暴走じいさんと暖房じいさん2014年12月26日

 古希を目前にして、同年代以上の男性とのおつきあいを通じて考えさせられることがある。おだやかに齢(よわい)を重ねごく自然に老いを迎える人が一般的ではあるが、時に通常でない二つのタイプの高齢男性にお目にかかることがある。
 ひとつはいわゆる暴走老人である。女性も含めた老人一般ではないのでここでは暴走じいさんと呼んでおこう。感情のコントロールができずにキレることが多い。ジコチュウで自己主張が強く、他人の気持ちを斟酌しない。誰彼かまわず攻撃的である。いつもその場の中心に居なければ気が済まない。他人(ひと)の迷惑省みずのタイプである。その傾向は齢を重ねるほどに拍車がかかる場合が多い。
 今ひとつはその逆のタイプである。謙虚で気遣いや思いやりがある。人の話をじっくり聞き、親身に受けとめる。話し手の気持ちを汲んだ対応を心掛けているかに思える。その場に居てもらえるだけで場が和み癒される。齢を重ねるとはこういうことかと思わせられる。あたたかく包み込まれるような、まるで暖房じいさんとでも呼べるようなタイプである。
 二つの傾向は実はひとりの人間の内にも同居する。もちろん私自身の中にも時に暴走じいさんが頭をもたげ、時に暖房じいさんの優しさを意識する。人は歳を重ねるごとに子供になり幼児になり赤ん坊になっていく。それは分別を知らない本能の赴くままに生きている赤ん坊に還っていく哀しい道程なのかもしれない。それだけに内にはびこりやすい幼児化をいかにコントロールできるかを心しよう。