たこやき春道の謎解き2014年08月01日

 その不思議な店は早朝ウォーキングで時々歩くコースの途上にあった。国道176号線沿いの新明治橋の南東の袂の「たこやき」と赤字で大書した看板はいやでも目に留まった。小屋のような小さな店舗に不釣合いな大きな看板である。「たこやき」の文字の右側に「春道」と書かれた緑の文字があった。どうやら店名のようだ。「春道」は山口の歴史にゆかりの地名である。山口一帯は古来より有馬郡五郷のひとつ「春木郷」に属していた。春道は春木郷に至る道の呼称だったに違いない。すぐ近くの下山口会館北側の春道公園にその名残を残している。
 その店にまつわる二つの疑問がいつも気がかりだった。ひとつは、どう考えても儲かっているとは思えないこの小さな店をどんな人物がやっているのだろうということであり、今ひとつは春道という店名のゆわれは何だろうという点だった。
 一昨日の福寿会のバスツアーで、はからずも二つの謎の大筋が解けた。謎解き情報はバス車内で隣席だったご近所の知人からもたらされた。散歩好きで人つきあいの良い知人は無類のおしゃべり好きでもある。大勢いる散歩仲間から、たこやき春道の店主に関する情報を聞いていた。その店主が最近亡くなったという話題がきっかけだった。店主は山口郵便局南に在住の地元山口の地の人で、私と同年配だった。丸山詣でと郷土史に強い執着をお持ちだったようだ。丸山山頂の踏破では誰も及ばない位の実績保持者である。道すがら面識のできた人には山口の郷土史を熱く語ったという。郷土の歴史にも造詣が深かったのは間違いない。
 その店主が急な病に倒れ、店から救急車で運ばれた後、息を引き取られたのは最近のことだ。地元の旧家の生まれで、たこ焼き店は半ば道楽仕事だったのかもしれない。春道の店名も郷土史ゆかりの地名に由来しているに違いない。店の外壁には、今も赤い鳥居の丸山参道のクレヨン画が何枚も掲示されている。生前にはお会いする機会に恵まれなかったが、共通の関心事である山口の郷土史については大いに語り合えた方だと悔やまれた。

住宅街の喫茶店で初めての朝食2014年08月02日

 先日、住宅街の中にある「喫茶・花ことば」で社協分区の役員たちで懇親会を開催した。夕方6時頃から2時間ばかり、元ホテルの料理長だったマスターのご自慢の料理をビール片手に味わいながら歓談した。
 花ことばは、住宅街のほぼ中心に位置し、コミュニティセンターや自治会館のすぐそばにある。住宅地の開発時には30区画ほどの商業ゾーンとして計画された一角にある。商業ゾーン自体はその後のバブル崩壊などの景気の悪化で現在は約半数の営業が維持されているばかりである。花ことばは、今や住民が気軽に立ち寄って飲食できる貴重なコミュニティスペースと言える。
 同じ建物の地下にはかってはカラオケルームでもあったスペースが残されている。今でも事前に予約すれば飲食が可能とのことだ。超高齢社会を迎え、リタイヤした地域のオヤジたちの居場所づくりが欠かせない。地下スペースはその居場所の格好の候補地になりそうだ。
 今朝、そんな花ことばの朝食モーニングを、家内と一緒に初めて味わった。朝食を外食で済ますという家風のない我が家では椿事に属する。8時30分頃に店に入った。数人のお客さんが中央の円形テーブルで飲食中だった。テーブル席に運ばれた朝食に驚いた。コーヒー、野菜サラダ、ヨーグルト、トースト、スクランブル・エッグにデザートの桃と7品目もの品数である。それぞれに手作りの味わいに溢れている。これで500円なのだからかなりリーズナブルだ。
 これまで何度も足を運んでいる店である。自慢の料理とともに、マスターや奥さんの気さくで行き届いた人柄も廃業の続く商業ゾーンで今尚健在な理由なのだろう。何としてもこの町の気軽に立ち寄れるコミュニティスペースとして頑張ってほしい思った。

小雨の中の「絆まつり&たそがれコンサート」2014年08月03日

 昨日の夕方、生憎の小雨模様の中で山口町の「絆まつり&たそがれコンサート」が山口中央公園で決行された。山口中学校PTAと地域の二つの青愛協が主催の夏祭りイベントである。会場の出店ブースのテント前は色とりどりの雨傘で埋められていた。
 青愛協運営委員のひとりとして地区青愛協が出店する売店を手伝った。4時半頃から他の役員3人と中学生の派遣ボランティア二人と一緒に準備にかかった。運び込まれた5種類のおにぎり計150個をテーブルに並べた。昨年100個のおにぎりがあっという間に完売した反省から5割増しの仕入れとなった。何しろ缶入りのお茶をつけて1セット100円の破格の安さだ。それでも販売に昨年ほどの勢いはない。小雨の中の催しで参加者が去年に比べて少ないせいもある。「お茶付おにぎりが一個100円ッ!お買い得です!」と売り込んだ。何とか6時過ぎには完売した。
 公演中央では地元山口の伝統芸能・袖下踊りなどの演目が相次いだが、後半に予定されたたそがれコンサートは、公園に隣接する中学校の体育館に会場が移されることになった。さすがに楽器を使った演奏は雨の中では困難である。
 おにぎりの完売を見届けてお手伝いを終えた。6時半開始のたそがれコンサートはパスして帰宅した。

水野和夫著「資本主義の終焉と歴史の危機」(その1)2014年08月04日

 一カ月ほど前に、知人から紹介された水野和夫著「資本主義の終焉と歴史の危機」の書評を読んでその感想をこのブログで記事にした。http://ahidaka.asablo.jp/blog/2014/07/06/7381233 そしてすぐにこの著作ともう一冊の広井良典著『定常型社会―新しい「豊かさ」の構想』の2冊をネット購入した。
 その最初の一冊である水野氏の著作を読み終えた。衝撃的で途方もない著作だった。200頁余りの新書版だが、久々に知的興奮を呼び起こさせられた。まさしく「目から鱗」のインパクトがあった。
 市場経済至上主義の新自由主義的経済政策が国民生活を根底から脅かしている。財政再建、構造改革、規制緩和の名の下に従来辛うじて維持されてきた国民生活の各分野のセイフティネットが相次いで破綻しつつある。その大義名分は何よりも景気回復であり経済成長である。グローバル資本主義が席巻する世界市場の枠組みの下での経済成長の鍵は、日本企業の徹底した競争力強化である。労働市場の規制緩和、法人税引き下げ、原発再稼働をはじめとして、企業のコスト削減のための官民挙げての施策があらゆる分野で推し進められている。
 新自由主義の先鞭をつけた小泉改革がもたらした格差社会等の国民生活の荒廃を追い風に民主党政権が誕生した。期待された民主党政権は自らのお粗末な政権運営の故にわずか3年で崩壊した。その後を受けて登場した自公政権は、またしても亡霊のようにアベノミクスと称する新自由主義政策を掲げ、経済成長至上主義をひた走る。
 どこかおかしい。何かが間違っている。そう思ってはいても明快な答えは見つからない。アベノミクスや新自由主義的政策の本質的な問題点を糺し、それに代わるべき方向性の提示が求められている。それが見えないもどかしさだけが募っていた。そんな気分の中で読んだのがこの著作だった。それは、そのもどかしさを見事に払しょくしてくれた名著だった。一回の記事で到底その書評の全貌は語れない。以下、随時更新していこうと思う。

失くしたもの2014年08月05日

 我が家のリビングの壁の正面には自作のジャズメンのイラスト画が掛けられている。20歳前後の学生時代の作品である。黒のミューズコットン紙に白のポスターカラーで描いた全紙2枚分のかなり大きなイラストである。学生時代、モダン・ジャズにハマッていた時期がある。とりわけジョン・コルトレーンのサックスが好きだった。子供の頃から多少自信のあった絵心を頼りに色々試行錯誤しながら独自の手法で完成させたものだ。同じ手法で描いた数枚の作品を画像に取込んで個人HPにアップした。http://www.asahi-net.or.jp/~lu1a-hdk/jazz.htm
 イラストの下のリビングボードには、帆船模型がこれ見よがしに置いてある。この模型もまた30歳ころの思い出深い作品である。嫁いでいった娘との今となってはかけがえのない物語が込められている。http://www.asahi-net.or.jp/~lu1a-hdk/hune.htm
 二つの作品に共通するのは、老後のたっぷりある時間をつかって同様の作品作りを再現しようという夢が込められていたことだ。その夢ははかなく消えた。7年前に右手親指に皮膚癌を発症し、右手親指の切除と50日間の入院生活という代償を払って無事帰還した。転移の懸念がある5年間の経過観察期間も卒業した。今や満足すべき日常生活を愉しんでいる。とはいえリビングの二つの作品を目にするたびに、もはやかつての夢が再現できない現実を思い知らされる。大病で失くしたものは右手親指だけではなかった。

都会の喧騒の違和感2014年08月06日

 昨日朝、2カ月振りに大阪に出かけた。天王寺の大阪市大病院で半年に一回のCT検査を受けるためだ。7時15分発の早朝バスに乗車するのも何カ月振りだろう。西宮名塩駅からは満員に近い「痛(!)勤電車」に乗り込んだ。乗客たちと触れ合いながらの30分余りの吊革頼りの車内だった。梅田駅から乗車した地下鉄車内は一層苛酷だった。乗客同士の完全密着を強いられ吊革さえも掴めない。ラッシュ時の通勤電車はこれほど疎ましいものだったのか。そんな気分に浸されながら、あらためて完全リタイヤの身を思い知った。
 8時45分に病院に到着し、血液検査と胸部CT検査を済ませて9時半には病院を後にした。天王寺駅に向かう大通りを歩いた。見上げると「あべのハルカス」などの高層ビル群が迫ってくる。振り返れば5カ月の入院生活を過ごした市大病院の高層ビルが見える。親しんだはずの光景がやけに白々しい。
 通勤ラッシュや高層ビル群といった都会の喧騒に今や違和感を覚える身となっている。それだけ今の穏やかな老後生活が馴染んでいるのだろう。人の営みのあるがままの理(ことわり)を噛み締めた。

水野和夫著「資本主義の終焉と歴史の危機」(その2)2014年08月07日

 著者は、「資本主義は死期に近づいている」という。その証として先進各国の国債利回りが2%を下回り、短期金利が事実上ゼロ金利となっていることをあげる。資本主義とは資本の自己増殖のためのシステムである。その自己増殖の目安である利子率(=利潤率)が、日本では10年国債の利回りがほぼゼロの事態が20年近く続いている。英米独の国債利回りも超低金利現象を起こしている。つまり資本の自己増殖機能を実質的に喪失した現状を資本主義システムの死期の始まりと喝破する。
 資本主義を「資本の自己増殖システム」という捉え方に瞠目した。従来、社会主義の「計画経済」との対比で資本主義を「市場経済」という捉え方が一般的だったと思う。ソ連邦の瓦解やベルリンの壁崩壊、中国やベトナムの市場経済導入といった歴史的事象を受けて、市場経済(=資本主義)の正統性が歴史的に証明されたかにみえた。
 果たしてそうなのか?昨今のハゲタカファンド、バブル崩壊、格差社会、環境破壊、食品汚染等の資本主義経済下で引き起こされる危険で醜悪な事態の頻発は、資本主義経済そのものへの懸念を抱かせている。
 そうした懸念にこの著作は明快に「解」を提示する。以下は「第1章 資本主義の延命策でかえって苦しむアメリカ」の要約である。
 『資本主義は「中心」と「周辺」から構成され、「周辺」つまり、いわゆるフロンティアを広げることによって「中心」が利潤率を高め、資本の自己増殖を推進していくシステムである。アメリカを覇権国とするグローバル資本主義は、「地理的・物理的空間」というフロンティアの拡大に邁進した。ところがヴェトナム戦争終結によってアメリカの軍事力を背景とした市場拡大が頓挫した。そこでアメリカは「電子・金融空間」に利潤のチャンスを見つけ、「金融帝国」化していくことで資本主義の延命を図った。ITと金融業が結びつくことで、資本は瞬時にして国境を越え、キャピタル・ゲインを稼ぎ出すことができるようになった。ところがこのアメリカ金融帝国も、2008年のリーマン・ショックで崩壊した。自己資本の40倍、60倍で投資をしていたら、金融機関がレバリッジの重さで自壊し、バブルはあっけなく崩壊した。バブル生成過程で富が上位1%の人に集中し、バブル崩壊の過程で国家が公的資金を注入し、巨大金融機関が救済される一方で、負担はバブル崩壊でリストラされるなどの形で中間層に向けられ、彼らは貧困層に転落することになった。
 振り返れば「地理的・物理的空間」で利潤をあげることができた1974年までは、資本の自己増殖(利益成長)と雇用者報酬の成長とが軌を一にしていた。資本と雇用者は共存関係にあった。しかし、グローバリゼーションが加速したことで、雇用者と資本家は切り離され、資本家だけに利益が集中することになった。資本主義は「周辺」の存在が不可欠であり、BRICSのように途上国が成長し新興国に転じれば、新たな「周辺」を作る必要がある。それがアメリカではサブプライム層であり、日本では非正規社員であり、EUではギリシャやキプロスである。国境の内側で格差を広げることも厭わない「資本のための資本主義」は、民主主義も同時に破壊することになる。民主主義は価値観を共有する中間層の存在があってはじめて機能するものであり、中間層の没落は、民主主義の基盤を破壊する』
 「資本主義の資本の自己増殖システムという視点」を前提にしてはじめて今日の数々の危険で醜悪な事象の本質が理解できた。結果的にバブルが生まれたり崩壊したりするのでもなければ、格差社会になったりするのでもない。まさしく貪欲な資本増殖の「意志」が生み出す事象である。グローバリゼーションに乗り遅れることは死を意味するなどといった強迫観念が、金融ビッグバン、労働の規制緩和、TPPといった市場拡大に向けて一層の規制緩和に狂奔させている。それは資本の自己増殖の意志の裏返しでしかない。

講座チラシ「隣町風土記・名塩」を作成2014年08月08日

 10月7日開講の公民館講座「隣町風土記・名塩」のチラシ作成の期限が迫っていた。担当の公民館活動推進員さんからは11日までの作成を求められていた。10/7の室内講座と11/8の屋外散策の2回分をまとめて掲載するチラシである。
 レイアウトのパターンは過去のチラシでできあがっている。問題は室内講座の内容と屋外散策の訪問スポット及びルート設定である。
 名塩関連の資料を整理しながら講座内容を列挙してみた。名塩川沿いの狭い平地に拓けた小さな町に、多くの物語が紡がれ、幾多の歴史上の人物が登場する。その地形の苛酷さ故に、因習にとらわれない意欲的な営みが進取の気性を培ったのだろう。浄土真宗への帰依、紙漉き、蘭学塾、ブラジル渡航等である。室内講座のタイトルを「進取の町・名塩」としたゆえんである。
 屋外散策のルート設定を検討した。東西に細長い旧集落に訪問スポットが点在している。JR名塩駅に集合し、名塩近代化のシンボル・斜行エレベーターを体験し、ベッドタウン東山台から下滝、名塩川の自然を味わい、蘭学通り、名塩八幡、教行寺、東山弥右衛門の墓碑など寺社や史跡を巡りたい。時間が許せば名塩和紙学習館も訪ねたい。小さな町には訪問スポットもまた数多い。
 講座テキストの作成や散策スポットの解説ポイントについては、ミュージカル有間皇子物語公演で交流のできた名塩探史会の皆さんの助言をぜひ訊きたいものだ。

福祉事業者と地区民児協との交流会2014年08月09日

 前回の山口地区民児協(民生委員・児童委員協議会)の定例会で、かねて山口地域包括支援センターから打診のあった地域のケアマネージャーやヘルパーさんたちと民生委員との交流会開催を確認し、具体化を会長に一任した。福祉の現場で実務に携わる皆さんと直接懇談できる初めての機会であり期待するものがあった。
 昨日の定例会後の15時から交流会が開催された。民生委員は民児協を構成する自治会単位の地区の代表14名が出席した。包括センター側のテーブルには21名の参加者が席を占めた。配布された参加者名簿をみると、デイサービス、居宅介護支援、訪問介護などの福祉事業者のスタッフの皆さんだった。初めて顔を合わせる総勢35名もの会議の成果を懸念した。
 交流会は、懸念を裏付けるかのように内容の希薄な気まずい展開だった。会議の趣旨や意図の曖昧さが目についた。冒頭、進行役の包括センター職員から民生委員の役割についてのネット情報が通読された。交流会の場には何とも違和感のあるスタートだった。更に進行役の一方的で理解不足な民生委員観が語られるに及んで同僚委員がかみついた。その後、双方から何人かの意見が出されたが、かみ合った意見交換とは言い難い。最後にまたもや進行役が事業者側にそれぞれの事業のPRを促した。何のために民生委員が事業所ごとのPRを聞かされるのだろうと白けた気分で聞くほかなかった。1時間半ばかりの盛り上がらない交流会を終えた。
 2025年問題を控えて地域包括ケアシステムの構築が求められている。その是非は別にしても地域での高齢者ケアに向けた関係者間の連携が必要なことは論をまたない。民生委員としてもお世話の対象であるお年寄りの重要な生活場面のひとつの介護現場の実情の把握は必要であり、その現場スタッフとの交流は意味がある。事業者側からの介護に当たって利用者の自宅や地域の状況は知っておきたいという意見ももっともだ。それぞれのニーズを整理し連携に向けて何ができるかという点こそが交流会の趣旨ではなかったか。そのためには双方合わせて10人以内の絞り込んだメンバーでの懇談が欠かせない。そんな意見を述べたのは言うまでもない。

大型台風襲来と盆踊り中止の余波2014年08月10日

 暴風・豪雨の大型台風11号が接近していた。昨晩に予定されていた我が町の盆踊り大会も中止に追い込まれた。29年前に始まって以来、2000世帯を擁する新興住宅街挙げての一大イベントだった。住宅街の中の小学校の校庭を会場に自治会を中心に地域の各団体も一丸となって夜店の出店や運営準備に当たっていた。
 台風直撃の予報を受けて、二日前には会場を小学校体育館に移しての決行が決まっていた。ところが当日の朝から接近しつつある台風で風雨の激しさに見舞われた。会場変更後の開催すらも危ぶまれた。警報が発令されるに及んで昼頃には遂に主催者の自治会執行部の判断で中止が決定された。雨天の場合、翌日順延が予定されていたが、その日は台風の近畿直撃の日である。中止決定は当然の判断だった。
 思えば、盆踊りが始まって以来29年の歴史で二度目の中止である。最初の時の中止決定には私も自治会副会長として関与した。9年前のJR福知山線脱線事故の年である。大阪のベッドタウンの色彩も強い我が町の住民も多数の死傷者を出した。4月25日の事故発生の余韻の残る8月の盆踊り開催の是非が問われた。沿線各地区からの盆踊り中止の情報も入っていた。事故関係者の心情を思えば開催はいかにも心苦しい。そんな判断で最終的に中止が決定された。
 今回も盆踊り開催に向けて1カ月以上も前から関係者たちは懸命に準備を続けていた。夜店用の食材手配も完了していた筈だ。多少無理でも開催を望んだ関係者も多かったに違いない。そんな中での安全第一の苦渋の決断を下すほかなかった自治会執行部、とりわけ今年就任したばかりの40代の女性会長の心労は察するに余りある。