土筆の油炒めを食べそこなった2013年04月11日

 今朝の散歩道でふと思いついて住宅街ふもとの田圃まわりの畦道に足を伸ばした。今年は毎年味わっている土筆の油炒めをまだ食べていないと気づいたからだ。例年、土筆が群生しているスポットにやってきた。目に留まる筈の土筆たちの姿が見えない。やせ細った土筆がパラパラと目に入るばかりだ。日当たりの悪い斜面の下の方でようやく群生している土筆たちを見つけた。胞子は既に開いて先の方から茶色に染まっている。コクのある苦味をもたらす若々しい緑の胞子はどこにもない。旬を過ぎ去って枯れた装いの土筆たちを眺めは、油炒めの食材入手の困難さを伝えていた。
 このところ慌ただしい毎日を送っている。気にかかるいくつかの問題も抱えていた。そんなゆとりのなさが四季折々の旬を愉しむ気持のゆとりも奪っていた。リタイヤ後数年を経て、多くの人たちと交わりを深め、様々な地域活動に手を広げている。そのツケを支払わされていることを思い知らされた。旬を過ぎた土筆を眺めながら、そんな自戒の念がよぎった。