公民館講座「有馬散策」2016年11月11日

 山口風土記公民館講座「第15回隣町風土記・有馬散策」を開講した。9時30分に有馬温泉バスターミナルに参加者17名と公民館活動推進員4名が集合した。
 すぐ南の中心部の金の湯、温泉寺、湯泉神社、極楽寺を巡った後、今回講座の特別企画である念仏寺を参拝した。本堂でご住職から有馬温泉を愛した秀吉亡き後の有馬の人々の徳川政権との関わり方等の興味ぶかいお話を伺った。その後、本堂裏手の庭を縁側から眺めながら有名な沙羅双樹の古木や両脇の雀石、蛤石の逸話をお聞きした。
 銀の湯、紅梅の古木のある林渓寺を巡った後、今回講座のメインスポットである瑞宝寺公園まで足を伸ばした。
 紅葉のベストシーズンで11月3日に有馬大茶会の野点が行われたばかりである。山門前で解散し20分ばかり時間をとって各自で園内を自由散策した。園内には週末には野点が催されるようで紫と白の幕が残されている。燃えるような紅葉の鮮やかさを愛でながらゆっくりと散策した。
 滝川に架かる杖捨橋まで戻り南西に進んで有馬稲荷神社の参道前に到着した。この神社は見逃せないスポットだが長い階段と山道の参道は高齢者中心の受講者には厳しい。由来と見所を解説してパスした。参道前を北に下りて炭酸泉源公園を訪ねた後、すぐ南の炭酸煎餅の三ツ森炭酸泉店に立ち寄る。推進員代表の知人の調整で全品10%割引の買物を楽しんだ。温泉街の風情のある湯本坂に入り、妬(うわなり)泉源、天神泉源と見学し太閤橋横の袂岩前で解散した。2時間15分の紅葉の有馬の見どころ散策だった。

散策講座14時間後の有馬温泉火災2016年11月12日

 昨日のブログで公民館講座「有馬散策」を記事にした。有馬を散策した翌日午前中のテレビ報道で有馬の中心部の火災が伝えられた。おひとりが死亡し民家や店舗4棟が延焼したという。
 延焼した現場は金の湯や念仏寺に近く、中心街の湯本坂に面した場所である。そこは私たちが散策講座で訪ねた所で、その14時間後の火災だった。火元に隣接した伝統工芸品「有馬人形筆」の西田筆店も全焼した。受講者の皆さんに「ここが有馬筆を作っているお店です」と案内したばかりだった。もし講座が1日遅ければ到底散策どころではなかった筈である。
 それにしても有馬の街の特有の地形がもたらす火災のリスクを思い知らされた。狭隘な坂道の多い町である。入り組んだ狭い路地が縦横に走っている。あの地形でどのように消火活動が行われたのだろう。その特有の地形で宿泊客も多いという条件も折り込んで有馬の住民たちは様々な防火設備を整え消防訓練を重ねているのだろう。

消防署員の訪問調査に同行2016年11月13日

 昨日の日曜日、朝9時から夕方5時過ぎまで4つの活動やイベントをはしごした。消防署員の高齢者宅訪問調査の同行、有馬病院の収穫祭、JA兵庫六甲下山口支店の秋祭りイベント、有馬ホールの終活劇である。
 その最初の活動が消防署山口分署職員のおひとり住まいの高齢者宅の防火防災の訪問調査・指導の同行だった。
 昨年から始まった消防署のこの取組みに民生委員の同行が要請され地区民児協で協力することになった。民生委員が担当地区の該当者を数人リストアップし事前の了解を得て職員と一緒に訪問する。今年も5人の高齢独居の皆さんに事前に連絡し了解を得ていた。
 朝9時15分に30代の若い職員と合流し、該当者宅を順次お訪ねした。最初に民生委員の通常の実態把握調査を行った後、消防署職員の調査・指導をお願いした。アンケート形式で、火災警報器や消火器が設置されているか、コンセントやコードの整理や管理はできているか、家の周囲にダンボール等が放置されていないかなどが問われた。適切でない場合はそのつど助言や指導が行われる。
 全員80代のおひとり住いの皆さんだったが、思った以上に防火防災意識があり受け答えもしっかりされていた。通常の実態把握調査の際にはみられない一面も窺えた。最初の多少の戸惑いがなくなると、ひとり住まいの話し相手のなさの裏返しか次々と話題が広がるのも共通していた。
 職員から「しっかりと人間関係をつくられているので非常に良い訪問調査ができました」という言葉を掛けられて、1時間半ばかりの訪問調査を終えた。

有馬病院の収穫祭2016年11月14日

 住宅街に隣接する有馬病院の「収穫祭」に出かけた。福祉ネット北六甲のオブザーバーの医療機関であり、先日の福祉ネット役員対象の研修会でご案内頂いたイベントだった。
 精神疾患の専門病院である有馬病院と地域住民との交流は曲折があったようだ。元来、新興住宅街が開発される30年以上前から病院は運営されていた。その後大規模開発された住宅街の住民からは隣接の精神疾患専門の病院は必ずしも好感を持たれなかったことは否めない。住宅街での入所者と住民のトラブルが発生したこともあったようだ。病院側のその後の積極的な地域交流の取組みもあり徐々に関係は改善されていった。数年前から始まった「収穫祭」の地域住民への案内も始まった。
 11時頃に病院を訪問し受付を済ませて中央棟の展示会場を訪ねた。入院患者の書画や手芸の作品展示、特設舞台での作業療法の活動発表、バンド演奏、カラオケコーナー、喫茶コーナーなどが催され、多くの患者と家族、介護スタッフたちが談笑している。本館との間の中庭ではたこ焼き、焼きそば、たい焼き、からあげなどの模擬店が開催されいずれも100円で販売され、周囲のテーブルで飲食できる。午後には本館1階の大会議室で精神科医師の講演会や家族会が予定されている。
 予想外の大規模なイベントだった。収穫祭のネーミングは日頃の病院内での患者たちの取組みやトレーニングの成果を家族やスタッフたちと「収穫」しようということかもしれない。一般病院では稀なこうした大規模なイベントの開催に、精神疾患病院ならではの患者、家族、スタッフ、地域住民との親密でオープンな交流を深めたいという意向が窺えた。

医療関係者たちの素人「終活劇」2016年11月15日

 つどい場”あん”で神戸市北区の訪問看護センター勤務の看護師さんから興味深いイベントを紹介された。北区の在宅医療・介護連携支援センター主催で北神区民センター(ありまホール)で「終活劇」が上演されるという。出演者や製作スタッフは全てセンターに所属する現役の医療・介護の関係者である。
 その「終活劇」を家内と一緒に観劇してきた。2時の開演前のありまホールは立見席が出るほどで定員500名を超える盛況だった。4幕にプロローグとエピローグのついた2時間もの本格的な舞台だった。出演者45名は開業医、歯科医師、看護師、ケアマネ、薬剤師、社会福祉士、社協職員に現職の葬祭業ディレクター、警察官、消防署救急隊員なども加わっている。8月からの特訓で上演にまでこぎつけたという。当然ながら演技はお世辞にも上手とは言えない。中には堂々とカンニングペーパーを見ながらのせりふを読む強者もいる。それはそれで観客を沸かせている。脚本はなかなかのもので随所に笑いネタも折り込んで舞台を盛り上げている。素人演劇でもあり上演中の写真撮影もOKということでスマホ写真を遠慮なく撮らせてもらった。
 演技の出来栄えは別にしても上演テーマはシリアスで考えさせられるものだった。エンディングノートの重要性、安心シート(安心キットの神戸市版)のPR、救急隊の救急現場の実態、多死社会での病院看取りの困難さ、自宅看取りの心構え、訪問診療の一日、訪問歯科診療の事例と自分で食べられることの大切さ、終末期に本人の意に反して救急車を呼ぶことの問題点、在宅死で警察が関与する事例、リビングウイル、終活についての家族会議等々である。
 大いに笑い、大いに考えさせられた。帰路の車中で家内と子どもたち家族も加わった我が家の家族会議の在り方などを語り合った。

舞い込んだ「私の半生記」講演依頼2016年11月16日

 1カ月ほど前に出身労組の委員長から突然連絡があった。所属する我が国最大の産業別組織の流通部門の研修会での講演依頼だった。未来塾と銘打たれた研修会の塾長は私の現役時代の古い友人だった。その友人のノミネートによる依頼であることが推察された。講演テーマは「私の半生記」である。後輩たちに「半生記」を通して伝えておきたいことを語ってほしいという趣旨だった。これまでブログ等で自分史を綴ったこともあり、これを機にまとめておくのも悪くないと思い応諾した。
 ほどなく担当者から正式な依頼状が送付された。少年時代、青年青春時代、社会人時代、労働組合時代、現在の心境、伝えておきたいこといった切り口で話してほしいとのことだ。受講者は流通労組の30~40代の現役リーダーたち9名である。
 早速、講演レジュメの作成にかかった。指定された各時代区分ごとに自身を振り返りそれぞれの時代が自分にとってどんな意味を持っていたのかをあらためて辿ってみた。しれを次のように整理した。少年時代「品行方正の優等生?」、青春時代「葛藤と彷徨」、社会人「労組役員と関連事業」、リタイヤ生活「人生の集大成と実りの収穫」、伝えたいこと「因縁生起・あるがままに」。
 振り返ってみれば結構波乱万丈の人生だったと思う。これを与えられた60分という時間で語りつくせるか心もとない。それにしても71年の人生を振り返る営みはやりがいのある愉しいものだった。この貴重な機会を提供して貰った関係者にあらためて感謝した。

後輩たちに「私の半生記」を語った2016年11月17日

 労組リーダーの後輩たちへの講義の機会を与えられ出かけて行った。会場は会場は学生生活を過ごした岡山市北区にある労働団体の中央教育センター・友愛の丘である。同じ北区とはいえ平成の大合併で会場のある福渡地区はJR岡山駅から電車で40分ほどの津山線沿いの農村地帯である。福渡駅からタクシーで未来塾と銘打たれた研修会の会場に到着した。案内された部屋には、旧来の知人である
塾長をはじめスタッフ4人と9人の塾生が待ち受けていた。
 A41頁に私の半生記を箇条書きでびっしり記したレジュメを配布した。5時5分に開始した講義の持ち時間は60分である。71年の人生を語る60分がスタートした。少年時代、青春時代、社会人、リタイヤ生活と順調に話を進め、最後の「伝えたいこと」を語った。①志と文明観を持ってほしい。イギリスのEU離脱やトランプ現象はグローバル資本主義というアメリカ文明(パックス・アメーリカーナ)の終焉と転換を意味しているのではないか。②多様な価値観、考え方を肯定する生き方が必要。排除でなく包み込むこと。それが多くの情報を引き寄せ、多様な人脈をつくり、困難に対応する多様な引き出しを準備する。③「かけがえのない」を大切に。自分しかできないこと、自分だからこそできることは何か。自分を見つめるまなざし。④あるがままに。現実を受けとめ現実に向き合う。時にあるがままの自分をさらけだす。④因縁生起。因(種)があり、縁(環境・条件)で育てられ今がある。今をあるがままに精一杯生きる。6時5分にはピッタリ講義を終えた。手前味噌ながら納得できる手応えのある講義だったと思う。
 鍋料理を囲んだ夕食懇親会が始まった。明日の冒頭の講義のため旧知の前産別組織会長が合流した。塾長も含めて久々に痛飲しながら旧交を温めた。食後には引続き車座懇親会が待っていた。子ども世代の後輩たちとも懇親を深め11時前にようやくベッドに入った。
 翌朝目覚めたのは7時半を過ぎていた。久々の痛飲がいつもの早朝の目覚めを奪っていた。7時半の朝礼参加を表明しておきながら不覚にも遅刻をして途中からの参加になった。朝食後のは会場周辺の丘陵地を散策し、9時15分に手配のタクシーで帰路につき最寄り駅に向かった。

訪問看護士さんたちとの研修会2016年11月18日

 岡山での研修会の講義を終えて、その足で西宮市社会福祉事業団の訪問看護センター主催の研修会に民生委員の立場で参加した。地区民児協で参加要請があり訪問看護の実情を知りたいと思い手を挙げた。
 会場の西宮市民会館大会議室には、グループワーク用に4人づつの座席に分かれたテーブルが20余り用意されていた。指定された6番グループの席に訪問看護士さん、理学療法士さんの3人と一緒に着席した。2時から始まった研修会にはセンター職員を中心に民生委員、認知症家族会や介護者の会など91名もの参加者があった。
 グループワークが始まった。テーブルには「人との関わりの中で大切にしていることは何ですか」と書かれた模造紙が準備されていた。このテーマについての参加者の意見を述べ合い付箋紙に書き込んで貼り付けていくという手法の研修だった。訪問看護士も民生委員も人との関わりが役割の中心であることからその要点を語り合うことで相互に交流しようということのようだ。ただグループワークは20分ごとに4人のメンバーの半数が入れ替わりこれを3回繰り返された。結果的に二つの点で消化不良の感が否めなかった。
 ひとつは課題設定が抽象的過ぎた気がする。訪問看護と地域支援の意見交換を期待していたので「人との関わり」のテーマ設定は期待外れだった。今ひとつは20分ごとのメンバー交代で議論が深化しない点だった。
 それでもある参加者の敬老のつどいの地域の取組み事例は参考になった。その地域では敬老の日に自治会が中心になって赤飯を炊き70歳以上の高齢者宅に子どもたちが届けるという慣習が伝統的に継続されているという。子どもたちがお年寄りと接触しお祝いするという地域の慣習はかけがえのないものだ。アトラクション中心のイベントよりも趣旨に適っているように思えた。
 訪問看護の専門職の皆さんとの初めての2時間ばかりの研修会だった。消化不良の面はあったものの幾つかの貴重なヒントをもらった。

年寄り夫婦がUSJに出かけた2016年11月19日

 家内と一緒に昼過ぎに自宅を後にして大阪に向かった。目的地は年寄り夫婦二人の行き先としては場違いなUSJ(ユニバーサル・スタジオ・ジャパン)である。これにはわけがある。家内は色んなキャンペーンに応募するのが好きだ。サントリーのキャンペーンに応募したところ、USJの「サントリープレミアム貸切ナイト」のお二人様ご招待に当たってしまった。多少違和感はあったが当たった以上これは出かける他はない。こんなことでもなければ生涯縁のないスポットである。
 イベントガイドには14時入場開始とあるが、サントリー貸切のイベントは19時からである。大阪駅前の百貨店で昼食をとったりして時間を潰し、USJには3時半頃に到着した。広大なテーマパークをどう楽しめばよいのか戸惑うばかりだ。とりあえず園内を歩いてみることにした。
 最初に目に入ったのがスパイダーマンのアトラクションだった。入口では係員が「只今の待ち時間は55分です」と声をかけている。テーマパークでの長時間の行列は覚悟していたので行列の最後尾についた。待つこと40分・・・ようやく4人乗りのゴンドラに乗車した。3D映像の迫力とジェットコースターを体感を駆使したエキサイティングな数分だった。
 続いてジェラシックパークの行列に並んだが、途中のビデオ案内の「かなりの水しぶきを浴びます」というアナウンスに家内が尻込みした。やむなく20分ばかりの待ち時間を棒に振って列を離れた。6時スタートのターミネーター2(3Dアトラクション)の会場に5時半頃に入場した。スパイダーマンの興奮の再来を期待しての入場だったが、前半は女性MCの辛口ギャグのトークショーだった。メインホールに入場し、座席に着席していよいよ3Dアトラクションが始まった。舞台上にターミネーターに扮したアクターが登場し悪役たちとの乱闘が演じられる。舞台背景にはバーチャルな3D映像がスピーディに大迫力音響とともに展開する。そのうちアクターたちが背景映像に吸い込まれるように消えて、映像中心のシーンになる。リアルとバーチャルをミックスしたアトラクションだった。途中で座席がシーンに合わせて大音響とともに上下に大きく振動する。凝った演出だったがスパイダーマンの迫力には及ばない。
 アトラクション会場を出ると外はすっかり闇に包まれていた。巨大なクリスマスツリーが点灯され様々な彩りのイルミネーションに次々と転換する。この世界一の伝説のツリーも今年が最後だという。ツリーに隣接する幅広い建物の壁面も見事にイルミネーション投影されて息を呑むばかりの美しさだった。
 ポイントになるアトラクションを駆け足で巡って7時過ぎにはUSJを後にした。家内のキャンペーン応募のお蔭で異次元の不思議でエキサイティングな3時間余りを過ごした。

雨天中止のアルキナーレのイベント模様2016年11月20日

 19日に開催予定だったアルキナーレが雨天予報で前日午後に中止が決定された。丸山ハイキングをメインとしたイベントである。西宮市南部からの参加者も多数見込まれている。荒天での万一の事故への備えを考えれば中止もやむをえまい。
 8組のハイキングル-プのひと組のコースガイドを引き受けた。主催者と調整して初めて11ヵ所の散策スポットのガイダンスをA4一頁に写真付きで作成した。従来特に準備していなかったものである。 当日には全参加者に配布されることになっていたようだ。これも日の目を見なかったが次回以降に活用されるだろう。
 雨天の場合は、ハイキング以外の催しは、公智神社と宮前通りの会場が全て山口センターとホールに変更になることが決まっていた。10時40分頃に山口センターに顔を出した。センターの壁面コンコースには地域の各種団体が出店する屋台村が並んでいる。たこ焼き、おでん、ちらし寿司、カレーライス、唐揚げ、焼き鳥、焼きコーン、豚汁、イカ焼きと、さすがにオール山口での出店で多彩な屋台村である。山口ホール前の展示室でも地元JAの青果等の物産展や竹籠細工の販売がある。
 広い山口ホールいっぱいにテーブルが並べられ、大勢の参加者が屋台村で調達した飲食品を味わいながら歓談や交流に花を咲かせていた。
 11時半には舞台上に孝徳帝の行幸行列の衣装をまとった面々が登場した。舞台周囲に着席すると、舞装束に包まれた4人の小学生たちが登場し胡蝶の舞を披露する。伴奏は10人ほどの雅楽衣装の奏者による雅楽である。舞が終わると舞台下に設置された二つの和太鼓と横笛とのコラボ演奏が始まった。横笛の奏者は孝徳帝に扮した雅楽団のメンバーであり和太鼓は30代とおぼしき女性だった。この珍しいコラボ演奏に会場を埋めた観客が聞きほれていた。
 体調が風邪気味で万全でない。12時過ぎには会場を後にして帰路についた。