そして花ちゃんがいなくなった2017年01月01日

 1歳1カ月の初孫花ちゃんが巻き起こす旋風に包まれた我が家の新年の朝を迎えた。思えば我が家の歴史に初めて刻まれた幼児のいる年末年始の風景だった。
 昨年の元旦はわずか1カ月の花ちゃんだった。それこそ腫れ物に触るような扱いだった。それが今年はなんという変わりようだろう。1年の歳月がやんちゃな花ちゃんに見事に変身させている。テレビにかじりついて好きなキャラクターを「アッ!アッ!」と指さし連呼する。テーブルにひとりでよじ登っては得意げなドをヤ顔を見せる。リモコンや機器のスイッチを見つけては押しまくる。観ていたテレビの画面が不意に切る替わり、突然ガスストーブが点いたりする。食事中もじっとしていない。チェアに反対向きに座りバンザイのポーズをとる。
 花ちゃんをまじえた元旦の賑やかな朝食が始まった。家族みんなの視線を浴びながら花ちゃんの気ままなマンマが続いた。そんな花ちゃんの振舞いに目を細めながらお屠蘇を口に運んだ。半ばあきらめていた孫のいる正月の風景にこの上ないひと時を過ごした。
 花ちゃん一家が10時頃には婿殿の実家に向かって我が家を後にした。花ちゃんとの4泊五日がなんと短かったことか。明日朝には息子も我が家を後にする。いつも通りの老夫婦二人の静かな日常が戻ってくる。

今年の一句「初孫の 傍若無人も また愛し」2017年01月02日

 毎年の年賀状は我が家のひとコマを漫画イラストでデザインする。その年の思い出深い出来事を素材にする。いつもは何をテーマにするか呻吟するのだが、今年のテーマは早くから決まっていた。言うまでもなく初孫花ちゃんのじいちゃんばあちゃんとのふれあいである。どんな場面を描くかも固まっていた。
 花ちゃんが保育園に入園する直前に娘と一緒に我が家に一週間ばかり里帰りした。11ヶ月を迎えた花ちゃんの見違えるような成長ぶりに驚かされた。怖いもの知らずのやりたい放題の時期である。ソファーにもたれて寝転がっていたじいちゃんの顔の上に容赦なくよじ登ってくる。その傍若無人な振舞いも、じいちゃんにはなついてくれている証しに思えて愛しさを誘うばかりである。傍にいた家内にその様子をカメラに収めてもらった。この一葉の写真こそが今年一番の思い出だった。
 この写真をもとに漫画イラストにデザインした。「花ちゃんと遊ぶ」のタイトルの下にその時の感想「初孫の 傍若無人も また愛し」の句を添えた。

中山寺の安産祈願のお礼参り2017年01月03日

 子どもたちがそれぞれの自宅に戻った翌朝である。夫婦二人の生活に戻り初詣でを兼ねて二人で宝塚の中山寺に出かけた。里帰り出産した娘の安産祈願のお礼参りが主目的である。
 正月三日の中山寺は大勢の参拝客で賑わっていた。少子化時代の世相を反映して出産、安産を祈願する善男善女の参拝が絶えることはない。少子化は子供関連市場を縮小させているが、それだからこそ出産祈願のこの霊場はより一層賑わうのだろう。
 11時前に山門をくぐり本堂、太師堂、五重塔、大願堂(多宝塔)、中山寺古墳などを巡り、最後にお礼参りの受付を訪ねた。我が家に残された中山寺授かりの腹帯を返納し新しい晒を納める。併せて安産のお礼と健やかな成長の祈祷を依頼する。納め料、祈祷料を納めると観音さまのお守りとお供物を授かる。
 安産祈願が実ったのか否かは定かでない。それでも初孫花ちゃんが無事出産し1歳1カ月に至る健やかな成長が叶ったことを素直に感謝した。

年初に想った。老後の幸せとは?2017年01月04日

 新年早々の早朝だった。ウォーキング途上の国道にはひとっこひとり姿がない。そればかりか行きかう車もない。日の出前の空はどこまでも澄み切ってすがすがしい。
こんな凛とした風景が否応なく自分の「今」を考えさせる。思えば幸せな老後と思う。何をもって老後の幸せを受け止めるかは人それぞれだろう。「家族」「地域」「自分」という老後に関わる三つの分野で考えてみた。
 家族で言えば、永年連れ添った家内とはそれぞれに独自の足場を維持しながら適度な距離感で支え合っている。二人の子どもたちも独立し立派に生計を立てている。加えて半ばあきらめていた孫にも恵まれた。
 地域との関わりはこの歳にしてはかなり濃密だ。民生委員に始まって社協分区役員を8年務め昨年その代表者に就任した。2025年問題を9年後に控え、我が町の超高齢社会を乗り切るインフラ整備に着手した。安心キット、福祉ネット、有償ボランティア、オヤジ会等の立上げの中心的な役回りをこなした。市の民生委員会広報紙の実質的な編集長として3号の広報紙の発行に関わり、最新号では「無縁社会を見つめるまなざし」をテーマに想いを発信させてもらった。
 自分自身の分野では郷土史研究家としての一面にも力を入れている。毎年2回の公民館講座に加えて昨年は住宅街の文化祭で「町の今昔物語」をテーマに講座を開講し65名もの受講者で盛況だった。他方で「終活」に着手しエンディングノートのソフト版の入力を開始した。また昨年10月に「私の半生記」をテーマとした講演を依頼され、これをきっかけに「自分史」づくりの構想にも着手した。
 古希を越えてあらためて想った。幸せとは煎じ詰めれば「自分らしさ」をどう実現できたかということではないだろうか。老後の幸せとは自分自身の足跡を辿りながらその更新と終末を完結させることのように思える。

ボラセンの始動2017年01月05日

 正月4日の昨日の午前中はボランティアセンターのコーディネーター会議だった。先月26日の市の民生委員会広報部会以来の9日ぶりの地域活動だった。この間、孫の花ちゃんの4泊5日の我が家での滞在をはじめたっぷり休養できた。
 コーディネーター会議には慌ただしかった筈の正月を終えたばかりの主婦ボランティアの皆さんを中心に13名が出席した。議題の中心は立ち上げたばかりの有償ボランティア・よりそいサポートの活動事例の検証だった。11月以降、5件のサポート活動があった。初めての有償ボランティアの活動で様々な問題点や課題が浮上した。利用者、提供者、コーディネーター間の打合せの在り方。庭の選定や草抜きの長時間活動での分担や人員配置。グループで活動提供した場合の領収証の発行方法。活動終了後のボラセンへの報告の在り方等々。ひとつひとつについて活発な意見が交換されその対応を整理した。
 会議終了後の正午から、自己負担の二段弁当と缶ビールを味わいながらの新年会となった。会議とはまた違った様々な話題が飛び交った。
 今日からボランティアセンターも開設される。2017年のボラセンが始動した。

免許証の高齢者講習の申込み2017年01月06日

 先月19日に自動車免許証の「高齢者講習のお知らせ」という3枚開きのハガキが舞い込んだ。更新日に70歳以上の場合、受講が義務付けられている講習である。表面には「すぐに講習を予約しないと更新できなくなる場合があります」でと赤字の記載がある。
 かねて同年代の知人から「通知があり次第すぐに申込まないと予約でいっぱいで受講期間内に受けられなくなる」という情報を聞いていた。キターッとばかり所定の地元の教習所に電話を入れた。ところが「現在、予約でいっぱいで次回は1月6日に4月分の講習を受付しています。但し朝10時の受付開始と同時に電話が殺到しますのでご注意下さい」とのこと。聞きしに勝る集中ぶりである。直接教習所窓口に行けば予約は固いとのことだった。
 そして今日1月6日に教習所を訪ねて予約申込をしてきた。受付開始の10時前の窓口は閑散としていた。すぐに受講申し込みを告げると「2月5日日曜日の申込キャンセルがあり、この日なら受講可能」とのこと。4月以降の受講を覚悟していたので即刻申込をした。
 高齢者ドライバーの事故が相次いでいる。超高齢社会になり絶対数が増えているのだから事故件数も増えて当たり前ではある。とは言うものの加齢に伴う心身の衰えが運転機能の低下を招いていることも否定できない。ありのままの実態を受け止めて免許返上の選択肢も冷静に判断しなければならない。「やめ時」「引き際」は終活の避けて通れないキーワードである。

五つ星の宿・冬の癒し旅の申込み2017年01月07日

 新聞の旅行社の折り込み全面広告が目についた。「穂高荘・山のホテル癒しのひととき二日間」のタイトル文字が踊っていた。サブタイトルは「飛騨鍾乳洞と白銀の北アルプス・新穂高」「往復新幹線グリーン車&特急ひだ利用」とある。五つ星ホテルの露天風呂や奥飛騨深山懐石料理、新穂高ロープウェイ、飛騨大鍾乳洞、氷の渓谷の写真が掲載され、高山の自由散策も用意されている。旅行代金は二人一室2万5千円程度である。
 家内の膝の調子が思わしくなく、長期になる海外旅行を避けるようになった。勢いお好みの国内旅行を物色するようになった。そんな事情にピッタリのツアー案内だった。家内にチラシを見せるとまんざらでもなさそうだ。出発保証のツアー日程とスケジュール上の参加可能日を加味して2月2日出発のツアーを選択した。すぐに旅行社HPのマイページでネット検索し申込を済ませた。
 久々の夫婦の真冬の「奥飛騨温泉郷の北欧風リゾートホテル」の癒し旅が楽しみだ。

廣田神社界隈のパワースポット散策2017年01月08日

 三連休初日の昨日の朝、「どこかに出かけようか?」と家内が言う。さくらやまなみバス広報紙(昨年11月号)掲載の廣田神社界隈のパワースポットの散策に出かけることにした。神呪寺も行きたかったので今回はマイカーで出かけた。北部在住の西宮市民のこととてどちらも初めての参拝である。
 神呪寺の石段下に到着した。甲山を背景にした堂々たる風格の仏閣だった。見上げるような急な石段を上り詰めた先に本堂がある。参拝した後本堂前の展望台で西宮市内とその先の瀬戸内海の見事な展望を愉しんだ。本堂後背の多宝塔や前面の鐘堂もなかなかのものだ。
 廣田神社参道前の駐車場に車を止め、神明造りの厳かなたたずまいの本殿に参拝した。境内から広田山公園を通って賽神社に向かった。住宅街のど真ん中のこじんまりした祠のような社殿だった。西に進んだ先にニテコ池が広がっていた。三つに分かれた貯水池だが野坂昭如の「火垂るの墓」の舞台ともなったスポットである。北に臨む甲山とマッチした風景が印象的だ。ニテコ池の遊歩道の北西の角に名次神社があった。こじんまりした社殿ながら由緒を窺わせるたたずまいだった。来た道を折り返し廣田神社前の駐車場に戻った。45分ばかりの手ごろなパワースポット巡りを楽しんだ。

社協と民生委員の新たな関係2017年01月09日

 超高齢社会を迎えて地域の高齢者ケアをどう支えるかが焦点になってきた。地域では主として社協分区と民生委員が高齢者ケアを担っている。それぞれが車の両輪として連携し合うことが期待されている。社協は組織として面としての地域ケアをカバーし、民生委員は点として個々人をサポートするという関係である。
 ところが現実には双方の関係は必ずしもしっくりいっていないという事例も多いようだ。「社協は民生委員を下働きさせている」という声もある反面、「民生委員が社協を仕切ってしまいそれ以外のメンバーは社協の活動に参加しづらく長続きしない」という声もある。各地域ごとの社協の成立ちや民生委員の選出の在り方の違いが背景にあるようだ。
 2025年問題を間近に控えて双方の関係の円滑化が欠かせない。社協分区長と民生委員を兼ねる立場にあり、双方の言い分や気持ちが理解できる面がある。双方の役割分担が混在していることの問題が大きい。例えば民生委員になれば自動的に社協の役員になるという慣習の地区も多い。本来独立した役割機能である。民生委員はその役割を全うするということが第一で、社協はその点を理解し、その上で社協役員への就任の同意を求めるという手順が必要だ。個人活動が基本である民生委員も社協活動への参加を通して地域の高齢者の実態や情報が把握できるという理解が必要だ。
 永年の慣習や風土を見直して社協と民生委員のそれぞれの役割機能を尊重し合った新たな連携の姿が求められている。

かいご楽快の壮大な挑戦2017年01月10日

 昨日の丸一日を西宮市中心部のアミティホールで過ごした。昨年所用で参加できなかった「まじくるかいご楽快」を今年は参加した。主催は「NPO法人・つどい場さくらちゃん」と「医療法人・長尾クリニック」で、西宮市社協が共催している。毎年この時期に開催されている介護に関わる講演とパネル討論の大規模なイベントである。主催者によれば全国から600人ほどの参加者があったとのことだ。大勢のボランティアスタッフが会場案内、舞台運営などを担っている。イベント終了後には最寄りの料理店で定員100名の懇親会も予定されている。
 イベントは3部構成だった。第1部「ぼけたらあかんのん」は認知症に関わる介護と医療の二人の専門家による講演である。昼食タイムには長尾クリニック院長の歌をまじえたトークショーが催された。第2部「”今”ってどうなん」は施設、家族、介護の「今」をそれぞれのスペシャリストたちが報告する。第4部「ぶっちゃけトーク」は先の登壇者に介護専門職と二人の介護家族を加えた9名による認知症ケアや介護の在り方についてのパネル討論だった。
 主催者の企画力、組織力、構成力がいかんなく発揮されていた。認知症ケアや高齢者介護が社会的にも注目され多くの関係者が手探りしながら対応を模索している。行政、医療、介護の実態は当事者たちの想いとかけ離れ関係者たちには苛酷な現実が待っている。主催者はそんな現実を真正面い受け止め、あるべき姿について真っ向から提起する。「かいご楽快」の壮大な挑戦は、超高齢社会の地域福祉の在り方に貴重なヒントをもたらしている。
 講演やパネル討論の内容については別途記事にしたい。