二つの文化祭をはしごした2015年11月01日

 3日の文化の日を挟んだ今週は、地域の文化祭の開催が続く。山口公民館文化祭の初日の今朝10時過ぎに、山口公民館に出かけた。
 折しも山口ホールの展示室では西宮歴史資料写真展が開催されていた。苦楽園、鷲林寺とともに山口の昔の風景写真も展示されていた。さすがに市の情報公開課が主催する写真展である。昭和30年頃の公智神社を望む宮前通りの両側に茅葺家が立ち並んだ貴重な写真などを目にした。
 4階の公民館で開催中の文化祭会場に向かった。第1集会室には公民館活動推進員会の講座風景写真を中心とした展示がある。この一年間の私の二つの講座の風景も顔写真入りで展示されている。各会議室には例年と同じ配置の作品の数々が展示されている。年々出品者、参加作品も増え盛んになっている。会場のあちこちで知人と出会い、言葉を交わした。年一回、この場でしか会えない方もあり楽しみな機会でもある。
 山口センターから北六甲台コミュニティセンターに向かった。北六甲台自治会文化祭が二日前から開催中である。最初に自治会館の各団体の展示を観た。今年三月設立の福祉ネット北六甲も今回初めてパネル展示した。閑散とした会場にはわけがある。隣接のコミセンでは文化祭中最も集客力のあるカラオケフェスティバルが開催中である。朝10時から16時過ぎまで1時間の昼食休憩を挟んで54人もの出場者によるカラオケ発表が組まれている。会場を埋め尽くした観客を前に妙齢の知人女性がドレス姿で熱唱中だった。お二人の熱唱を聴いたところで昼休憩となった。それを潮に帰路に就いた。

高橋克彦著「時宗(巻の壱・乱星)」2015年11月02日

 高橋克彦の奥州蝦夷を題材とした4作品を読み尽した。もっと読みたいと思ったが彼の同じ分野の歴史小説は他にない。残された唯一の歴史小説が「時宗」だった。早速ネットで全四巻を入手し、その第一巻を読了した。
 第一巻の主人公は、時宗の父で第五代執権・北条時頼である。北条時頼と言えば、先月の私の公民館講座「隣町風土記・道場」で取り上げた道場ゆかりの人物である。出家後に最明寺入道と呼ばれた時頼が諸国遍歴し民情視察した際に、道場の鎌倉谷(鎌倉峡)に滞留した。鎌倉峡の茶店前には時頼公滞留を記した石碑(最明寺跡)が建てられている。その時頼が時宗の父だったことを初めて知った。
 140年にも及ぶ鎌倉幕府のほとんどを統治したのは頼朝を支える有力御家人だった北条氏である。その出自の故に将軍を補佐する職の執権として幕政の実権を握るしかなかった。そのため執権政治とは将軍職を推戴した二重権力構造を内包した体制だった。
 物語は、重篤な病に伏せる4代執権・経時が実弟の時頼に執権の座を託す場面で幕を開ける。取り巻く情勢は不穏なものだった。経時に更迭させられた先の将軍・頼経に組する名越の北条、北条に匹敵する兵力を有する有力御家人の三浦一族との深刻な確執の最中だった。
 第一巻は執権に就任した時頼が、名越の北条との葛藤を制し、続いて三浦一族を武力で排して北条氏による執権政治を盤石なものする過程を描いている。盤石なものになったと思えた時、時頼は自答する。「北条とは何であるのか」。それは執権政治の内包する二重権力構造の矛盾や脆弱さを受け止めながら、蒙古来襲の情報に備えて国を纏めねばならない苦悩である。「国は北条のためにあるのでなく、北条が国のためにある」ことこそ北条の役目ではないか。
 そんな逡巡を経て時頼は、国の纏まりを突き崩そうとする内裏の黒幕で先の将軍・頼経の父である藤原道家との確執の最終決着を決意するところで第一巻は幕を閉じる。

住宅街からの雲海の眺め2015年11月03日

 朝6時過ぎに自宅を出た。住宅街を北に向かって歩を進め、北の端のグランドを備えた大きな公園にやってきた。遊歩道から中国道越しに北側の盆地を眺めた。予想通りの風景が眼下に広がっていた。見事な雲海だった。すぐ先の丘陵の麓をすっぽりと覆い尽くしている。
 公園の北東の入口の階段を昇り南の風景を眺めた。いつもは見える神戸市北区のベッドタウンが雲海の下に埋もれている。わずかに高層マンションの最上階だけが顔を覗かせている。
 公園を後にして、住宅街を北東に進んだ。最北端の位置にボランティアセンターのある安心プラザの建物がある。裏手に回ると道場町の山並みが一望できる。ここからの雲海の眺めもまた雄大で幻想的だった。
 帰路に就いた。住宅街の小学校の北側の坂道を下った。正面には公智神社の背後を囲む社叢のある丘陵が広がっている。ここでも丘陵手前の下山口の集落がすっぽり雲海に包まれる貴重な風景があった。
 雲海は、山間部の盆地で湿度が高く放射冷却で地表面が冷えた晩秋や初春の早朝に発生しやすいという。山口町は広大な三田盆地の南の端に位置する。雨上りで湿度も高く冷え込んだ晩秋の早朝だった。発生条件を全て満たした今朝の早朝散策が、見事な雲海の風景をキャッチする思わぬ行幸をもたらした。

住宅街の文化祭最終日2015年11月04日

 昨日は、住宅街の五日間に及ぶ文化祭の最終日だった。様々なイベントが催される日でもある。所属している社協のパネル展示の撤収作業もあり、1時過ぎに会場に向かった。
 会場近くの公園では市の西宮フラワーキャラバンが開催されている。ほど良い広さの公園の周囲を緑と白の四角錐の屋根のテントが立ち並んでいる。中央には椅子テーブルが並べられ、来場者の交流とくつろぎの場を提供している。テントの下ではオリジナルフラワー展示、花と緑のまちづくり展示、園芸教室、花のバザー、花の苗の即売会、環境学習展示などのブースが出展する。従来は、有馬川緑道を会場に山口全体のイベントとして催されていたが、今回初めて我が町で開催された。
 ふれあい喫茶が開催されているコミュニティセンターに向かった。1時過ぎに出発した子供みこしが2時前に玄関前に戻ってきた。ハッピ姿の大勢の子どもたちが自治会役員からジュースとお菓子で迎えられる。ふれあい喫茶の会場では入れ替わり立ち替わり来場者が絶え間ない。コーヒー、紅茶、日本茶にお菓子で社協の地域交流部のスタッフたちが接待する。五日間の文化祭を締めくくる年に一度の世代やグループの枠を超えた貴重な交流の場である。この日のふれあい喫茶には定例の喫茶には見られない来場者も多く、最終的に227人もの来場者があったとその夜の社協役員会で報告された。
 三時になると、文化祭の後片付けが始まる。隣接する自治会館の展示物の撤去作業に参加した。こうした作業を各種団体のメンバーが共同で関わることもまた交流の機会となっている。

大腸カメラの検査の日2015年11月05日

 5日前に申込んでいた大腸カメラの検査の日がやってきた。前日6時頃に消化の良い卵かけごはんを済ませた後は何も食べていない。朝8時40分に家内の運転するマイカーで病院に着いた。受付を済ませて9時に診察室後の窓際のコーナーに一緒に検査を受ける5人のお仲間が着席した。年配の男女に交じってナント!20代の女性がいる。いかなる事情なのか!?
 看護師さんの検査前準備の説明が始まった。9時から15分おきにスポーツドリンク風の2リットルもの下剤を5回に分けてひたすら飲まねばまらない。その後、10分おきに1.2リットルの水を3回に分けて飲む。飲むたびに病院内を歩いて排便するよう促される。下剤の威力はてきめんである。何度トイレに駆け込んだことだろう。4回目あたりから見事に排泄物は透明の液状に変貌する。最後の水(末期の水ではない)を飲んで和式便器で用を足した後、専用ブザーで呼ばれた看護士さんが下剤服用の成果を確認する。
 10時40分頃に準備完了した後、検査までの永い待ち時間となる。待合室で持参の文庫本を読んで待つほかない。急な申込みだったので順番は最後だったこともある。検査準備を告げられたのは14時前だった。検査用の着衣に着替えて検査台に横たわった。何度やっても嫌なものだ。「俎板の鯉」の心境で時間の経過を祈るほかない。
 中年の男性医師の声で検査開始が告げられる。二人の看護師が介添えぢているようだが、後ろ向きにかがんだ状態で横たわる身には姿は見えない。医師の呟きにも似た解説が淡々と続く。「今、カメラが腸の曲がり角を通過します。少しお腹が張りますが辛抱して下さい。最後の壁に到着しました。モニターをお見せしますね」とディスプレイ画像を見せられる。「では、折り返しながら腸内を観ていきますね。1~2mmの小さなポリープが少し散らばってますがこの程度は良いでしょう。アッ!この平べったいポリープは少し心配ですね。切除しておきましょう」。切除跡を縫合するホッチキスのパンチのような音が聞こえてお腹に響く。もう一カ所ポリープ切除をしてようやく悪夢の検査が終わった。検査室隣接の診察室で医師から画像を見せられながら説明を聴く。2週間後に切り取った組織細胞の検査結果を伝えるとのこと。ょっとした不安が残された。
 車椅子に乗せられて処置室に向かう。途中で見た掛時計は15時5分を指し、検査時間が50分に及んだことを告げていた。処置室で点滴完了までベッドに横たわる。途中、検査後の注意点が指示される。「ポリープ切除をしたので一週間はアルコールやコーヒー等の刺激物は控えて下さい」と、恐れていた苛酷なお告げがある。点滴を終え、着替えを済ませたところで家内に「帰るコール」した。高齢受給者証適用(自己負担20%)で1.2万円の会計を済ませたのは16時前だった。ほぼ丸1日をかけた大腸カメラ検査を終えて家内の待つマイカーで帰路に就いた。最寄りのベーカリーで調達したサンドイッチをかき込んだ。

さくらFMで福祉ネットの収録2015年11月06日

 先日、知人の紹介でさくらFMのパーソナリティの方から出演のオファーを頂いた。「福祉ネット設立の経緯と発足後の経過」をテーマとした収録依頼だった。快諾して日程調整を経て今日午前中の収録となった。
 さくらFMの出演は今回で三度目である。最初は2年前の12月の「山口風土記のHP執筆と公民館講座」と「市民ミュージカル劇団『希望』後援会事務局長の活動」がテーマだった。次は今年3月の福祉ネット広報のオファーに対する番組中のゲスト出演でこちらは生放送だった。
 今回は、初回と同じ「なばなネットワーク」の放送枠での収録でパーソナリティは森生江さんという方だった。朝9時10分頃、JR西宮駅前のさくらFMのスタジオに入った。森さんと番組進行の打合せを兼ねて30分ばかり雑談した。事前に今回の趣旨に沿って福祉ネット関連のレジュメをメール送信しておいたので意思疎通は円滑だった。
 10時10分前から収録開始となった。前回のゲスト出演では福祉ネット発足の背景経過が中心だったので、今回は発足後の経過と今後のビジョン等を中心に話をさせて頂いた。発足後、「高齢者の困り事支援」という福祉ネットのフィルーターを通して見えてきた課題がある。ゴミステーションのコンテナ保管問題などである。社協単独では対応できない課題が自治会等も参加する福祉ネットを舞台にすることで可能になった。また今後の取組みとして「誰もが安心していきいきと生涯を暮らせる共生の町」という福祉ネット役員会で検討した長期ビジョンを語った。「いきいきと」を実現するための「ちょい呑みオヤジ会」の話題や、「生涯を暮らせる」ためのオブザーバーの医療機関との連携による訪問診療環境等も話題にした。
 ベテランパーソナリティの森さんの巧みな進行に助けられて放送時間通りのほぼ30分ほどで収録を終えた。明日7日の10時半の放送ということだ。

TBSテレビ「コウノドリ」2015年11月07日

 TBSテレビの金曜ドラマ「コウノドリ」に嵌っている。出産にまつわる様々なドラマが感動的な物語に仕上げられている。つくづく出産という命の誕生が多くのリスクを乗り越えて成し遂げられる奇跡の営みであることを思い知らされる。
 昨日の第4話は「切迫流産」という苛酷な現実を前にして、両親と医師たちの葛藤、苦悩、決断がリアリティ溢れる映像で見事に描かれていた。500gの超未熟児の誕生シーンは現実の赤ちゃんの出演映像である。そこにも出演同意に至る両親の葛藤や苦悩があった筈である。それでも未熟児の奇跡の誕生というドラマ展開には欠かせないシーンである。両親の決断に頭が下がる。
 折しも我が家には里帰り出産で娘が同居中である。順調な経過で間近に出産を迎えた娘の大きなお腹を眺めながら、その幸運に感謝した。とはいえ誕生の瞬間まで予断を許さないのが出産である。初孫の誕生までの紆余曲折を心して待つほかはない。
 欠かさず観ている娘が観終えて呟いた。「ようここまでこれたもんや。命がけやもんな~」。その実感のこもった呟きに内心で拍手した。

NHKクロ-ズアップ現代「町内会が消える?」2015年11月08日

 先日、NHKクロ-ズアップ現代「町内会が消える?」を観た。福祉ネットの取組みを通して生まれていた問題意識にピッタリのテーマだった。以下、番組の要約である。
 「全国に30万もあるといわれる町内会が危機に瀕しているという。20年前には7割近くあった加入率は今や20%にまで低下している。高齢化や共働きが進んで担い手が減る一方、人員やコストのスリム化を進める行政からは次々と新たな業務の委託が相次いでいることが背景にある。町内会はゴミステーション管理や防犯対策、高齢者見守りなど、幅広い役割を担わされている。負担の重さに耐えかねた住民の脱退は止まらない。脱退者の『サービスただ乗り』をめぐって住民同士の係争が全国で頻発している。『地域の自主的活動』を建前としながらも行政の末端機構に組み込まれてきた実態が、時代に合わなくなっている」  上記の指摘は概ね我が町の自治会にも当てはまる。戸建住宅ばかりの新興住宅地で比較的恵まれた環境の自治会だが10年前に90%以上だったが加入率は今や80%を切っている。ゴミステーション当番や自治会役員の持ち回りを巡って高齢者の自治会退会が相次いでいる。退会者へは回覧も廻されないし、自治会や各種の地域組織の広報紙も配布されない。退会者のゴミステーション利用を制限すべしという自治会員の声も根強い。
 番組ではそんな現状の中で新たな動きを伝える。「そうした中、本当に必要な役割だけに絞り込んだ『ミニマム化』や外部資金を調達する『法人化』など、町内会のあり方を根本的に見直す動きも始まっている」
 番組が伝える新たな動きは、地域特性もあるだろうが、我が町ではあまり馴染まない気がする。ミニマム化は行政との連携を損ないかねないし、同じエリアに混在する新旧住民の連携という点では有効と思える法人化は、新住民ばかりの新興住宅地には馴染まない。
 我が町では住民の自治会退会そのものを抑制する方策を真正面から取り組むほかはない。高齢者の地域での支え合いが課題となってきた今こそ地域コミュニティの維持強化が求められている。その基盤こそが自治会である。高齢者のゴミステーション当番や自治会役員持ち回りの免除可能な現実的なガイドラインの検討等が必要である。役員を受けるか自治会を辞めるかという二者択一は余りにも無策である。人口増が続き世帯構成がファミリー中心だった頃の自治会活動や運営ルールが、人口減少化に転じ高齢者中心の超高齢社会となっても何ら見直されることなく踏襲されていることこそが問われなければならない。

有馬川仁木家のステーキ重2015年11月09日

 娘が里帰り出産で帰省して以来、婿殿の週末の我が家での滞在が続いている。そんな事情から日曜の昼食は外食が多くなった。平日の外食中心の婿殿を気遣って娘から生野菜のリクエストがあった。美味し生野菜と言えば仁木家がまず思い浮かぶ。というわけで昨日のランチは有馬川仁木家に出かけた。
 有馬川仁木家は改装後、ステーキと和食の2コースになったが、もっぱら和食がお好みである。今回も和食コースを選択したが、前回来た時に和食風肉料理のステーキ重(2500円)が気になっていた。婿殿と私はステーキ重を、家内と娘は野菜点心(1800円)をオーダーした。
 しばらくすると定番の生野菜が運ばれた。カブラ、大根、ニンジン、サツマイモ、キュウリ、さらだ菜の瑞々しい六種の生野菜だった。仁木家オリジナルの紫芋の豆腐、何とも珍しい柿のフライと続いて、メインのステーキ重と湯葉の赤だし汁、香物が運ばれた。お重に盛られたご飯に薄く切られた柔らかいステーキがびっしり載せられている。上品な味わいの甘ダレがご飯にも滲む程度にかけられている。欲を言えばご飯の量が多少物足りない。最後にマロンジェラードの白玉あえのデザートをコーヒーと一緒に味わった。

NHKスペシャル「アジア巨大遺跡 第4集 縄文 奇跡の大集落」2015年11月10日

 「NHKスペシャル・アジア巨大遺跡」の4集に渡るシリーズを興味深く観た。とりわけ第4集の「縄文 奇跡の大集落 ~1万年 持続の秘密~」は、かねてから日本人の精神風土の原点としての縄文時代の独自性に関心を寄せていたこともあり、大いに共感しながら観終えた。見応えのある好番組だった。
 番組は冒頭からいきなり縄文時代の土偶が世界的なオークションで1億9千万円もの高額で落札された場面で始まる。それほどに今や日本の「縄文」が世界的な注目を集めているという。近年、縄文文化に関して西洋の考古学の枠組みを覆すような発見が相次いでいる。注目ポイントはその文化の途方もない持続性にあるという。なぜ縄文人は1万年以上に渡って崩壊することのない持続社会を築き上げられたのか。番組はその謎に迫る。
 縄文文化の象徴は青森県の巨大遺跡・三内丸山である。巨大な6本の柱が並ぶ木造建造物や長さ32メートルもの大型住居など20年を超える発掘から浮かび上がってきたのは、従来の縄文のイメージを覆す巨大で豊かな集落の姿だった。
 縄文人が本格的な農耕を行わず、狩猟採集を生活の基盤としながら、1万年もの長期にわたって持続可能な社会を作りあげていたという事実は、農耕を主軸に据えた従来の文明観を根底から揺さぶっている。欧米の専門家が語る。「通常、農耕民族が行う集落の発展を、縄文の狩猟採集民が成し遂げた。その意味で縄文人は世界で最も豊かな狩猟採集民だった」。
 発掘された縄文土器には煮炊きの痕跡がある。縄文人の食生活は煮炊きをすることで大きく変わった。ドングリや栗などの木の実や魚介類の食用が一気に広がった。それによって縄文人は農耕に頼らない定住生活を実現していった。狩猟採集民が多くの人口を養う持続可能な社会をつくり出した。
 なぜ縄文人は既に半島まで伝わっていた農耕を受入れる選択肢を選ばなかったのだろうか。氷河期末期以降の気候の温暖化によって日本は落葉広葉樹の豊かな森に覆われるようになった。更に日本海の暖流によって春夏秋冬の変化に富んだ四季が生まれた。縄文人はこの四季に合わせて持続可能な豊かなライフスタイルを実現した。春の山菜取り、夏の漁労、秋の木の実取り、冬の狩猟といった具合である。これが農耕という自然を破壊することがスタートとなる暮しでなく、狩猟採集民として自然と共存しその恵みを取り入れて暮らすという賢明な選択を可能にした秘密である。
 その縄文文化は、水田による米作りを行う弥生時代の到来によっておよそ2300年前に終わりを告げる。なぜ縄文人が農耕を受入れたのかは分からない。以後、社会に富が蓄積され国家が生まれ、縄文の名残りは駆逐されていく。
 
 今、新書「里山資本主義」を読込み、書評を綴っている。それは森の恵みがもたらす資源の再利用による経済の再生物語である。富の蓄積を生み出した弥生文化を起点とした人類文明の到達点がマネー資本主義だとすれば、里山資本主義は2300年以前の縄文文化に学ぶ営みなのだろうか。