五輪観戦・・・4年前との落差2012年08月14日

 ロンドン五輪が終わった。日本のメダル獲得総数は史上最多だった。にもかかわらず何故か心に沁みる感動が少なかったように思う。4年前の北京五輪のブログ記事を読み返してみた。
 開会式の異常さを綴った「中国という商品の壮大なコマーシャル映像」。http://ahidaka.asablo.jp/blog/2008/08/08/3678758 世界ランキング1位の中国ペアを下したバトミントンの末綱・前田組の快挙「バトミントン女子ダブルスでの溜飲の下がる快挙」。http://ahidaka.asablo.jp/blog/2008/08/11/3686050 男子陸上110m障害予選の中国のヒーロー劉翔の棄権を扱った「異常な社会の捨て身の行動」。http://ahidaka.asablo.jp/blog/2008/08/19/3699543 五輪女子ソフトボール3位決定戦の日本とオーストラリアの「死闘」。http://ahidaka.asablo.jp/blog/2008/08/20/3701065 「宴が終わった」閉会式の模様。http://ahidaka.asablo.jp/blog/2008/08/24/3709745 なんと5本もの記事を書いている。それぞれにインパクトのある出来事をそれなりに感動を籠めて伝えている。
 今回は「ロンドン五輪開会式---ありのままの英国の歴史---」の一本だけだ。http://ahidaka.asablo.jp/blog/2012/07/28/6524540 この違いは何だろうと考えてみた。ひとつは五輪の観戦時間の違いがある。リタイヤ直後の4年前は、民生委員も労働委員会委員も就任直後で地域活動の広がりもなかった。おかげで思う存分テレビ観戦を愉しんでいた。4年後の今回は地域活動や労働委員会関係の会議や資料把握に結構追われるようになった。自ずと観戦時間は限られた。今ひとつは記事にしようというドラマチックな試合展開や出来事が、北京に比べ少なかったということかもしれない。こちらは多分に感受性の違いによる。感受性は人生を長く過ごすほどにすり減っているのではないかという不安がよぎる。
 4年後のリオ五輪の時には歳相応に役職や活動分野も整理されされ、今回以上にたっぷり観戦時間があるにちがいない。そして感受性のすり減り具合は一層進んでいることを密かに恐れている。