれの地区の強みと弱みをカバーし合いながらどうすれば強力な連携が可能だろうか。そんなことを考えさせられた楽しくて有意義な吞み会だった。

劇団後援会の次の一手2012年03月08日

 ミュージカル劇団『希望』の旗揚げ公演が盛況のうちに終了した。高井劇団代表は高齢ながら意気盛んである。早くも地元ゆかりの古代の人物をテーマに創作ミュージカルの構想に着手された。
 劇団後援会としてもその構想実現に向けた支援態勢が必要だ。当面、4月14日の後援会第二回定期総会とセットで創作ミュージカル実現に向けたシンポジュウムの開催を決定した。テーマは「町づくりとミュージカル」である。
 そんなわけで2月から毎週のように後援会役員会を開催している。事務局を担当する立場で実務処理にあたふたしている。一緒に実務を担当していたパートナーの難病罹患が判明し、繁忙さに拍車がかかった。反面、三歳若い実務にたけた新メンバーが加わった。高井代表と一緒に行政等の折衝を担当してもらっている。「禍福は糾える縄の如し」。
 今日も午後の後援会役員会を終え、実務処理が待っていた。

「山口の朝6時のサイレン」顛末記2012年03月09日

 午後、民生委員の定例会があった。終了間際に、ある委員から発言があった。「山口センター屋上から鳴らされる朝6時のサイレンについて、センター近くの住民から苦情があった。早朝のあの強烈な音で眠りを破られるという声だ。あるお宅ではフランス人の奥さんがあのサイレンに怯えて外出できなくなったという苦情もある。支所で何とかできないか」。
 確かに物議をかもしかねない朝6時のサイレンである。以前、このブログでも取上げた。http://ahidaka.asablo.jp/blog/2010/07/06/5202560 このご時世によくぞあんなサイレンがまかり通っているナと思った反面、農耕社会の風習を残したその牧歌的な音響にある種の郷愁を覚えたのも事実である。
 同席の市役所支所長から次のような答弁があった。あのサイレンは旧山口村と西宮市が合併した時から申合せで継承されていると聞いている。農耕社会に深く関わる風習のひとつのようだが、近年新興住宅街を中心に苦情が多く、健康被害まで訴えられるに及んで、支所としても旧地区の自治会連合会に朝6時のサイレンの中止を申し入れた。連合会としても賛否両論の議論があったようだが4月1日以降、早朝6時のサイレンは中止することになったようだ。
 都市部では許容範囲を超えた想像外の大音響にちがいない。しかもそれが公共施設から発せられていたのだ。その意味では確かに、来るべきものが来たということだろう。ただ正午と夕方5時のサイレンは残されるようだ。とはいえ古くからの風習のひとつが消えることの一抹の寂しさを覚えるといえば、音響被害の埒外に住む身の無責任さと返されるだろうか。

歴史調査団の締めくくり2012年03月10日

 歴史調査団の最後の活動の日だった。朝9時30分から市立郷土資料館2階講座室で「平成23年度 活動報告会・登録会」が始まった。調査団長による「今年度の調査団全般の活動報告」があり、続いて今回初めて刊行された調査団報告書第一集「甲山八十八ヶ所」の紹介があった。その後、メインとなる橋梁班、石造物各班の活動報告があった。
 石造物グループの二番目が私が担当した木曜班の「公智神社の石造物調査」の報告だった。配布資料はパワーポイントで作成した6シートを2頁にまとめて事前に事務局に送信していた。各班7分前後の持ち時間だった。表紙と見取図を除けば実質4シートの説明である。それまで時間オーバー気味に流れていた。所定時間内を心掛けながら「木曜班の取組み概要」「公智神社プロフィール」「代表的な石造物」「裏山の卵塔場」の4シートを解説した。話しだすと夢中になってタイムキープがおろそかになる。所定時間をオーバーしたかもしれないと悔いながら「個人的にも貴重で新たな活動分野を体験できました」と結んで報告を終えた。
 午後一番に自治会関係の会議が入っていた。阪急夙川駅バス停11時20分発のさくらやまなみバスに乗車しなければならない。全報告終了を待たずに11時前に会場を後にした。報告会後に平成24年度団員登録会が予定されている。木曜班のお二人をはじめ団員の多くが引き続き団員登録をされることだろう。残念だが今の私にはその余力がない。この一年で多くの活動分野に手を広げた。いつか今回手がけた活動の成果が冊子になって発行されるようだ。それを楽しみに調査団の活動を締めくくった。