乙川優三郎著「喜知次」2017年04月05日

 乙川優三郎の長編時代小説「喜知次」を読んだ。同じ作者の長編時代小説「蔓の端々(つるのはしばし)」に続いての読了だった。乙川優三郎ワールドを満喫している。
 喜知次とは東北地方で通称され一般にはキンキと呼ばれる海水魚のことである。この物語ではヒロイン花哉の呼び名でもある。主人公?小太郎の家にもらわれてきた幼い花哉の「くるりとした大きな目に赤い頬」をみて小太郎が「花哉はまるで喜知次のようだな」と口を滑らせたのが呼び名の由来である。この小太郎と花哉の出会いの場面で始まった物語は、晩年に小太郎が哀しい別れの果てに夭折した花哉を訪ねる場面で完結する。出会いと別れを物語の始まりと結びに展開するのは作者が好んで使う手法のようだ。
 「解説」でも指摘されているが、作品タイトルにあるように作者は「喜知次(花哉)」こそが主人公であることを暗示している。ところがこの長編を読み進みながら読者は主人公は小太郎としか思えない。藩内抗争に明け暮れる藩の裕福な上士の嫡男である小太郎の藩政改革に挑む成長物語が主題と思える。
 にもかかわらずなぜ作者は「喜知次」を主人公と暗示したのか。藩政改革を表面上の主題としながら、何のための藩なのか、何のための藩政改革なのかを問うている。物語の節々に苛酷な運命を受入れながら明るくひたむきに生きる喜知次の姿が登場する。小太郎と喜知次の結ばれることのなかった恋を絡めながら「生きる」ことの意味を暗示し、そのことを読者は否応なく考えさせられる。
 爽やかな読後感をもたらした作品だった。