公民館講座「公智神社の由来」2017年10月21日

 久々に山口公民館講座を受講した。公智神社の長谷川昌亮宮司の「公智神社の由来」をテーマとした講座だった。山口公民館講座では郷土史研究家という肩書で「山口風土記」をテーマに15回の講座を開講した。公智神社宮司のこのテーマでの講座である。講師の長谷川宮司とも個人HP「にしのみや山口風土記」を立上げた時に公智神社のHPにアクセスして以来のお付合いがある。見逃すわけにはいかない。
 会場はいつもの山口センターの山口公民館ではない。公智神社社務所2階広間である。午後1時半の開講に40人ほどの受講者がつめかけた。畳敷きの広間で座卓に座っての受講はお年寄り中心の受講者には少々辛いものがある。
 講座では創立の経緯に始まり、古代、平安・室町時代、戦国・江戸時代、現代にいたる公智神社の様々な来歴が紹介された。多くは承知している内容だったが、古文書をもとにした宮司ならではの解説だった。とりわけ興味深かったのは宮司を務める長谷川家の来歴の紹介だった。氏の曾祖父が公智神社宮司として初めて着任されるまで、始祖の福井・小浜の宮司の次男から始まって神戸・湊川、播州・山崎、三田・高平、山口に至る経緯があるとのことだった。
 1時間ほどの講義の後、受講者から質問が相次いだ。その後、本殿前に場を移しての現地説明会となった。最初に説明されたのは木造建築の本殿だった。コンクリート造りの社殿の中に本来の木造の本殿があることを初めて知った。境内には末社や山口氏ゆかりの手水舎など様々な史跡がある。
 5年前に西宮市立郷土資料館の歴史調査団に参加した。その際、お二人の団員と三人で公智神社境内の47基の石造物の碑文や大きさを調査した。当時の資料を紐解くと最古の銘文の年号は元禄3年(1690年)の山口氏ゆかりの手水鉢であることを記していた。