「ファースト」がもたらす分断社会2017年11月08日

 ここのところ使われ出した「ファースト」という言葉が気になっている。トランプ米大統領が昨年の予備選挙中から使い始めた「アメリカ・ファースト」。小池東京都知事が都議選向けにキャッチコピー風に使い始めた「都民ファースト」などである。何となく新しい感覚のニュアンスがあり耳障りがよく大衆受けしている観がある。
 ところが考えてみれば「ファースト」とは単に「第一」「第一主義」ということに過ぎず自己中心のミーイズムを意味している。国際社会での協調・共存を排しアメリカこそ第一と主張する。都民を第一と考えない政治勢力や集団の存在を暗示することで抽象的な都民の利益を訴える。それは米国人や東京都民に不当な不利益の奪還を訴え共感を求めるというポピュリズムの手法にも見えてくる。格差と貧困が進行する社会にあって「自分さえ良ければ」というミーイズムの風潮が蔓延する。「ファースト」はそうした大衆の気分を巧妙に掬い取る。
  「ファースト」は「アメリカとそれ以外」「都民と都民の利益を損なう存在」という形で国や地域に対立を持ち込む。格差や貧困の原因を対立する反対勢力の存在に矛先を向ける。コミュニティの中に憎悪や排除が生まれコミュニティの分断がもたらされる。
 格差や貧困は対立、排除、分断によって一層深刻化する。協調、共存、包み込みこそが求められている。そんな時代だからこそ「ファースト」でなく「ソーシャル・飲クルージョン(社会的包摂)」を噛み締めたい。

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