ヒヨドリに叩き起こされた2014年07月01日

 突然のけたたましい音に目を覚まされた。ピーピ-、ピーヨ、ピーヨと甲高い鳥の鳴き声だった。手許の目覚ましは未明の3時過ぎを表示していた。鳴き声の正体は、早朝ウォーキングでもよく耳にするヒヨドリだった。
 自然豊かな山口町の新興住宅地に移り住んで30年になる。リタイヤが近づいてきた50代後半頃から有馬川沿いの豊かな自然を味わいながら散策を愉しむようになった。リタイヤ後は1時間ばかりの早朝ウォーキングが日課になった。
 そんな暮らしの中で多くの野鳥や水鳥を目にし、その鳴き声に親しんだ。マガモ、サギ、セキレイ、カワセミ、カワウなどの水鳥や、ウグイス、メジロ、ムクドリ、ヒヨドリ、ヤマガラ、ツグミ、キジなどの野鳥である。
 姫路の比較的都会風の街並みの中で育った。田畑はあったが、子供の頃に目にした野鳥はスズメ、ツバメ、ヒバリ、カラス、トンビといったどこにでもいるような鳥たちばかりだったような気がする。それだけに山口に来て目にした野鳥たちは珍しくもあり貴重な光景に思えた。新しい鳥の発見に胸を躍らせ、デジカメに納めるのに躍起になった。
 眠りが浅くなる年代を迎えている。かけがえのない安眠を容赦なく奪ったヒヨドリの絶叫に一瞬苛立ちを覚えた。それでもそんなささいな苛立ちをはるかに上回る恵みを野鳥たちは与えてくれている・・・とすぐに思い返した。

有間皇子異聞⑤有間皇子に子どもがいた2014年07月02日

 6月28日開催の「有間皇子を訪ねる会」で私から「有間皇子の有馬郡の足跡」をテーマにプロジェクターによるプレゼンを行った。その中でも特に力が入ったのが「有間皇子には子どもがいた」という説の紹介だった。三田市在住の森脇 泉氏(三田古代学会)の「有間皇子には子供があり、道場町日下部にその所領があったのではないか」という以下の説である。

■江戸時代の著名な国学者・塙保己一編纂の『續群書類従 』という業者がある。その第172日下部系図には、有間皇子の直系の子どもとして養父郡大領(郡司)の表米(うわよね)の名が記されている。天智天皇の代に異賊が来襲した時、これを防ぐ為に大いに功績ありとして日下部の姓を賜って、朱雀元年(686)年3月15日卒とある。朝来郡久世田荘に表米大明神(ひょうまいだいみょうじん)として祀られているとも記されている。
■日下部表米は、現在の朝来市の竹田城祉の南東の麓にある表米神社に祀られ、日下部氏の始祖とされる人物である。
■三田と名来の中間に道場町日下部がある。金心寺が有間皇子の所領にあったとされることからも、日下部が有間皇子の子どもの所領であったとしても不思議はない。
■日下部隣接の名来は昔は千足村と呼ばれ、有馬皇子の母・小足媛ゆかりの地である。日下部表米が有間皇子の子どもとすれば、有間皇子の妃は生母ゆかりの名来や所領の日下部周辺の女性と考えられまいか。

ボランティア研修会「介護者の願い」2014年07月03日

 昨日の午前中、社協分区のボランティアセンター主催のボランティア研修会があった。ボランティアセンターは12人のボランティアコーディネーターで運営されている。今年からコーディネーターになった私も主催者の一員として初めて参加した。研修会はボランティア登録しているボランティアさん約70人を対象に年2回開催されている。コーディネーターを含め48人の参加者があった。
 今回の研修は、現在奥さんの介護を続けている介護者を講師とした「介護者の願い」がテーマの講演だった。実は講師は社協の前分区長で、永年に渡ってボランティア活動を続け90歳近い今も現役である。1時間ほどのお話には、介護者の立場になってみて理解できるようになったことを中心に、その立場にない地域の人たちとの認識のずれを少しでも埋めたという想いがこめられていた。
 奥さんを介護する側に回った時の戸惑いが率直に語られる。家事一切をこなさねばならなくなった高齢男子の日々の悪戦苦闘は明日の我が身かもしれない。介護に明け暮れる日々の葛藤や孤立の支えは地域との繋がりである。とりわけ介護する者同士でなければ分かり合えない分野がある。そのためにも地域で介護者の会を立ち上げたとのこと。
 講演の後、3グループに分かれて懇談の場が持たれた。私のグループでも参加者が自己紹介を兼ねて介護やボランティアについて自由に述べ合った。介護経験やボランティアセンターへの要望などが語られた。予定の20分をはるかに超える40分ほどの懇談の場だった。
 参加者の殆どは60代、70代の高齢世代である。カーボランティアや施設派遣のボランティアを黙々と続けてもらっている皆さんである。高齢化が一層進展する中でボランティアの需要もまた増えていく。ボランティアの高齢化と固定化も顕著で、需要にどこまで応えられるか懸念がある。人材の発掘に向けた取組みの必要性をあらためて考えさせられた研修会でもあった。

社協の会員会費って何だ!2014年07月04日

 昨日から社協分区の会員会費の徴収に回っている。分区全体の個人会員は469口(約23.5万円)の会費で昨年比64口の減少である。分区がカバーする世帯数は約3200世帯だから組織率は14%程度である。チラシの全戸配布による会員募集活動は毎年実施しているものの、本格的な会員獲得の取組みには至っていない。
 社協は、会費を納入することで会員に資格や権利の生じる通常の団体や法人ではない。組織の性格上、会費納入の有無にかかわらず地域住民が等しくサービスを受ける。会員会費は地域福祉の推進団体である社協を「お金」で支えるという「募金・寄附金」の要素が強い。
 約450世帯と思われる会員宅を役員が分担してお訪ねし更新をお願いしている。私の担当は12世帯で、どのお宅でも気持ち良く更新して頂いた。会員であることのメリットは特にない。強いて言えば「会員証」のシールをお渡しすること位である。それだけに機械的な会費更新のお願いに申し訳なさが先にたつ。どのお宅も古くからの会員で、どんな経過で会員になって頂いたか知らない。そんなことから今回の訪問では「会員になって頂いたきっかけ」をお訊ねした。
 「前の民生委員さんから声を掛けられて」とか「チラシをみて何もお手伝いできないのでせめてお金位をと思って」といった返事が返された。そこからさまざまに会話がつながった。「高齢化が進みますます社協の役割が重要になってきました」と言うと、我が意を得たりとばかりご近所の高齢化の進展や困り事のようすに花が咲いた。社協ボランティアの高齢化や固定化の現状もお話しし、ぜひ参加してほしいといった話にまで及んだ。
 超高齢化社会を迎えて、本格的な会員会費の拡大取組みが必要になってきた。地域の誰もが社協という組織を媒介としてつながり支え合う環境づくりが必要だ。同時に会員拡大や会費更新という機会は地域福祉の現状や在り方を口コミで意見交換できる場でもあるという実感を得た。

冷蔵庫の食材2014年07月05日

 今朝も5時前に起床した。ネットをチェックし、朝刊を読み、自分で用意した朝食を独りで食べてウォーキングにでかける。いつも通りの朝のルーティンである。朝食は前日の夕食の食材とか冷蔵庫のあり合わせの食材とかを卵であえて適当に作るのが常である。支度をしながらふと思い出したことがある。
 1年ほど前だっただろうか。労働委員会の委員懇親会での主婦の弁護士さんたち女性陣との会話だった。夫婦の家事分担の話題になり、思わず得意げに「食事の支度は自分でもやっている」と話した。すると「それはえらいけど、冷蔵庫にはいつも食材があるのが当たり前と思ってない?」と返された。言外に、その食材手配も主婦が買い物に行って揃えていることを忘れんといてという想いがこもっていた。忙しい弁護士稼業をこなしながらの買い物は彼女には一苦労なのだろう。
 確かに冷蔵庫の食材手当にまでは思いが及んでいなかった。調理しただけのことで家事分担しているというのも亭主族の勝手な思い込みに違いない。議会のセクハラヤジでオヤジたちのジェンダーのレベルの低さが問われている。ふと思った。自分はそんなことはないとほんとに言いきれるだろうか。

「ゼロ成長社会」にカジを切れ!2014年07月06日

 学生時代からの友人からメールを貰った。アベノミクスを読み解く上での情報「蜂谷隆ブログ」の水野和夫著「資本主義の終焉と歴史の危機」の書評の紹介だった。http://blog.livedoor.jp/tkhacchi/archives/38089809.html
 書評を読んで驚いた。「目から鱗」の想いがよぎった。アベノミクスを世をあげて歓迎している観がある。デフレ脱却と称して物価上昇を煽る政策はどこか違う、何かおかしいと思っても、なんとなく景気や雇用が回復しているかのような雰囲気の中で声にならない。そんな気分の中で目にした記事だった。以下、ポイントを紹介する。
・資本はフロンティアを広げながら利潤率を高め、自己増殖を推進していくものだが、BRICsなど新興国の登場で、そのフロンティアがなくなってきているので、行き詰まっている。ゼロ金利、ゼロ成長、ゼロインフレがこれを証明しているという。
・無理やり利潤を追求すれば、そのしわ寄せは格差や貧困という形をとって弱者に集中、しかも圧倒的多数の中間層が没落する形で現れる。人々を豊かにするための成長政策は、逆の結果を生むというのだ。アベノミクスなど世の中に蔓延する「成長教」に対して鋭く批判している。
・資本主義システムが終わりに近づいている今日、「脱成長モデル」の必要性を唱えている。「ゼロ金利、ゼロ成長、ゼロインフレ」が長く続く日本は、「定常状態」(「ゼロ成長社会」)に最も近いところにいる。このアドバンテージを生かして「ゼロ成長社会」にカジを切れと主張している。
・「より速く、より遠くへ、より合理的に」という近代資本主義を駆動させてきた理念もまた逆回転させ、「よりゆっくり、より近くへ、より曖昧に」と転じなければなりませんと述べている。
 著者の水野和夫氏 (日本大学教授・経済学) は、別の対談で以下のように発言している。
・今の日本に「成長」の余地はあるのでしょうか。(略)ほとんどの商品は、行き渡るところまで行き渡ってきています。「フロンティア」は残っていません。飽和状態の中で無理やり成長しようとすれば、バブルが生成されます。(バブルで)得をするのは、その間に稼いだ1%の富裕層です。たとえバブルが崩壊しても、公的資金で救済されるため、彼らの痛手は小さい。一方で何ら恩恵を受けていない中間層は、リストラされて職を失った上で、救済のための負担を強要されます。富裕層はまんまと逃げ切り、99%がバカを見る。それが「成長」の帰結です。
・投資が行き渡った現在、高度経済成長の再来は望めません。成長は近代の病気です。「頑張れば成長する」は幻影に過ぎない。取り憑(つ)かれるとひどい目に遭うのです。このままアベノミクスを続ければ、日本という国家も経済も立ち行かなくなるでしょうね。

 「定常状態」という言葉が気になりネット検索した。真っ先に引っかかったのが、広井良典『定常型社会―新しい「豊かさ」の構想』(岩波新書)という書籍だった。「定常型社会」とは「(経済)成長ということを絶対的な目標としなくとも十分な豊かさが実現されていく社会ということであり、ゼロ成長社会といってよい。著者は次のように語っている。
 『なぜ「定常型社会」なのか?基本的には、経済成長の究極の源泉である需要そのものが成熟ないし飽和状態に達しつつある、ということであるが、関連する重要な要因として次の2点がある。
 第一は、高齢化ないし少子化という動きと不可分のものとして、人口そのものが2007年をピ-クに減少に転じたということである。このこと自体、明治期以来わが国が百数十年ぶりに初めて経験する現象だ。 第二は、環境問題との関係である。資源や自然環境の有限性が自覚されるようになり、経済活動それ自体の持続性ということを考えても、経済の規模の「定常性」が“要請”されるようになった。 このように、定常型社会とは実は「高齢化社会」と「環境親和型社会」というふたつを結びつけるコンセプトでもある』

 久しぶりに知的好奇心に駆られた。紹介した二冊の書籍を読みたいという欲求がどこまで持続できるか分からないがノミネートしておく意味でもブログに綴った。

福寿会の公園清掃2014年07月07日

 小雨が降ったり止んだりする空の下を早朝散策から戻ってきたのは7時前だった。 自宅の前を素通りして最寄りの公園に向かった。所属する福寿会(老人会)のメンバーに今朝の7時から公園清掃の連絡があった。朝7時という時間帯がいかにも老人会らしい。この空模様では中止かもしれないと思いながら公園に足を踏み入れた。既に何人ものお年寄りたちが竹ぼうきやスコップゴテを手に作業中だった。
 今年の1月から福寿会に加入した。「この歳で老人会はまだ早い」と同年代の知人は言う。確かにその気分はないではない。しかし「還暦」という言葉を憮然として受け入れてから久しい。「古希」という言葉が迫ってきた。「古来稀なり」の年齢なのだ。立派なお年寄りというほかはない。
 福寿会加入後、様々な催しにも参加するようにしている。ここでは今のところ若手である。竹の熊手を使って落ち葉拾いに専念した。30分ばかり経って「そろそろしまいましょうか」と声がかかった。藤棚の下のベンチに総勢13人が集合した。ご婦人メンバーからお茶のペットボトルやクッキーが配られた。公園清掃は久しぶりだという。住宅街には丁目毎に5つの福寿会があり、今年の総会で連合会長以下大幅な役員交替があった。人事の刷新で新たな活動が着手されるのは世の常である。今日の公園清掃もその流れのひとつかもしれない。会長から年5-6回はこの清掃を続けたいとの意向が伝えられ解散した。

プロフェッショナル 仕事の流儀「コミュニティソーシャルワーカー勝部麗子」2014年07月08日

 昨晩10時放映のNHKプロフェッショナル 仕事の流儀「コミュニティソーシャルワーカー(CSW)勝部麗子」を観た。今春放映のNHKドラマ10「サイレント・プア」のモデルとなった人物である。「サイレントプア」は欠かさず観たしこのブログでも紹介した。http://ahidaka.asablo.jp/blog/2014/04/30/7298518 9回シリーズのドラマは各回ごとに具体的な事例に即した一話完結の物語だった。その事例もまたCSW勝部氏が実際に取り組んだ事例を題材にしたものと思われ、それだけに説得力のあるものだったとこの番組を通して理解した。 
 勝部氏は、大阪府の豊中市社会福祉協議会のCSWである。ゴミ屋敷、ひきこもり、ホームレス、そして孤独死・・・。社会の中の「声なき声」を地域の課題として捉え、住民とともに解決に取り組む地域福祉のプロフェッショナルだ。番組の中でポイントごとにハタと気づかされるメッセージが表示される。
 「あなたを気にしている人がここにいます」(「助けて」と声を上げられない人の閉ざされた心の扉を開き、信頼関係を築く第1歩として、勝部はメッセージを発信し続ける)
 「私たちは、諦めない」(勝部の信条は、目の前の困っている人から逃げないこと、そして、諦めないこと。既存の制度では救えない、“制度の狭間にある人たち”を支えるために、勝部はこの姿勢を崩さない。「人生を諦めかけた人より先に、私たちが諦めるわけにはいかない」と勝部は言う。常に相手を信じ、尊重し、寄り添い続ける)
 「住民力を生かす」(地域の課題を発見し、解決していくには、そこに住む住民の力が不可欠だと勝部は言う。豊中には、およそ8,000人のボランティアが登録。地域の困っている問題を他人ごとにせず、住民たちの力を持ち寄って解決していく仕組みがある。市の職員、福祉・介護などの専門職、民生委員が集まる『地域福祉ネットワーク会議』など。勝部は、「24時間365日、同じ地域で生活している住民の方々とCSWが連携していくことで、誰もが安心して暮らせる町が作られる」と言う)
 今、私たちの町でも社協分区を中心にした「地域ネットワーク会議」を立ち上げようとしている。個人的にも事務局としてその企画と実務を担うことになった。その矢先に観たこの番組である。貴重で示唆に富んだメッセージを受け止めると同時に、生半可な気持ちでは達成できない厳しさを教えられた。

10月の公民館講座資料づくりに着手した2014年07月09日

 10月7日(火)に山口公民館で山口風土記探訪講座を開講する。これまで4年間に渡って屋外散策講座を含めて9回開講した。第1回から第6回までは山口の自然、歴史、風物、旧街道をテーマに開講した。第7回と第8回では旧国鉄有馬線をテーマに座学と廃線跡を散策した。昨年の第9回は山口から一歩足を踏み出し、旧有馬郡の歴史や旧街道を紹介しながらその結びつきを語った。
 第10回目の今回は、有馬郡内の山口の隣町を「隣町風土記」と銘打って探訪しようと思う。その第一回目は山口の住民にとっても大阪、宝塚に向かう通過点として馴染み深い名塩である。11月8日(土)には名塩の屋外散策講座も予定している。
 名塩は市民ミュージカル劇団後援会役員の立場からもゆかりのある町となった。先月末に後援会主催で開催した「有間皇子を訪ねる会」にお誘いするため歴史のある郷土史研究グループ「名塩探史会」の例会を2度訪ねた。探史会発行の「名塩雑事記」を入手し、メンバーの江本さんの著作「名塩物語」も戴いた。「訪ねる会」には探史会の皆さんにも参加してもらった。
 資料づくりの手始めに、山下忠男先生の「町名と祭りの話--西宮の歴史と文化--」の「名塩編」を読んだ。山下先生は「有間皇子公演を成功させる会」の顧問にも就任して頂いている懇意な方である。「名塩編」では名塩の歴史や風物や歴史上の人物像がポイントを押さえてコンパクトに整理されていて大いに参考になった。
 講座開講まで4カ月ある。手許の資料を読み込みながらパワーポイントデータの作り込みというライフワークを愉しみたい。

団塊世代のインパクト2014年07月10日

 今再び団塊世代の去就が注目されている。第二次大戦終戦後の間もない頃に誕生したベビブーマーたちの突出した巨大人口が、その成長の節目節目で社会に大きなインパクトを与えてきた。
 小学時代は1クラス50~60人、1学年10クラス前後といったすし詰教育のもとで否応なく競争意識を煽られて育った。中学・高校を卒業して大都市に集団就職した地方出身者は「金の卵」と呼ばれて中小企業に雇われ日本の高度経済成長を支えた。15~20%と低進学率の中で大学に進学した者は、既存の社会体制に反発し学生運動に加わる者のも多く全共闘世代と呼ばれた。彼らが20代の頃にはファッション、ジーンズ、ミニスカート、フォークソングといった「若者文化」を創り出した。彼らの多くは恋愛結婚し団塊ジュニアと呼ばれる子供たちと家族をもった。親元から独立し核家族化する中で著しい住宅不足を招いた。大都市近郊には核家族向けの巨大住宅団地が造成され衛星都市が誕生した。40歳前後の働き盛りの年代でバブル景気を迎え、家庭を顧みない仕事人間としてしゃにむに働いた。その果てに「過労死」等の話題も提供した。団塊世代が一斉に60歳定年を迎える「2007年問題」は、マンパワー不足を回避するための65歳までの継続雇用制度導入で大きな問題とならなかった。以上が他世代以上に波乱に満ちた彼らが歩んだ人生の足跡である。
 その団塊世代が65歳を迎えいよいよリタイヤし高齢者の仲間入りをした。年金受給年齢となり膨大な人口が給付を受ける側に回ったのである。これを見越して年金額の給付削減と給付年齢の延長が実施され、消費税率も引上げられた。団塊世代はその巨大な人口故に社会保障分野でのインパクトははかりしれない。
 今、「2025年問題」が注目されている。http://ahidaka.asablo.jp/blog/2014/06/23/7351397 団塊世代が後期高齢者になった時、どのような地域の支え合いの環境が整えられているかが焦点である。そのためには彼らが元気な高齢者である今後10年間を、地域でいかに過ごすかが問われることになる。支える側のボランティアに関わり、支え合いの環境づくりにいかに尽力できるか。それは10年後、20年後の彼ら自身に降りかかる懸案である。仕事人間だった彼らは地域との関わりは極めて薄い。その故か地域ボランティアの分野で彼らの姿は稀である。既存組織が彼らをいかに地域活動に招き入れるかという課題も迫られている。