初孫誕生の記念すべき長い一日2015年11月17日

 昨日11月16日の月曜日のことだ。いつものように早朝5時半頃、リビングで朝刊に目を通していた。寝室から降りてきた家内が「陣痛が始まったみたいや」と緊張気味に声を掛けた後、猛然と病院に行く支度を始めた。ほどなく娘も二階の自室から「ウンウン」と唸りながらよたよたと降りてきた。父親はなすすべもなくおろおろするばかりだった。
 6時半に病院に着いた。娘と家内を救急搬入口で降ろし、駐車を終えて産科診察室前の家内と合流した。病棟の窓から見える日の出前の朝焼けの風景が初孫の誕生の吉兆に思えた。診断を受けた後、娘と一緒に陣痛室に移動する。横たわる娘に心拍数やお腹の張りをチェックするモニターが取り付けられた。お腹の張りの数値が急激に上昇した。陣痛が始まったのだ。落ち着いたと思ったら数分後にまた上昇する。30分ほどして助産師さんが姿をみせてチェックする。まだゆとりがありそうだ。しばらくすると昨晩我が家から帰ったばかり婿殿がとんぼ返りで姿を現わした。娘から早朝に連絡を受け大津の自宅から飛んできたようだ。娘を婿殿に託して、9時頃に私たちはいったん帰宅した。
 こまごまとした支度を整えた家内がお昼前に再び病院に向かった。私は同じ病院で先日受けた大腸カメラの検査結果を3時ごろに聞くことになっていた。初産の場合、陣痛が始まって平均15時間前後で分娩するというネット情報にタカをくくって検査結果を聞いた後で娘の病室を訪ねることにした。問題なしの検査結果を聞いた後、待合シートで会計を待っていた時だ。家内が姿を見せて口にした言葉に唖然とした。「赤ちゃんが2時半頃に生まれて今まだ分娩室にいるから」。初孫の出産に立ち会うという千載一遇の機会を逃したことを悟らされた。ショックは隠せない。
 すぐに産科分娩室を訪ねた。赤ちゃんの姿はなく、分娩台に横たわる娘を囲んで看護士さんや家内や婿殿が見守っている。隣の分娩室から今まさに分娩中の女性の凄まじい咆哮が聞こえた。「私もあんなんやったんや」と娘がしみじみと呟いた。出産という苛酷な営みを乗り越えた娘の健気さを心から褒めてやりたいと思った。事前のエコー画像で知らされていた通りの女の子だ。検査前で体重は分からないが五体満足な健康な赤ちゃん誕生が何よりも嬉しかった。
 婿殿が出産直後にビデオ撮影した動画を見せてくれた。豊かな頭髪、すっきりした目鼻の顔立ち、少し太めにみえる手足や胴の様子は誕生直後の想像していた弱々しいイメージはなくたくましげだった。赤ちゃんと母親の対面シーンが登場した。娘の涙を浮かべた笑顔がアップする。看護士さんから渡された初対面の我が子の首を右手で抱え左手で顔に触れ人差し指を握らせる。思い切り愛し気なその表情が我が娘ながら言葉にならない感動を運んでくれる。
 姑さんが京都から駆けつけているという連絡が入り、家内と一緒に最寄り駅まで迎えに行った。5時前に再び病院に戻った時は、娘は分娩室から個室に移っていた。婿殿は赤ちゃんの視聴覚や脳波の検査結果を聴くため医師に呼ばれていた。6時を過ぎても婿殿が戻らない。検査結果が思わしくなかったのかと娘ともども不安が募る。ようやく姿を現わした婿殿の口から異常なしの報告を聞いてホッとする。この後、娘が対面し、その後にようやく両親の対面となる。新生児室への入室はことのほか厳しいハードルが設けられている。
 ところが娘の体調が思わしくない。ベッドから立ち上がった時立ちくらみが襲った。車椅子に移ることができない。看護士さんの指示で30分程度の安静となった。30分後に再度試みるがやはり貧血症状は治まらない。やむを得ずその日の対面は断念することになった。それは祖父母たちのその日の対面の断念でもある。かくして分娩に立ち会えなかった私の初孫との対面は、次の機会を待つことになった。午後8時半頃に娘を残して病院を後にした。姑さんを送っていって帰宅した婿殿を交えて遅い夕食を我が家で摂った。日付が変わろうとする頃にようやくベッドについた。
 初孫誕生の記念すべき長い一日が終わった。

コメント

_ 和道 ― 2015/11/17 21:07

 前日が出産予定日だったという記事を読んでからしばらくこの話題が更新記事から消えてしまい、どうしたのかと、やきもきしながら日々ブログを朝夕開いていました。
 8時半ごろ早めに就寝した私に、連れ合いが、女の子が生まれたらしいと声をかけてくれました。
 あわててPCに向き合い、この記事を確認してコメントしています。
 まだ対面はしていないとのこと、肝心の時に何たる失態
と思わないでもありませんが、私の初孫誕生時の、「母子が無事でありさえすれば、どんな苦労も引き受ける」と誓った気持ちを思い出しました。
 ともあれ本当におめでとうを言わせてもらいます。よかったですね。これからは胸を張って孫談議に加われますね。そこで一言言わせてもらいますと、貴方はもうしばらくすると「じじ馬鹿病」にかかったことを自覚するようになります。症状は次第に悪化し、周りからひんしゅくを買っていることもわからなくなります。
 さらに悪いことに、この病気にはつける薬がないのです。したがって治しようがありません。
 嬉しい、嬉しい初孫の誕生は、実はそんな恐ろしい病魔に侵されることなのです。
 その証拠に、初孫誕生以来8年経った今でも私はじじ馬鹿病の重い症状に日々苦しんでいるのです。

_ 明日香 亮 ― 2015/11/18 15:55

心配をかけましたが無事生まれました。ただ今日の記事でも触れましたが、出産時に少し問題があったようです。詳細は検査待ちですが、高齢の初産ですので多少の問題はやむをえません。何しろ諦めていた孫誕生ですからラハラドキドキもやむなしです。「母子が無事でさえあれば・・・」の心境はよくわかります。
「じじ馬鹿病」については、貴兄を反面教師に心して備えたいと思います。

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