映画「ライフ・オブ・パイ--トラと漂流した227日--」2013年02月14日

 昨年の夏に、我が家に3D機能付46型液晶テレビとディスクレコーダーが導入された。以来、DVDレンタルやテレビの映画番組や録画を観ることが多くなり映画館から足が遠のいた。ところが昨日の午前中、労働委員会の斡旋を終えてから夕方5時の定例会までポッカリ空白時間ができた。そこで久しぶりに映画館に足を運んだ。どうせなら映画館ならではの作品を観たいということで選択したのが「ライフ・オブ・パイ トラと漂流した227日」だった。3Dの美しい映像を迫力ある大画面で堪能できるという期待があった。
 結論から言うと「期待外れ」の感が拭えなかった。様々な要因があるが、上映館のTOHOシネマズ梅田のスクリーンが小さかった点が大きい。封切り後20日以上経過し小型スクリーンでの上映に移行していたためだ。最後部の座席だったこともあり、3Dの迫力が減殺された。次にストーリー展開での共感に乏しかった。「トラと漂流した227日」という衝撃的なプロットをどのように映像作品化するかは脚本家の領分なのだろうが、物語性としては単調に過ぎドラマ性に欠けた。テーマ性についても宗教的な問いかけや野生との共存などが提示されるが、いずれも表面的で心の襞に沁みるものは希薄である。とはいえ、映像美だけは文句なしに愉しめた。とりわけさまざまに変化する大海原の映像は3D効果をいかんなく発揮し迫力に満ちたものだった。もうひとりの主人公ともいうべきベンガル虎・リチャード・パーカーの堂々たる媚びない演技(?)もまた秀逸だった。
 結局、この作品を通じてあらためて痛感したのは、映画は総合芸術だという点だった。観客が対面するスクリーンのサイズは映画の作り手には無縁の世界である。それでも観る側はそれすらも作品の評価に込めてしまうものだ。原作、脚本、監督、カメラマン、俳優、CG技術、道具や美術、衣装、上映環境など様々な人々が織りなす総合芸術としての映画作品を鑑賞する自身の総合力もまた試されている。

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