NHKスペシャル・老人漂流社会「親子共倒れを防げ」2015年09月01日

 先日、「NHKスペシャル・老人漂流社会『親子共倒れを防げ』」を観た。衝撃的な内容の番組だった。日本社会の高齢化、格差社会化、貧困化、福祉行政のお粗末さといった様々な矛盾が凝縮した形でレポートされていた。
 番組は次のように問いかける。「収入が少ない中高年が高齢の親と同居するケースが増えている」「子どもと同居することで経済的に苦しくなり、老後破産に陥ってしまう親子」「家族が一緒に暮らすという選択が、難しい社会であっていいのか」
 番組は次のような実例を題材に進行する。「独り暮らしの80代の高齢男性のもとにリストラされた40代の息子が戻ってきた。父親は以前脳梗塞を発症し、いつ再発するか分からない。薬が欠かせない生活である。息子の仕事は不定期で収入はわずかだ。生活費は父親の月9万5千円の年金頼みである。それでもこれまでは父親には市営住宅の家賃免除や医療費免除などの様々な保護があり、なんとか生活が維持できていた。ところが息子が戻ってきたことでこれらの保護が打ち切られた。働き盛りの息子が同居したので収入があるとみなされ保護が打ち切られたのだ。家賃や医療費負担が一気に生活を圧迫する。このままでは親子共倒れになる懸念が大きい。息子が出ていけば保護は復活するという。父親の脳梗塞がいつ再発するかわからないという不安を抱える二人にはその選択は苛酷だった」。
 健康不安を抱えた80代の高齢者の独居、格差社会ではじき出された中年男性、家族で生活費を確保する手立てのない貧困化、働き盛りの同居人という表面的な事象だけで容赦なく福祉をカットするお役所仕事の冷淡さなどがこの家族を「親子共倒れ」という現実に追いつめていく。

高齢者の困り事とゴミステーションのコンテナ2015年09月02日

 民生委員になって8年目を迎える。お年寄りの困り事を耳にする機会も多い。そのひとつにゴミステーション当番になった時のコンテナ問題がある。我が町ではコンテナは日常は当番が自宅で保管し、使用日ごとにステーションに持っていくのが慣行である。コンテナの汚れなども自宅で洗浄するのが一般的だ。
 若い頃は苦にならなかったこの分担も70代後半になると骨身にしみる。何よりも二つのコンテナの重さがこたえる。自宅とステーションに距離のあるお宅の大変さは尚更だ。かねてから何とかならないかと思っていた。昨日、思い切って市役所の担当部署に相談したところ、次のような回答を得た。抜本的解決とは言えないものの現状改善のヒントになったのでメモしておきたい。
 「これまでもコンテナ自体の軽量化を進めてきた。長期的には神戸市のようなコンテナの有料袋化等の対応も検討中。ゴミステーションが道路上でなく区画内立地であれば、日常は折畳んでステーション内に据え置くことは問題ない。その場合、当日の朝に当番か最初に利用した人が組立てる等をルール化しておけばよい。ステーション据置きによるコンテナ盗難には追加補充で対応できる。コンテナ洗浄は正常な使用であれば不要だ。ビンや缶を飲み残しまま出さない等のゴミだしマナーの徹底をお願いしたい。ゴミステーションまでのごみ出しが困難な高齢者や身体障害者など対象者を限定した『にこやか収集』という支援制度もある(職員が玄関先まで出向いて、ごみの収集を行うサービスで、申請、面談等の手続きが必要)」

さらば立ちション!亭主が白旗を掲げた日2015年09月03日

 家内が欠かさず観ているTV番組のひとつにNHKの「ためしてガッテン」がある。別々にテレビを観るほどの夫婦仲でもないのでしばしば一緒に観る羽目になる。昨晩のこの番組のテーマは「家族が涙!トイレ問題 大解決SP」だった。始まる前から家内が「一緒に観なアカン」と言い募る。嫌な予感がした。
 冒頭から、「家庭の洋式便器における『男性の立ち小便』を徹底検証する」とアナウンスされる。このテーマがどこでも夫婦間の大きな紛争のネタになっており、離婚原因にまでなっている場合もあると恫喝される。
 ひとごとではない。身につまされるテーマである。我が家でもリタイヤ後、家内は亭主の立ちション被害を露骨に主張するようになった。自分でトイレ掃除をするか座って用をたすかと、しばしば選択を迫られている。これまで辛うじてその攻撃をしのいできた。こんないきさつでは一緒に観ることすら拒否すれば火に油を注ぐことになりかねない。観念して一緒に観ることにした。
 洋式トイレでの立ちションによる尿ハネの実験映像が流される。壁や床に目に見えない細かな尿滴が無数に飛び散っている。予想以上にトイレを汚し悪臭を放っていることが一目瞭然である。便器の外に漏れないよう注意すれば問題ない筈という私のこれまでの主張は根拠を失った。小便の便器の中の狙いどころによる尿ハネの違いも紹介される。「奥」「水溜り」「サイド」「手前」「便器を跨いで真上から水溜り」の順で尿ハネ被害は大きい。便器の手前に立って行うのでなく跨いで真上からという不自由な姿勢がベターなのだ。米国の物理学者の「尿ハネしないおしっこの法則」が紹介される。何のことはない便器の正面か水面に12cm以内の距離で放尿せよというのである。この法則を実践するには便器を抱きしめるように座ってするほかない。
 ここにきて番組の意図は明らかになった。尿ハネを失くすという課題の解決は、座って小用するという選択肢しかないことを世の亭主族に迫っているのだ。この番組の大多数の視聴者は主婦に違いない。プロデューサーは視聴者の期待に見事に応えている。ひょっとすれば女性プロデューサーの陰謀かもしれない。
 それでも番組を観終えた亭主族は自らの敗北を思い知った筈だ。少なくとも尿ハネはマズイという最低限の妻への誠実さを持ちあわせる限りは、立ちション続行には自身のトイレ掃除を甘受するしかない。さもなければ「座ってする」という選択肢を受入れるほかはない。
 番組終了を待って小用に立った。そして画期的な初めてのスタイルで小用を敢行した。立ちションこそが男のプライドというメンツも沽券も、トイレ掃除回避のためには放棄するという選択だった。
 9月2日、ついに永年の夫婦の根深い抗争に決着がついた。さらば立ちション!亭主が白旗を掲げた日だった。

ボランティア研修で「共生」を実感2015年09月04日

 先日、住宅街の自治会館でボランティア研修会が開催された。社協分区のボランティアセンターに登録頂いているボランティア22名とコーディネーター13名が参加した。
 最初にボラセンで検討中の有償ボランティアについての説明があり、質疑応答があった。これまでの日常の困り事の相談事例や活動提供中の事故やトラブルの懸念などの質問があった。ボランティアの皆さん自身が高齢者である。それでも今後の有償ボランティアにも関心が窺えた。年をとっても支えられるだけでなく支える活動にも関わりたいということだろう。
 その後、市社協の分区担当者による障がい者と健常者が一緒に楽しめるスポーツ「ボッチャ」の解説とルール説明があり、1チーム3名の11チームに分かれて競技を体験した。障がい者でもハンディを感じずに健常者と同じ土俵で競技を楽しめるように工夫されている。ボッチャを通じた障がい者、健常者の垣根を越えた交流が可能である。1時間余りをトーナメント方式で興じた。我がチームはメンバーに恵まれて準優勝に輝いた。
 その前日に社協分区役員会で分区長より第8次地区福祉計画案が提案された。キーワードは「共生の町」である。今回の研修会はまさしく「共生」がテーマであったように思った。高齢者も若い世代も一緒になって支え支えられる町づくりに向けて有償ボランティアは欠かせない。ボッチャは障がい者と健常者の共生のスポーツである。
 そんな想いを副分区長の立場から研修会の締めくくりの挨拶にこめた。

下山口の小だんじりの改修お披露目運行2015年09月05日

 下山口の小だんじりが昨秋に大改修のため岸和田の業者に搬送されていたようだ。その大改修を終えて、今日の公智神社での入魂式に合わせたお披露目運行がある。朝の散歩でその情報を下山口の知人から聞いて早速出かけた。
 10時前に御旅所近くのだんじり庫に着いた。大勢の下山口の男性陣がハッピ姿で、装いを新たにした小だんじりを取り囲んでいる。だんじり庫前の進入路を出発した小だんじりは、旧街道に出る際に最初の直角の曳き廻しを敢行する。前後の動きしかできないコマを人力で無理矢理直角に進路変更する荒業である。
 御旅所前で再び進路変更し宮前通りを辿って公智神社境内に入る。境内ではあちこちで知人たちと言葉を交わした。だんじりは何十年か毎に改修が必要である。そのたびに何千万円かの費用がかかる。新調すれば1億数千万円もの資金が必要なだんじりである。伝統行事を維持することの大変さをあらためて教えられる。
 神社の祢宜さんが登場し入魂式の神事が始まった。境内には最寄りの保育園の大勢の園児たちの姿も見えた。神事を終えただんじりは山口センターからJA下山口支店間をお披露目運行し、最後にだんじり庫に戻ってくる。秋祭り前の臨時の人手を要するだんじり運行を若者たちも含めた男衆たちが懸命に支えている。終われば下山口会館で打上げが待っている。こうした固めの杯が昔ながらの村落の風習を守っている。

高齢化と住宅街の空地管理の無責任2015年09月06日

 民生委員の担当地区を、敬老のつどいの案内状のポスティングをしていた。あるお宅の年配の奥さんから声を掛けられた。隣接する空き地の雑草や樹木による被害の訴えだった。現場に赴き実態を確認しながら次のような事情を訊きとった。
 「くだんの空き地は宅地開発以来の空き地である。所有者は過去一度も草刈りをやったことがない。何度か市役所に掛け合ったが、所有者に通知し対応を指導すると回答があるだけで草刈りが実施されたためしはない。次々に転売されて所有者の責任感が希薄になっているという事情もあるようだ。やむなく近隣住民が年一回一緒に草刈りをしてきた。ところが近隣住民の高齢化が進み草刈りの負担が過重になってきた。宅地周りの植木が大きくなって隣接住宅への落ち葉被害も甚大になってきた。道路側の大木の枝が電線に架かるようになり暴風雨の際の災害の危険もでてきた。所有者でもない住民が樹木の伐採までは手が出せない。ここまでになっても市役所は所有者任せで抜本策を講じてもらえないのか」。 
 もっともな訴えだと思ったが、解決の難しさも予想できた。その後、社協の関係者に事情を話すと、住宅街のあちこちで似たような状況があり、近隣住民が困っていると聞かされた。そこで市の関係者に問い合わせて、以下のような見解を訊きだした。
 「市役所としては民間の空地問題では所有者を特定し、環境保全の措置を講じるよう指導することしか現状では手を打てない。一歩踏み込んだとしても所有者の費用負担を条件に、市役所が業者に草刈り等の作業を委託することが精いっぱいだ。ただ地区のあちこちで同じような問題が発生しているならその実態を整理し自治会が地区住民の意向をまとめて市に訴えるということを考えてはどうか」。
 高齢化問題の新たな課題が浮上した。自治会とも連携して福祉ネットで対応を検討してみよう。

娘夫婦の引越し手伝い2015年09月07日

 昨日の朝早く自宅を出て滋賀県野洲市に向かった。娘夫婦の引越し手伝いのためだ。娘たちの賃貸マンションに7時半頃に到着し、早速こまごまとした作業を手伝った。共稼ぎ夫婦のこととて思ったほどに準備は進んでいない。8時過ぎには大手の引越し業者が3人ばかりでやってきた。さすがにプロである。様々な引越し道具や容器を駆使してテキパキと作業をこなしていく。10時前には全ての荷物をトラックに積み込んで転居先に向かった。家内と娘が後片付けに残り、婿殿の車で業者の後を追うように二人で転居先に向かった。
 転居先はJR東海線で野洲駅から7つ京都寄りの膳所駅近くである。我が家との距離は車で30分近く短縮されることになる。転居先の2階建て6部屋の新築賃貸住宅に10時半頃に到着した。収納スペースの広い真新しい2LDKだった。しばらくして引越し業者のトラックが到着した。次々に運び込まれるパッキンを開け、運び込まれた食器棚にキッチン回りの食器類などを収納した。
 12時過ぎには家内と娘が到着し、皆で近くのショッピングモール内の飲食ゾーンにでかけた。自宅近くに店舗のないびっくりドンキーの店で初めてのハンバーグランチを味わった。昼食後3時頃まで収納の手伝いをしながら過ごした後、小雨の中を帰路に着いた。
 転居先の周りは風情の残る古い町並みだ。近くには木曾義仲の愛称・巴御前ゆかりの義仲寺や琵琶湖に面した膳所城跡公園もある旧膳所村の一角である。反面、滋賀県庁にも近く、西武大津店やイオンタウン、平和堂のミニスーパーなどの小売店も多く便利な街でもある。娘夫婦の恵まれた環境の新たな新居をあらためて訪ねたいと思った。

名塩の知人の労作・改訂版2015年09月08日

 ゆうパックで一冊の本が届けられた。事前にメールで連絡を頂いていた名塩探史会の江本純三氏の著作「名塩物語(改訂版)」だった。1年ほど前に名塩在住40年の江本氏が綴った名塩ゆかりの10篇の小さな物語を集めた「名塩物語(初版本)」を頂いていた。改訂版は、その後に著作された4篇の物語を追加されたものだ。追加された4編の物語は以前に原稿のコピーを頂き読ませて頂いていた。
 氏は、2年前に傘寿(八十歳)を迎えられた。老いて尚ご自身のライフワークともいうべき著作に注がれる情熱を羨ましく思った。しかもそれは名塩にゆかりの人物や伝承を丹念に追った地域にかけがえのない著述である。ひと回り先輩の氏の生き方を12年後の自分ができるだろうか。

さらば立ちション!実践編2015年09月09日

 このブログで「さらば立ちション!亭主が白旗を掲げた日」の記事を更新して一週間が過ぎた。ブログで宣言することで、退路を断って実践する決意を固めたという節もないではない。生来、生真面目な質(たち)である。自宅での小用は律儀に立ちションとおさらばしている。以下はその実践編である。
 男の沽券やプライドに見切りをつけさえすれば、便器座って用を足すこと自体はそれほど苦にはならない。ただ作業工程がいくつか増えるという煩わしさはある。立ちションならファスナーを下げ照準を合わせて発射と極めてシンプルである。これを大便と同じスタイルで行うとなると、ベルトを開放し、前ボタンを外し、ズボンを下着ともども膝下まで降ろし着座し照準を合わせて発射と、たかが小用にしては何とも煩わしい。これでは切羽詰まった尿意に対応できるかという懸念もある。しかも前向きの着座スタイルなので便器前面の壁との距離は極めて短い。不用意に発射すれば便器の壁を乗り越えて放出するという悲惨な結果を招きかねない。
 人間は考える葦である。この困難な状況を前に知恵を絞った。ヒントは「ためしてガッテン」の番組の中の「尿ハネしないおしっこの法則」にあった。便器の正面か水面に12cm以内の距離で放尿せよという法則である。この法則を実践するには便器に向きあって座るほかないと気づかされていた。そこで便器に向き合って着座した。便器の壁までは十分なゆとりがある。これならファスナーを下げるだけで問題なく用を足せる。実践してみると大正解だった。作業の煩わしさも便器を乗り越える懸念も一気に解決した。スタイル的には決して自慢できるものではないが、閉鎖されたトイレ内である。誰が見ているわけでもない。
 世の亭主族からひんしゅくを買ったかもしれない記事のせめてものお詫びに、この実践編を記すことでお詫びに変えたい。そして夫婦で永年の火種となっているおのおの方!試しに実践めされてはいかがか?

「暴風の爪跡」の結末2015年09月10日

 朝のウォーキングに出かけた時、民生委員の担当地区内で発生した「暴風雨の爪跡」の件を思い出した。http://ahidaka.asablo.jp/blog/2015/08/16/7733428 市役所の担当部署に連絡し対応を依頼したところ、「地主に連絡を取り早急に処理するよう指導します」とのことだった。それから二週間ほど経過した。その後の状態を確認しておこうと現場を回ることにした。
 遠目には処理されていないかのような光景が目に入ったが、近づいてみるとちゃんと処理されていた。松の大木の根元から伐採するのかと思い込んでいたが、折れ曲がって民家の駐車場屋根に掛かりそうになっていた松の上半分を伐採し除去されていた。これなら大木の半分が朽ちて落ちるという危険はなくなった。地主は誠実に対応してくれたようだ。まずは一件落着!である。