熱い夏が終わった--有間皇子物語公演の夏--2014年09月01日

 ミュージカル有間皇子物語の三日間4回公演が、特段のトラブルもなく、大盛況の内に無事終演した。2011年11月の市民ミュージカル劇団『希望』後援会の設立総会以来3年間の取組みの集大成とも言うべき公演だった。山口という小さな町の定員200人余りのホールで古代ロマンの壮大な創作ミュージカルを上演しようという無謀ともいえる挑戦だった。山あり谷ありの苦節を越えてようやく迎えた千秋楽に感慨ひとしおの想いがよぎった。
 公演に向けて懸案だった駐車場問題は、市の協働事業ということもあり山口中央公園を借り受けることでクリアできた。会場には1時間くらい前から来場されるお客様があり、開演30分前の開場時には毎回ホール前のホワイエに3重の列をなしてお待ちいただく状態だった。開演時のホールは、連日ほぼ満席のお客様で埋められた。終演後のホワイエには出演の劇団員たちが舞台衣装まま駆けつけお客様をお見送りした。劇団員や髙井劇団代表と一緒に記念撮影をされるお客様もあちこちで見られ、いつにない華やかな終演後の風景が見られた。劇団員たちにかけられる「感動をありがとう」というお客様の言葉をあちこちで耳にした。
 三日間の公演期間中は、事前事後の客席整備と片付け、ホワイエでのお客様の入退場やご招待者の誘導、不測の事態への対応の備えなどで過ごした。その他後援会役員は、受付や炎天下の駐車誘導なども分担して頂いた。それぞれに長時間の緊張を強いられる役回りをこなしてもらった。面識のあるお客様からは私たちにも「良い時間を過ごさせてもらった。おめでとう」と声を掛けて頂いた。
 入場者数を集計してみると4回公演合せて750名ものお客様に来場して頂いた。毎回190名ほどの観客数であり、207席の客席に対し20席ほどの空席のゆとりがあったことになる。
 公演収支の確認や観劇いただけなかった支援者や後援会員へのお礼のご挨拶等が残されているものの、ひとまず大きなヤマを越えた。劇団員、公演スタッフ、後援会役員たちがそれぞれの役割に応じて精一杯奮闘した熱い夏が終わった。

思わぬ秋の実り2014年09月02日

 有間皇子物語公演の怒涛のような三日間を終えた翌朝だった。疲れも手伝って前日は9時過ぎには床に就いたが、翌朝の目覚めはキッチリ4時前だった。
 夜明けが遅くなった。5時半頃、ようやく明るくなった空の下を早朝ウォーキングに出かけた。有馬川沿いの一角に栗の木が立っている。青々しいイガの実が実っていた。ところが樹の下の小路には辺り一面、はじけたイガが散らばっている。あちこちにつやつやした栗の実がこぼれている。枝先に実ったイガのいくつかは殻が割れて実が顔を覗かせている。8月を終えたばかりの時期なのに、自然の恵みはもう豊かな実りの季節を迎えていた。

転移検査の7年半後の結果2014年09月03日

 8月5日に大阪市大病院で、胸部CT検査、腫瘍マーカー検査を受けた。8年前の年末に悪性黒色腫という皮膚癌の発症が判明した。翌年2月に手術して右手親指と右腋リンパ節を切除した。8月の検査は腫瘍の転移の有無を調べるものだった。経過観察が必要な術後5年間を無事クリアして、術後7年半が経過した。
 昨日、市大病院を訪ねて検査結果を聞いた。定期的に異動のある大学病院の担当医である。交替したばかりの担当医から告げられたCT検査と腫瘍マーカー検査の結果はいずれも問題なしとのことだった。今や検査結果を聞く際のドキドキ感すらも薄れている。それでも告げられた内容にホッとした。
 半年後の診察予約をして病院を後にした。8年前に味わった嵐のような絶望感が嘘のようだ。喉元過ぎれば・・・の感は否めない。

大衆理容のよもやま話2014年09月04日

 「お父さん!そろそろ散髪行かんとアカンな~」という家内の言葉に促されてスマホのスケージューラーを確認した。キッチリ前回の散髪から2カ月経っていた。リタイヤ後、刈り上げの短髪スタイルに変えて隔月ペースになっている。恐るべしは「主婦の感」である。
 今朝9時、開店と同時にいつもの大衆理容に出かけた。案内された理容椅子の後ろに立ったのは、この店の店長とおぼしき愛想のよい中年男性だった。
 調髪にかかるや否や、お決まりの天候の話で理髪師の饒舌がスタートした。饒舌のお相手はおてのものだ。今やボランティア仲間の主婦たちとの日頃のお付合いで巧みに話を合せるすべを心得ている。
 理髪師は六甲山北側の有野台が住まいだ。先日の台風の集中豪雨で自宅近くの丘陵で土砂崩れがあったという。自宅の駐車場も土砂で埋まったが、避難勧告に従い寸前に近くの親族宅に避難したということだ。
 そういえば、広島の土砂災害の際に、被害の大きな要因となった真砂土が六甲山系でも共通しているというニュースを聞いた。広島の災害を襲った集中豪雨は、我が町の近郊でも同様の災害をもたらしていた。大衆理容のよもやま話がそんな情報を運んできた。

社協福祉講座「寸劇で詐欺の手口を学ぶ」2014年09月05日

 午後1時半から3時まで社協分区の福祉講座が自治会館で開催された。いつもの講演形式とは異なり、今回は寸劇で「詐欺の手口」を学習しようという試みである。出演は、川西市に本拠を置く「NPO法人ウェルビーイング・アミーゴ」の面々である。地域のお年寄りを中心に約30名が受講した。
 寸劇は、出演者とスタッフを合わせて総勢13名ものメンバーで行われた。詐欺の典型的な三つのパターン「オレオレ詐欺」「催眠商法」「警察官をかたったカード詐取」が60代~70代のご婦人の劇団員たちで演じられた。素人っぽさ溢れた熱演だった。寸劇の台本自体もよくこなれており、お年寄りに分かりやすい内容だった。合間にMCからそれぞれの詐欺の手口のポイントと注意点が喚起された。最後に出演者たちが手にした詐欺防止の六つのキャッチコピーの垂れ幕を参加者一同で唱和して幕が下りた。
 寸劇の後、参加者一同でリズム体操のようなトレーニングがあった。ヨサコイの鳴子(または鈴)、青竹踏みのような竹、細長い棒が配られた。「あんたがたどこさ・・・」の歌を歌いながら指定の箇所で鳴子を鳴らしたり竹を叩いたりする。簡単なようで結構難しい。それが終わると今度はゲームである。全員が輪になった椅子に座って、歌のリズムに合わせて自分の膝や左右のお隣さんの膝を叩きあうというゲームだった。手順を間違えないよう緊張しながらゲームに興じた。お隣の社協役員の仲間が言った。「デイサービスの予行演習みたいやね」。ナルホド。
 何はともあれ1時間半の講座が和気あいあいと終了した。工夫を凝らした寸劇とゲームで退屈する間もない楽しい講座だった。

墓参りと穴子づくし御膳2014年09月06日

 朝8時半頃に自宅を出て、家内と実家の墓のある姫路・名古山霊園に向かった。お盆前後は台風到来やら劇団公演やらと慌ただしく墓参のタイミングを失ししていた。
 10時前に到着し、周囲の草取りをし墓石を洗ってお勤めをした。墓石の背後に見えていた姫路城が大修理を終えて再び美しい姿を現わしていた。
 昼食は、3年前に娘夫婦と一緒に墓参した時に味わった穴子料理の店と決めていた。山陽百貨店の専用駐車場がお店のすぐ近くにある。家内のリクエストの山陽百貨店にも行けるし5千円の商品券を買えば駐車料金も無料になる。百貨店やら変貌著しい姫路駅周辺をぶらついて「あなご料理・柊」には11時過ぎに暖簾をくぐった。
 事前にネット検索してお目当ての料理は決まっていた。前回にはなかったランチの新メニュー「穴子づくし御膳」(2,800円)である。オーダーの際にちょっとしたトラブルが起きた。お茶を置く際に中居さんが手を滑べらせてお茶碗を倒してしまった。熱いお茶がこぼれズボンにかかった。受注から取り掛かる料理は登場が遅くなるのはやむを得まい。20分ほど待たされて「穴子づくし御膳」が配膳された。
 穴子薄造り、焼穴子、蒸穴子、穴子天婦羅、穴子山椒煮&サラダ、穴子のダシ巻、穴子酢の物、吸物、穴子御飯、デザートと11品目もの穴子づくしだった。よくぞここまで穴子にこだわって調理したものというほかはない。出来立ての穴子料理を満喫した。
 席を立った時、女将さん風の女性から「先ほどのお詫びにコーヒーか紅茶をサービスさせて頂きますが」と声を掛けられた。お腹いっぱいだったので断ると、会計の際に500円の商品券を戴いた。500円を無駄にするわけにはいかない。来年の墓参の昼食の店が確定した。
 帰路に着いた。途中、実家のあった町の近くの精肉店に立ち寄った。昔ながらの揚げたてのコロッケを求めるためだ。家内は、お気に入りのコロッケをご近所さんのお土産も含めて5パック25個購入した。

広井良典著「定常型社会」(エピローグ)2014年09月07日

 水野和夫著「資本主義の終焉と歴史の危機」の書評を、8回に渡って記事にしてきた。この著作では、資本主義の危機的状況が語られた。ただ資本主義システムに代わる新たな社会システムとして「定常化社会」のイメージは提示されたがその具体像は定かでない。そこで水野氏の「定常化社会」の下敷きとなった著作と思われる広井良典著「定常型社会」を読了した。大いに賛同できる著作であり、4章で構成されるこの著作についてもそれぞれ順次要約を記事にしようと思う。
 「はじめに」では、この著作の全貌が端的に述べられている。冒頭「閉塞感が現在の日本社会をあらゆる局面で覆っている」という書き出しで始まり、その理由を「明治以来の日本が一貫して追求してきた『(経済)成長』ないし『物質的な富の拡大』という目標がもはや目標として機能しなくなった今という時代において、それに代わる新たな目標や価値を日本社会がなお見出しえないでいる」点が挙げられると述べ、その上で、筆者は「定常型社会」という基本コンセプトを提案する。それは「成長ということを絶対的な目標としなくとも十分な豊かさが実現されていく社会(ゼロ成長社会)」である。
 なぜ「定常型社会」なのか?経済成長の究極の源泉である需要そのものが成熟ないし飽和状態に達しつつある。その要因として第1に、少子高齢化とともに人口そのものが2007年をピークに減少に転じること、第2に、環境問題との関係で資源や自然環境の有限性が自覚されるようになり、経済活動の持続性からも経済の規模の「定常性」が要請されるようになった点を指摘する。
 「定常型社会」とは、別の観点から言えば、「持続可能な福祉社会」と呼べるものであり、「個人の生活保障がしっかりとなされつつ、それが資源・環境規制とも両立しながら長期にわたって存続しうる社会」ということになる。
 著作のこうした概括を念頭に、サブタイトルである「新しい『豊かさ』の構想」という著作の旅路を辿りたい。

秋空の散歩道2014年09月08日

 早朝5時半である。襟なしTシャツとハーフパンツを、襟付きシャツに長ズボンに着替えて玄関ドアを開けた。冷気が全身を包み込み肌寒さに身を縮めた。
 有馬川堤から眺める東の空は、秋色に染まっていた。あの雲は何と呼ぶのだろう。ウロコ雲、イワシ雲、ワタ雲?透明な高い空にちりばめられた造形が歩を進めるに従って姿を変えていく。
 季節の移ろいを身体中に浴びながら散歩を愉しんだ。

脱皮できない我が身の愚かさ2014年09月09日

 前回のボランティアコーディネーター会議で困り事支援の有償ボランティアがテーマになり、会議の責任者と一緒にタタキ案を検討することになった。あるべきイメージが念頭にあったので早速、Å4サイズ1頁のタタキ案をまとめ、関係者お二人にメール送信した。
 お一人から返信メールでコメントをもらった。地域活動でのかねてから気になっていた私自身の本質的な問題点を鋭く指摘された内容だった。特に以下の指摘は身に沁みた。
 「細部にわたる提案は、一定の固定観念を植え付け、そこから逃れられなくなりそうです。面倒なようでも、あるいは『おばさんの会議』といわれようとも、皆さんの意見の中から徐々に組み立てるという試みも必要かと思います」
 「おばさんの会議」での提案という重要な点を考慮しない現役時代のビジネス感覚そのままの提案だったと反省した。現役時代の提案では成果とスピード感が重視され、細部にわたって多面的な検討を加えた完成度の高い内容が求められた。その面ではそこそこのレベルの能力を発揮し、成果もあげていたという自負もある。その成功体験を今の地域活動でも引きずっていることに気づかされた。
  水野和夫著「資本主義の終焉と歴史の危機」の書評の中で、これからの「定常化社会」に向けて「より速く、より遠くへ、より合理的に」という近代資本主義を駆動させてきた理念を逆回転させ、「よりゆっくり、より近くへ、より曖昧に」と転じなければならないという点に共感し、老後スタイルでの応用を心したばかりだというのに・・・。脱皮できない我が身の愚かさを思い知った。

夫源病か妻源病か!?2014年09月10日

 夫源病という病気があるそうな。ネット検索すると、夫への不満などがストレスとなって妻の心身にさまざまな症状を引き起こす病気なのだという。めまい、頭痛、イライラなど症状もいろいろなようだ。原因は夫の不埒な言動にある。「家では全く自分のことをしない夫」「自分が奥さんの手間を増やしていることに気づかない」「買い物についてきて文句を言う夫」「奥さんをけなす夫」等々。
 一応、ごもっともなお説だが、どうも一方的な気もする。反対の立場からの言い分もある筈だ。さらに検索すると、やっぱり妻源病というのがあった。妻の言動が夫にストレスを溜め込ませて発症するもので、動悸、腰痛、めまい、頭痛など自律神経の異常で起こる症状が主である。「間違いの指摘に逆切れ」「いつも自分が正しいと思っている」「子供に夫の悪口を言う」「夫の行動をいつもチェックする」「夫の収入に不満を言う」「問題が起きたら夫のせいにする」といった妻の言動が原因である。これもまた頷く部分が多い。
 それにしてもこうした事例は定年後の夫婦の間で昔からあった筈だ。なぜ今になって夫源病や妻源病なのか。煎じ詰めれば、団塊世代たちが雪崩を打ってリタイヤを始めたということと深く関わっている。四六時中顔を突き合わせて暮らす夫婦が日本列島に充ち溢れだしたのだ。ストレスを抱えた夫や妻が巷にばらまき始めた不満の渦が産みだした現象と言えまいか。夫源病か妻源病かは、所詮夫婦の性格の強弱や力関係によって決まるものだろう。
 昨日の晩餐に家内とこの問題を話題にした。家内は夫源病を言い募り、私は妻源病被害を訴えて決着はつかない。適当にうっぷんを晴らしをしてお茶を濁した。この分では我が家の夫源病も妻源病もたいして深刻ではなさそうだ。