書評・北方謙三著「血涙・下(新楊家将)」2016年06月01日

北方謙三の「血涙・下(新楊家将)」を読んだ。英雄・楊業の死後の楊一族のドラマチックで悲劇的な闘いの物語だった。歴史小説というには余りにも物語性の強い作品だった。
 作者は前作の「楊家将」で楊家の総帥であり伝説の英雄・楊業とその七人の息子たちの闘いを描いて中国の古典小説「楊家将演義」を鮮やかに蘇らせた。
 この作品では「宋」と「遼」という二つの国の攻防を背景にしながら、楊家の四男・四郎と六男・六郎兄弟が、はからずも敵味方に分かれて死闘を演じることになった経緯と葛藤を描いてみせる。それは多分に史実を越えた作者の創造の世界という他はない。
 その物語性の巧みさ面白さは別にしても、歴史小説としての醍醐味は希薄だった。それはそれで北方謙三という稀代のエンタテナー作家の一面と受け止めた。

花ちゃんの脱・擦りバイの仕草2016年06月02日

 花ちゃんとFaceTimeした。タブレット画面を通して元気いっぱいの姿が見えた。両腕と両膝を床に着けてお尻を持ち上げようとする。少し前につんのめりそうな仕草を見せるが堪えきれずにペタンとお尻を落とす。娘曰く「これこそ本格的ハイハイの前兆」なのだそうだ。5日前に花ちゃんちを訪ねて目撃したうつぶせ状態のホフク前進はハイハイではなく「擦りバイ」なのだそうだ。
 ハイハイポーズに疲れた花ちゃんが、顔をあげて母ちゃんの顔をじっと見つめている。かと思えば母ちゃんの身体に顔をこすりつけて服を掴んでスリスリしている。四六時中一緒に過ごしてくれる母親への目一杯の愛情表現なのだろうか。その仕草に思わず微笑んでしまう。
 半月後には何日か我が家に滞在する予定だ。この時期の幼児の成長は著しい。その時には本格的ハイハイを見せてくれるかもしれない。

善意の日のつどい?2016年06月03日

 西宮市社会福祉協議会(市社協)主催の「善意の日のつどい」という催しがあった。社協の各分区にも一定人数の参加要請がある。従来、イマイチよく趣旨の分からないこともありパスさせて頂いていた。今年は分区長という立場になりパスするわけにはいかない。三役のご婦人方と一緒に会場のフレンテホールに出かけた。
 会場をほぼ満席の参加者が埋めていた。舞台上には市や市社協幹部と並んで市社協副理事長である前分区長の姿も見える。式典が始まった。市社協理事長の挨拶の後、地域福祉活動功労者、留守家庭児童対策事業功労者、社会福祉施設等優良職員、ボランティア活動功労者等の表彰者の市長表彰が行われた。それぞれの分野で概ね10年以上務めた人たちが対象のようだ。
 個人的には行政による表彰のたぐいは従来から関心がなかったし、どちらかと言えば距離を置きたいというスタンスだった。通常5年・10年といった節目の勤続が基準であり、地域組織の役職者の表彰へのこだわりが長期在任の弊害をもたらしている懸念も否定できない。
 今回、この催しに参加して幾分スタンスの修正を迫られた。地域活動やボランティア活動を黙々と続けている方も多い。そうした皆さんに地域が支えられている現実もある。他方で人は「他人から認められたい、褒められたいという承認欲求」がある。この催しは地道なボランティア活動を担っている皆さんへの励みになる面もある。
 新たな環境に身を置いてみてあらためて学ばされることがある。物事を一面的に捉えず裏表や多面的な見方をすることの大切さを学んだ。

散歩道は初夏の装い2016年06月04日

 ウグイスの鳴き声で目を覚ました。この時期の早朝4時過ぎはもう夜明けを迎えていた。いつものように6時に自宅を出て朝のウォーキングに出かけた。
 快晴の初夏の幾分冷気を含んだ爽やかな空気が心地よい。住宅街を縁どるさくら並木の緑の葉っぱの重なりの中に鮮やかな朱色が点在している。実りきることのないさくらんぼうが健気に今を息づいていた。
 名来橋袂を東に折れて旧丹波街道合流地に向かった。お目当ての風景があった。旧街道の手前から北に向かって道場方面を望むと、すぐ前の棚田はみずみずしい水田に変貌していた。このスポットの最も美しい季節を目に焼き付けた。
 有馬川土手道に戻り名来橋の北側の竹藪沿いに歩く。季節の風物を目にした。竹笹の枯れ葉に覆われた地表から生まれたばかりの破竹が頭を出している。竹藪に溶け込んだ若竹の命の息吹が伝わってくる。
 道場町平田の畦道を歩いた。水田とその向こうの平田薬師堂、さらにその向こうの新名神道路の橋脚落下現場が遠望できる。大事故の風景すらも初夏の装いの中に韜晦している。

新興住宅地の盆踊りの行末2016年06月05日

 2千世帯近い新興住宅地である我が町の盆踊り実行委員会に初めて出席した。自治会役員と模擬店出店の関係団体代表等、23名が参加した。
 今年で31回目を迎える盆踊りである。毎年、住宅街の中にある小学校の校庭で開催される。缶ビールや焼き鳥などの模擬店もあり、日頃は馴染みの薄い新興住宅街の住民同士が胸襟を開いて交流できる貴重な機会でもある。社協がお世話をする敬老席でも缶ビールを片手に年に一度のこの場での再会を愉しみあうお年寄りも多い。
 ところが今年は学校側の要請で盆踊りでの飲酒が禁止となった。校庭での飲酒を控える旨の行政サイドの指導があったようだ。永年続けられた盆踊りで飲酒に伴うトラブルは起こっていない。むしろ校庭を盆踊り会場に提供することで果たした開かれた学校の地域の潤滑機能への貢献を評価したい。画一的でお役所風の視点での飲酒禁止が盆踊りの魅力のひとつを喪失し、住民の参加意欲を抑制しかねないことを憂慮した。
 開発後30数年を経て住宅街の高齢化が著しい。31回目の盆踊りの実行委員会で盆踊りの在り方等についての様々な意見があった。少子・高齢化で子どもたちの参加も減少化している。反面、この町を故郷に育った子どもたちの多くが成人して巣立っていった。盆踊りは彼らが帰省し、同級生たちや幼なじみたちが再会できる貴重な機会にもなる筈だ。会場の一角に同窓会コーナー等を設けて再会を支援する仕掛けはできないか。彼らの子どもたち(住民の孫たち)も一緒に集い合う三世代交流のふるさとイベントを夢想した。

今なぜ有償ボランティアなのか?2016年06月06日

 2週間前に地区ボランティアセンターが運営に着手した有償ボランティア・よりそいサポートの住民説明会を開催した。ボランティアコーディネーターとしてこの制度設計に深く関わった立場から説明役を引き受けた。制度や仕組みの説明もさることながら、制度導入の背景や趣旨を伝えることが欠かせない。以下はその要約である。

■よりそいサポートとは?
『住民どうしの助け合いで自立生活を支援する有償のボランティア活動』である。「住民どうしの助け合い」「自立生活支援」「有償ボランティア」という三つのキーワードで構成される。
■有償ボランティア導入の背景と趣旨
①高齢者等の自立生活支援ニーズの増大
地区の高齢化率は26%とその進展が著しい。分譲開始後30数年を経た住宅街は、団塊世代の比率が他の世代に比べ突出し2025年問題は地区のテーマそのものである。独居高齢者、高齢夫婦世帯、要介護者世帯等の増大も著しく自立生活支援ニーズが急増しつつある。
②介護保険改正後の地域生活支援事業の対応の遅れ
介護保険が改正され日常生活支援事業が市町村の地域支援事業に移行する。市の地域支援事業が着手されたが地域で対応できる環境は不十分で対応の遅れが否定し難い 
③地区ボランティアセンターのボランティアの高齢化と減少
登録ボランティアの平均年齢は70.4歳と高齢化し64人の登録者も年々減少している。提供する活動も移送ボランティア(カーボランティア)がほとんどで家事支援の提供活動は殆どない。ボランティアセンターの現状の仕組みのままでは新たな自立生活支援ニーズに対応できない。
■有償ボランティア「よりそいサポート」の立上げ
そこで以下の狙いから有償ボランティアの立上げに取組んだ。
①日常生活支援ボランティアの有償化でサポーター、利用者の双方を新たに募る
②リタイヤおじさんや子育て卒業母さんの「報酬のある地域活動参加」で新たなサポーターを発掘する
③低価格の有償サービスによる利用者の利用促進
④地域住民同士の助け合い活動で安心安全な支援の実施(シルバーセンター利用や便利屋さんとの違い)
⑤元気がなくなった世代を元気な世代が順番に支えていく循環型の支援の仕組みづくり

地域の子育て支援態勢の脆弱さ2016年06月07日

 住宅街の自治会主催の関係団体が集まる会合が1週間前と一昨日と2回続いた。いずれの会合でも各団体の紹介を兼ねて近況が報告された。そこで話題になったのは「子ども会存続の危機」の報告をきっかけとした地域の子育て支援態勢の脆弱さだった。
 子育て支援は各団体でそれぞれに独自に進めている。青愛協は幼児・児童・中高生を対象にバスツアー、映画鑑賞会、小学校の朝の挨拶運動等を実施している。社協は「ともだちつくろう」という乳幼児の子育て支援サロンを実施し、子ども会は小学生を対象に夏祭りやクリスマス会等を開催している。スポーツクラブ21も各種のスポーツクラブの活動を通じて子供たちを支援している。民生・児童委員も赤ちゃん訪問や児童虐待問題をカバーする。自治会の取組みには子育て支援に関わる活動は殆どない。
 問題のひとつは、少子化の進展で各種の行事やイベントへの子どもたちの参加が年ごとに減少している点である。今ひとつは家計事情から共稼ぎ世帯が増え、保護者の各団体役員の引き受け手がなくなりつつある点である。役員になりたくないため子供を子ども会に加入させないという傾向もある。こうしたことから地域の子育て支援環境は今後ますます脆弱化していくに違いない。
 対応策としては関係する各団体が連携することが考えられる。高齢者の困りごと支援をテーマに社協を中心に自治会、老人会、民生委員、ボランティアセンターの連携組織・福祉ネットを立ち上げたのと同じ手法である。そうした連携組織を通じて単にイベントや行事をこなすだけでない地域の子育て支援の在り方を整理し、仕組みやインフラを再整備する取組みが必要ではないか。

我が家の「あれから40年」、本格的スタート!2016年06月08日

 今週から家内が家に居る時間が大幅に増えた。永年に渡って続けてきたパート勤務を先週末でようやく卒業したのだ。パート勤めを始めたのは娘が小学校入学した年からなのでかれこれ32年に及ぶ。その収入の多くは我が家の家計の足しになってきた。二人の子供を育て上げ、家事万端をこなし、亭主の世話を人一倍焼いてくれた(時にその世話をが煩わしいぐらいであったとは口にすまい)。そんな主婦業をこなした上でのパート勤めだった。ありがたいことだ。あらためて「ご苦労さん」と感謝した。
 そんなわけで我が家の本格的な「あれから40年」が始まった。実に46年ぶりの夫婦二人きりの新婚生活の再来である。毎日の暮しの多くの時間を夫婦二人だけで一緒に過ごすことになる。もっとも私のリタイヤ生活突入の8年前からリハーサルは終えている。私自身は地域活動の様々な分野に「居場所」を見つけて「引きこもり」「濡れ落ち葉」生活から免れている。
 むしろこれまで特段の趣味やサークルなどに関わりのなかった家内のセカンドライフの方が心配である。何はともあれ慰労を兼ねた小旅行を話し合っている。まだまだ続く夫婦二人の老後をどのように過ごすか。「夫婦はひとり、時々ふたり」の適度な距離感のある老後スタイルがいよいよ試される。

地域福祉コーディネーター2016年06月09日

 昨日、自治会のコミュニティセンター(コミセン)管理委員さんのから携帯に問合わせがあった。「コミセン和室の窓サッシが故障して開閉できない。誰か修理してもらえる人を知らないか」という内容だった。
 ちょい呑みオヤジ会のメンバーでもあり最近心安くなった方だが、最初なぜ私にそんな相談がくるのか戸惑った。話しているうちに彼は社協ボランティアセンターの有償ボランティア・よりそいサポートを念頭に置いていることが分かった。先月のよりそいサポート説明会の説明役は私だったし彼は説明会にも参加してもらっていた。
 ちょい呑みオヤジ会のメンバーに元大工さんで今も地域の日常の大工仕事や修繕を実費程度で気軽にやってもらっている方がいる。よりそいサポートのサポーター登録をお願いしている方だ。すぐに連絡を取ってみると快く翌日午前中に対応してもらえることになった。
 今朝、別件でコミセンを訪ねると早速彼がサッシ修理に取組んでくれていた。管理人さんも「日常的な自治会管理施設の補修依頼に悩まされていたので非常に助かる」とのこと。立合っていた管理委員さんも、「ホームセンターなどに問合わせたが埒が明かないので困っていた。同じ住民で必要に応じて対応してもらえる態勢が整えばそれに越したことはない」という。
 2日後に福祉ネットの第2回総会を開催する。今年度の事業計画の冒頭に、福祉ネットの役割を「地域福祉のコーディネーター」と規定した。地域福祉に関わる様々なニーズや困り事が発生する。それらの対応は個別に直接関わる個人や団体がこなすしかない。ところが地域の様々な団体や組織や個人は多様な情報やスキルを持っている場合が多い。問題はそうした情報や人脈やスキルを横断的につなげる機能がないことだ。
 今回のコミセンのサッシ修繕は、自治会、ボランティアセンター、オヤジ会をまたがる人脈と情報が繋がることで従来にない形でよりベターな対応が可能になった。たまたまその接点にいた私は福祉ネットの事務局を預かり幅広い人脈と情報の結節点にいたことがそれを可能にした側面もある。「地域福祉コーディネーター」という役回りの手応えをあらためて感じた。

長尾和弘・近藤誠著「家族よ、ボケと闘うな!」2016年06月10日

 福祉ネットや社協の取組み課題として「在宅介護」が差し迫ったテーマになりつつある。とりわけ認知症についての理解が不可欠だと思った。そこで認知症ケアに関する書籍を初めて読んだ。長尾和弘・近藤誠著「家族よ、ボケと闘うな!」である。
 著者二人が認知症や在宅介護に関する17のテーマについて往復書簡という体裁で持論を展開する。認知症医療に関する取り組み姿勢やスタンスは共通している。それは決して現在の医学会の主流ではない。むしろ異端と呼ばれそうな立場である。それにもかかわらず読み終えてその姿勢に共感した。
 我が国の認知症医療の主流は抗認知症薬の投薬をメインとした治療である。抗認知症薬には、少量から始めて有効量まで増量するという信じがたい使用規定がある。ところが規定通りに投与すると、患者によっては興奮や歩行障害などの副作用がしばしばみられるという。著者たちはこうした画一的な投薬治療や増量規定に異を唱える。
 長尾医師たちは昨年11月に「抗認知症薬の適量処方を実現する会」を結成し、厚労省はじめ各方面に働きかけていた。そして6月1日に厚労省から通達が出された。抗認知症薬の副作用が認知され少量投与を国として認めるといった内容で事実上の増量規定の撤廃である。
 認知症医療はまだまだ未開の分野のようだ。その治療は今後も紆余曲折があると思われる。そうした中で、今回の通達が長尾医師たちの目指す方向の確かさを裏づけていると思った。その方向とは煎じ詰めれば「投薬中心の画一的な治療でなく、個々人の病状や生活環境等を把握しながら多面的な治療や看護・介護を促す」ということのようだ。
 認知症ケアの入門書として的確な選択だったと納得した。