孝徳帝装束お披露目会2015年03月01日

 山口旧地区のPTA・OBを中心メンバーとする「にぎわいネット山口というボランティアグループがある。これまでも昨年の有馬山口線バイパス開通記念ウォークをはじめ様々なイベントを担ってきた。
 そのにぎわいネットが、今回公智神社を舞台に「孝徳帝装束お披露目会」を企画した。今般、山口町の財産区「徳風会」が山口ゆかりの孝徳帝をはじめとした妃や女官たちの当時の復元装束4着を購入した。そのお披露目会が今日午前中に催された。
 生憎の雨だった。予定された御旅所から公智神社への行幸は中止され、会場は全て神社社務所に切り替えられた。大勢の観客が社務所玄関ロビーで待ち受ける中、ようやく11時45分頃に動きが出てきた。装束姿の一行が御祈祷のため社務所から拝殿に向かった。11時には雅楽隊を先頭に一行が社務所に戻り、そのまま二階の大広間に向かった。大広間ではもよりの保育園の年長組の園児たちがスタンバイしている。
 司会者の進行で、園児たちの「歓迎のうた」を皮切りにお披露目会がスタートした。続いて地元在住の中学生2人による舞楽が舞われた。雅楽の伴奏で立派な舞楽装束と不気味なお面をまとった二人が艶やかに時に激しく舞う。初めて見る生の舞楽は中々興味深いものがある。その後、徳風会理事長と山口町自治会連合会長の挨拶があり、いよいよ古代装束のお披露目となる。
 孝徳帝、妃・小足媛、女官二人の大人4人に、官吏装束の男児6人、女官装束の女児10人の総勢20人が舞台に勢揃いする。それぞれの装束についてこの装束の監修者の年配の女性から解説があった。予定の12時を10分ばかり延長してお披露目会が終了した。中止された餅まき用のお餅を出口で頂いて帰路に着いた。

奥さん介護のつわもの達2015年03月02日

 山口センター2階の老人いこいの家で開催された地域の介護者の会に参加した。あんしん窓口山口と社協の山口、北六甲台の両分区が共催する会である。過去4回開催され2度目の参加だった。
 今回は6人の介護者の参加があったが、いずれも新興住宅地の在住者である。その内4人は70代以上の男性介護者である。お二人は80代の男性を介護する奥さんと娘さんだった。
 司会者から促されて介護者の皆さんそれぞれに近況やら困りごとを話してもらった。被介護者は程度の差はあっても認知症の症状があるようだ。認知症特有の悩みや苦労が率直に語られた。外見的には分からない病だけに周囲の理解が得られないことの悩みは多い。進行していく症状になすすべもないことの苦悩もある。言葉をなくしコミュニケーションができなくなることの切なさもある。かと思えば言葉遣いが乱暴になり暴力的な言動が症状が現れる。死んでくれたらという気持になることさえあるという。男性陣からそんな苦悩が語られた。
 最後に、母娘からこもごもに認知症の男性の介護の現状が語られた。母と娘の接し方の違いがついて出る。娘は実の父親だけに率直で時に厳しい接し方になる。母親は長い付き合いだけに夫の変わりようを嘆き献身的にカバーする。そんな様子に娘は母親の方を気遣ってしまう。この会にもそんな母に介護の実態を知ってもらうために連れてきた。今後の認知症の進行を理解する上、大いに参考になったという。奥さん介護のつわものたちの近況報告が母娘に貴重な情報をもたらした。
 介護の多くが認知症との闘いであることをあらためて教えられた。深刻なその現状を語り合うことで得られるものも多い。介護者の会必要性を痛感した。

半年ぶりの市大病院2015年03月03日

 昨日、朝一番に大阪に出かけた。半年ぶりに大阪市大病院の検査を受けるためだ。8時半頃、地下鉄梅田駅のラッシュに身を任せて乗車した。現役時代の慌ただしい日常を想いだし思わず懐かしい気分に浸らされる。
 朝一番の予約だった。9時過ぎに大阪市大病院の待合室のモニターに受付番号が表示された。診察室で担当医と向き合う。初めての医師だった。手術後何番目の担当医なのかもはや定かでない。
 悪性黒色腫という名のおどろおどろしい名称の皮膚癌を告げられたのは2006年の12月だった。翌年2月に最初の手術をし3月には二度目の手術をした。右手親指との永遠の別れだった。以来、まる8年が経過した。この間の転移の有無を調べる検査は無事クリアしてきた。
 40代の脂の乗り切った初対面の医師が、PCモニターでカルテを確認しながら「順調なんですね。今日は血液検査と腫瘍マーカーの検査をしてもらいます。結果は二週間後の診察で知らせます」と告げる。続けて「2年後の術後10年経過時点で何事もなければ治療は終了します」と告げられた。
 血液検査室で血液採取をした。従来は血液採取による腫瘍マーカー検査は皮膚科の治療室で別個に行われていた。今回は血液検査室での血液採取で一括して行えるようになっている。10時前には会計清算も終え、病院を後にした。8年前にはあれほど苦悩した嵐のような災厄が、今はかげろうのような淡い幻影となっている。

高橋克彦著「風の陣--天命篇--」2015年03月04日

 高橋克彦著「風の陣」の第三巻「天命篇」を読んだ。第一巻が「橘奈良麻呂の変」を、第二巻が「藤原仲麻呂(恵美押勝)の乱」を中心テーマとして展開したのと同様、第三巻では、快僧・弓削道鏡の野望を巡る攻防が展開される。このシリーズを読みながら、あらためてわずか80年余りの奈良朝の政争の激しさに気づかされた。
巻末の「解説」でも触れられているように、この物語は蝦夷たちが主人公ではあるものの「蝦夷の物語」ではないことが分かってくる。都を舞台とした奈良朝の政争物語である。主人公の蝦夷たちは物語の狂言まわしの役回りを演じているかのようだ。
 クライマックスは、宇佐八幡宮神託という形で道鏡を皇位継承者に擁立する画策が、神託確認のため遣わされた勅使・和気清麻呂の報告によって頓挫する場面である。道鏡は万全の備えで皇位継承者になる筈である。それがなぜひとりの官吏の無謀とも思える報告であっけなく瓦解したのか。それはかねてからの個人的な疑問でもあった。それが、この作品によってなるほどと思わせるストーリーで描かれている。当然ながら、それは作者の得意とする政治的駆け引きや謀略に満ちたものだった。

ちょっぴりオジサンの感性も!2015年03月05日

 昨日、ボランティアコーディネーター会議があった。月に一度の11人のオバサンの中にたったひとりのオジサン(かくいう私)が加わる会議である。この会議に参加するようになってほぼ一年が経過した。それまではオバサンたちだけの会議だった。
 この会議に初めて参加して、永年積み上げられたオバサン会議のカルチャーに戸惑いを隠せなかった。レジュメがない。しばしば脱線する。私語が横行する。結論が曖昧だ。当然ながら時間ばかりが経過する等々・・・。ビジネス社会の会議に慣れた身には信じがたい面も多々あった。
 会議に慣れ、ある程度の人間関係もできた頃から、少しずつ意見を述べ始めた。書面提案をしたりした。オバサンたちの戸惑いもあったと思う。断定的な提案や結論先行のスタイルに抵抗感もあった筈だ。それでもある種の新鮮さはあったのではないかと思う。レジュメが作成されだした。責任者の交替もあり、徐々に雰囲気が会議っぽくなったようにも思う。
 オバサン会議に学ぶべき点は多い。ビジネス会議ではないのだ。あくまで自発的な形で参加するボランティアの世界である。彼女たちにとっては効率性以上に納得性や結論に至る過程が大切なのだ。時間をかけてもコンセンサスを積み上げて一致して行動に移す。これこそがボランティア世界での貴重なカルチャーなのだろう。
 それでもちょっぴりオジサンの感性も取り入れてほしいと思うが、多勢に無勢は如何ともしがたい。

生き物たちの息づかい2015年03月06日

 寒い朝だった。仕舞ったはずの防寒コートを引っ張り出して出かけた。7時前の早朝ウォーキングである。
 住宅街の中の原っぱで、ツグミが一羽たたずんでいた。近づいても気にした様子はない。ひっそりと身動きせずにたたずむ風情に孤高の雰囲気を漂わせている。
 住宅街の街路の行く手を黒猫が一匹横切った。足音にも動ぜず悠然と横切って、民家の駐車場の後ろに消えた。
 日の出前の静まり返った住宅街で、生き物たちが静かに営みを開始した。

社協・淡路島バス研修2015年03月07日

 社協恒例の管外バス研修があった。今回は淡路島の二つのスポットを訪ねる旅だった。毎年、年度末に社協役員やボランティアを対象に慰労と交流を目的に会費制で開催される。
 朝8時、35名の参加者を乗せてバスが住宅街を出発した。ガラ空きの高速道を駆け抜けて最初の訪問先のウエルネスパーク五色(髙田屋嘉兵衛公園)に到着したのは9時40分だった。見学先の菜の花ホールの10時の入場まで車内で様々な活動案内で過ごした。
 菜の花ホールは「髙田屋顕彰館・歴史文化資料館」の名称もあるように洲本市五色町出身の江戸後期の豪商・髙田屋嘉兵衛の記念館でもある。嘉兵衛を主人公とした司馬遼太郎の歴史小説「菜の花の沖」は愛読した作品である。入場直後にNHKドラマスペシャル・菜の花の沖のダイジェストを大スクリーンで鑑賞した後、館内の数々の嘉兵衛を巡る記念品や資料展示を見て回った。
 広大な公園を散策した後、11時45分からレストラン浜千鳥で昼食となった。卓上コンロで焼いて食べる淡路牛をメインにお刺身、てんぷら盛合せ、サラダ、シラス、味噌汁が付いた和風御膳だった。別注のビールをテーブル仲間たちと酌み交わしながら美味しくて寛いだひと時を過ごした。
 次の訪問先の淡路人形座は、淡路島の南端の南あわじ市福良にあった。予想外に立派な舞台で人形浄瑠璃の14時公演が始まった。30代とおぼしき男性人形遣いの軽妙なトークの人形の遣い方の解説の後、人形浄瑠璃が上演された。「傾城阿波の鳴門・順礼歌の段」のお馴染の演目のさわりである。舞台右手に太夫と三味線弾きの女性二人が登場し浄瑠璃が語られ、舞台上には「かかさんのお弓」の人形を扱う三人の人形遣いが登場する。しばらくしてさらに「娘のお鶴」が登場し、お弓との掛け合いが生き生きと演じられる。その艶やかで生々しい人形の所作は伝統に裏付けられた確かな芸能を感じさせるに十分なものだった。上演後、舞台で披露された「襖からくり」も圧巻だった。襖が次々と開けられ、次第に奥行きが深くなっていく。鮮やかな絵柄の展開とどんどん広間が広がる様に息を呑んだ。
 淡路人形座の前で、恒例の集合写真を撮った後、3時15分に帰路に着いた。途中、淡路ハイウエイオアシスのサービスエリアで最後のお買物をして予定時間より30分近く早い帰着となった。

福祉ネットが船出した2015年03月08日

  昨年5月の社協分区の総会で地区ネットワーク会議の設立準備を決議して以来11カ月が経過した。今日、ようやく「福祉ネットワーク北六甲台地区会議」としてその設立総会の日を迎えた。朝9時という早朝の開会にも関わらず会場の山口ホールに代議員をはじめ大勢の参加者に来て頂いた。
 司会者の開会の言葉に続いて、福祉ネットの議長でもある北六甲台自治会長の主催者挨拶があった。自らの介護の問題を交えながら自治会としても福祉ネットの設立に大いに期待し設立準備にも積極的に関わってきたという力強い挨拶だった。
 続いて来賓紹介があった。市や市社協、構成組織の友好団体、地域関係団体の代表者10名の皆さんである。ご来賓を代表して西宮市健康福祉局福祉総括室長と西宮市社会福祉協議会事務局長のお二人からご挨拶を頂いた。それぞれに福祉ネットが地域福祉の在り方にとって意義深い試みであり、今後の事業モデルのひとつとして大いに注目し期待しているといったありがたい激励を頂いた。
 議事に移り、事前にお願いしていた自治会副会長の女性お二人の議長団が登壇した。「設立趣意書・事業計画」「会則」「役員選出」の三つの議案を設立準備会事務局の立場で提案した。議案ごとに質疑、討論、採決を想定していたが、代議員からの発言はなく各議案とも圧倒的多数の賛成で可決された。役員選出が可決された後、役員11名とオブザーバー、アドバーザーの8名の皆さんを紹介した。設立総会を締めくくる形で議長代行の社協分区長から閉会の挨拶があった。
 5分間の休憩後、第二部の福祉フォーラムに移った。毎年総会の後に開催するフォーラムである。その時々の福祉課題をテーマに基調講演やシンポジュウムを予定している。今回は、神戸学院大学の地域福祉が専門分野の藤井教授に「住民主体の地域包括ケアシステム」をテーマに講演をお願いした。地域包括ケアシステムの内容を解説しながら今後の在り方や課題を示して頂いた。行政任せでない住民主体の枠組みづくりという点で福祉ネットが今後のモデルとなるのではないかといった応援の言葉もあった。約90分の講演後には会場から女性お二人の質問も出され、地域での介護、見守りについての関心の深さが窺えた。定刻の12時少し前にフォーラムを終えた。
 後片付けを終えた後、広報紙創刊号向けに役員の集合写真を撮り散会した。自宅で受付名簿を整理した。最終的に117名もの皆さんの参加を得て船出した福祉ネットだった。39名もの一般参加者があったことに意を強くした。ひとまずは大成功の設立総会だったと言えよう。

にしのみやフォーラム「『共生のまちづくり』にむけて」2015年03月09日

 一昨日、「『共生のまちづくり』にむけて」をテーマとした「にしのみやフォーラム」(実質的に市社協主催のようだ)に出かけた。市役所と隣接のアミティホール、職員会館を会場に10時から16時半までの大規模で多彩なフォーラムだった。
 午前中は六つの分科会に分かれてのパネルディスカッションだった。社協分区のメンバー6人が「わがまちを わが手でつくり 支える」をテーマとした第4分科会に83名の参加者とともに着席した。パネラーには山口分区長、北夙川・苦楽園地区ボランティアセンター代表、鳴尾東の「NPO法人なごみ」事務局長、東山台分区長の4人で、コーディネーターは神戸学院大学の藤井教授である。
 パネラーから各15分程度の報告があった。それぞれに示唆に富んだ報告だった。山口分区の「住民と障害のある人がともにつくる畑」は、重度の障害者が作業ができなくとも畑という空間に土に触れながら過ごす場があるこというだけで意味があるということを教えられた。ボランティアセンターの報告を通して、全国的にも全分区にボラセンがあるのは西宮市だけであることを知った。NPO法人の20代後半の若いイケメン事務局長からは介護保険事業「まちCafeなごみ」の実践事例の報告を聞くとともに、若い世代が地域ボランティアに人生をかける覚悟や気迫のようなものを感じさせられた。東山台分区長からは「介護者のつどい」の居場所づくりや困りごと支援の「おせっ会」の立上げの報告を聞いた。
 午後の全体会は、最初4人のパネラーで始まり、テーマの展開に応じて次々にパネラーが加わり全体で9名のパネラーが語り合うというパネルディスカッションだった。翌日の福祉ネットの準備もあり、3時には途中退席して帰路に着いた。

かけがえのない願ってもない出会い2015年03月10日

 最寄りのファミリーレストランのドアを開けた私の姿を認めて、待合い席の女性が立ち上がり笑顔を見せた。初対面の二回りほども若いご婦人である。
 昨日、福祉ネット設立総会の一般参加者の名簿を整理していた時だ。二日前に社協分区長から聞いていたその人の名前が自宅電話と一緒に記されていた。神戸新聞の報道を見て福祉ネットの設立総会を知ったとのことだ。知人を介して分区長に「関心があるので総会に参加したいが可能か」という問合せ連絡があった。その顛末をお名前とともに聞いていたので、連絡を取りたいと思っていたところだ。すぐに記された電話番号をコールした。
 受話器越しにかなりの長話をした。それだけ共有できる話題が多かったといえる。福祉ネットをはじめとした地域ボランティアにも意欲的だった。直接お会いしてより突っ込んだ懇談の場を持つことになった。
 ファミリーレストランのテーブルを挟んで向かい合ったのは笑顔がステキなチャーミングな方だった。社会人になって福祉関係を中心に様々な事務仕事に従事されたという。地域福祉の活動が生涯の夢だったが事務仕事の限界を痛感し、主婦業の傍ら通信大学で福祉課程を履修後、社会福祉士の国家資格取得に挑戦中とのこ。現状の福祉現場の問題点や超高齢社会の行く末に危機感を持ちながら、高い志を持って夢を実現しようという意気込みが伝わった。福祉ネットの構想や目指すものにも大いに共感してもらった。ぜひお手伝いしたいとの意向も示された。
 かけがえのない願ってもない出会いだった。初対面ながら自分の思いの丈を吐露させてもらえる方だった。アッという間に2時間近くが経過していた。地域ボランティアを続けることのしんどさがないわけではない。それでも続けることで得られるものも多いのも事実である。この出会いは紛れもなくそのひとつにちがいない。