山形天童温泉での35年ぶりの再会の宴2018年02月19日

 鶴岡のバスターミナルから山形行きの高速路線バスが出発した。終着の山形駅前の手前の停留所・寒河江(さがえ)バスストップには知人の迎えが待っている。車窓から雪に覆われた景色を楽しんでいたら、突然バスが停留所でもない地点で停車した。フロントの窓越しに作業車に設置された案内看板の「除雪作業中。片側交互通行」の文字が目に入った。寒河江に20分遅れで到着したバスを下車し知人の車に合流した。30分ばかり車中で35年ぶりの再会の溝を埋めるような会話を続けるうちに天童ホテルに到着した。天童市は将棋駒の町として知られ毎年4月には人間将棋のイベントも開催されている。案内された部屋の窓からは人間将棋の指揮者が陣取る舞鶴山が雪景色の中にたたずんでいた。
 37歳の時、当時流通労働団体の役員だった私は1年間に渡って毎月山形市を訪ねていた。山形の結成されたばかりのある流通業界労組の研修指導のためだった。昨年末に知人である大学教授を介して当時ご縁のあった方々との再会の宴がセットされ今回の懇親会に招かれた。
 5時過ぎには参加者の顔ぶれが揃った。地元の労組結成期のメンバー7人と仲介役の大学の先生と私の9名である。しばらく部屋で労組結成20年記念のDVDを観ながら思い出話に花が咲いた。6時から宴会場に席を移し懇親会となった。
 初代委員長による乾杯の後、会食しながら参加者の近況報告に聞き入った。結成時期の印象的な出来事や今だから言える打ち明け話などがこもごもに語られる。経営者との葛藤や当時の四分五裂の上部組織の環境下での錯綜した事情などが労組結成や結成後の運営に陰を落としていた。それだけにそれらを乗り越えて軌道に乗せたメンバーたちの絆は強いものが窺えた。そうした貴重な経験を糧に星霜を重ね今やリタイヤ前後の年齢を迎えている。そうした今の近況報告もまた味わい深いものがある。
 近況報告のトリを飾らせてもらった。冒頭、地元メンバーたちの私に対する想いに応えるメッセージを述べた。複雑な環境下で上部組織の利害を超えて労組活動の基礎を指導してもらったこと、その指導の締めくくりをキチンとした謝意を示さないまま過ごしてしまったことの悔いなどが地元メンバーから告げられた。前者については、山形の労組の結成経過と基盤づくりは私自身が体験した労組結成とその後の運営の軌跡を辿るものでありやりがいと達成感のあるものだったこと、また自分の培った知識と経験をひたむきで意欲的なメンバーたちが砂に水が吸収されるように受け止めてもらったことにむしろ感謝していることを述べた。後者については、山形訪問開始直後に労働団体の役職を離れ労組委員長に就任したという私自身の事情が訪問の制約を招きキチンとしたケジメをつけられないまま終えざるを得なかったことを伝えた。その後、労組活動辞任後の職場復帰、大阪府労働委員会委員就任、リタイヤ後の高齢者福祉を中心とした地域活動などを報告した。
 2時間ばかりの近況報告中心の懇親会を終え部屋に戻った。追加の焼酎を傾けながら二次会が始まった。昨今の労働界のふがいなさのぼやき、超高齢社会の迫りくる大介護時代の備え、地元メンバーたちの交遊録や人間模様などの話題が縦横無尽に飛び交い11時半にまで及んだ。懇親会から数えて5時間半の懇談にようやく終止符が打たれて眠りについた。
 翌朝6時頃に大きな露天風呂付き大浴場に浸かった。7時過ぎにホテルの朝食バイキングを済ませ部屋で寛いだ後、9時にフロントに集合した。翌日の会議に備えた資料作成もあり私は9時50分天童発の「つばさ」に乗車しなければならない。東京在住の先生もご一緒することになり、ホテル前で地元メンバーとお別れした。ホテルから2分程度の天童駅まで送ってもらい乗車列車を待った。
 天童から大宮までの2時間半ばかりの車中では隣席の先生と大いに語り合った。チェーンストア労働運動の研究者として精力的に取材活動を続けておられる方である。共通する知人も多い。運動の在り方についての造詣も深く共感する点も多い。意義深く楽しい車中を過ごした後お別れした。
 東京駅で昼食用に駅弁を調達し新大阪までの車中を読みかけの文庫本を読みながら過ごした。在来線とバスを乗り継いで5時過ぎに我が家に到着した。真冬の雪国の豪雪の風景、藤沢周平の海坂藩の風情、働き盛りの頃の懐かしい面々との印象深い語らいといったかけがえのない非日常の世界を味わった二泊三日の旅が終わった。