ハイバック・リクライニング・メッシュチェアのプチ贅沢2016年04月01日

 ネットショッピングをよく利用する。受信メールの多くは過去利用した店からのものだ。そんなメールの中にリクライニングチェアの案内があった。
 在宅している日の多くの時間をパソコンデスクに向かって過ごす。関わっている地域活動の事務処理や広報紙編集やブログ更新などのパソコン処理に費やす。それだけに快適なデスクワーク環境が気になる。デスクは大型のがっしりしたものを整えたが、チェアは深く考えず適当なもので済ませていた。リクライニングはおろか高さ調節もままならない。そんな状態だったので「サンワダイレクト」の案内メールの「170度リクライニング、ハイバックメッシュチェア」は大いにそそられた。価格は税・送料込み2,4800円である。同種のチェアも比較して最終的に二日前の夜8時頃にオーダーした。
 その商品が昨日の午後2時過ぎに宅配便で到着した。注文から配達まで実質的に1日半という早さである。すぐに組立て開始。大きなパッキン1個口を開封し段ボールや包装紙を片付けながらの作業が40分ほどで終了した。
 早速、高さを調節しデスクに向かう。通常のデスクワークの場合はこれまでとさほど違いはないが、一息ついた時の快適さが全く違う。高さのある幅広いヘッドレスト(枕)が心地よく頭をカバーする。腰の高さにセットしたランバーサポート(腰当て)が腰回りを包み込む。収納式オットマンを座面のすぐ前に引出すとそのままあぐらがかける。オットマンを目いっぱい引出してリクライニングを170度ほど倒すと快適な睡眠チェアに切り替わる。メッシュタイプなので夏場の昼寝にもってこいの環境となる。
 年金生活者には多少高めの買物だったが、使用頻度の高いプチ贅沢と割り切った。

BSジャパン「歴史ミステリーロマン・幕末維新の謎を解け!」2016年04月02日

 BSジャパン「歴史ミステリーロマン・幕末維新の謎を解け!」を観た。「フルベッキ写真」と言われる一枚の古写真を巡るドラマ仕立てのドキュメンタリー番組だった。
 その古写真には幕末維新の著名な英雄たちが勢揃いした姿が写されているという説がある。坂本龍馬をはじめ、伊藤博文、勝海舟、木戸孝允、大久保利通、大隈重信、岩倉具視、五代友厚、陸奥宗光、小松帯刀、西郷隆盛…等々。番組はこの説の真偽を追うという形で展開される。
 その写真の存在はこの番組で初めて知った。郷土史探訪のこだわりから古写真には人一倍関心が強い。番組のテレビ画面に大写しされたセピア色の44人の武士たちのその群像写真に息をのんだ。すぐにデジカメを取り出して大写しの画面を撮影した。
 番組終了後に「フルベッキ写真」をネット検索してみるとたくさんの情報や画像で溢れている。それほどに知る人ぞ知る写真だった。古くは明治28年に雑誌『太陽』(博文館)で、佐賀の学生たちの集合写真として紹介された。その後多くの研究者たちによって写真の人物像について前述の幕末維新の英雄たちとする説が発表された。番組では写真の中の英雄とされる人物像と他の本人写真との比較をしてみせる。例えば大隈重信の比較写真ではなるほどと思わせるに足る類似性が見て取れる。
 とはいえ、時代考証を踏まえた定説では、この写真が英雄たちの勢揃いした会合写真ではありえないとされる。それはその通りだろうと思うが、いかにもそれらしき人物群像に大いに興味をそそられたものだ。

さくらまつり―オール山口の住民交流の場--2016年04月03日

 4月2日、山口町の第14回さくらまつりが開催された。社会福祉協議会山口支部主催で、旧地区(山口分区)と新興住宅地(北六甲台分区)による新旧合同の一大イベントである。有馬川に架かる平成橋から松栄橋までのさくら並木の続く有馬川緑道を屋台エリア、ゲームコーナー、各種ブース、売店、フリーマーケットが軒を並べる。これに山口町の社協をはじめとしたボランティア組織や各種団体、福祉施設、商店が出店する。更に会場隣接の山口中学校が生徒、教職員、PTAあげて全面的に支援する。
 前日の雨模様と打って変わった好天の中を、大勢の来場者が行き交う。子ども連れのファミリー、幼児を抱えたママ友たち、お年寄りのご夫婦、オジサンやオバサンのグループ、ジャージ姿の中学生たち、施設入所の車イスのお年寄りや障がい者とその介助者、運営を支える大勢の主婦やリタイヤオジサンたち等々。老若男女、新旧住民、障がい者・健常者の垣根を越えたオール山口の住民交流の場が広がっている。
 1時前には例年にないイベントが開催された。地元のボランティアグループ・にぎわいネットが催す古代衣装行列と胡蝶の舞である。山口ゆかりの孝徳帝とその妃を中心に古代衣装に身を包んだ20人ほどの行列が雅楽を伴奏に会場に姿を現わした。行列が本部席横のサークル状の広場に陣取ると、一行の中の胡蝶の装束を纏った4人の児童が雅楽に合わせて「胡蝶の舞」を舞う。来場者たちは思わぬパフォーマンスに足を止めて垣根をつくって見入っている。
 さくらまつりは、年に一度の旧交を温める場である。個人的にも交流のある大勢の知人・友人たちと声を掛け合い歓談をした。今年初めて販売された缶ビールを味わいながら大盛況だったさくらまつりを、楽しんだ。

半年ぶりの大阪外出の出来事2016年04月04日

 半年ぶりに大阪に出かけた。大阪市大病院の診察予定日だった。現役時代には毎日通っていた道のりを車窓から懐かしく眺めた。176号線の名塩のヘアピンカーブ沿いのさくら並木が満開の見事な枝振りを広げていた。
 満員の大阪行きの新快速電車に吊革を握りしめて揺られていた。古希を迎えた身には窮屈な姿勢の30分の立ちっ放しは堪えるものだ。尼崎に到着した時、幸運にも目の前の席が空いた。着席して文庫本を広げた。
 信号待ちで電車が停車した時、横の女性のバッグにつけられたマタニティ・マークが目についた。とっさに立ち上がって若いOLさんに「代わりましょうか?」と声をかけた。娘が妊娠中の通勤時に同じマークをつけていて席を代わってもらったという話を思い出したのだ。「いえいえ、もうすぐ大阪駅ですし」とのこと。考えてみれば終着駅の近さもさることながら、声をかけたのがひげ面の高齢者とあってはためらいが先に立ったとしても無理はない。そのまま着席したもの、大阪駅到着時にかけられた「お気遣いをありがとうございました」という女性の言葉が嬉しかった。
 病院の診察室に入った。問診と触診の後、半年後の検査を告げられた。2007年3月の皮膚癌手術後まる9年が経過した。次回のCTと血液検査が最終検査となる。そして来年4月の診察で10年に及ぶ癌治療の卒業を迎える。永かった病気治療のマラソンのゴールが見えてきた。

コンビニの地域での見守り機能2016年04月05日

 3月の福祉ネット役員会で行方不明者発生時の地域対応にコンビニエンスストアへの協力要請を追加することを提案し了承された。近隣の山口地区にはコンビニは7店舗ある。その内の一店舗を訪ねた。
 オーナーの奥さんである店長と店内のイートインコーナーで10分ばかり懇談した。不明者発生時のFAX送信による捜索協力を従業員への周知を含めて協力要請すると快く承諾して頂いた。加えてコンビニエンス業界が「セーフティステーション(SS)活動」(掲載のポスター参照)という自主的活動を通じて地域社会とのつながりを目指していることも教えてもらった。「地域社会(住民・顧客)の安全・安心への貢献」「地域社会とのコミュニケーションの確立」等の活動である。
 昨今、コンビニ店は地域住民とつながる様々なサービスを提供する生活インフラの性格を強めている。銀行ATM、公共料金払込、市区町村の証明書等発行、税金払込、宅配便・ゆうパック受付、チケット予約・販売、通販商品受取、クリーニング等々。更に24時間営業という機能は早朝、夜間の高齢者や児童の安全確保の面でも貢献している。
 店長から、「高齢者の公共料金振込のサポートを通じて残高異常に気づき、事なきを得た事例があった」という話も聞いた。店が実施している宅配サービスの訪問先の異常時には地域包括支援センターに連絡する仕組みになっているという。宅配時の路上での徘徊者情報等にも今後は気を配ってもらえそうだ。
 地域住民組織の立場からの初めてのコンビニ店との接触が、予想以上に実りのある情報をもたらした。

地包(=痴呆)ケア2016年04月06日

 長尾和宏・長尾クリニック 院長のブログ「Dr.和の町医者日記」を読んでいる。在宅介護や認知症ケア等の専門的で患者の立場に立った見識に学ぶことが多い。昨日の日記「移動、徘徊という尊厳」で認知症の徘徊について「目から鱗」の記事を読んだ。

 『認知症の人こそ住み慣れた街を徘徊することが大切なのです。徘徊できる環境造りや見守りシステムの工夫が認知症の進展を防ぎ、その人らしく地域で生活することを可能とします。そうした街づくりこそが地域包括ケア。略して地包(=痴呆)ケアだと全国各地での講演会で数えきれないくらい話をしてきました。』
 
 確かにそうだ。認知症介護については、ともすれば介護する側の立場や本人の安否優先の観点から徘徊をいかに管理するかという姿勢におちいりがちである。ところが長尾医師は、認知症状の改善療法として「徘徊療法」を勧める。移動・徘徊は、脳の神経回路を活性化させ、認知症の中核症状も周辺症状も改善させるという。
 とはいえ、徘徊のリスクもまた大きい。地域の環境整備や見守りシステムが欠かせない。認知症徘徊者も包み込める地域の取組みこそが課題だろう。福祉ネットの重要なテーマのひとつとして心した。

春の嵐を歩いた2016年04月07日

 大きめの傘が強い風に煽られて飛ばされそうだった。大粒の雨が傘を叩きズボンの裾に絡まっている。「何もこんな日に・・・」という家内の暗黙の視線を背に家を出た。生活習慣の早朝ウォーキングを律儀にこなすためだ。
 「春の嵐」という言葉がこの時期の風物を物語っている。住宅街を縁取る桜並木の外周路を歩いた。折しも満開の季節である。路面を嵐に吹き飛ばされた桜の花弁が覆っていた。駐車していた車の車体に無数の花弁が張り付いていた。
 住宅街を出て周辺道路を巡った。道路脇の擁壁の上に住宅街のさくら並木が続いている。上空を満開の桜の枝が張り出している。突然、傘を煽るように突風が吹いた。目の前の景色が一変した。粉雪が舞うように無数の桜の花弁が舞い降りてきた。濃紺の傘が淡いピンクに覆われ、靴先に花弁がまとわりついている。
 律儀な生活習慣もまた愉し。

イクメンパパが顔を揃える今どきの幼稚園入園式2016年04月08日

 住宅街にある幼稚園の入園式に今年初めて来賓出席の案内があった。福祉ネットを代表する形で出席した。幼稚園の理事長は、地域の病院経営者でもあり福祉ネットのオブザーバーというつながりがある。
 9時から幼稚園の遊戯室で式が始まり、来賓諸氏とともに舞台上に案内された。会場には大勢の入園児とその母親が並んで着席している。3、4、5歳児の入園式とあっては母親が横で付き添わなければ運営は困難だろうと合点した。驚いたのは左右と後方の壁際に立ち並ぶお父さんたちの姿だった。入園児全員のパパたちが列席しているほどの人数だ。私たちの世代には想像できない光景である。
 来賓の紹介も含めて、型通りの式が淡々と進められ30分ほどであっけなく終了した。式の途中でむずかったりおしゃべりしだす園児たちもいる。入園式の時間はこれが限度なのだろう。
 来賓控室に戻り、しばらく園長さんたちと懇談した。お父さんたちの参加は近年急速に増えているようだ。仕事を休んでも参加することが一般的になっているとのこと。それはそれで良いことだ。イクメンパパたちが顔を揃える幼稚園の入園式に時代の息吹を感じた。

スマホの待ち受け画面2016年04月09日

 私のスマートフォンの待ち受け画面には臆面もなく初孫・花ちゃんが登場する。ロック中の画面もホーム画面も別々の花ちゃんである。数ある花ちゃん画像の中から可愛くてお気に入りを選りすぐっている。花ちゃん誕生前は散歩道のお気に入りの風景画だった。
 半ばあきらめていた花ちゃんの誕生だった。それまで知人・友人たちに見せられる待ち受け画面の孫写真に相槌を打ちながら醒めた気分は拭えなかった。妬み半分にそのジジバカぶりを冷ややかに眺めている内心を包み込んでいた。
 今や事態は一変した。我ながらナント現金な!とも思う。誕生前から友人たちがしきりと口にしていた 。「孫はホンマに可愛いで・・・」。確かに可愛い。苛酷な現役生活で我が子と接する時間が限られた世代の祖父にはとりわけその想いは強いものがあるだろう。かくいう私もその世代に属する。子育ては家内に任せっぱなしだった。
 それだけに古希を迎えてようやく授かった初孫は格別である。晩年に孫を抱ける人生とそうでない人生では天と地の開きがあると思わざるをえない。一日に何度も見るスマホの待ち受け画面を目にしながらそのことを痛感するこの頃である。

自治会総会の自治会退会問題の前向きな議論2016年04月10日

 今日、住宅街の小学校体育館で自治会総会が開催された。住宅街の全世帯2200戸を要するマンモス自治会である。開会に当たって報告された参加者は145名だった。委任状880名の委任状を含め総会成立が告げられた。
 今年の総会では所定の報告・決算に続いてかねてから懸案だった二つの議案が提案された。1年ごとに190人の役員が一斉に入れ替わる自治会である。執行部はできれば懸案事項は先送りしたいのが本音だろう。それにしてはよくぞ議案提案までこぎつけたものだ。その議案もあっけなく承認され、次年度活動計画に移った。
 事業計画では活発な質疑が交わされた。特にテーマとなったのは自治会退会者問題だった。2200世帯の内加入者は1750世帯であり加入率はほぼ80%で、僅かずつだが低下傾向にある。加入率低下にどのように歯止めをかけるのか。「空家の確定等実態把握が必要」「ゴミステーション当番は会員か否かに関わりなく全住民が担当する(現にそうしている)」「超高齢社会になりお年寄りの困り事を支援する仕組みづくりで退会者抑制に繋げる」「会員か否かの議論でなく生活基盤は全住民が支えるという姿勢が大切」「自治会の積極的な高齢化取組みが必要」「高齢化と地域インフラ整備は不可欠」。「福祉ネットと自治会の関係は?」。発言者の多くはこんな前向きな発言だった。これを受けて自治会長からも加入促進の取組み経過や福祉ネットでの高齢化取組みの内容等が述べられた。
 昨年3月発足の福祉ネットが、自治会総会で初めて議論された。それは住宅街の高齢化の進展の裏返しであり、自治会レベルでの高齢化対応を求めるニーズの高さを物語っている。