ひとりだけの初詣で2016年01月01日

 例年、元旦は家内と二人で丸山稲荷神社の奥社と本社、それに公智神社の初詣でに出かける。ところが今年はひとりだけで参拝することを余儀なくされた。膝を痛めた家内が参拝を断念したためだ。
 家内は1カ月ほど前から膝の痛みを訴えだした。あれほど楽しみにしていた花ちゃん抱っこも控えるようになり出したのだからよほど辛いのだろう。診察の結果は変形性膝関節症ということだ。「膝関節の軟骨がすり減り、筋力が低下することで、膝関節に炎症が起きて痛みを感じる病気」で高齢女性に多いようだ。
 家事全般を担ってくれる家内の体調不良は様々な面で影響が大きい。初詣でなど二人一緒の恒例行事もひとりで行くことになる。昨年は娘の出産で断念した海外旅行を今年も行けなくなる懸念も出てきた。
 7人家族の元旦の朝食を終え、娘夫婦と花ちゃんが京都の婿殿の実家に日帰り訪問にでかけた。息子の嫁も実家の姫路に里帰りした。一気に静かになった我が家で届いた賀状の整理を済ませ、お昼前にひとりで初詣でに出かけた。いつもは丸山山頂の稲荷神社奥社に詣でるが、ひとりだけの今年は奥社はパスして麓の本社だけにした。その足で公智神社にも詣でた。列をなす参拝者を気にしながら願い事を念じた。今年の願いは、初孫・花ちゃんの健やかな成長と家内の膝の快癒である。
 自宅に戻ると息子と家内だけがテレビをみながら寛いでいた。昨日までの賑やかさが嘘のようだ。夕方には花ちゃんを連れた娘夫婦が戻ってくる。花ちゃんのいない束の間の静けさに包まれた元旦のひと時が過ぎていく。

民生委員の初仕事2016年01月02日

 朝の散歩を終えて我が家の近くに帰ってきた。昨年、奥さんを亡くされたひとり住まいの80代のおじいさん宅の前を通りかかった。担当地区で気がかりなおひとりだ。いつもは見かけない車が駐車場にとまっている。連絡を取りたいと思っていた大阪在住の息子さんがお正月で帰省中なのだと察した。帰宅してすぐにおじいさん宅に電話をした。
 電話口で途中で代わってもらった息子さんに、担当地区の民生委員を名乗って事情を話した。コープの従業員でもある知人から、おじいさんの爆買いの様子から認知症の懸念を伝えられていた。介護認定等の手続きも気がかりだった。いざという時の緊急連絡の対応も打合せておきたかった。そんな事情を話した。
 民生委員の役割については初耳の様子だったが、介護認定等は既に手続済みとのことだった。おばあさんの介護中にヘルパーさんのサポートで対応されたようだ。おじいさんの認知症についても承知のようでコープ等の買物は引きこもり防止の上でも止めていないとのこと。ただ日頃の緊急時の対応の懸念はあったようで、地域の民生委員との連絡体制はありがたいとのことだった。
 お互いの携帯電話の番号を交換し合って受話器を置いた。お正月等の帰省時はひとり暮らしのお年寄り宅のご家族との連絡が可能な貴重な機会である。正月二日の民生委員の初仕事だった。

賀状デザイン裏話し2016年01月03日

 今年の我が家の賀状デザインを「娘の里帰り出産」をテーマに描いたことはすでに12月22日に記事にした。その時にはネタバレになるのでデザインのアップは控えたが、賀状が郵送済である筈の正月三日のこの記事でアップすることにした。
 賀状デザインは実は二案あった。私と家内と娘の自作イラストは同じであるが、花ちゃんの画像が異なる。ネットのフリーイラストを参考に作画したものと花ちゃんの写真を切り取ったものである。後者の作画には結構苦労した。写真画像を画像処理ソフトで切り取りイラストに張り付けて加工処理する。そこそこのスキルも必要だ。自分では受取人にも喜んでいただけると思った。
 念のため登場人物である家内と娘に見せると、写真加工バージョンは散々の評価だった。言われてみると花ちゃんの顔だけが妙に生々しい印象である。やむなく賀状掲載は断念し、イラスト画像を採用することにした。
 それにしてもせっかくの力作を闇に葬るのも口惜しい。未練がましくブログで公開したもののやっぱりこちらも断念した。

花ちゃん不思議発見2016年01月04日

 花ちゃんが生まれて一カ月半が過ぎた。我が子の時には味わった記憶の乏しい乳児の生態を間近に眺めながら暮らしている。里帰り出産の母方祖父の特典でもある。抱っこしたり、寝かしつけたり、幼児言葉で話しかけたりしながら、花ちゃんの生態の不思議を見聞し驚かされる。
 そのひとつは、豚鼻である。娘が授乳している時などにブヒブヒと豚の鳴き声のような音声を鼻から発する。最初に耳にした時はその異様で大きな音声にびっくりした。同時にブリブリと大きなおならを発して上下で奏でる音声に笑ってしまったこともある。ネットで調べると乳児期に一般的な生理現象のようだ。赤ちゃんは母乳やミルクをしっかり吸うために、鼻腔が狭く出来ているため、ブヒブヒ言いやすい。成長するにつれて鼻腔も広がり治まるようだ。
 もうひとつは、座り抱っこのブーイングである。むずかり気味の花ちゃんを抱っこしてあやすには立って上下動を繰り返す。これが最も効果的であることは学習した。問題はいつまで続けるかである。高齢じいちゃんの体力は長くは続かない。閉じた瞼と相談しながら隙をみて椅子やソファーにそっと座ってみる。これが花ちゃんにははなはだ不興である。途端に顔をしかめて唸りだし一気にギャー泣きに転ずる。孫守りじいちゃんは狼狽して慌てて立ち上がる。それにしても不思議だ。抱いている形は同じなのになぜ座ったことを察知できるのか。
 今ひとつは、タケモトピアノCM効果である。一カ月ほど前に財津一郎のタケモトピアノのCMを聞くと赤ちゃんが泣きやむという噂を確かめるべく花ちゃんに試してみた。生後一カ月にも満たない時期だった。結果は一瞬泣きやむもののすぐに再び泣き始めた。昨日、テレビで同じCMを目にして再び試みた。生後50日を迎えたこの時期はさすがに効果があった。しばらくじっと不思議そうな顔をしたまま泣きやんだ。赤ちゃんを刺激する音のオンパレードを聞き分けられるだけの成長の証なのだろう。タケモトピアノ伝説は生きていた。

老人の自覚2016年01月05日

 古希を迎えて何となく自分が老人になったと自覚するようになった。70歳という年齢は「老人」を意識させる節目ではないかと思える。一般に高齢者とは65歳からといわれる。さらに75歳以上を後期高齢者と呼ぶ。後期高齢者との対比で65歳からは前期高齢者と呼ばれるようになった。どうやらこの中間点である70歳を迎えて、元気な高齢者の峠を越えて下っていく自覚が「老人」を意識させるのだろうか。
 高齢者と老人は似て非なるものがある。65歳を迎えて高齢者と呼ばれることに多少の違和感はあっても多くの人は受け入れているのではないか。ところが老人と言われると抵抗感は大きい。例えば老人会に65歳から加入する人は、とりわけ男性では稀である。実際、自分自身が60代後半で加入した時、最年少の若手?だった。ことほど左様に世間では高齢者が齢(よわい)を重ねてその先で老人になるという暗黙の了解があるように思える。
 反面、イメージ的には「老人」よりももっと上のように思える「じいちゃん」「ばあちゃん」は意外と受け入れられている。これは孫との関係を表現する呼称である点が大きい。孫に向かってはどんなに若くても「じいちゃん」を自称するほかない。私自身も花ちゃんに向かって「じいちゃんやで~」と臆面もなく語りかけている。実はこの「孫を通じたじいちゃん体験」が、多くの高齢者に「老人の自覚」をスムーズに促すファクターになっているようにも思える。

「隣町風土記・有馬」の現地取材2016年01月06日


 新年を迎え今年やるべきことを色々考えてみる。正月休みを活用して少しでもやっておきたいことを模索した。真っ先に浮かんだのはライフワークでもある公民館講座「隣町風土記」である。今年のテーマは既に決まっている。東と北の隣町を終えて今年は南の「有馬(湯山)」である。
 言うまでもなく有馬町は有馬温泉の町として誰もが知っている。それだけに表面的で型通りの紹介では意味がない。隣町風土記の学習経験と手法を糧に独自の切り口やスタイルで組み立ててみたい。何はともあれ現地取材が欠かせない。観光や散策目的では何度か訪ねたが、講座取材を目的とした訪問はない。先日初めての取材に出かけた。
 最初に訪ねたのは有馬ふれあいのまちづくり協議会(県民交流広場事業)が運営する「有馬文庫」である。散逸が懸念されていた有馬地区の貴重な古文書等の資料の収集、整理、公開の事業を住民主体で発足させたものである。神戸市北区役所有馬連絡所の窓口で訪問を告げ、隣接する福祉センター1階の「有馬文庫」を訪ねた。
 三畳ほどの部屋に設置された書棚に有馬温泉や神戸市や兵庫県関連の書籍が並んでいる。残念ながら有野町誌をまとめた書籍はなく講座テキストの参考になるめぼしい資料も見当たらなかった。唯一「摂津名所圖會」という書籍に掲載された有馬温泉の風物を描いた絵草子を興味深く目を通した。次に向かったのが有馬温泉観光協会だ。観光マップ等の資料入手のためだったが、こちらも一種類のマップがあるだけで収穫は乏しい。
 その後、今まで訪ねたことのないスポットであるあたご山公園に登りその山麓の湯泉神社に参拝した。更にすぐそばの「太閤の湯殿館」に入場し、秀吉が造らせた「湯山御殿」の一部と湯ぶねの遺構を見学した。有馬温泉と秀吉の繋がりの深さをあらためて知った。
 阪急バス案内所に戻り帰路のバス時刻まであ40分余りあることを確認し気になっていたスポットのひとつ「切手文化博物館」に足を伸ばした。江戸時代の盛岡の豪商の土蔵を移築した建物内に、郵便創業時に発行の貴重な手彫切手をはじめ140年間に発行された普通切手・記念切手を発行年代順・系統的に展示した切手の常設博物館である。
 15時2分発のバスに乗車し2時間半ほどの現地取材を終えて帰路に就いた。

日の出が描くシルエット2016年01月07日

 マクドナルドのモーニングを終えて国道176号線沿いの側道を自宅に向かって歩いていた。朝8時前の南東の空が朝焼けしている。丸山の山麓から若々しい太陽が身を乗り出している。
 日の出の陽光が丸山と畑山の鮮やかなシルエットを描いている。久々に日の出の印象的な光景を噛み締めた。

花ちゃん成長記「本能から感情へ」2016年01月08日

 初孫・花ちゃんの成長ぶりが目につくこの頃である。
 花ちゃんが笑った。正月三日のことだった。授乳クッションをベッド代わりにして横たわる花ちゃんを両親と祖父母の大人四人が囲んでいた。皆があやしながら見守っている目の前で突然花ちゃんが笑った。それまでも時々瞬間的に微笑みのような顔つきを見せることはあったが、それとは違った。瞬間芸とは様相を異にした何秒間かの笑顔だった。「アッ!笑ろた」。思わず口にした私に誰もが「ほんまや」と同調した。記念すべき「花ちゃん初笑いの日」だった。
 起きている時のむずかりが少なくなった。リビングの丸テーブルに敷かれた座布団とタオルケットが花ちゃんの即席ベッドである。おしめを替えたり、大人たちが食事をしたりする時に使用される。従来ここに寝かされると花ちゃんはすぐにぐずりだしていた。ところが近頃はひとりでおとなしく遊んである。手足をばたばたさせたり顔を右に左に向けたりしながら時にアーとかウーとか口にする。その仕草がなんとも愛らしい。ギャー泣きの頻度も大幅に減った。泣いても抱っこしてあやすとすぐに泣きやむようになった。これでじいちゃんばあちゃんの孫守りの精神的肉体的負担が大きく解消され、一層孫守りに励めるようになった。
 花ちゃんが反応するようになった。横たわる花ちゃんに間近に顔を寄せて語りかける。手を取って左右上下にそっと振る。片足ずつ上下にテクテクさせる。そんなじいちゃんを目で追うようになった。語りかけにアウ~と答えたりしておしゃべりしているかのようだ。動かされる手足を踏ん張って自分の意思を示している。そして極め付きは笑顔ができるようになった。時おり見せてくれる花ちゃんの笑顔にじいちゃんは堪らなくなる。そしてそのつどカメラに納められなかったことを悔しがる。
 本能のままに過ごしてきた花ちゃんに感情表現が加わった。

有馬川でアライグマを見つけた2016年01月09日

 2日後に控えた名来のとんどの写真を撮るつもりでデジカメ持参で早朝ウォーキングに出かけた。ところがどうしたわけか有馬川堤の東側の田圃に例年立っている筈の場所にとんどの姿がない。
 首をかしげながら有馬川に目を転じた先に黒っぽい生き物がごそごそしている様子が目にとまった。一瞬またヌートリアが出没したのかと思ったがどうもそうではなさそうだ。少し近づいてデジカメのズームをアップしてシャッターを切った。モニターチェックをしてみると白い顔の目の周りにパンダのようなクマがあり、長い尻尾には黒い縞模様がある。この辺りでは初めてみる生き物である。堤の一角にある水門によじ登ってこちらを向いた姿をカメラに収めた。
 自宅に戻ってヌートリア、カワウソ、アライグマなどの画像をネット検索してみた。デジカメに納めた画像はアライグマだった。Wikiによれば外来種のアライグマだが、アニメの「あらいぐまラスカル」以来ペットとして多数が輸入された。ところがアニメの終わりとともに遺棄・放置された事例も多く今や国内でも多数が定着化して生息しているという。野生化したアライグマによる農作物被害や生態系への影響も指摘されている。
 画像に納まった愛くるしいアライグマを眺めながら、今や招かれざる客となった彼の環境の苛酷さを知った。

継承される名来のとんど2016年01月10日

 いつもの場所に立っている筈の名来のとんどの姿を昨日の朝まで見かけなかった。いつもは一週間ほど前には準備されており、西宮山口のHPでも今日の催行が予告されていた。農耕文化の伝統を色濃く残す旧山口地区の独特の風習である。この時期の恒例の風物詩でもある。とうとうそれも継承されなくなるのだろうか。そんな懸念を抱きながら、今朝も有馬川堤を北に向かった。
 中国道のガード下をくぐった途端、有馬川の東側に広がる田圃のいつもの場所に笹竹や麦わらを束ねた堂々たるとんどの雄姿が目に飛び込んだ。良かったあ~ッ。何か事情があって制作がずれ込んだだけだったのだ。この町の良き伝統行事の継承を心から慶んだ。