久々の散歩道の風景2013年07月01日

 北欧の旅から戻って2週間が経過した。10日間の空白が、関係する組織の山積みの業務をもたらしていた。7月20日のミュージカル劇団の「有間皇子フェスティバル」の対応、社協の安心キット導入準備会のレジュメ作成、社協広報誌の作成と印刷、県民広場地域行事カレンダーの作成、労働委員会の調査・審問の出席などである。何よりも10日間の北欧の旅のブログ更新は記憶の新鮮なうちに執筆を済ませなければならなかった。
 2週間を経てようやく落ち着いてきた。この間朝の散歩を欠かしたわけではない。北欧フィヨルドの絶景には及びもつかないが、いかにも郷愁を誘う日本の散歩道の原風景にあらためて癒されたものだ。
 今朝も6時過ぎから歩いた。名来神社北側の有間川土手道では真夏の装いでさくら並木が迎えてくれる。濃い緑の葉っぱに覆われたさくらの木々が土手道に屋根のようにかぶさっている。むせ返るような匂いすら漂ってくる。これがわが町の風景だ。
 住宅街に戻ってきた。高台のさくら並木の合間から貸農園横の歩道が見える。ご近所のご主人が愛犬「ゴンタ」を連れて散歩している姿が目に留まった。尻尾を振りながらリールをピント張りつめて引っ張るゴンタの姿が隠せない嬉しさを物語っている。これもまたわが町の風景だ。

豊田有恒著「大友の皇子東下り」「長屋王牡牛事件」2013年07月02日

 この一か月半ばかり書評を更新していない。読書をしなかったわけではない。むしろ10日間のツアーの道中ではたっぷりある余白時間を読書に充て、4冊ばかり読了した。そのすべてが豊田有恒著作の古代史をテーマとしたものだ。永かった旅行記を終えて、その書評を更新することにした。4冊をジャンル別に2冊ずつに分けて更新する。最初の2冊は、それぞれ古代の歴史上の人物をテーマとした歴史小説である。
 「大友の皇子東下り」は、672年の壬申の乱で戦死したとされる天智天皇の皇太子・大友皇子が主人公である。壬申の乱は天智天皇の弟である大海人皇子(天武天皇)と大友皇子との王位継承戦争である。解説で「壬申の乱は、天皇家内部の叔父・甥の争いであり、戦前には旧制高等学校・大学に進むまでは教えられなかった」という指摘は興味深かった。そんなテーマに作者は大胆な仮説で挑んでいる。天皇の弟とされている天武帝についてのユニークな解釈や、大友皇子の死の謎についての独創的な解釈である。
 「長屋王横死事件」は、時代が下って729年の天武天皇の孫・長屋王の死を巡る事件の謎に挑んだ物語である。当時、政権の実質的なリーダーだった長屋王が、対立する藤原不比等の4人の息子たちによって仕組まれた陰謀で死に追いやられた事件だった。この事件の全貌を残された資料の詳細な読込みのもとに物語として描いたものである。
 両作品とも古代史を興味深く眺める上では、いい読書だったとは思う。ただ読後感は、この作者の最高傑作と個人的に思っている「倭王の末裔」には遠く及ばない。あの作品のスケールの大きい構想と迫真のリアリティが感じられない。冒険譚風のこの作品にそれを望むこと自体が「ないものねだり」なのかもしれない。

リタイヤオヤジたちの居場所づくり2013年07月03日

 早朝散策を終えて、住宅街周辺の貸農園横に戻ってきた。ボランティア仲間の同世代の男性と出会った。すぐそばの貸農園での畑仕事を終えたところのようだ。挨拶を交わしてすれ違った直後に彼に声を掛けられた。手にしたビニール袋を差し出して「これ良かったら、貰ってくれませんか。毎日こればかりで食べきれませんので・・・」とのこと。袋には獲れたての大きなキュウリが数本入っていた。恐縮しながら受け取った。
 彼は、地域の二つのボランティア組織に属しそれぞれ重要な役職を担っている。他方でシルバー人材センターにも登録し、市の体育館の管理業務も定期的にこなしている。加えて趣味の畑仕事である。リタイヤ後、少なくとも三つの分野で居場所を確保している。
 この他、リタイヤオヤジたちの居場所としてはゴルフも根強い。市のカルチャー教室にせっせと通う人も結構いる。居場所とまでも言えないが朝晩の散歩を欠かさない人も多い。愛犬連れならなお楽しいだろう。ペットがリタイヤ後の支えになっている人も多いはずだ。
 半面で私も含めて60代で老人会に入るのには抵抗感が大きいようだ。自らを老人と受け止めて老人会のお世話になろうと決断?できるのは、やっぱり古希を迎えてからではなかろうか。
 問題はリタイヤしてから70代になるまでの居場所である。最近、同じ住宅街の60代男性の死亡の知らせを聞いた。早くにリタイヤし、とりたててすることもなく自宅に籠ることが多かったようだ。精神的にも不安定になり家族との会話も薄れ孤立化傾向にあったという。寂しい晩年だったのだろうと推測した。リタイヤオヤジたちの居場所づくりの大切さをあらためて痛感した。

カミガタのお笑い2013年07月04日

 1カ月半ぶりに近所の大衆理容で散髪をした。朝一番、開店と同時に入店して15分ほどであっという間に終わった。高齢者割引で950円の格安料金である。キャッチコピー風に言いえば「早い、安い、ソコソコ」ということになる。
 リタイヤして以来、散髪はもっぱら大衆リヨウをリヨウしている。そのわけはキャッチコピーそのものである。イラチな性分は、現役時代馴染みの理髪店の時間をかけた丁寧すぎる仕事ぶりに閉口していた。リタイヤ後の限られた収入では「安さ」も無視できない。現役ではないのだから仕上がりに執着は少ない。ソコソコでよい。第一、執着するほどの髪がない。大衆理容はリタイヤ世代のツヨ~イ味方である。今日も私の後から次々と年配のオジサンたちが詰めかけた。
 ところが大衆理容にも難点はある。馴染み客ともなれば数人いる理容師たちの腕や相性も分かってくる。できれば好みの理容師にお願いしたいところだが、大衆理容はそうはいかない。順番で割り振られる。過去何度か会話や仕上がりで痛い目にあったが、料金が文句を沈黙させた。
 今日の担当は前回と同じ新メンバーの若手だった。確かソコソコの仕上がりだった。「どうしましょう?」の問いかけに「角刈り位に思い切って短く刈り上げて!」と答えた。加齢に伴って髪型の選択肢はほとんどなくなる。薄くなり細くなった髪の毛は、髪型と呼べるようなシロモノを期待する方が無理というものである。後頭部のはげ具合をエレベーターの防犯鏡で発見して以来、ひたすら後ろ髪を最上部まで刈り上げるようリクエストしている。はげ自体はいかんともしがたい。いかにそれを目立たさないようにするかが唯一の方策である。ところで仕上がりは角刈りには程遠い。角を形作る豊富な固い髪の毛がない。まばらで柔らかい髪の毛しかないのだからそれ相応の仕上がりとなる。かくして丸刈りのてっぺんだけが幾分ふんわりした髪型が無事出来上がった。結構!結構!
 「上方のお笑い」ならぬ「髪型のお笑い」の自虐ネタの一席である。

山口公民館講座「名塩道路拡張工事の現状と予定」2013年07月05日

 久々に山口公民館講座を受講した。「名塩道路拡張工事の現状と予定」と題して国土交通省兵庫国道事務所調査課の東久保正徳という専門職の方の講演だった。
 山口町や塩瀬町の西宮北部在住者にとっては、山口と宝塚を結ぶ国道176号線(通称「名塩道路」)は、通勤・通学、生活道路として馴染み深く利用頻度の高い道路である。近年、沿道の宅地開発が急速に進むにつれ、朝夕の交通渋滞が深刻になり日常生活に及ぼす影響も大きくなってきた。名塩道路の拡張計画の事業化が決定されたのは今から28年前の昭和60年である。以来、工事は行われてはいるものの遅々として進まない。一部区間は供用されたものの渋滞解消には遠く及ばない。
 そんな状況下での今回の講座だった。会場の山口公民館には40数人の受講者が詰めかけ、関心の高さを窺わせた。「工事の現状と予定」についての話が約30分で終了した。事業計画の概要、事業の経緯や進捗、事業の整備効果、今年度の工事概要などである。とりたてて注目すべき内容はなかった。用地買収はほぼ完了したが一部残っている。赤坂付近の中国道の工事で地滑りが発生したため平行する名塩道でも追加の対策用地確保や工事が必要になった。武庫川河川工事との調整や名塩八幡トンネル等の工事絡みの遅れもある。財政逼迫という環境下での予算確保という難問もある。これらの工事遅延の背景が具体的に語られた点が目新しいといえようか。
 メインテーマを終え、質問時間が設けられた。早速、住民の最も知りたい質問が飛び出した。「結局、計画完了はがいつになるのか」。十分想定されたこの質問にも、回りくどい説明があったものの、重ねて尋ねられてようやく具体的なメドが漏らされた。「平成30年の完成に向けて何とかしたい」というものだった。
 15分ばかりの質疑の後は、「道路とは」とか「騒音対策」などのメインテーマを大きく外れた話に終始した。テーマがテーマだけに踏み込んだ話は期待する方が無理とはいえ、消化不良な講演だった感は否めない。

HP「北欧フィヨルドの旅」を更新した2013年07月06日

 リタイヤ後、旅行から帰宅した後、二度の旅行の感想やまとめを行うことにしている。ひとつは直後のブログによる旅行記の日々の執筆である。もうひとつは落ち着いた頃の、ブログ記事を本文にしたHPの更新である。一度の旅行を二度に渡って噛み締めることになる。一粒で三度美味しいキャラメルみたいなものだ。
 今日、三日前から取り掛かっていたHP「北欧フィヨルドの旅」 http://www.asahi-net.or.jp/~lu1a-hdk/tabi-hokuou.top.htm の更新をようやく終えた。結構骨の折れる作業だった。なにしろサイトページが12頁におよび、本文記事だけで原稿用紙40枚分である。この記事に沿って、旅行中に撮り貯めた940枚の画像を選択し、加工して各サイトに掲載する。掲載した画像は100枚を超えた。
 何のためにこれほどの労力をかけてHP更新に拘るのか?自分でもよくわからない。ただ、この営みが自分なりの日常生活のハリをつくり、認知症予防の一助になるだろうとは思う。将来、旅行に行けなくなる日も訪れる。そんな時、かって楽しんだ数々の旅の追憶をバーチャルに訪ねるのも悪くない。私が亡くなった後、家内が思い出の旅のネタにもなるだろう。そんなこんなの屁理屈をつけて今回も無事更新した。

バリバラ「障害と笑い どこまでOK?」2013年07月07日

 7月5日放映のNHKEテレのバリバラの録画を観た。「障害と笑い どこまでOK?」という挑戦的で意欲的な番組だった。玉木幸則(脳性麻痺)、大西瞳(義足のアスリート)、桂福点(全盲の落語家)という三人の障がい者レギュラー陣が、自身の障がいをネタに笑いを取ろうというトンデモナイ番組である。
 玉木幸則はプロの漫才師と組んで、早口言葉が得意と言って麻痺でろれつの回らないトークを披露する。大西瞳は義足を持ち上げて左右に動かす「ワイパ~ッ」、取り外して顔にあてて「ひとり膝枕~ッ」などと一発芸を披露する。桂福点は机に置いた義眼に向かって話しかけるひとりコントを演じる。
 大阪教育大学キャンパスで収録された番組は、百人の学生を視聴者にそれぞれの障がいいじりの芸を、「アリかナシか」の判定を求めるというものだ。玉木、桂の芸は概ね受け入れられたようだが、大西の芸は義足の取り外しという視覚的な衝撃度の大きさもあってかわずかながら「ナシ」が多数を占めた。個人的には本人の明るさとも相まって玉木の芸を屈託なく愉しめた。
 それにしても相変わらず凄い番組である。従来タブー視されてきたテーマを次々に取り上げ、意欲的に健常者と障がい者の壁を乗り越えるための問題提起をしている。
 私自身も6年前に病を得て右手親指を失った障がい者である。自分では自身の障がいをそれほど気にはしていない。むしろ意識的にそのことに触れないようにしてくれる周囲の気遣いに戸惑いがある。地元小学校で4年生を対象に授業をした経験がある。休憩中に目ざとく私の欠けた親指を見つけた子供たちは私の周りに寄って来て「先生!親指どないしたん?」「可哀そうにななあ~」と口々に言う。中には私の欠けた親指の根元を撫ぜてみる子もいたりする。その屈託のないあっけらかんとした振る舞いに救われた想いをした。これでいいのだ。授業再開後、右手を前に突き出して休憩中の出来事を話し、親指が欠けた事情を語った。
 世の中には多様なハンデキャップを持った人たちがいる。セクシャルマイノリティーなどの多様な生き方を選んだ人たちがいる。多様な価値観が存在する。そうした多様性をありのままに率直に認め合い受け入れることこそが、多様な存在が共存できる社会に欠かせない。

山口町の新しいレストラン「アンスリール」2013年07月08日

 兵庫トヨタのショールームにあったレストランが惜しまれながら今年3月に閉店した。家内に連れられて何度か行った店だった。その店の料理長が6月2日に山口町のマクドナルドのすぐ裏側に新たに自分の店「アンスリール」をオープンした。
 昨日、家内と一緒にそこで初めてランチした。同じ建物の2階は地域のボランティア仲間と何度か訪れたカラオケルームである。従って外観の見た目も含めて立地的にはあまりいい環境とは言えない。それでも入口の自動ドアを開けて店内に入ると、明るくて思った以上にゆったりしたスペースだった。
 家内は魚介のフライ盛り合わせの「特選シーフード御膳(¥1,280)」を注文したが、私は昼間のフライ物は少し重たい気がして「彩り野菜の炭火焼きふわとろオムライス(¥1,280)」を注文した。結果的のこれが正解だったようだ。
 最初に冷えたポタ-ジュとカルパッチョ風の前菜が運ばれた。シーフードと野菜の前菜には細い冷えたパスタが隠れていた。好み味のドレッシングとマッチした美味しい前菜だった。メインのオムライスはオムライスの上にタップリの過熱した野菜が乗っかっていた。ケチャップライスをフワトロの厚みのあるオムレツが包んでいる。その上をデミグラスソースがたっぷりかかっている。デミグラスソースの濃い目の味にふわふわ卵がよくなじんでいる。家内のシーフード御膳もアツアツフライで満足げだ。二人でいいランチをした。

真夏の散歩道二景2013年07月09日

 梅雨明け宣言の翌朝の早朝だった。4時過ぎに目が覚めた。二度寝をするかどうか逡巡の末、タオルケットをはねのけてベッドから降りた。5時過ぎには自宅を出て散歩道に向かった。快晴の真夏の早朝だった。日の出直後の空気は爽やかで幾分の冷気が感じられた。いつもより1時間は早い散歩道の贈り物だった。
 名来橋の先に竹藪の間を抜ける杣道がある。5年前の真夏の早朝に目にしたた光のマジックをカメラで捉えた場所だ。以来、真夏の早朝にはいつも気にかけながら歩いている。しかし二度とあのすばらしい景色を目にすることはなかった。それほどに景色と時間軸との希少な遭遇が生み出すマジックだった。
 そのスポットにやってきた。5年前ほどの鮮やかさはないが、昇ったばかりの朝日と竹藪が織りなす木漏れ日の美しい光景を再び捉えた。モニターチェックしながらデジカメの絞りを絞り込んだモードを選択した。
 突き当りを折り返した。有馬川の川床の敷石に3羽の鴨が戯れていた。石の上をトコトコと行ったり来たり・・・。その何とも愛らしい様子に思わずカメラを構えた。
 真夏の早朝の散歩道の二景をキャッチした。

BS歴史館「葛飾北斎 富士山を世界遺産にした男!?」2013年07月10日

 6月27日放映のBS歴史館「葛飾北斎 富士山を世界遺産にした男!?」の録画を観た。
前日に富士山が正式に世界遺産登録されたばかりだ。絶妙のタイミングでの放映だった。
  番組では浮世絵「冨嶽三十六景」で、富士山を世界に知らしめた男として葛飾北斎を紹介する。確かに葛飾北斎は私たちの理解を超えて当時の世界で最も有名な日本人だったようだ。ゴーギャン、マネ、ドガなどの印象派の画家たちに影響を与えた偉大な画家だった。
 番組は、北斎の成功の背景に当時の江戸の庶民文化を支えた浮世絵等の出版の隆盛を指摘し、寛政の改革で華美な作風を禁じられた時代背景に注目する。滝沢馬琴と組んだ戯作本の挿絵画家が北斎のデビューを飾った。北斎の描く動画的な躍動感溢れる北斎漫画こそがオランダ商人を経て西洋の画家たちの目に触れ絶賛された。
 一方、北斎は、オランダ人使節の逗留する神田の長崎屋に出入りする。そこで北斎は西洋画の技法を学び、西洋の絵具を手に入れる。彼の代表作「富嶽三十六景」の大胆な構図に西洋画の技法が取り入れられた。青い富士の鮮やかな色調をもたらしたのはベルリンブルーといわれる西洋塗料だった。250年前に生まれた葛飾北斎というひとりの日本人の世界に通じる仕事ぶりに焦点を当てた好番組だった。
 他方で、葛飾北斎の泥臭い人間性に焦点を当てた小説がある。藤沢周平描くところの「浮世絵師」という短編である。以前このブログでも書評を記した作品である。http://ahidaka.asablo.jp/blog/2012/09/24/