北重人「夜明けの橋」2013年03月13日

 北重人の「夜明けの橋」を読んだ。5編の作品を納めた短編時代小説集である。いずれも江戸幕府の開府間もない時期の江戸を舞台としている。開府間もない活気に満ちた江戸の息吹が伝わる背景描写の巧みな作品集でもある。
 一級建築士にして都市計画のコンサルタントであった作者の、江戸という徳川新政権の首都建設という観点からの関心が作品の底流に流れている。戦国の世から江戸開府に至る過程での武将たちの生き残り方や、武家から商人への転身の姿や、日本橋架橋工事や、開府当時の治安態勢などが題材として取り上げられる。各作品を通して江戸の町づくりの様が自ずと浮かんでくる。
 最も印象的な作品は「伊勢町三浦屋」だった。主人公・三浦屋五郎佐衛門はかって北条氏に仕えた武士だった。「慶長見聞集」を残した実在の人物と伝えられる五郎佐衛門は、ものを書き記すことに無上の喜びを覚えている。「商いが立ちいかなくなり店が潰れても、銭金すべてを失っても、おれは死ぬことはなかろう。だが、ものを書くすべを失えば、おれはもはや生きる屍かもしれない」という五郎佐衛門の呟きは、作者・北重人その人の心境にみえる。
 別の文庫本の解説で、作家・伊集院静が書いていた。「氏は十七歳で上京し建築を学び、一級建築士の資格を取得し、やがて仲間と独立して会社を起し、三十年にわたって仕事をなす。(略)ところがバブル期を境に仕事は減り、今で言うリストラを育てた社員に申し渡さなくてはならなくなる。不眠の夜が続いた。そんな夜半、自室でワープロを目にして、学生時代に一度、志した小説を書くことをはじめる」。
 北重人という作家の遍歴と五郎佐衛門が見事に重なっている。書くという営みの物狂おしさが伝わってくる。50を前にして小説を書きはじめ、61歳で死を迎えた人である。「商いが立ちいかなくなり」、ようやく「ものを書くすべ」を手にした人が、わずか10年でそれを失った。書くという営みに多少なりとも関心を持つだけに、作家・北重人のその無念さは推察するに余りある。