高橋克彦著「風の陣---裂心篇---」2015年04月01日

 高橋克彦著「風の陣」の最終巻「裂心篇」を読んだ。この最終巻は冒頭から前四巻から様相が一変する。主人公は道嶋嶋足から伊治鮮麻呂に、舞台は京の都から陸奥に転換する。そして最終巻を読み終えて思ったのは、前四巻の物語はこの最終巻のとてつも長いプロローグだったのではないかということだった。ことほど左様にこの最終巻は、「風の陣」という超大作のテーマを真っ向から描いている。
 この物語のテーマとは何か。蝦夷とは何か。蝦夷として生きるために何をなすべきか。そのために朝廷とどのように関わるのか。嶋足や天鈴が模索し苦闘した朝廷との共存という長い物語の果ての鮮麻呂の決断こそがこの物語のテーマであったと言えよう。
 陸奥守・紀弘純が得々として読み上げた帝の勅書は「卑しい狼・蝦夷を刈り取り滅ぼせ」と記されていた。「朝廷に永年恭順してきた蝦夷を…刈り取って滅ぼせというのか!おれは何のために堪えてきた!」。それは、朝廷との共存に賭けて耐えてきた鮮麻呂に決起を決断させる帝の言葉を意味した。 
 全五巻の長い物語の最終章は50頁にも及ぶ「風の陣」として綴られる。それは鮮麻呂が蝦夷がひとつになって朝廷と闘うための自らの命をかけた陸奥守の首級をあげる息詰まる闘いのシーンを描いたものだ。その闘いに呼応して支援したのが鮮麻呂亡き後の蝦夷の棟梁・阿弖流為だった。「風の陣」とは、阿弖流為に率いられた蝦夷と朝廷との壮大で永い闘いのプロローグの物語でもあった。
 漫画家・里中真知子の解説の末尾に綴られている。『「風の陣」の物語から1300年---。今、陸奥は震災の痛手に苦しんでいる。政府の取組みは1300年前よりは少しはましなのだろうか?蝦夷の悲惨な現実に泣く朝廷側の役人、大伴真綱のような心で復興に取り組む政治家の、一人でも多い事を祈る』。

ハートネットTV「スタート「“新”セーフティーネット 第2回 声を上げられない困窮者たち」2015年04月02日

 4月1日から「生活困窮者自立支援法」がスタートした。3月の地区民生委員会でも市の担当者から説明があり、関心を持っていた。生活保護に至る前段階の生活困窮者に対して自立に向け総合的に支援するという、言わば「新セーフティーネット」ともいうべきものらしい。昨晩NHKEテレのハートネットTVで「“新”セーフティーネット 第2回 声を上げられない困窮者たち」を観た。番組では二つのテーマを取り上げていた。 ひとつは、“声を上げられない困窮者”をどう相談につなげるのかという点である。”セーフティーネット”を作ったものの現実には、相談者が訪れないケースが多いことが背景にある。これについて事業モデルとなった高知市の取組み事例をあげ、地域の民生委員750人の力を借りて、人海戦術によって困窮者の掘り起しを進めようとしている事例を紹介している。高齢の男性民生委員の日常活動を通した人の繋がりの中から困窮者の情報を地道に救い上げる様子が伝えられる。民生委員として日常活動の大切さをあらためて思い知らされた。
 今ひとつは、この新法がスタートしたことで、これまで困窮者の支援をしていたNPOへの支援が打ち切られ、困窮者の孤立化が進みかねないという事態の指摘である。山梨県で6年前から生活に困窮する世帯に食料支援を行っているNPOフードバンク山梨が新法のスタートでそれまで受けていた行政の支援が打ち切られ、困窮者への支援を打ち切らざるを得なくなっている事例を紹介する。新制度による支援との重複を避けるということへの画一的な対応の結果のようだが、新制度にはフードバンクの支援メニューはない。国の支援財源の絞り込みの結果と思われる。番組コメンテーターの指摘にもあったが、新たな支援制度は単に支援対象者だけの財源手当てでは漏れ落ちる部分があり、支援者を支援する事業者への支援も含めた財源確保が欠かせない。困窮者支援の現場実態を把握しない国の施策の薄っぺらさに憤りを覚えた。

「珈蔵」跡の「すごい飛魚だしラーメン」2015年04月03日

 国道176号線沿いのコープこうべ向いにあった喫茶「珈蔵」が閉店して1年以上は経っている。永く空き店舗だったが10日ほど前にようやく新店舗がオープンした。オープンしたのは建物の重厚さからすれば意表を突いたラーメン店だった。オープン直後の珍しさか連日昼時は入店待ちの来店客が列をなしていた。昨日、一度は味わっておこうと家内と二人で出かけた。平日の12時前だった。やっぱり入店待ちの状態で予約シートに数組後に名前を記入した。
 それにしても店名がよく分からない。どうやら看板の下の方に記されたキャッチコピーのような「すごい飛魚だしラーメン」が店名らしい。案内されたカウンター席に着いてこの店に看板メニューらしき「飛魚だし熟玉そば(税別814円)」をオーダーした。大盛りでも追加料金なしということなので大盛りを頼んだ。
 ほどなく注文の品がやってきた。大きめの丼に半熟卵、チャーシュー、鶏チャーシュー、色鮮やかなミズナとむらさきキャベツが乗せられている。透明なダシのすき間から太めの麺が覗いている。何はともあれダシの味である。コクのあるイリジャコ味のつゆがじわっと口に広がる。太めの麺は硬めで腰が強い。全体にさっぱり味でまとまっている。大盛りとは思えないほどすんなり完食できた。個人的な感想としては可もなく不可もなくというところか。

福祉ネット広報紙創刊号を発行2015年04月04日

 福祉ネットワーク北六甲台地区会議(福祉ネット北六甲)の設立総会を3月8日に終えて、できるだけ早く広報紙を発行したいと考えた。広報紙編集は社協分区広報紙「ぬくもり」の編集を担当していることもあり、こなれた作業である。編集ソフト「パーソナル編集長」を活用してA3二つ折り4面構成のカラー版広報紙のゲラを3月21日の第1回役員会に提案し承認を得た。
 対象地区の全住民約3000世帯が対象である。自治会の配布ルートでは自治会員以外には届かないため、シルバー人材センターに依頼してポスティングするしかない。昨日、印刷業者から仕上がった広報紙が届き住宅街のコミュニティセンターでシルバーセンター担当者に受渡しした。その広報紙が我が家にも昨日の内に届けられた。設立総会後1カ月以内のスピード配達だった。
 今後、広報紙は年1回総会報告を兼ねてカラー版で全戸配布する。中間に2回、モノクロ版で自治会ルートの全戸配布も実施予定だ。発足したばかりの住民組織である「福祉ネット」が順調に機能するためには、住民の情報や支援がどこまで得られるかにかかっている。そのためにも「福祉ネット」の認知に向けた広報が欠かせない。

さくらまつり・・・。一発逆転の花見日和!2015年04月05日

 前日の連絡網で山口さくらまつりが予定通り4日の開催が告げられた。それでも主催者の逡巡を窺わせるように当日朝7時に、有馬川緑道の屋外会場か山口ホールの室内会場かが決定されるという。それほどに天気予報は週末の悪天候を伝えていた。
 一夜明けた当日の朝、曇り空ながら雨の気配はない。予定通り9時前に山口中学校横の有馬川緑道に到着した。テント張りが与えられたミッションだった。同年輩のオジサンたちと山口中学の生徒たちに交じってテントを張った。テントを張り終え各ブースごとに出店準備を終えた頃、曇り空は一気に晴れ渡り、初夏を感じさせる日差しが降り注いだ。折しも満開のさくら並木である。前日夜まで山口ホールの開催を覚悟していた関係者には一発逆転の絶好の花見日和となった。
 開会時間を待つこともなく好転と見事な桜の開花に誘われて大勢の見物客が押し寄せた。所属する社協分区のブースではふれあい喫茶、パスタとおにぎり、ミネストローネを販売し、スーパーボールすくいと空き缶釣りのゲームを提供した。それぞれが例年になく活況を呈している。オープンしてしまえば閉店後の片付けまでオジサンたちの出番はない。主婦ボランティアや女子中学生たちは調理や販売に余念がない。それでもオジサンたちは手が足りないスーパーボールすくいの網づくりの応援で居場所を見つけた。
 社協の山口分区、北六甲台分区に山口中学校やPTAが主催である。地域の福祉施設やこの地区のボランティアグループの出店もある。新旧両地区の交流や出会いの場でもある。車イスで行き来する高齢者や障がい者の姿も多い。恐らく過去最高の人出の中を今年のさくらまつりは大盛況のうちに幕を閉じた。

名来のアートスペースPAOのクラシックの夜2015年04月06日

 昨晩、クラシックのピアノ、バイオリン、チェロの室内三重奏を聴いた。会場のアートスペースPAO http://npo-asp.jp/topは何と旧山口地区名来の道場町に近い所にある。半年ほど前までは休眠状態の「子ども博物館」の看板がかかっていた建物だった。NPO法人ASPに運営委託して再開されたようだ。
 この建物は名来在住の知人の家が所有している。先日、朝の散歩の通りがかりにこの建物玄関に掲示されたコンサートのポスターを見つけ興味を持った。その知人と別件でメールのやりとりをした際にコンサートの予約もした。そして昨晩、チョイ呑みオヤジ会の知人を誘ってコンサートに出かけた。
 18時前に会場に到着し1500円の入場料を支払い二階に上がった。初めて入った建物は玄関横には喫茶室もあり予想外に広くてきれいなビルである。二階ホールの半分がピアノが置かれたステージスペースで、半分が50席の客席スペースである。開演時には40人近い観客が席を占めた。
 出演は、白藤望とその音楽仲間によるピアノトリオとのことで女性ピアニストを中心としたアンサンブルである。ハイドン、クライスラー、ベートーベンといった作曲家の曲が休憩を挟んで1時間半に渡って演奏された。クラシックの造詣に乏しいが、間近に聴く室内楽は心に沁みる躍動感のあるひと時だった。ただホール自体が演奏用に建てられたものでないだけに音響効果に難があると思えた。
 帰り際に観客の顔ぶれを見たが知った顔は見かけない。地元以外のクラシックファンや出演者の関係者がほとんどで、地元住民にはなじみが薄いのだろう。それにしてもこの小さな田舎町で本格的なクラシック演奏に触れ合える場があること自体が奇跡的である。

1丁目福寿会(老人会)の総会2015年04月07日

 4月は地域の各種団体の総会シーズンである。所属する第一福寿会(1丁目老人会)の総会に参加した。11時から自治会館で始まった総会は特に質疑もなく型通りしゃんしゃんと進んだ。今年度の活動方針や予算の説明の後、やはり一言言っておこうと思い発言した。
 1カ月前に福祉ネットの設立総会を終えたばかりである。団塊世代が最大のボリュウムゾーンであるこの街の高齢化問題を関係団体が連携して地域ぐるみで取り組むための組織の立上げである。当事者でもある福寿会の役割は極めて大きい。ぜひ福寿会としても福祉ネットに積極的に関わってもらいたいと、訴えた。私の発言に続いて4年前にご主人を亡くされたひとり住まいの女性の発言があった。「主人を亡くして今尚寂しい想いが募っている。町内には同じ境遇の女性も多い。ぜひ同じ想いの人たちとの定期的なお茶飲み会を開催したいのでよろしく」。いい発言だった。人生の晩年に関わる老人会の公式の場で、それぞれが自身の想いを吐露できることこそかけがえがない。
 45分ほどで総会を終え、昼食懇親会となった。近くの寿司屋から海鮮チラシが運ばれ缶ビール1本とインスタント味噌汁、ミカンが提供された。近くの席のみなさんと歓談しながら楽しくいただいた。最後にみんなで炭坑節の替え歌「ぼけない節」を合唱して参加したところがいかにも老人会らしい。入会して1年余りとなる。多少違和感を抱きながらの老人会参加だったが今やすっかりなじんできた。配布された会員名簿を見ると47名の会員の内、60代の会員はわずか二名で私は二番目に若い会員である。60代後半の会員拡大が求められている。

夜のサンマルクカフェ懇談会2015年04月08日

 先日、名来の「クラシックの夜」を聴き終えた後、最寄りのサンマルクカフェで知人たち四人で懇談の場を持った。私と同年代のオジサンと50代と40代の女性お二人という異色の取り合わせだった。それぞれ私との面識はあるものの相互には全員初対面である。唯一の共通項は、地域福祉に関心が深く、「福祉ネット」という共通の話題があるという点である。
 それぞれの自己紹介を交えながら様々な話題に花が咲いた。とはいえ自ずと話題の中心は共通の関心事である地域福祉の在り方に絞られる。驚くほど率直で真剣なやりとりが交わされた。異色の組合せであるだけに思いもよらない視点で意見を聞けた。自身の見方の一面性を教えられる。1時間半ほどがあっという間に過ぎ、お開きとなった。
 人生の貴重な出来事の多くが人と人の出会いであることを実感した。

小学校入学式と少子化の波2015年04月09日

 地元小学校の入学式に参列した。卒業式の厳粛さと違い、あどけなさの残る小学一年生が主役の入学式は和やかで微笑ましさが漂う。父兄、教職員、来賓が円形で取り囲んだ体育館フロアに新入生たちがはにかみながらも緊張した面持ちで入場する。
 国歌斉唱、校長の言葉、在校生歓迎の言葉、来賓紹介と淡々と進行し、6年生の「世界に一つだけの花」の合唱の後、「一年生になったよ」を新入生たちが元気いっぱい歌った。その後、教職員紹介と校歌斉唱と続き、50分ほどで終了した。
 控室に戻り、校長からお礼の言葉があった。「先日の卒業式で119名の卒業生を送り、今日の入学式で80名の新入生を迎えました。1年前に600人いた在校生が今は556人に減少しました」。送る人数を迎える人数が年々下回り、少子化の波が着実に押し寄せている。

中学校入学式のできごと2015年04月10日

 昨日に引き続いて今日は中学校の入学式だった。始まってしばらくして新入生177名の名前が呼ばれ、一人一人が立って返事を返していた時だ。最初は小さな声で何やら呟きが聞こえた。次第に意味不明な呟きが大きな声になってきた。後方の新入生の席から聞こえる。とうとう叫び声になった時、保護者らしき女性や職員が駆け寄った。ひとりの女生徒が肩を抱かれながら体育館の出口に向かった。
 来賓席前の新入生席で落ち着きのない男子生徒のひとりが目についた。絶えず体のどこかが動いている。上着のポケットに両手を突っ込んだり出したりとせわしない。周囲を見回しては何かぶつぶつ言っている。
 式の終盤となった。在校生代表の「祝いの言葉」が少し長めに続いていた時だ。突然、「ドタン」と大きな物音がした。すぐに数人の教職員が物音の方に駆け寄った。式が中断し、しばらくして担架にのせられた新入生のひとりが会場を後にした。
 小学校を卒業し、中学校に入学した時から「児童」から「生徒」になるという。「社会」を意識し始めた子どもたちが最初に出会う大きなイベントなのだろう。それは大人たちが考える以上に子どもたちには緊張を強いられるシーンなのかもしれない。精神面や肉体面で不安を抱えた子どもたちがその緊張を支え切れなくなった時、イレギュラーな出来事が発生する。そうした事態を周囲の大人たちやこれから仲間となる同級生たちがどのように暖かく包み込めるだろうか。