広井良典著「定常型社会」(エピローグ)2014年09月07日

 水野和夫著「資本主義の終焉と歴史の危機」の書評を、8回に渡って記事にしてきた。この著作では、資本主義の危機的状況が語られた。ただ資本主義システムに代わる新たな社会システムとして「定常化社会」のイメージは提示されたがその具体像は定かでない。そこで水野氏の「定常化社会」の下敷きとなった著作と思われる広井良典著「定常型社会」を読了した。大いに賛同できる著作であり、4章で構成されるこの著作についてもそれぞれ順次要約を記事にしようと思う。
 「はじめに」では、この著作の全貌が端的に述べられている。冒頭「閉塞感が現在の日本社会をあらゆる局面で覆っている」という書き出しで始まり、その理由を「明治以来の日本が一貫して追求してきた『(経済)成長』ないし『物質的な富の拡大』という目標がもはや目標として機能しなくなった今という時代において、それに代わる新たな目標や価値を日本社会がなお見出しえないでいる」点が挙げられると述べ、その上で、筆者は「定常型社会」という基本コンセプトを提案する。それは「成長ということを絶対的な目標としなくとも十分な豊かさが実現されていく社会(ゼロ成長社会)」である。
 なぜ「定常型社会」なのか?経済成長の究極の源泉である需要そのものが成熟ないし飽和状態に達しつつある。その要因として第1に、少子高齢化とともに人口そのものが2007年をピークに減少に転じること、第2に、環境問題との関係で資源や自然環境の有限性が自覚されるようになり、経済活動の持続性からも経済の規模の「定常性」が要請されるようになった点を指摘する。
 「定常型社会」とは、別の観点から言えば、「持続可能な福祉社会」と呼べるものであり、「個人の生活保障がしっかりとなされつつ、それが資源・環境規制とも両立しながら長期にわたって存続しうる社会」ということになる。
 著作のこうした概括を念頭に、サブタイトルである「新しい『豊かさ』の構想」という著作の旅路を辿りたい。

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック