民生委員・・セカンドライフの魅力的な役職(その1)2015年07月01日

 先日の市の民生委員・児童委員会の広報部会で広報紙第2号の紙面構成についてラフ案を提案した。来年12月に3年任期の民生委員・児童委員の一斉改選を迎える。来年3月発行の広報紙第2号では、一斉改選に向けた特集記事が期待されている。
 次回一斉改選では全市で5%程度の民生委員の欠員状況をいかに改善できるかが課題である。超高齢社会の到来で地域の高齢者ケアを担う民生委員の役割は一層重要で過大になってくる。勢い、関係者の委員募集には「お願い」の姿勢の印象が強い。が、果たしてそうだろうか?
 超高齢社会の到来とは、ケアすべきお年寄りだけでなく元気なお年寄りの増加を意味している。とりわけ団塊世代が全員65歳以上の高齢者となったばかりの今は、元気なお年寄りが激増したと言える。まだまだ現役気分の抜けない彼らには、今後の永いリタイヤ生活をいかに過ごすかは喫緊の課題である。ほとんどを地域で過ごすことになったリタイヤ生活では、地域活動や地域ボランティアは有力な選択肢のひとつではあるまいか。
 ところで「いざ地域活動を」と思っても、ことはそれほど簡単ではない。地域と無縁の永い現役生活を過ごしてきた身には、地域の繋がりや地域活動の手がかりがほとんどない。仮に何とか地域活動の輪に加わったとしてもその分野では新参者である。先輩諸氏やベテランご婦人方のご機嫌を窺いながらの活動が待っている。ビジネス社会の波長やリズムとの乖離を否応なく思い知らされる。下手をすればこの時期に嫌気がさして地域参加を断念する羽目にもなりかねない。
 そんな事情にもかかわらず、「民生委員という役職はリタイヤおじさんが地域活動にごく自然に溶け込んでいける魅力的なポストである」というのが経験者である私の持論である。その意味するところについては次回記事に回したい。

民生委員・・・セカンドライフの魅力的な役職(その2)2015年07月02日

 定年間近の60歳の時に自治会副会長のお鉢が回ってきた。環境担当として2年間に渡って住宅街の120台あるゴミステーションのフェンス設置に取組んだ。これが退任予定だった在住地区の民生委員の目にとまったようだ。62歳の時に民生委員に就任することになり、それに伴って社協分区役員と青愛協運営委員も引受けうけることになった。63歳で迎えたリタイヤ生活は期せずして地域活動デビューに重なった。しかも地域ボランティア組織の然るべき役職でのデビューは、いわば大相撲の「幕下付出し」のようなものだった。
 定年前からリタイヤ後は地域との関わりを持ち、自分の経験や知識を生かしてお役に立てればと思っていた。民生委員就任はその想いを一気に叶えてもらえる絶好の役職だった。民間企業で培ったマネジメント視点や広報紙編集等でのITスキルは社協分区運営に多少なりとも貢献できたと思える。デビュー直後の地域活動での多少の違和感も、「特別職の地方公務員」という民生委員の立場を考えれば安易に投げ出すわけにもいかない。
 民生委員として毎年訪問する高齢者実態調査等を通じて地域のお年寄りたちとのつながりは着実に深まっていく。それがリタイヤ生活のやりがいと充実感をもたらしている。旧地区と新興住宅地で構成される地区民児協の場を通じての旧地区の皆さんとの交流も得難いものだった。
  以上が「民生委員という役職はリタイヤおじさんが地域活動にごく自然に溶け込んでいける魅力的なポストである」という私の持論の意味するところである。次回は、地域活動を支える一大勢力である「子育て卒業母さん」にとっての民生委員の意味するところを考えてみたい。

民生委員・・セカンドライフの魅力的な役職(その3)2015年07月03日

 民生委員をはじめ地域ボランティアの活動を支えているのは女性であると言って過言ではない。実際、西宮市の700名ほどの民生委員の80%以上を女性が占めている。地域活動を支える女性たちの圧倒的多数が「子育て卒業母さん」であることは想像に難くない。子育てという心身ともに過重な役回りから解放された時、彼女たちのセカンドライフが始まる。それは定年を迎えたオジサンたちの一足早いセカンドライフにも似ている。
 もちろんこのせちがらいご時世である。趣味や娯楽でそれを謳歌できる主婦は少数派だろう。子育て中から始めたパート勤務等を本格化する方も多いのではないか。それでも子育てを終えてふと今後の永い人生を思った時、何か人のお役にたちたいという志が芽生えたとしても不思議でない。そんな子育て卒業母さんたちが地域ボランティアの貴重な戦力を担っている。
 民生委員の役割は、基本的に個人活動で行われる。それだけにパート勤務や他の行事の合間を縫ってできる柔軟性がある。地域活動でも「特別職の地方公務員」という独自のポジションがそれなりの重みを持つことになる。志を実現しやりがいを覚える上での格好の役職である。
 以上のように、リタイヤオジサン同様に子育て卒業母さんにとっても民生委員は魅力ある役職の筈である。問題は民生委員という役職がそうした観点からアナウンスされていないことや理解されていないことにあるように思えてならない。
 次回は、民生委員の一斉改選を控えて、そうした観点から民生委員の選任に向けてのアナウンスの在り方について触れてみたい。

民生委員・・セカンドライフの魅力的な役職(その4)2015年07月04日

 民生委員の任期は3年で、改選日の12月1日は全国共通である。次回改選は来年の12月1日で西宮市でも定数722名(うち42名は主任児童委員)が改選される。西宮市の21.6万世帯に対して民生委員定数は679名であり一人あたり平均約320世帯を担当していることになる。
 民生委員は民生委員協議会に所属する。西宮市では13地区協議会があり、地区協議会の下に2~5の校区協議会(計33校区協議会)が置かれている。民生委員や主任児童委員は基本的に地区協議会単位で設けられた民生委員推薦会で、協議会を構成する民生委員の担当地区ごとに選任される。推薦母体はそれぞれの担当地区の自治会である。
 ところで民生委員の改選は、二つの事由に伴う欠員補充が課題となる。ひとつは既存の民生委員の個別の事情による辞任に伴うものであり、今ひとつは年齢制限に伴う退任者の補充である。民生委員の年齢制限は概ね75歳(主任児童委員は55歳)であるが、再任の日に制限年齢未満であれば再任可能である。
 以上が、西宮市の民生委員の一斉改選に伴う概要と手順である。次回改選で現状の5%程度の欠員と辞任・退任に伴う新たな欠員をどこまで補充できるかが課題である。来年春以降、一斉改選の準備が始まる。9月に初めて発行する市の民生委員会・児童委員会の広報紙「ともしび」の第2号は来年3月に発行予定である。地域住民向けのこの広報紙を活用して「民生委員の一斉改選」の特集記事が期待されている。編集者の一員として、「民生委員選任のお願い」的なスタンスでなく、「セカンドライフの魅力的な役職」をアピールできればと思う。今後の地域活動を担う二大勢力である「リタイヤおじさん」と「子育て卒業母さん」のセカンドライフの有力な選択肢なのだから。

「ゆるいいふなさか」。過去、現在、未来のコラボ2015年07月05日

 山口支所で小冊子「ゆるいいふなさか」(写真で見る船坂小学校のあゆみ)を貰ってきた。市のFacebookで7月1日に無償配布されるというアナウンスをみてすぐに支所に出かけて入手した。
 全26頁の手作り感あふれた小冊子は「ゆるさ」が基調となって綴られている。見開きの1・2頁をわずか50字ほどの文字が流れている。「ゆっくりと流れる時間、静かで優しい風景、いつも迎えてくれる温かい笑顔。そんな船坂の『ゆるさ』が私たちは大好きです」。この小冊子作成に携わった若者たち「ふなさか組」からのメッセージである。ふなさか組は「西宮船坂ビエンナーレ」で出会ったボランティアメンバーの若者たちで結成された。
 平成22年3月、船坂小学校は少子化の波の中で130年の歴史を閉じて閉校となった。校長室からは大量のアルバムが見つかった。アルバムに詰まったたくさんの大切な思い出・・・。この思い出を失くしたくない!思い出を通して船坂の過去を辿りたい!そんな想いが若者たちを突き動かした。その結果生まれたのがこの小冊子である。
 アルバムに保存されていた写真43葉が「戦前」「戦後昭和の前半」「戦後昭和の後半」「平成」の四つの時代に分類して紹介されている。学校行事、式典、船坂の風景、子どもたちの遊び、校内風景などが、時代ごとに装いを変えて登場する二宮金次郎のイメージキャラクターをガイド役にして展開されていく。二宮金次郎像は今も校庭の一角に建つ船坂小学校のシンボルである。
 巻末には、冊子制作の過程で90名以上の船坂住民の協力を得たとある。写真提供や写真解説のための聞き取りなどの協力である。アルバムにこめられた船坂に生きた人々、今も船坂で生活する住民たち、船坂の未来に夢を馳せる若者たち。船坂の過去、現在、未来の見事なコラボレーションが一冊の冊子にこめられている。

公民館講座「隣町風土記・道場」の散策コース2015年07月06日

 昨晩、住宅街のカフェで私の公民館講座担当の新旧の推進員さんお二人と呑み会をもった。この秋に予定している山口公民館講座「隣町風土記・道場」の散策コースの打合せも兼ねていた。
 今年の講座のテーマは山口の北隣りの町「道場」である。10月3日に座学を11月7日に道場の散策講座を開講する。散策講座では当日何人かの推進員さんに引率をお願いすることになる。そこで今月の27日に中心になる推進員さんと本番コースの下見をすることになった。
 早速、昨日の内に作成した散策コースの案をお二人に提案した。広大な道場町には様々な見学スポットが点在するが、2時間の散策で想定できるコースは限られる。テーマに沿って絞り込むほかはない。古来より山口と道場は有馬川、丹波街道、旧・国鉄有馬線の三つのルートで結ばれていた。有馬川に沿って往来していた旧丹波街道をメインに散策コースを設定した。
 有馬川に架かる名来橋の東詰めに集合し、東に向かって旧丹波街道に合流する。そこから北に向かって進むとすぐに道場町平田の田園に入る。平田集落に入ってすぐに東に向かい突き当りの平田稲荷神社に参拝した後、集落に戻る。旧平田宿の街並みの西側にある平田薬師堂を訪ねる。集落の北のはずれに第2名神道路の工事現場がある。工事中に弥生時代の集落跡が発見された場所だ。平田橋を渡り有馬川の左岸の旧街道を北上する。道場川原の旧・宿駅の名残りを残す街並みを眺めながら西に進み城山公園に向かう。この地域を支配した戦国武将の松原氏の居城跡である。公園に隣接して神戸電鉄・道場駅がある。周辺には旧国鉄有馬線の廃線跡があり、駅の西側には有馬線の生みの親である「山脇延吉翁の顕彰碑が建っている。それらを見学した後解散する。
 以上が散策の簡単なコースガイドである。「道場の旧街道を歩く」がテーマとなる。

高橋克彦著「炎立つ(参)」2015年07月07日

 高橋克彦著「炎立つ」の第三巻を読んだ。「前九年の役」と称される奥州安倍一族と源氏の攻防の後半の物語である。第二巻は「黄海の戦い」での源頼義の無残な敗北をもって幕を閉じた。
 第三巻はその頼義が様々な策謀をもって再び阿倍氏に戦いを挑み、最終的に安倍一族を滅亡させて前九年の役に勝利する物語である。頼義巻き返しの決定的な要因は、出羽の豪族・清原氏の頼義への加担だった。それまで中立を保ってきた清原氏は、「黄海の戦い」での阿倍氏の圧倒的な強さを思い知らされ、いつか奥州の覇者阿倍氏に屈服させられることを恐れたのだ。
 清原氏参戦によって形勢は一気に朝廷側有利となる。わずか3千の麾下しかなかった頼義に清原氏の1万の軍勢が加担した。緒戦の小松柵の戦いから頼義軍は優勢に闘いを進め、安倍氏の拠点である厨川柵の攻防で一気に勝利する。阿倍氏の棟梁・貞任は深手を負って捕えられ頼義の面前で息を引き取り、もう一人の旗頭・藤原経清も義家に捕えられ、頼義によって錆び刀で斬首される。唯、阿倍氏の血を引く結有と夫・経清との実子・清丸だけは、阿倍氏再興の望みを託されて辛うじて生き延びる。
 第三巻の記述の中で主人公・経清の述懐を通して作者の想いを垣間見た。「公卿が本当に恐れているのは、国家の方針に逆らい続けている頼義のために死んでいく兵が何千といる事実にある。(略)肝心の頼義がそれに気付いていないのは、国のまぼろしに誑かされているせいだ。(略)阿倍や物部が遥かに早く朝廷の支配する国家が形骸であると見抜いたのは、階位や官職と無縁な生き方を強いられたからである。国から外れたところにこそ理想と自由がある。」
 巻末の解説でも、「我慢強く口数少なく勤勉」という東北人のイメージについて東北人である作者のつぶやきにはっとさせられた。「それって、まるきり使役する側の理想だよね。使用人は、忍耐強く、無駄口をきかず、体惜しみをしないのがベストでしょ。それって、東北人への巧妙なマインド・コントロールなんだよ。(略)一般の人々に、そういった東北人のステロ・タイプ化されたイメージが浸透していること自体、由々しき問題なんだよね。無意識の差別というのがいちばんタチが悪いんだ。なんせ、いってる当人は差別とはぜんぜん思ってないんだから。」

突然の脳の痛みにうろたえた2015年07月08日

 昨日、最寄りの脳外科病院に出かけた。前日の夜に突然、右耳後ろから首筋にかけて吊るような痛みに襲われた。すぐに収まったもののうろたえた。歳が歳だけに一瞬脳梗塞の不安がよぎった。翌日早速、脳検査を受けるべく出かけた次第だ。
 診察室に入り、担当医に状況を伝え、MRIの検査の手はずをしてもらった。ちょうど1年前の6月にも同じ病院でMRIを受けていた。きっちり1年後に同じ事態を迎えるとは!
 カウンターで検査予約をした。今月中はいっぱいで来月3日にようやく予約できるという。そんな先で大丈夫かと思ったがやむをえない。それだけ地域の高齢化が進展しているのだろう。2025年問題を迎える10年後にはこんなものでは済まない筈だ。その想像に暗澹たる思いに駆られた。

出前講座「葬儀を考える」2015年07月09日

 福祉ネットの構成組織である隣町の老人会主催の「終活を考える」講座を受講した。講師は市の消費者生活センターから派遣された高齢女性でセンターの出前講座のようだ。
 1時間半の講座の実質は「終活を考える」というより「葬儀を考える」という内容で、大半は「葬儀の実態」や「葬儀トラブルの対処」というものだった。ただ冒頭に、高齢の受講者たちへの次のようなメッセージは頷けた。「元気なうちに、財産相続、身辺整理等をエンディングノートなどを活用して整理しておくこと。特に高齢者夫婦は、お互いに知っているようで知らないことが多いから。また認知症の懸念が増えてきた現在、エンディングノートや成年後見制度はぜひ活用すべき」。
 葬儀の際の業者とのトラブルを避ける上でも、生前に故人の意思を明らかにしておく上でエンディングノートは効果的であることも教えられた。ただ90分の講座を葬儀に絞った形で行うには無理がある。全般に内容の重複等の印象は免れない。やはり「終活」をテーマに様々な角度からの「エンディングの準備」といった講座がベターだったのではないか。
 我が家でもエンディングノートは購入済みだが、まだまだ先のことという意識が強かった。永年連れ添った夫婦だが確かに知っているようで知らないことも多い。終末をどのように迎えたいのか。お互いにひとつひとつ突き合わせながら確かめる時期を迎えているのかもしれない。

小さい秋見つけた2015年07月10日

 梅雨が一向にあける気配がない。今朝もどんよりした空の下を、さえない気分で歩いた。有馬川堤を愛宕橋の手前までやってきた。堤の東側に建つ一軒家がある。その庭の一角なのだろうか。堤の麓に栗の木が立っている。
 何気なく眺めた栗の木の濃い緑の葉っぱの中に、鮮やかな黄緑の栗の実がイガを纏って実っていた。季節はまだ初夏である。栗の実という秋の風物が既に時節到来の準備を始めている。
 さえない気分が一瞬洗われた。思わず「小さい秋を見つけた」と呟いた。幼い頃に口ずさんだ童謡の歌詞の一節がついて出た。
  ♪ 誰かさんが 誰かさんが 誰かさんが みつけた
      ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋 みつけた ♪