オバサンたちの怒涛のおしゃべり2015年11月26日

 お昼過ぎにご近所の三人のオバサンたちの来訪があった。孫娘・花ちゃんの出産のお祝いだった。直前に家内から二階寝室への避難勧告があったが応じないことにした。まんざら知らない方たちでもない。民生委員の高齢者訪問でも会話を交わす人たちだ。8年に及ぶ地域活動がオバサン免疫を培養している。
 チャイムが鳴って相次いでリビングにお出ましになった。ひとしきりお祝いの言葉を掛けて頂だく。皆さんそれぞれに既にお孫さんがいる。お孫さん誕生の折々に家内もこうしてお祝いを持ってみんなで訪ねたのだろう。「遅なったけどやっとお祝いができて・・・」というおひとりの言葉にこの訪問で肩の荷を下ろした気分が窺えた。娘に抱っこされた花ちゃんとのご対面に「可愛い~ッ」「小っちゃいな~」「すっきりした顔立ちやん」等々、口々に嬌声が発せられる。
 ダイニングテーブルに席を移してオバサン四人の女子会が始まった。さすがにすぐそばのPCデスクに陣取るわけにはいかない。少し離れたテレビ前のコタツに入って読みかけの文庫本を開いた。聞こえてくるのは怒涛のようなおしゃべりである。ひとりひとりの言葉に耳を傾けるという雰囲気は微塵もない。おもいおもいに言いたいことを口にしている。言葉が被さることなどへっちゃらのようだ。よくそれで会話が成り立つものだと驚嘆する。オバサンたちは独自のセンサーで聞き分け反応し合う感性を身に着けているのだろう。話題は縦横無尽に脈絡もなく展開する。同時進行の会話の音量は相当なものだが、不思議なことに途中から子守唄のような響きで私の耳に届くようになった。いつの間にかうとうとしだした。
 いつ果てるともないと思えたおしゃべりが、誰かの「それじゃこのへんで・・・」という合図で突如途絶えた。時計は3時過ぎを指していた。いとまの挨拶に応じながら、急展開の事態の背景を推察した。夕飯の支度との兼ね合いで潮時の暗黙の了解があるに違いない。それはそれで主婦の務めを忘れない見事な連係プレイというほかはない。
 我が家に怒涛のおしゃべりの後の静寂が訪れた。