再放送ドラマ「ずっと逢いたかった」2012年08月15日

 8月15日、太平洋戦争の終戦の日である。息子夫婦は朝から友人たちとの会合にでかけ、家内は友人とショッピングだ。67年後の終戦の日、誰もいない自宅で、記念番組を観た。7年前に放映されたドラマ「ずっと逢いたかった」である。終戦の日にふさわしい素晴らしいドラマだった。

 松本幸四郎扮する主人公・村川が、10年前に幸せだった家族と一緒に海で拾った一通の手紙を宛先に届ける旅に出る。自身はリストラにあい、妻とは心が通わず、ひきこもりのひとり息子からは拒絶されている。そんな環境だからこそ、手紙を届けることで、これまでとこれからの人生を、見つめ直そうと旅に出る。
 手紙は太平洋戦争末期にレイテ沖の海戦で散った海軍士官から出征前日に挙式した新妻に宛てたものだった。宛名の「雪子」を訪ねて、奈良・橿原神宮、京都、大阪・十三、広島・呉、兵庫・明石と旅は続く。その過程で差出人・鳴海勝一と妻・雪子の戦争によって結ばれ、戦争で引き裂かれた「愛」が浮かびあがる。村川が最後に訪ねあてた明石の病院で、勝一を待ち続けて生きてきた雪子は瀕死の床についていた。雪子は、村川から手紙に同封された指輪を嵌めてもらい、「お帰りなさい」と呟いて息を引き取る。
 村川は旅を終えて帰宅する。玄関を開けて「ただいま」と声をかける村川に、妻と息子は「おかえり」という思いもよらぬ明るい声で迎える。これが印象的なラストシーンだった。

 戦争という過酷な現実は、それ自体が残酷で不幸な出来事である。反面、その過酷な現実ゆえに輝いた命もあったし、生きることそのものが貴重で尊いことだった。翻って豊かで平和な現代にも、リストラや引きこもりやDVといった過酷な現実が押し寄せる。病んだ精神を抱えながら人々はさまよい、生きることの意味を自問する。ドラマの中で語られた「生きていること、それだけで勝利者である」ということがひとつの回答なのだろうか。