高橋克彦著「時宗(巻の弐・蓮星)」2015年11月20日

 高橋克彦の「時宗(巻の弐・蓮星)」を読んだ。第一巻では第五代執権に就任した北条時頼が、身内の名越の北条や有力御家人の三浦一族を武力で排して北条氏による執権政治を盤石なものとし、更に先の将軍・頼経の父であり、内裏の黒幕である藤原道家との最終決着を決意するところで幕を閉じた。
 第二巻の冒頭で道家を抹殺し内裏との関係も不動のものにする。その数年後、時頼は鎌倉を襲った流行り病に見舞われ生死を彷徨う。このためまだ三十歳の若さながら最明寺で出家し、出家後は最明寺入道ともいわれた。嫡子・時宗がまだ6歳であったため執権職も一族の長時に譲る。ところが時頼は出家し、執権職を譲った後も幕府の実権を握り続ける。迫りくる蒙古襲来の情報に備えて国内をひとつにまとめておくことが急務だったのだ。
 その時頼が37歳の若さで息を引き取る場面で第2巻は幕を閉じる。
自らの死を意識して以降、時頼が最も心をくだいたのが、北条得宗家の後継者指名だった。北条家のまとまりを確固たるものにする上でこの点を早くから明らかにしておくことが欠かせない。それが幕府体制を安定させ国のまとまりをの揺らぎなきものにする。そのため時頼は正室の嫡男たる時宗を異腹の兄・時輔を差し置いて早くからその意向を内外に示す。そのため時頼死後、14歳の若き時宗が円滑に北条家得宗に就任する。時宗にとってそれは蒙古襲来の指揮を執るという苛酷な修羅の場に乗り出すことでもあった。
 全4巻のこの作品の前半2巻は時頼が主人公である。従ってこの作品の本当のタイトルは「時頼・時宗」と言ってよい。それほどに作者は、蒙古襲来という未曽有の事件の立役者が時宗であったという通説に異を唱えているかに思える。父・時頼の時宗登場に至る多くの備えこそが欠かすことのできない背景だったと告げている。