NHKEテレ「団塊スタイル・五木寛之」2016年02月01日

 先日、久々にNHKのEテレ「団塊スタイル」を観た。月に一度、輝く人に迫る「D'sスタイル」に「五木寛之」が登場した。学生時代から今日に至るまでその作品を読み続けて大きな影響を受けた作家である。このブログでもデビュー作「さらばモスクワ愚連隊」から近著「新老人の思想」まで多くの書評を記事にした。
 番組では83歳になった五木氏をゲストに迎えて、司会者がインタビューする形で進行した。合間に執筆活動だけでないラジオのレギュラー番組出演や講演活動で全国を飛び回る氏の今の活動ぶりも紹介される。
 衝撃的だったのは、氏自身が語った第二次世界大戦終戦時の家族を襲った惨酷な事件の模様だ。進軍してきたソ連兵たちに全裸のまま銃口を向けられる父親、軍靴で胸元を踏みつけられる母親。母親が口から血を流し続ける姿を見つめる五木少年といった思い出が赤裸々に語られる。懇意だった野坂昭如氏らとともに「生き残ったことに後ろめたさを感じながら生きてきた世代」と吐露する。
 作家・五木寛之の原点とも思える苛酷な原体験を初めて知った。二度にわたる休筆の背景、晩年の仏教への帰依、超高齢社会や老人問題での独自の視点からの発言などの背景を垣間見る。
 それにしてもなんともカッコいい人生である。彼の読者の圧倒的多数が団塊世代であるという。ひと回り下の団塊さきがけ世代の一人である私にとっても年代ごとにいつも時代の一歩前を進む五木寛之の生き方に確かな指針を見てきた。

子ども会の存亡2016年02月02日

 昨晩、自治会主催で住宅街の地区組織の連絡会が開催された。自治会三役を始め社協、青愛協、スポーツ21、老人会、婦人会、子ども会などの代表者が参加した。
 自治会が次年度から着手を予定している住宅街の資源ゴミの改修事業についての意見交換がメインテーマだった。各団体代表者の賛同の意向を受けて4月の総会に事業実施が提案されることになった。1年ごとに役員が総入替えする自治会組織にあってともすれば新たな事業は先送りされがちである。今期の自治会執行部の意欲的な取組みにエールを送った。
 予定の議題を終えた後、子ども会の会長からの緊急の要請があった。子ども会からの関係団体への役員派遣中止の要請だった。理由は会員の激減で存亡の危機に瀕している子ども会の実情である。次年度の会員見通しは78名だという。2000世帯を要する住宅街の子ども会である。市の人口統計で直近の5歳から14歳の人口を調べると572名を数える。加入率14%程度である。12班から構成され各班1名の役員が選出されていたが次年度は3班で会員不在となり9名の役員しか選出できない。子ども会独自の行事すらおぼつかない現状で他団体への派遣は応じがたいということだ。加えて夜の会議の多い地域組織の役員会出席は子育て世代には負担が大きすぎるという事情もある。役員派遣問題は各組織の代表から情報連絡の窓口機能として名前の登録だけは維持してもらうが会議出席等は柔軟に考えるということで了解された。
 もっともな話だと思った。子育て世代の経済的ゆとりの無さが母親たちに役員負担を免れるため子ども会入会を忌避させ、そのため子ども会が存続の危機を迎えているという事情は全国的な傾向である。我が町の子ども会もいよいよそうした波が押し寄せた。他団体への役員派遣どころではない。少子化とはいえ尚600人近い子どもがいる。子ども会は子どもたちのとってのかけがえのないコミュニティである。 何としても子ども会の存続を願うばかりである。

藤沢周平と北方謙三2016年02月03日

 リタイヤ生活に入って自分自身の精神世界に大きな影響をもたらしている二人の作家がいる。藤沢周平と北方謙三である。
 リタイヤを意識しだした50代後半から藤沢周平の作品を読み耽った。「三屋清左衛門残日録」という作品を読んだことがきっかけだったように思う。『日は残りて昏るるに未だ遠し』という「残日録」のタイトルの意味するところはリタイヤを控えた当時の心境にピッタリの言葉だった。隠居して間もない主人公の日々の営みは心惹かれるものがあり、自分の老後生活のイメージに重なった。
 ところが私自身の老後は、想定していた穏やかで静謐なものとは趣が異なった。リタイヤ生活に入る直前から、民生委員と大阪府労働員会労働者委員という二つの役職に就任したことが背景にある。3期6年の労働者委員は2年前に退任したものの、在任中は橋下大阪市長の不当労働行為事件なども担当し、現実社会の生々しい葛藤の現場に関わった。民生委員の役職も超高齢社会を迎えて地域福祉の現場で新たな枠組みづくりという生々しい活動の場に身を置くことになった。
 そんな時にふとしたきっかけで手にしたのが北方謙三の歴史小説「悪党の裔(すえ)」である。故郷でもある播磨地方に蟠踞した悪党の首魁・赤松円心(則村)を主人公とした作品である。 動乱の時代を志をもって生き抜いた男の世界を見事に描き切っている。以後、彼の歴史小説を読み尽した。
 個人的には地域福祉の現場で今、新たなステージを迎えようとしている。多くの障害や葛藤が避けられない。北方謙三作品がもたらしてくれる動機づけは貴重である。今しばらく北方作品を読み継ごうと思う。そしていつか藤沢周平の静謐の世界に戻りたいと思う。

有償ボランティア「よりそいサポート」2016年02月04日

 2年前の4月から市社協の研修を修了して社協分区内に設けられた地区ボランティアセンターのコーディネーターになった。お年寄り等を対象とした地区ボランティア活動の運営はコーディネーターが担っている。毎月1回のコーディネーター会議で運営上の様々な問題が議論される。
 昨年春頃から、有償ボランティアの検討が始まった。超高齢社会を迎えて高齢者の困り事は多岐にわたっている。今のカーボランティア(移送サービス)に限定された観のあるボランティア活動から一歩踏み出すことに着手した。多岐にわたる困り事の支援を支えるには既存の登録ボランティアの高齢化と絶対数不足が著しい。従来型の無償奉仕のボランティアではない新たな枠組みが利用者、提供者双方から求められているという認識があった。12名のコーディネーターから選任された6人と市社協の担当者2名による4回の検討会を経てようやく全体の枠組みが固まった。昨日のコーディネーター会議で初めてその全体像を説明した。
 「有償ボランティア」はあくまでボランティアの一形態をあらわす呼称である。新たに発足させるボランティア自体の呼称が必要である。この活動の趣旨は「高齢者、障がい者、介護者支援と産前産後の家事応援、子育て支援等の地域での『自立生活支援』」である。利用者に寄り添いながら、その自立生活に向けたサポートである。そんな想いを込めて「よりそいサポート」と名付けた。
 今後、社協分区内の正式決定のための手続きを経て、活動提供者の募集と確保の取組みが必要となる。提供者の一定数以上の確保を前提に地区内の利用呼びかけのアナウンスをもっていよいよ本格的な稼働となる。本格稼働に向けた最初の一歩を踏み出した。

花ちゃんのいない一日2016年02月05日

 朝早くから、花ちゃんがお母さん、おばあちゃんに連れられて自宅のある大津市に出かけた。赤ちゃん向けの予防接種を受けるためだ。私はあいにく午前中に地域活動の予定があり同行できなかった。
 しばらくお別れのじいちゃんを気遣ってか、母親が花ちゃんをマイカーに乗せるまでの世話を委ねてくれた。チャイルドシートに座った花ちゃんが窓越しに覗きこむじいちゃんの顔をキョトンと見つめ返してくれた。
 午前中の所用を済ませて帰宅した。当然ながらいつもならリビングのどこかに居るはずの花ちゃんの姿はない。分かっている筈の当たり前の出来事に、やっぱり寂しさは隠せない。
 花ちゃんは出産後2カ月半を迎える。それは里帰り出産後の実家での滞在期間としては一般的には決して短くはないようだ。娘ともそんな話題を交わすようになった。花ちゃんが自宅に戻る日は確実に忍び寄っている。それは花ちゃんのいない老夫婦二人の生活に立ち返ることである。娘の里帰り出産という至福のひと時を過ごした副作用は、想像以上の寂しさを運んでくるに違いない。それでもその日常こそが本来の姿だった筈である。半ばあきらめていた孫がはからずも誕生した。花ちゃんと過ごした幸福な日々はむしろ僥倖と受け止めるべきだろう。
 花ちゃんのいない一日は花ちゃんがいなくなる日常への覚悟を迫る一日でもあった。

市社協研修会「介護保険改正と共生のまちづくり」2016年02月06日

 西宮市社会福祉協議会主催の小地域福祉活動研修会があった。テーマは「介護保険改正と共生のまちづくり」で、基調講演は福祉ネット北六甲の設立総会でも基調講演をお願いした神戸学院大学の藤井教授である。各分区から4~5名の参加が要請され、分区執行部4名で参加した。
 基調講演では、昨年4月の介護保険制度改正の背景と趣旨が整理して述べられ、地域支援の枠組みとしての「共生のまちづくり」の必要性が訴えられた。介護保険制度実施後、個別の支援やサービスは整った。ところが個別支援の強化は支援を受ける人たちの孤立化と地域や家族との繫がりの希薄化を招いている。介護保険制度改正は制度の中の介護予防事業を地域に移管して要支援者が地域との関わりを通して支援される仕組みづくりを目指しているという。そのため地域で介護予防、生活支援、社会参加を融合した総合的な地域支援事業を折り込んだ。この地域支援事業を活用し、ボランティア、社会福祉法人、協同組合、NPO、民間企業等の多様な主体による生活支援サービスの重層的な提供を呼びかける。生活支援サービスとは高齢者の在宅生活を支える家事援助、交流サロン、配食・見守り、安否確認、介護者支援、外出支援、移動販売等である。
 基調講演を通して行政側が志向している超高齢社会を乗り切る地域包括ケアシステムの具体像が理解できた。とはいえそれはあくまで地域に投げかけられた構想であり、その実現は個々の地域に委ねられている。在住地域で昨年3月に福祉ネット北六甲という多様な主体をネットワーク化する枠組みを整えた。10カ月が経過し、この組織だからこそ可能だった課題をいくつか実現した。総合的な地域支援事業を展開する上ではネットワーク機能が欠かせない。その機能を担っていく上での福祉ネットの存在意義を再確認した。

コープこうべさんとの懇談会2016年02月07日

 コープこうべ西宮北店を所管する地区活動本部長から連絡をもらった。以前にも福祉ネット北六甲との関わりで店長と一緒に懇談させて頂いた。今回も西宮北店集会室を活用した「居場所づくり」について懇談したいとのことだった。
 半月ほど前に店長からの案内で店のサークルのひとつである「男の料理塾」の案内を頂いた。開催日まで一週間を切る案内だったが、オヤジ会メンバーたちに携帯メールで打診するとほどなく5人の参加連絡があった。現役メンバーからは日曜開催なら参加できるのにという声もあった。鰯料理をメインに初めての調理を体験し出来上った料理をいただきながら講師との懇談の場で定期開催を要望した。http://ahidaka.asablo.jp/blog/2016/01/17/7991044
 そんな経過もあっての今回のコープさんとの懇談だったので、懇談の場には男の料理塾の講師の主婦の姿もあった。私からあらためて日曜日の定期開催を要望し、講師からも年三回程度の開催を検討する旨の意向が示された。社協広報紙等で参加募集すれば、お酒をたしなまない方も含めてオヤジ会メンバー以外の参加も期待できる。
 コープからは集会室活用の居場所づくりについて福祉ネット関連の使用の打診があった。社協分区の福祉ネット推進部では女性ボランティアの人材発掘に向けて子育て卒業母さんたちを念頭に手話講座の開講を模索している。分区対象エリアは、北六甲台と上山口東であり両地区の中間にあるコープの集会室を講座会場にできれば立地的にも経費面でも買物の利便性でもありがたい。そんなことも念頭にぜひ部内で検討してみたいと述べた。
 その他、コープのサークルのひとつであるふれあい喫茶の情報、県内で活動するボランティアグループへの活動助成のための「コープともしびボランティア振興財団」の情報、コープが展開する配食サービスの活用、分区ボラセンが検討中の有償ボランティアのコープくらしの助け合いの会との情報交換等、多岐にわたって有意義な意見交換を交わした。
 福祉ネットを立ち上げてみて初めて見えてくる風景があることをあらためて実感した。

北方謙三著「余燼(下)」2016年02月08日

  北方謙三の「余燼」下巻を読み終えた。上巻の巻末から浮上してきた江戸打ちこわし計画が下巻冒頭から本格的に展開される。物語の主人公たちが計画しリードした打ちこわしは、男伊達を売り物とする火消したちを仲間とし、江戸庶民の蓄積された怨念に火をつけて一気に燃え盛る。史実に残る「天明の打ちこわし」を題材としたものであり、この打ちこわしの勃発を契機に当時の幕府内の田沼意次派と松平定信派の政権争いに松平派勝利で決着がついたとされる。
 作品はこうした史実を下敷きに、刻々と燃え広がる江戸打ちこわしの展開が生々しく描かれる。そのリアリティ溢れる描写に作者の想いが伝わってくる。読み進むうちにこれはまさしく作者・北方謙三の原体験が重ね合わされていると確信した。
 解説に次のような作者のインタビュー記事が紹介されている。「僕にはどうしても小説化したいものが自分の体験のなかにある。1960年代後半から1970年代初めにかけて学生時代を送ったということが非常に大きいんです。『余燼』は完全に全共闘の時のことが下敷きです」。
 1947年生まれの北方謙三は、私と同世代である。1960年代後半から始まり当時の多くの大学を席巻した「全共闘」の荒波は、否応なく学生たちに強烈なインパクトをもたらした。それだけに彼の体験は多かれ少なかれ同世代が共有した体験である。「余燼」の主人公・影井誠一郎が打ちこわしのリーダーでなくリーダー周辺の同調者のひとりであることが当時の北方謙三の「全共闘」での立ち位置を暗示している。そしてそれは当時の圧倒的多数の学生のスタンスでもある。
 江戸打ちこわしが終焉した後、関わった多くの登場人物たちの、悲惨で苛酷なその後の現実が描かれる。江戸打ちこわしとは何だったのか。権力とは、権力闘争とはいかなるものか。政(まつりごと)とは民衆のためにあるのでないか。権力を維持するためには民衆を利用し容赦なく切り捨てるものか。江戸打ちこわしというそれまでの人生には望むべくもなかったかけがえのない光芒に身を置いた者たちに突き付けられたテーマである。
 もえさし、くすぶりを意味する「余燼」とは、燃え盛った江戸打ちこわしのあとのくすぶりであり、関わった者たちのその後の人生にふつふつとたぎる想いでもある。「余燼」という作品は、作者・北方謙三が余燼として引きずってきた「全共闘」との関わりの鎮魂歌でもある。

”ちょい呑みオヤジ会”の確かな手応え2016年02月09日

 一昨年12月に社協分区ボランティアセンターの肝いりで「リタイヤオヤジの居場所づくり懇談会」を開催した。12名の高齢男性に参加してもらったが「いきなりボランティアでなくまずは呑み会形式で忌憚のない交流から始めるべき」ということになった。
 そんな経過で昨年1月に「ちょい呑みオヤジ会」が12名の参加者を得てスタートした。住宅街のカフェを会場とし、開催は第4日曜5時から7時まで、数品目の肴と軽食がついた呑み放題2500円プランで始まった。隔月開催のオヤジ会は会を追うごとに参加者が増え、会場の円卓を囲んで会食ができる限度を超えるまでに膨らんだ。参加者のニーズもボランティアについての交流を重視するグループと呑み会という居場所を重視するグループに分かれだした。そこで昨年9月以降は、奇数月は呑み会グループ、偶数月はボランティアグループに分かれて開催することになった。発足以来1年を経て今年1月で10回目を迎え、毎回10数人の参加者があり、延参加者数は137名を数える。メンバーは30人を超え、今後更に増えそうだ。リタイヤ男性が多数だが、現役世代も含めて下は41歳から上は90歳まで年層は幅広い。
 今年の1月からはボランティアグループを中心に住宅街の公園清掃に参加している。また今年1月にはコープこうべ西宮北店のサークル「男の料理塾」に5名のメンバーが参加した。サークル主宰者とも相談して今後の定期開催も期待できそうだ。かくして単なる呑み会だけでは終わらない新たな活動の広がりも見せ始めた。
 運営も、初参加者の自己紹介、地域福祉や地域の出来事を中心とした事務局報告、参加者全員の近況報告や事務局報告の感想、自由懇親とパターン化されてきた。毎回配布の資料には初参加の際に提出いただいている自己紹介カードの情報が掲載され自由懇親の話題の材料になっている。井戸端会議風の強力な主婦ネットワークの向こうを張ったオヤジ版井戸端会議の色彩がある。とはいえそこはビジネス社会の荒波をくぐったオヤジたちである。ちょっぴりビジネスセンスに彩られた味付けが施されている。
 リタイヤオヤジたちにとって自分が住む町に気軽に参加できる住民どうしの呑み会があることは、それ自体がインフラのひとつと言えまいか。

タタリじゃぁ~2016年02月10日

 夕食を終えみんなでリビングで寛いでいた時だ。二階に上がってゴソゴソしていた家内が降りてきた。手に分厚いアルバムを抱えている。娘のアルバムだ。早速みんなで娘の赤ちゃん時代の写真に見入った。
 期せずして誰もが異口同音に口にした。「花ちゃんはお母さんにそっくりやな~」。落ちそうなふっくらほっぺ。上唇がとがった口元。少し突き出たあご回り。トロンとした目元等々。今のところその気配はないがもう少しすれば髪の毛は天然パーマになるのだろうかと娘が心配している。
 じいちゃんには幼いころから絵心があった。娘の生後6カ月頃の寝顔を写生した作品が残されている。赤ちゃん時代の娘のブス顔がリアルに描かれている。大人になった娘はそれなりの顔立ちになったが、赤ちゃん時代の写真や写生画を歓迎していない。自分では「花ちゃんの方が可愛いわ~」と言ってるものの、否定しようもない自身のDNAにまんざらでもなさそうだ。
 じいちゃんはその様子を横目に呟いた。「タタリじゃぁ~」。