明治村・舘山寺・大井川鉄道の旅(初日)2015年12月01日

 先日、一泊二日で地域の知人グループと懇親ツアーに出かけた。朝8時に山口を出発し最初の目的地の岐阜県犬山市の明治村に11時半頃に到着した。
 明治村ホールでお重弁当の昼食を済ませ村内に入る。渡された村内地図には1丁目から5丁目に至る広大な敷地に数多くの建築物が記されている。何となく一緒になった8人グループで1丁目からスタートした。散策時間は2時間近くとたっぷりある。大井牛肉店、聖ヨハネ教会堂、森鴎外・夏目漱石住宅などを巡り2丁目に入る。レンガ通りを挟んで趣きのある明治の建物が建ち並ぶ。通りの入口に建つ京都七條巡査派出所前では巡査姿のガイドさんと集合写真を撮った。3丁目には西園寺公望別邸の豪華な和風建築や、品川灯台を観た後、西宮市から移築された洋風建築の芝川又右衛門邸でガイドさんの解説を聴いた。意外と時間が経過している。4丁目からは少し急いだ。日本赤十字社中央病院病棟を通り抜け、宇治山田郵便局脇を抜けた先に聖ザビエル天主堂の風情ある佇まいを目にした。5丁目の小泉八雲避暑の家や風情のある芝居小屋・呉腹座(くれはざ)を覗いてみる。村の北西の隅に帝国ホテル中央玄関の堂々たる構えが待っていた。ここから折り返し集合場所の正門に急いだ。
 明治村を後にして次のスポット犬山城に向かった。松本城、彦根城、姫路城、松江城と並ぶ国宝で現存する天守閣では最も古いお城である。江戸初期から幕末まで徳川家の家臣だった成瀬家が一貫して城主だった珍しい城である。日曜の3時過ぎでさすがに観光客は多い。入城まで10分待ちの列に並び登城した。急な階段に悲鳴を上げるオバサンたちに混じって4階最上階に辿り着く。回廊を伝って360度の絶景を楽しんだ。
 日曜夕方の交通渋滞に巻き込まれ、ホテルには1時間遅れで到着した。舘山寺温泉・ホテル九重は浜名湖畔に建つ全国的にも屈指のホテルのようだ。45分ばかりの時間を利用して早速大浴場に直行する。広い浴室には様々な湯船が配置され屋外には露天風呂もある。19時から宴席が始まった。前菜、お造り、あわびの踊り焼き、牛活部煮などの他に、袋井宿名物の「たまごふあふあ」なる料理や、国産うなぎの白焼き&蒲焼きも抜かりなく添えられる。2時間ばかりの宴席を終えて全員参加の二次会に移行する。カラオケルームでも2時間ばかり懇親を深めお開きとなった。

明治村・舘山寺・大井川鉄道の旅(二日目)2015年12月02日

 舘山寺温泉・ホテル九重の四人部屋で目覚めたのは5時半頃だった。ひとりで朝風呂を済ませて6時過ぎにロビーカウンターで案内を乞うた。初老のオジサンから受け取った「そぞろ歩きまっぷ」で舘山寺の道順を教えてもらった。
 歩いて10分ほどで浜名湖に突き出た島のような丘陵地の岬に着いた。階段を上がった先に愛宕神社と弘法大師開創の曹洞宗・舘山寺がある。お参りを済ませ、まだ薄暗い中を岬の周遊コースに挑戦した。西行岩、富士見岩、展望台、巨大な聖観世音菩薩像などを30分ほどかけて観て回った。
 7時過ぎにホテルに着きそのまま朝食会場に向かった。地場物食材をふんだんに揃えたバイキングを腹八分で味わった。部屋に戻ると同室3人はこれから朝食とのこと。8時45分には大勢の仲居さんたちに見送られてホテルを後にした。
 二日目の最初の訪問先は、うなぎパイファクトリーである。車中のガイドさん情報で朝一番のお徳用うなぎパイのゲットに話題が盛り上がる。予想外に早く到着し20分ばかり待ってファクトリーに入った。我先に目の前のお徳用ワゴンの品を次々に買い物かごに入れている。あっという間にワゴンの品がなくなった。次の団体客を尻目に一同の満足げな顔が窺える。ところが無くなった後のワゴンには追加のお徳用が投入されている。ガイドさんのあおりトークにまんまと嵌まったと自嘲しあった。30分の時間を持て余しついでのように同じ建物内の工場見学を済ませた。
 次の目的地は大井川鉄道・新金谷駅である。高速道や地道の車窓から見える緑の茶畑が美しい。駅前のSL前で集合写真を撮り、11時45分発のSL・CII 190号に乗車する。直後に車内で頂くお弁当が配られた。お弁当には大きなおにぎり二個に田舎風の惣菜が詰められている。イワナだろうか、川魚の甘露煮も丸ごと添えられている。缶ビール片手に甘露煮をアテにしながらSLからの車窓の風景を愉しんだ。50分余りで下車駅の下泉駅に着いた。
 下車駅で待っていたバスでSLが辿った道筋を道路沿いに折り返した。途中、3回の休憩を挟みバスは一路、山口をめざす。予定時刻に30分ほど遅れて出発地に到着した。丸二日間、花ちゃんの顔を見ていない。下車した後は脱兎のごとく家路を急いだ。

村社会の福祉活動2015年12月03日

 社協の山口分区と北六甲台分区にそれぞれ所属している山口地区の二つのボランティアセンターの2回目の交流会が昨日開催された。今回は北六甲台分区のボランティアセンターのある北六甲台安心プラザで開催された。
 朝10時半から旧地区9名、新地区11名の20名のボランティアコーディネーターが参加した交流会は予定を30分も越えて12時半に終了した。双方が準備したお菓子を頂きコーヒーを飲みながら、両地区の活動報告、参加者自己紹介、懇談といったテーマで和やかに進められた。
 印象的だったのは、旧地区代表からの福祉活動を巡る現状報告だった。旧山口地区で、福祉活動を展開する上での制約や困難さが率直に述べられた。旧山口地区の歴史は大化改新の頃にまでさかのぼる。その歴史の深さ故に村社会の伝統や風土が色濃く残る。古くは「惣」と呼ばれて形成されてきた村落は、氏神の行事や寄合いや掟を通じて自治を行ってきた。「村八分」の掟にも窺えるようにその自治は村社会の隅々にまで及んでいた筈である。村社会の自治は現代においては自治会組織として継承されている。従って旧山口地区での自治会の存在感と影響力は新住民の理解をはるかに越えて大きいものがある。村社会では地域での地縁、血縁の結びつきが大である。幼なじみどうしでの横のつながりも強い。要するに昔ながらの「地域コミュニティ」が今尚息づいている。それだけに村社会での福祉活動は難しい。相互扶助という分野は村の自治の主要な柱だったのだろう。なぜ社協という組織で独自に行う必要があるのかという受け止め方なのかもしれない。
 これに対し、宅地造成して新たに開発された人工の街である新興住宅地では一から町づくりが始まる。自治会組織も社協や青愛協などの地域組織と同じように寄せ集めの新住民たちの手で手探りで作らねばならない。勢いそれぞれの組織はその目的に沿って機能分担がはかられる。ともすれば役員が1~2年ごとに入れ替わる自治会組織に比べ地域組織は役員の継続性もあり組織基盤も維持される。とりわけ社協分区は高齢化の進展に伴うニーズの拡大や危機感から組織の強化が図られつつある。
 旧地区の抱える背景や事情を伺って、旧地区の伝統文化や風土への憧憬とは別に、福祉の社会化という課題を達成する上での新興住宅地の恵まれた環境を想わずにはおれなかった。

イクジイ(育爺)奮闘記2015年12月04日

 夕方、家内は夕食の支度に忙しい。娘は花ちゃんをあやしながらようやく授乳を終えてグッタリの風情である。お乳を飲んでおねむになる筈の花ちゃんがむずかりだした。むずかるだけでなく泣き声まであげだした。その泣き声が徐々に高くなる。
 パソコン前でデスクワーク中のじいちゃんが、「ここは出番か」とばかり立ち上がる。あやし疲れの娘も素直に花ちゃんを差し出す。抱きとって片腕を脇の下から背中に回し脇腹に手を添える。片腕は足元から差し入れてお尻を支える。その姿勢でゆらゆらと上下に揺らす。これで完璧である。てきめんに花ちゃんの泣き声が小さくなり、そして泣きやんだ。じいちゃんが娘に講釈を垂れる。「赤ちゃんは母親の胎内にいる時の状態に近づくほど安心するんやな。この抱っこの形は胎内の形に近いし上下動は動いている時間の多かった母親の胎内での揺れを感じているんと違うか」。ばあちゃんと違ってじいちゃんはどこまでも理屈っぽい。
 とはいえ子育てはそれほど甘くない。泣きやんだはずの花ちゃんが再びむずかりだした。あわてて上下動に加えて左右にスイングさせたり、左右の腕を入れ替えて抱っこの向きを変えたり、右手で首を抱えて立った形の抱っこにしたりとめまぐるしい。私の肩に顔を埋めた花ちゃんの口元から生臭さを含んだ母乳の匂いが漂った。その間も「は~なちゃん!じいちゃんやで~」「よしよしよし」「ええ子やな~」「ネンネしよか」等々思いつく限りの言葉で話しかける。ようやくおとなしくなってまぶたがゆっくり閉じ気味になる。そっとソファーに座って小さな上下動にギアチェンジ。何とも涙ぐましい芸の細かさである。まぶたの開け閉めが緩慢になりお休みモードに入ったかにみえる。ここで油断は禁物である。突然大きく目を見開いて「ア~ウ~ッ」と唸りだしたりする。ひたすら我慢して祈るように小刻み上下動を繰り返す。
 悪戦苦闘の40分が過ぎ、花ちゃんが完全にお休みモードになった。そっと立ち上がり和室の花ちゃん蒲団に連れていく。抱っこからお蒲団ネンネへの転換のタイミングこそが勝負どころである。胎内風の抱っこを解かれて違和感のある平たい蒲団に寝かされれば突如眠りから目覚めても無理はない。静かにゆっくりとお尻から頭に沿って横たえる。問題ない。しっかり目を閉じ眠りの世界に浸っている。そっと掛け布団を掛けてしばらく見守る。すやすやと寝息をたてる花ちゃんに別れを告げ足を忍ばせて引戸を閉めた。
 かくしてじいちゃんの初めての孫娘の寝かしつけが成功した。古希のじいちゃんと初孫との間を結ぶこうしたメモリアルを後どれだけ刻めるのだろう。イクジイ奮闘記の顛末である。

【エピローグ】夕食中、花ちゃんをあやしていた家内と食事を終えて交代した。ぐずつき泣き声をあげている花ちゃんを受け取った。必殺の抱っこ技を繰り出すと、ほどなく泣き止みご機嫌モードになった。「花ちゃんはじいちゃんになついているんやな~」。自慢げに呟いた。「なついてもらって良かったな~」。そう口にした家内の言葉にかすかなイラつきを感じたのは気のせいだろうか。

「コウノドリ」効果2015年12月05日

 ドラマ「コウノドリ」を観ている。昨晩の第8話は先天性疾患がテーマだった。「もしお腹の子に障害があったら・・・その時、親や医療関係者はどのように受け止めるのか」という出産にまつわる最も本質的なテーマのひとつである。無脳症や口唇口蓋裂などの障害を抱えた出産を巡るドラマを観ながら様々な想いがよぎった。
 花ちゃん誕生前からこのドラマを観ていた。誕生前は出産に伴う多くのリスクを知らされ、そのリスクを乗り越える親や家族の覚悟を教えられた。その上でひたすら初孫とその母親の無事を祈ったものだ。
 そして出産を終え、母子ともに無事だったことを心から喜んだ。初孫・花ちゃんの誕生以来、花ちゃん中心のテンヤワンヤの生活が始まった。その愛らしさに頬を緩ませ、泣き止まないむずかりぶりに途方にくれたりする悲喜こもごもの毎日である。そんな中でのコウノドリ第8話だった。
 出産前に観ていたら深刻に考えさせられたドラマだったに違いない。現実は心身ともに健康な花ちゃんの寝顔のそばで観たドラマだった。それだけに元気な孫の誕生にあらためて心から感謝した。そんな言葉を隣で観ていた娘にかけると「ほんまや」としみじみした声が返ってきた。 朝起きた時に、一晩中泣きやまない我が子に疲れ果てたかのような娘の姿を目にする。初めての出産を体験し、娘は今子育ての大変さを身をもって思い知らされているに筈である。ドラマはそんな娘にその大変さを乗り越えるモチベーションをもたらしている。
 産前ばかりでなく産後にも及ぶ「コウノドリ」効果に拍手した。

高橋克彦著「時宗(巻の参・震星)」2015年12月06日

 第参巻は、得宗となった時宗と異母兄の庶子・時輔との会話で幕を開ける。極めて示唆に富んだやりとりである。時輔は父・時頼にとっての実時の役割を時宗に対して果たすと告げる。北条一族の重鎮で時頼の叔父・実時は幕府随一の切れ者の実力者と衆目が一致する人物である。それだけに時頼は頼りとしたが決して重い地位は与えなかった。合議の際の軸を一本にしておくことこそが政(まつりごと)の要諦として実時をあくまで相談役に徹してもらうこととした。誰もがその優れた力量を認める時輔が異母弟の嫡男・時宗に自らの役回りを告げる。
 北条家得宗となった若干14歳の時宗はすぐには執権には就任しない。執権職の大叔父・正村を補佐する立場の連署として政所に参画する。ところが相変わらず内裏から迎えた将軍が北条一族の一部と結託して反旗の陰謀を巡らす。執権が将軍となることが叶わない、飾り物でも将軍を迎えなければならない鎌倉幕府の政権構造の矛盾が語られる。「力の大小はあっても御家人は将軍の下で対等。それを崩せば御家人の結束が失われる。北条が将軍を形だけでも立てることによって他の御家人らの均衡が保たれる」。その内紛も時宗らの働きで将軍退位という決着でようやく納まる。
 1267年、恐れていた蒙古の日本に服従を迫る使者が遂にやってくる。鎌倉幕府は内裏の意向を前面に立てて使者を追い返す。その翌年、時宗は18歳の若さで執権に就任する。執権・時宗の最初の大仕事は全国の御家人を集めて蒙古襲来の危機を伝え、その備えを促すことだった。そして再び蒙古からの使者がやってくる。返書がなければ戦も辞さずと強硬姿勢である。いよいよ蒙古襲来の危機が迫ってきた。

テレビ音を手元で聞くスピーカー2015年12月07日

 半ばあきらめていた孫の誕生がはからずも古希を迎えた年に実った。しかも娘のおめでたということで里帰り出産となった。我が家での娘と初孫・花ちゃんとの共同生活が始まった。老夫婦二人の穏やかな生活が一変した。それなりに赤ちゃん同居の準備はしていた筈だが、実際に始まってみると想定外の事態にうろたえる場面も出てくる。
 生後1カ月にも満たない花ちゃんはお乳を飲むことと眠ることが本業である。スムーズに眠りにつき安眠を確保してやることに母親である娘は努力を惜しまない。花ちゃんの眠りを妨げるものが過剰な音と光である。光の方はリビング隣りの花ちゃんの寝室の仕切り戸を閉めればコントロール可能である。問題は音だった。
 リビングには仕切り戸近くに46インチ大型液晶テレビが鎮座する。毎日サンデーの老夫婦二人の日常に組込まれた娯楽提供ツールである。しかも年々遠くなる耳に応じて音量は大きくなっている。娘の要請に応えて抑制するが、求められた音量では聞き取れない。やむなく百均で長いコードのイヤホンを調達して対応していたが、これでは家内も見る番組には対応できない。そんな時、新聞広告で商品名「テレビの音が手元で聞こえるスピーカー(ツインバード製)」が目についた。
 早速、ネット検索して調べてみると、離れたテレビの音をワイヤレスでキャッチして手元に置いたスピーカーで聴くという機器のようだ。「これやッ」とばかりすぐにネット注文した。税込、送料含めて8,510円だった。届いた商品をセッティングして先日から利用している。音質のレベルは望むべくもないが、花ちゃん滞在中の2~3カ月限定の使用と割り切れば満足すべきと言えよう。

じじバカ一句2015年12月08日

 昨日昼過ぎに家内と一緒に娘と花ちゃんが「母乳外来」で出産病院にでかけた。新米ママの母乳育児についての外来相談で、退院後毎週通院している。花ちゃんの体重はこの時しか測れない。出生時に3480gだった体重が先週までずっと同じだったので気になっていた。
 帰宅した娘にすぐに花ちゃんの体重を訊ねた。「増えてたわ~。1週間で400gも増えて3900gやて!」。出かける前に娘に伝えていた。「体重増えたん違うか?抱いていて少し重くなった気がする」。案の定だった。
 花ちゃんを巡ってちょっとしたことに一喜一憂する日々である。このじじバカぶりはいかんともしがたい。それでも抱っこするたびに愛しさが募る。そこで、一句。 「初孫に 抱っこの数だけ 募る愛しさ」

級友との恒例の懇親会2015年12月09日

 高校時代の親友と毎年12月に旧交を温めている。彼は郷里の姫路に、私は北部西宮の山口に住んでいる。そんなことから懇親会場は姫路と三宮で交互に持ち回りしている。
 昨日、その恒例の懇親の場をもった。今回は私の当番で三宮駅近くの「安さん」というお寿司屋さんをネット検索して予約した。11時半に駅改札口で合流し歩いて5分のお店に着いた。カウンター前の堀こたつ席で特上ネタ12品の「安さん寿司膳」(3500円)を注文し、近況を報告しあって杯を重ねた。
 二人の生い立ちや性格は驚くほど異なっていたが、なぜかウマが合い高校生活の多くの時間を共有していた。何度かお互いの家を行き来したりもした。高校卒業後の二人の人生も全く違ったものだった。サラリーマン人生を全うした私だが、彼は若くして脱サラし、不動産事業を起こして見事に成功した。4年前の久々の同窓会で再会し、年一回は二人だけで旧交を温めることになった。
 古希を迎えて級友と二人だけで定期的に懇親するという交遊は貴重である。昨日の懇親では「因縁生起(縁起)」と「かけがえのない」という言葉が話題となり共感しあった。二人の再会とその後の「かけがえのない」交遊もまた縁起のなせることなのだろう。
 3時間もの懇親の後、お店のすぐそばにある生田神社にお参りした。駅改札口で1年後の姫路での再会を約束して別れた。

超高齢社会の雑感2015年12月10日

 古希を迎えた。70歳である。昔の人は「古来稀なり」と讃えた歳である。今や70歳以上は掃いて捨てるほどいる超高齢社会である。
 時代を反映した小噺がある。近年、高齢女性のスイミングスクール通いが大流行りだそうだ。そんなおばあちゃんが尋ねられた。「おばあちゃんはどうしてそんなにスイミングに熱心に通ってるんですか?」。おばあちゃんが答えた。「そりゃあ、あなた。三途の川を泳いで渡るためですよ」。その話を傍で聞いていたおばあちゃんの嫁が、スイミングスクールのコーチにこっそり頼み込んだ。「先生!くれぐれもウチのおばあちゃんにターンの仕方だけは教えんといて下さい」。
 このおばあちゃんの努力は的を射ている。きょうび三途の川は楽して渡れない。世の中、超高齢社会を迎えて介護が必要なお年寄りで溢れている。介護施設や介護スタッフや病院のベッドが追いつかない。溢れたお年寄りは在宅介護で家族に世話になるか、劣悪な施設を彷徨うほかない。老後破産、老人漂流社会、孤独死が現実味を帯びてくる。生きるに生きられず、死ぬに死にきれない。三途の川の真ん中で漂っている。
 この現実は、お年寄り本人だけの問題ではない。40代、50代の働き盛りの世代にとっての父母の介護問題でもある。施設入居が叶わず在宅介護が避けがたくなると介護離職という苛酷な選択肢が迫られる。「親孝行、したい時には、親はなし」の時代は遠くなった。「親孝行、したくもないのに、親はいる」時代なのだ。
 愚痴ってばかりもいられない。政治にも行政に期待できないなら、自分たちで何とかするほかない。そんなわけで来るべき「在宅介護」時代に備えて地域で支え合う仕組みづくりに乗り出した。今年3月に「福祉ネット北六甲」が船出した。